しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

川崎の街も少しづつ変わって来ました

2019年02月23日 | 庭・花壇・建物
・                         【東京と横浜の大都市の間の狭い地域が川崎なのです】

(川崎は少子高齢社会に反発するように毎年1万人以上人口が増えて発展している街です、151万人が住んでいるのです)
 
多摩川を渡れば東京大田区で、鶴見川を渡れば横浜鶴見区なのです、京浜工業地帯の中心都市で今も臨海地域は日本鋼管(今社名はありません)
をはじめとする京浜工業地帯を代表する街なのです、川崎公害病で知られた喘息の街でした、日本鋼管は沖合の扇島に移転して
公害対策が進んで茶色にスモッグで汚れた街の空気も一新して綺麗になって川崎公害病は今1軒も認定されていません

大都市東京に近くで公害の無い街になりましたので人も集まってきました、オフィス街として着目されて新しくビルも建つようになりました

川崎駅の北側にはパソコンメーカーのデルなどの日本拠点もあります、東芝の工場が無くなって商業センターやマンション街にもなっております


・            【高層ビルはありませんが、建物が多くなってきました】

交番の所に以前は川崎警察署がありましたが、八丁畷駅方面に引っ込んでしまいました、川崎は南北に長い街です、南北を貫くように
JR南武線が走っています、私鉄の小田急線、東急線は2本も走っています、東海道線、横須賀線、JR湘南ライン、京浜急行も
横断的に走っていて、
羽田にも近くて交通インフラも完備しています、北部の地域には高級住宅や高層マンションも立ち並んで川崎都民と揶揄される市民が沢山住んでいます
工業地帯だった臨海部にも工場移転などが行われ跡地には住宅やマンションも建つようになって川崎都民が増えるようになりました

(川崎の臨海部は平坦な地形ですので自転車が多くて、商店街のアーケードにも自転車が進出してきます、防ぎようがないので
 駅前から伸びる2本の大通りは自転車駐輪場になっております)

大通りと東海道が交差するのですが、旧東海道は第一京浜国道と川崎駅の間にひっそり隠れるようにあって、昔は東西の交通の大動脈
だった道も今はビルのはざまの路地となっていて往時をしのぶのは看板だけになっています

(それでも道は残っているだけましと考えねばなりません、旧下田街道はうずもれてしまって道がありません)


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