・ 【沈黙は重たくて暗いテーマでした】
原作を読んでいないしキリストについて、何も知らないので僕には理解できない世界でした、(「」内はヤフー映画より)
「遠藤周作の小説「沈黙」を、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの巨匠マーティン・スコセッシが映画化した歴史ドラマ。
17世紀、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる江戸時代初期の日本を舞台に、来日した宣教師の衝撃の体験を描き出す。『アメイジング・スパイダーマン』シリーズなどの
アンドリュー・ガーフィールドをはじめ窪塚洋介や浅野忠信ら日米のキャストが共演。信仰を禁じられ、苦悩する人々の姿に胸が痛む。 」
重たいテーマだけど眠らずに最後まで見ましたが、納得いかなかったね
・ 【ポルトガルの宣教師が踏み絵を踏んでました】
あらすじ
「江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた
彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。
その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。 」
キリシタンへの拷問を回避するとはいえ、宣教師自ら踏み絵を踏む行動は理解できないです、僕はキリスト教徒ではないですがカトリックの教会で式を上げました
・ 【多くのキリシタンが死んだのに】
当時横浜に住んでいた敬けんなカトリック教徒の義兄夫婦の計らいで横浜の教会で結婚式をあげる事が出来たのです、カトリック教徒以外が教会で結婚式を挙げるには
事前に結婚講座を三カ月受けねばなりませんでした、その時讃美歌等を歌って講座を聞くのですが、日本人の神父様は結婚生活について、いつも清く正しくを唱えていました、
外国人の神父様は現実的な生活の糧を得る方法を教えられた印象があります
(その時教えられて記憶に残っているのは「男は入りをはかって女はいづるを制す」と教えられた事です)
おかげで様で聖歌隊もついた立派な結婚式を横浜の教会で挙げることができました
日本二十六聖人がいます
「日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。
日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。
26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった[2]。」
どれだけの拷問があったのでしょうか、秀吉はむごいことをしています
・ 【宣教師は生き残って江戸で結婚までして天寿を全うしました】
司祭と言うのは結婚して良いのでしょうか、死んで棺桶に入って腕の中には十字架がありましたが僕は納得がいきません
(重たい暗い映画でしたが、お客さんは結構入っていて、平日なのにいつもの席は取れずに後ろから2番目で見ましたのでスクリーンが小さかったです)
キリスト教徒でなければ理解できない結末でした、資料は残っているのだろうけれど実際の所は判りません
・ 【シネマカードは6回見ると1回タダになります】
紙に書かれた記録の行間にどんな真実があったのでしょうか、もっと惨く残酷な歴史があったとしたら悲しいです、人の痛み気持ちは隣にいたとしても結局分かりません
(平和で自由のある日本現在に生まれて良かったと思います)
東急シネマのカードは横浜のムービルでも使えます、後3回見ればタダで映画が一本見れます
原作を読んでいないしキリストについて、何も知らないので僕には理解できない世界でした、(「」内はヤフー映画より)
「遠藤周作の小説「沈黙」を、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などの巨匠マーティン・スコセッシが映画化した歴史ドラマ。
17世紀、キリシタン弾圧の嵐が吹き荒れる江戸時代初期の日本を舞台に、来日した宣教師の衝撃の体験を描き出す。『アメイジング・スパイダーマン』シリーズなどの
アンドリュー・ガーフィールドをはじめ窪塚洋介や浅野忠信ら日米のキャストが共演。信仰を禁じられ、苦悩する人々の姿に胸が痛む。 」
重たいテーマだけど眠らずに最後まで見ましたが、納得いかなかったね
・ 【ポルトガルの宣教師が踏み絵を踏んでました】
あらすじ
「江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた
彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。
その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。 」
キリシタンへの拷問を回避するとはいえ、宣教師自ら踏み絵を踏む行動は理解できないです、僕はキリスト教徒ではないですがカトリックの教会で式を上げました
・ 【多くのキリシタンが死んだのに】
当時横浜に住んでいた敬けんなカトリック教徒の義兄夫婦の計らいで横浜の教会で結婚式をあげる事が出来たのです、カトリック教徒以外が教会で結婚式を挙げるには
事前に結婚講座を三カ月受けねばなりませんでした、その時讃美歌等を歌って講座を聞くのですが、日本人の神父様は結婚生活について、いつも清く正しくを唱えていました、
外国人の神父様は現実的な生活の糧を得る方法を教えられた印象があります
(その時教えられて記憶に残っているのは「男は入りをはかって女はいづるを制す」と教えられた事です)
おかげで様で聖歌隊もついた立派な結婚式を横浜の教会で挙げることができました
日本二十六聖人がいます
「日本二十六聖人(にほんにじゅうろくせいじん)は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。
日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。
26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった[2]。」
どれだけの拷問があったのでしょうか、秀吉はむごいことをしています
・ 【宣教師は生き残って江戸で結婚までして天寿を全うしました】
司祭と言うのは結婚して良いのでしょうか、死んで棺桶に入って腕の中には十字架がありましたが僕は納得がいきません
(重たい暗い映画でしたが、お客さんは結構入っていて、平日なのにいつもの席は取れずに後ろから2番目で見ましたのでスクリーンが小さかったです)
キリスト教徒でなければ理解できない結末でした、資料は残っているのだろうけれど実際の所は判りません
・ 【シネマカードは6回見ると1回タダになります】
紙に書かれた記録の行間にどんな真実があったのでしょうか、もっと惨く残酷な歴史があったとしたら悲しいです、人の痛み気持ちは隣にいたとしても結局分かりません
(平和で自由のある日本現在に生まれて良かったと思います)
東急シネマのカードは横浜のムービルでも使えます、後3回見ればタダで映画が一本見れます
しいたけさんのご意見で、「キリシタンへの拷問を回避するとはいえ、宣教師自ら踏み絵を踏む行動は理解できないです」とおっしゃっていましたが、なぜでしょうか?私は十分理解できます。
何故なら、その行動は宣教師としてなんの問題もないからです。宣教師はイエス様の教えを信じ実行し、イエス様が言われた、神について教え、人として正しく生きる道を教える存在だと思います。踏み絵を踏んでも、イエス様を否定しているわけでは有りません。そもそも、踏み絵は単に、時の日本の為政者が勝手に作った物にすぎません。キリスト教の教えに何ら関係ある訳では有りません。そし踏み絵を踏む事で、追求を免れることができれば、戦略上効果的です。
ただ日本人の様な超真面目な国民に対して、宣教師が踏み絵を踏む事は、布教という観点からは、マイナス要因とはなると思います。
日本で踏み絵を踏む場合は、信者に対して、キチンとした、論理的説明が必要で有ろうと思います。
しいたけさんのご意見は、そう言う事だったんですね。
「信徒が踏み絵を踏まずに殺されているのに、宣教師が踏んで命を長らえ結婚までして天寿まで生き残るストーリーに潔さを感じないのです」
私は映画を見ていないので、しいたけさんの論旨を取り違えていました。
こう言う場合、宣教師が自分は踏み絵を踏まないと決断したら、彼はキチンと信者に踏み絵にたいする行動指針と、その論理的背景を説明するべきであったと思います。そうしないと、信者は踏み絵を踏まず、殺されてしみます。そういう意味では、宣教師は自がすべき事をしなかったと思います。何故そうしなっかたのか、私にはわかりません。
最後にばれたキチジローの生き方が人間的かもしれないね、
映画館は予想より混んでいました