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諸々の嗜好に対する思考と試行

洋式礼賛

2005年09月20日 | 創作・架空
和式の大便器が苦手だ。
僕にとって和式の大便器は非常用の「第二の便器」である。
自宅であれば当然ウォッシュレット付き洋式であるから問題はないが、しかし屋外で肛門が切迫した事情に陥った場合、そういう火急の時には悠長に洋式を探して歩くということはできない。
それでもそういう時は脳内で肛門と急ぎ相談をしながら、我が体内の暴れん坊をなだめつつ時間の許す限りホテルやデパート、新設の公衆便所など洋式のありそうな施設を探し歩く。
この段階では、なるべく清潔な洋式便所が見つかることを期待しながら探しているし、排便中、排便後の心地よさ、清々しい気分を思い浮かべながらも、まだ精神的な余裕がある。
歩行速度は比較的速い。
次の段階になると、多少汚れた便器であっても、洋式でありさえすれば良いという気になってくる。
歩行速度はものすごく速いが、手と足の動きがテンデンバラバラ。
最終段階が近づいてくると、和でも洋でも何するものぞ、便器に汚物がこびり付いていようともかまやしない、という気になってくる。
ほんの数十分前までは「最近やっと涼しくなってきたなあ。もう秋だね」などと思っていたのに、今は額や背中にネットリと汗をかいている。
ダムの決壊を食い止めるため、やや内股になり歩行速度は逆に少し落ちる。
論理的な思考は不可能であり、排出、出る、出す、突破、放尿、修行、便器、排便、執行猶予、便所、ダダ漏れ、野良犬、無理強い、便、オムツ、痙攣、栓、といった単語だけが頭に浮かぶ。
待ったなしである。
この段階で和洋を問わず駆け込むタイミングを誤れば、和式でも洋式でもない、路上やビルとビルの隙間という「第三の便器」で用を足さなければらない。
これは恥ずかしい。
恥ずかしいが、今ではそれをもある程度覚悟しているので、便所を探すのと同時に、人目につかない場所も探す。
民家に飛び込み用を足させてもらうというのは自尊心が許さないのでこれは「第四の便器」である。
なぜか、民家よりも路上のほうが人間としての誇りは傷つかない。
不思議だが、本当だ。
コンビニは不可である。
コンビニの便所は壁が薄い。
こういう状況で見つかる便所は必ず和式であり、しかも汚い。
しかしせねばならないから、する。
和式は用を足す際のあの屈辱的な姿勢がいやだ。
しかも大便とお尻との距離が近い。
下を見ると大便が見える。
勢いよく飛び出した大便がズボンの裾に付着するのではないかと心配になる。
直接立ち上ってくる臭いも耐えられない。
こういった状況で、仕方がないから和式を使うこともあるが、僕が和式を好んで使っていると思われるのは心外だ。
僕は洋式が好きなのである。

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