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諸々の嗜好に対する思考と試行

意図不明

2005年10月28日 | 時事
「地球に優しい」などと環境への配慮を高らかに宣言している企業が一番信用できないのだ。
なにしろ「地球に優しい」と言っている傍から廃液・煤煙・二酸化炭素出しまくりである。
公害を減らす努力はしているのだろうが決してゼロにはならないし、世界的に見れば増えているかもしれない。
企業活動を続ける限り河や海、土壌や空気は汚れ続ける。
本当に優しくするつもりがあるのなら、ただちにその地球に優しくない活動を止めてしまえと言いたくなる。
そもそも地球は人間ごときに優しくされなくたって平気なのである。
よく環境美化運動のポスターに、公害に苦しんでいる地球が涙を流して泣いているように表現されているものがあるが、実のところ地球は涙を流したりはしない。
なぜなら地球には目どころか涙腺すらないからである。
それどころか鼻も耳も口もないのっぺらぼうで、しかもハゲだ。
地球ってのはこれが思いのほか冷たいヤツで、公害で草木が枯れようが、紫外線が増えようが、ガソリンが値上がりしようが、地震が起ころうが、人類が滅亡しようが、別に知ったこっちゃないのである。
そんなもんにいちいち心を痛めて動揺しているようでは、45億年も地球をやってられないのである。
しかしそのクールさとは裏腹に、一枚皮をめくると今でも熱い血潮がたぎっている。
地球とはそんなヤツだ。
だからこれからは地球のことなど気にせずに、胸襟を開き、正直に腹を割って汚れた内臓を見せびらかす気概をもって、企業活動に邁進してほしい。

もうひとつ信用のおけないものに「天然由来成分配合」と銘打った各種製品がある。
化粧品や食器洗剤などに多いのではないか。
とりあえず、この世に「天然由来」でないものがあるのかと言いたい。
テレビだって、電子レンジだって、時計だって、飯だって、パンだって、電池だって、ステレオだって、ソーセージだって、飛行機だって、人工衛星だって、靴だって、車だって、ベビーカーだって、核爆弾だって、人間だって、「配合」どころかそれらを構成している物質すべてが天然由来である。

尻切れとんぼ

筒井作品に見る神戸市垂水区

2005年10月22日 | 日記
1972年4月、筒井康隆が神戸市垂水区に居を構えるまで、そこは存在自体が不確かな場所であった。
まったく漠然として曖昧であった。
だから垂水を知らぬ人々が垂水について知りたいと思うとき「漁港があるらしい」「釘煮というものを食べるらしい」「須磨の西にあるらしい」「明石の東にあるらしい」というあくまでも推測の域を出ない会話から、ぼんやりと垂水というものを想像する以外に方法はなかった。
そこに何かがあり人が住んでいることは多くのデータから予想されてはいた。
しかし、垂水と思われる場所を特定すれば垂水住民らしきものの挙動はまったく判然としなくなり、その住民について知ろうとすれば場所の特定が不可能になるため、ほとんどの人はそのエリアのすべてを明らかにすることについて諦めざるを得なかった。
垂水に行ったことがあるという者も、いるにはいた。
ただ、その者が多くを語らなかったためそれが事実かどうかの確証は得られなかった。
それが嘘であったのか、事実であったが語りたくなかったのか、垂水に語るほどの内容がなかったのか、それは今も不明である。
垂水には鉄道の駅があった。
山陽電鉄と当時の国鉄である。
これらの鉄道の利用者は「つぎはあ、たるみい、たるみい」という自信のなさそうな車掌のアナウンスを聞いた。
そして電車が垂水駅に近づくと、まず電車自体が不明確な存在となった。
駅自体も周囲の風景もぼんやりとした不確かなものであった。
電車が駅に到着し、垂水の住民と思われる客がホームに降りた途端、彼は霧がかかったように朧げな存在となった。
そして乗車してくる客は、車両に乗った途端実体化した。
垂水を通る海沿いの国道もあった。
国道2号線である。
須磨を越え垂水に近づくと、道や景色は徐々に間にぼんやりと霞みはじめた。
輪郭を伴わない曖昧な周囲の状況に不安を感じた運転手達が急激に速度を落とすため、近辺の道は常に渋滞した。
兎にも角にも、1972年4月以前の垂水とはそういうエリアであった。

筒井康隆が垂水入住を決めた直後に、垂水は現実感を伴って神戸の西、須磨と明石との間に現出した。
誰もが目で見てその実体を詳らかにすることができる状態となった。
なぜなら、そうしなければ筒井康隆に住んでもらえないからである。
そして、垂水が茫漠とした場所であった時代を「筒井康隆以前」と呼び、確固たる実体として現出した後を「筒井康隆以後」と呼ぶ。
また、ここで「筒井康隆」と敬称なく記述しているのは、例えば「イエス様」や「お釈迦様」を「イエス・キリスト」や「釈迦」と呼ぶことも一般的であり、別段それが彼らに対して不遜だというわけではなく、神性を損なうものでもないのであって、つまり垂水において「筒井康隆」はそういう存在であるということである。

「筒井康隆以後」の垂水は色々と大変であった。
なにしろ、筒井康隆が普段歩く道々に筒井康隆が気に入りそうな本屋、コーヒーショップ、寿司屋、パチンコ屋などを急ぎかつさりげなく配置しなければならなかったからだ。
またここ数年では、神戸三宮にあった筒井康隆お気に入りのインド料理店を海沿いの商業施設内に誘致したりもしている。
それだけではなく、筒井康隆が垂水の日常生活において利用するであろう警察署、幼稚園、学校、神社、動物病院なども筒井康隆が利用しやすい場所にただちに設置した。
なぜかというと、もちろん筒井康隆に出て行かれては困るからである。

・・・もうやめよう。
ここまで書いていて天罰というか仏罰というか神罰というか、何かしら恐ろしいものが僕の頭上に降りかかりそうな気がして仕様がない。
僕としては、単に筒井作品に縁のある垂水近辺の写真を掲載しようと思っただけなのだ。
これは、本当だ。
題名もそういうつもりで付けている。
なぜか知らないが、書き出しからおかしな方向になってしまっただけだ。

さて、1973年の2月から7月というから、筒井さんが垂水に引っ越して来られてちょうど1年ほどたった頃から「夕刊フジ」に連載された『狂気の沙汰も金次第』というエッセイの中に、垂水の美味しいお寿司屋さんの話『寿司』がある。
この『寿司』は、女性誌「ミセス 1972年9月号」に書かれた『とろを食べる』というエッセイの後日談なのだが、なにぶん30年以上前の話であるし、特に10年前の大震災以降、垂水駅前は大きく変貌しているために、駅前商店街にあると書かれている「寿し磯」というお寿司屋さんは、残念ながら見つけることができなかった。
もし今でもあるのなら、是非行って安くて美味しい”とろ”や”うに”を食べてみたい。


*垂水区民の台所「垂水センター街」は垂水駅前を東西に貫く
「文學界 1993年1月号」に掲載された『十二市場オデッセイ』という短編は、もしかしたらこの商店街がモチーフのひとつになっているのかもしれない。
あるいは、今はアーケードがなくなってしまった「垂水銀座」だろうか。
「小説新潮」に連載されていた最近作である『銀齢の果て』での老人バトルロワイヤルエリアも、商店街周辺の地区を彷彿とさせる。

さすがに今はされないだろうが、筒井さんはその昔結構パチンコを打たれていたようだ。
今の電動式ではなく、手打ちの時代である。
『狂気の沙汰~』の中の『パチンコ』には、1日に1時間以上は必ずパチンコをすると書いている。
そして『同じ建物内の2軒続きが2ヵ所にある』と書かれているのだが、前述のように、垂水の駅前は大きく変貌しているため、残念ながらこの2軒続き2ヶ所合わせて4軒のパチンコ屋を特定することはできなかった。
しかし、震災後にできた駅前の商業ビルの1階に2軒続きのパチンコ屋が1ヵ所ある。
パチンコ屋はなかなか潰れないから、筒井さんが興じられた店と同じ系列のものかも知れない。


*手前の店「ラ・ソレイユ」と奥の店「プレミオ」
どちらも開店前から人が並んだりしていて、それなりに繁盛しているようだ。

神戸市の広報誌「神戸っ子」にも『狂気の沙汰~』とほぼ同時期にエッセイが連載されているが、特に1973年3月号に掲載された『垂水・舞子海岸通り』には、当時の垂水南部の風景が数多く描かれている。
順番に紹介していきたい。

まず、現在僕もよく利用する書店「文進堂」について。
垂水駅東口から北に上がる通りにあるのだが、ここは以前はアーケードがあり「垂水銀座」という愛称で親しまれていたようだ。
文進堂は、エッセイが書かれた当時には『垂水でいちばん大きい本屋』であったようだが、今は3番目くらいだろうか。
ここには筒井さんのサイン本が置かれていたりして、ファンにはとてもうれしい書店なのだが、もう少し筒井作品を取り揃えて宣伝していただくと、さらにうれしい。


*続々と客が入っているように見えるが、これは偶然である。
『狂気の沙汰~』の『愛車』や「別冊小説現代 1975年1月号」掲載の『神経性胃炎』いうエッセイにも、垂水銀座の名前が出てくる。

文進堂から垂水銀座を南に下りると、JR(当時は国鉄)と山陽電鉄が並行している線路の高架下にあった通称「たるせん」。
この「たるせん」の語源については、「垂水専門店街」の略なのか「垂水線路下商店街」の略なのか、よくわからない。
残念ながら「たるせん」は今年になって完全リニューアルしてしまったため、昔の面影はなくなってしまったが、地元の人は今でも愛着を込めて「たるせん」と呼んでいる。


*垂水駅高架下の「MOLTI」
実は「MOLTI」は山陽電鉄高架下の商店街で、JR高架下は「Viento」という商店街。
名前の違う商店街が隣り合って高架下を東西に貫いているので、待ち合わせの時などややこしくて仕方がない。

『ぼくはいつもここでコーヒーを飲む』と書かれている「上島コーヒー店」(UCC)は、垂水駅東口周辺を探したが見つからなかった。
家に帰ってからネットで調べてみると、どうも現在垂水にはUCCのショップはないようだ。
社長か会長が垂水に住んでいるはずだが、どうなのだろう。

さらに南に下ると(といっても100メートルほどか)、海沿いを走る国道2号線に出る。
昔の宿場町の面影を残す旧い家並みは、残念ながら新しい住宅や大きなマンションに圧されて消えつつあるが、思わぬところに和洋折衷の旧家が残っていたりする。


*国道2号線に掛かる歩道橋から西向きに撮影
手前に見える「福田橋」は、大正15年に造られた旧き良き垂水の象徴。

当時はそのまま海に出て泳ぐことができたようだが、今はコンクリートで護岸され遊泳は禁止されている。
ちなみに、僕の母は戦時中垂水に疎開していたことがあり、水着のまま家から歩いて海岸まで行き泳いでいたそうだ。


*現在の垂水漁港

次は国道2号線沿いにある「海神社」。
地鎮祭や七五三はもとより、お祭り、普段のお参りなど、垂水住民にはたいへん愛着のあるなくてはならぬ重要な場所である。


*海神社


*海神社南側にある大鳥居

国道2号線をはさんで海神社の南側にあった「垂水警察署」は1986年頃に垂水北部に移転し、現在は建てかえられてちょっと大き目の交番になっている。
エッセイに書かれているとおり、旧垂水警察署は警察署とは思えない立派な木造洋館で、もともとは大正時代に別荘として建てられた「旧四本萬三邸」であったそうだ。


*垂水駅前交番
右側の尖塔に昔の面影を残そうとはしてはいるが、趣もへったくれもない建物になった。
「文學界 2000年5月号」から連載された『恐怖』に出てくる、老朽化した文化財として価値のある税務署は、旧垂水警察署のことではなかろうか。
旧四本萬三邸」がどのようなものであったかをネットで調べてみたが、たったひとつしか見つからなかった。
四本萬三氏がどのような人であったのか、エッセイには『ある成金』と書いてあるのだが、これは調べてもよく判らなかった。
もしきちんと管理して保存していれば、立派な観光名所になっただろう。
もちろん警察署としてではなくだが。

エッセイに書かれているとおりに、国道2号線を西へ向かってみると「舞子公園」があり「移情閣」が見える。
移情閣については、ネットででもちょっと調べればたくさん出てくるので、エッセイと同様に説明は省こう。
ただし現在の移情閣は、明石海峡大橋を建造する際に、邪魔になるという理由で移転されたもの。
続いてエッセイに書かれている『有名な舞子の松』が有名であることを僕は知らなかったのだが、『車の排気ガスでもはや見る影もない』ために植え替えられたのか、今はきれいなものである。


*舞子の松

かなり長々と書いてきたが、もう少しなので我慢していただきたい。

「別冊小説宝石 1975年5月号」に掲載された『平行世界』は、筒井邸に近い「厄除け八幡」から上で紹介した海神社まで、南北数百メートルのエリアが無限に連なった世界でのドタバタを描いたものである。
厄除け八幡の境内は、夜になると真っ暗で怖いほどだ。


*厄除け八幡


*海神社境内からJR垂水駅のホームを見上げる

「SFマガジン 1990年10月号」に掲載された、夢か現か判らぬ不思議な短編『禽獣』には、筒井邸から南に2、3百メートル離れたところにある動物病院が『獣医の旗谷さん』として、名前だけ登場する。


*旗谷さんには、僕の家で飼っている犬と猫もたいへんお世話になっている

厄除け八幡の近くにある「愛垂幼稚園」もあるエッセイに登場するのだが、そのエッセイが何であったのか忘れてしまった。
それでも写すだけ写しておこうと思い幼稚園に赴いたのだが、ちょうと遊び時間中だったようで園児が大勢外に出ていた。
いまどき幼児にカメラを向けているとロリコンと思われて、誰何されるかただちに警察を呼ばれる可能性もあったので、撮影は断念せざるを得なかった。

まだ他にも垂水の風景を取り込んだ筒井作品があるかもしれないが、読み返しているうちに気づいたものがあれば、追加していきたいと思う。
文中、地名や施設名、誌名などについては必要な部分を「」で括り、筒井作品名および作品中の文章の引用についてはすべて『』で括った。
また、年代の一部については、”非公式”ファンサイト「筒井康隆症候群」に公開されているデータを参考にさせていただいた。
支那さん、法水さん、メンバーの皆さんありがとう。
本当に役に立つわ、これ。

続・垂水写真館

2005年10月15日 | 日記
神戸垂水はいいところだよ。
今日も垂水写真館だよ。

山手の高台からの夕日だよ。
向こうに見えるのは明石大橋だよ。


垂水には山陽電鉄が走っているよ。
線路のすぐ近くで見ることができるよ。


五色塚古墳という有名な遺跡だよ。
登るとすごく高いんだよ。


次はすごく怒っている写真だよ。

尿は書けても糞は書けないんだね。
米が異なると覚えると簡単だよ。

垂水写真館

2005年10月14日 | 日記
神戸垂水はいいところだよ。
今日は垂水の写真特集だよ。

この夏新しくできたスポーツ公園のランニングコースだよ。
海が目の前にあってすごく気持ちいいよ。


スポーツ公園の横にある恋人岬からの夕日だよ。
向こうに見えるのは明石大橋だよ。


家の前からの夕日だよ。
筒井さんのおうちの方向だよ。


次はちょっとおかしな写真だよ。

毎朝車道のド真ん中を自転車ですごいスピードを出して走ってくるおばさんだよ。
ちゃんと右折レーンで待ってるけど危ないね。

さすが、お国はスゴイ!

2005年10月13日 | 時事
切れやすい子:「愛情、教育が大切」 検討会が報告書

いやあお国にきっちり税金収めとってよかったなぁ思うのはこういうときや。賢い人たちが集まってきっちり論議してめちゃ科学的に近頃のガキの問題行動について結果を出してくれるとは文部科学省もやるやるとは思っとったけれどもこれほど明快な答えを出してくれるとはさすが僕らとは頭のデキが違うわ。そりゃ僕も「乳幼児期の適切な環境とコミュニケーション、愛情、教育が大切」なんちゃうかなぁと思わんでもなかったし巷のおばはん達もだいぶ前から井戸端会議やなんかでそういう話しとったけどもやっぱりお国が賢い人たち集めて科学的に答えを出してくれたんやからこれはもう間違いないこっちゃ。しかも「基本的な生活リズムを身につけさせることや、そのために乳幼児教育を進めることは有用」やってすごい科学的やろ。子供には寝起きの時間やらメシの時間やら勉強時間やらきっちり教えてやらなあかんでっていうこっちゃ。ほんま科学的や。なんといっても脳科学やら精神科の医師やら社会学・教育学・栄養学やらの僕らには想像もつかん超の付くお利口さんたちがじっくり時間かけて出した答えやからこりゃもう間違っても間違いはない。僕らが子供叱って「はよ寝えや!」言うたり「勉強しいや!」言うてたんがこれでお墨付きもろたわけや。しゃあけど僕らよう知らんことでも知ったかぶりしたりするのにこの人らは「インターネットやパソコン、テレビゲームなどの普及が子どもの脳に及ぼす影響」とか「乳幼児期の子どもについては」よう判らんことが多いからもっと研究せなあかんっちゅうて判らんことをちゃーんと判らんというところが偉いがな。無知の知っちゅうやつや。賢者の証や。なかなかでけんこっちゃで。しかも「今後も科学的実証を重ねるべきだ」ってめっちゃ前向きやで。まだまだ頑張るつもりや。いやあほんまお国にきっちり税金収めとってよかったなぁ思うのはこういうときや。

読中感想文

2005年10月12日 | 読書
「創世記機械」という本を読んでいる。
J.P.ホーガンの有名な作品だ。
今現在は中盤を少し越えたあたりで、ブラッドの新理論の説明も終わり、オーブとの仲良しコンビ結成だ。

山場はまだ先のようだが、これからどういう展開になるのか予想してみる。
ツィンメルマンはいい奴そうだが、実は政治的にコリガンと裏でつながっている。
こういう奴は実に怪しい。
自らブラッドを取り込んで、おいしいとこ取りを企んでいるに違いない。
しかし同じ国際化学財団のアルはその純真さから見て、最後までブラッド達の味方だろう。
ブラッドとサラとオーブは最後まで友情を貫くだろうから、残念ながらサラのオーブとの不倫はないと思われる。
重力制御を軍事に利用しようとするコリガン一味の策略により、国際化学財団自体が大きな危機に見舞われるが、実はそれもツィンメルマンの書いた筋書き通りなのだ。
研究の継続が頓挫するかに見えた時、諦めかけたところでサラのひらめきによってその危機を脱することができる。
この失敗によってコリガンとツィンメルマンは失脚する。
そしてアルやオーブ達の尽力により重力制御が一般に公開され、産業や生活はアルの予測どおり大きく変化することになる。
この革命的変貌により国際紛争は過去のものとなり、地球連邦政府が樹立されるのだ。
ブラッドが新しい高等通信研究所の所長となり、政・軍・学の分離をモットーとした科学者のための楽園創設を目指す。
アルは国際化学財団の新リーダーとなるだろう。
オーブは実家の豆腐屋を継ぐ。

これからどんどん面白くなりそうな予感に、ついページをめくる手が早くなるが、この辺に後々のストーリーの伏線が多いと思われるので、我慢してゆっくり読んでいきたい。
まあ、ブラッドとオーブに任せておけば安心といったところだ。
以前「小林サッカー」という映画が公開された時、それを観る前に感想文を書いたことがあるのだが、結構当たっていたりしたので上記の予想もそう大きくは外れていないだろう。

読後感想文は書かないつもりだ。

中間搾取

2005年10月11日 | 日記
ぶわはははは。Otearai Webの名倉氏が、商社の会社員相手に「中間搾取」などとのたまって、困ったことになっておる。
これがまた、間違ったことを言っていないだけに面白い。
そういえば、僕も会社で給与システムを担当していた頃に、役員報酬額に関して担当部署つまり秘書課に問い合わせをしたのだが、その際「利益処分」というべきところを「利益供与」と言ってしまい、しかも自分で気付かずに何度も言ってしまったため、大変往生したことがある。
だから名倉氏の感じた気まずい雰囲気は、僕もわかるつもりだ。

言い間違いとは自身の深層心理の発露である。

腕の麻痺

2005年10月10日 | 日記
今朝、何かの拍子に片腕がもげてしまって、これは困ったなあパソコンへの文字入力がやりにくくなるし左手に茶碗を持ちながら同時に右手で箸を使うことができなくなるじゃないか。見た目もバランスが悪いしそれ以上に何やかんやと面倒くさいことが増えるのだろうなあ、と途方に暮れている夢を見て目を覚ますと、本当に腕がもげてしまったのではないかと思うほど、左肩からの下の腕全体が麻痺していた。
誰でもあることなのかどうかは知らないが、僕はうつ伏せになって寝るのが常なので、腕が腹の下敷きになって痺れが切れやすく、時々こういうことがある。
完全に麻痺している腕というのは気持ちの悪いもので、目覚めた当初はその腕と体との位置関係がまったく把握できないし、ようやく目視によって腕の位置を確認して、それがなぜか腹の下から抜け出してベッドの横に垂れていることを知っても、力が入らないからベッドの上に戻すことすらできないのだ。
ベッドの横に垂れたままになっていると、ベッドの縁にはちょうど脇の下が当たっていることになり、そんな状態では血流が悪くいつまでたっても麻痺が治らないから、これをなんとかして早急にベッドの上に戻さなければならない。
そのためには幾つかの方法があるが、手っ取り早いのは麻痺していない腕の方向に勢いをつけて寝返りを打ち、遠心力で麻痺した腕をベッドの上に戻すことだ。
つまり、うつ伏せから仰向けになるわけだ。
これは実に危険な賭けでもある。
通常の場合であれば、随意・不随意かかわらず筋力が働いているから、たとえ寝返りによって遠心力が働いても、おかしな方向に腕が振り回されないよう縮めておいて危険を回避することができる。
というよりも、普段は寝返りが危険だとか遠心力が働いていると考えることはないだろう。
しかし麻痺している腕に対して、危険を回避するための十分な筋力を求めることはできない。
結果どういうことになるかというと、寝返りを打った瞬間から少し遅れて、遠心力で伸び切った腕がベッドの横の死角からブンと飛んでくるという非常に危険な現象が起こり、なんと自分の腕で自分の顔面を強打することになる。
完璧に遠心力が働き、理論どおりの結果が得られるとするなら、麻痺した腕はベッドの横からほぼ270度の綺麗な円弧を描きながら、反対側のベッド上にバタンと落ちるはずだ。
これが理論どおりにいかないのは、恐らく、あまりに激しく寝返りを打つと、その強い遠心力によって肩の関節が抜けてしまうのではないかという恐怖が寝返りの勢いを殺いでしまい、回転中に腕が失速してしまうのと、肩の関節の向きによる限界だと考えている。
考えているだけで、これを修正し理論どおりの結果を出す努力をするつもりはない。
そもそも意識がはっきりしていれば、寝返りなど打たず、うつ伏せのままゆっくりと麻痺していない腕の側に体を移動することで、もっと簡単にそして確実に麻痺した腕はベッドの上に戻ってくる。
それを、わざわざこんなややこしい危険な方法で元に戻そうとする時は、必ず寝惚けているのだから、腕が顔面に当たったくらいの痛みはほとんど覚えていない。
再び腕が麻痺したときは、前回もちゃんと腕がベッドの上に戻ってきたという記憶だけが残っているから、同じように遠心力を応用したこの方法で元に戻そうとするだろう。
結果が同じなら、僕にとってはどちらでも構わないのだ。

COBOL

2005年10月09日 | 日記
たった今まで狭い庭で煙草を喫いつつ本を読みながら、秋の夜長を楽しんでいたのだが、突然何の前触れもなく思い出したことがある。

ああ、なんてこった。
僕はほんの数年前までコンピュータ・プログラマだったのだ。
しかもコンピュータの専門学校を卒業しているのだ。
本当に忘れていたので、自分でもびっくりしている。

専攻はCOBOL。
僕は、すでに古色蒼然として時代の最先端から退いた感のある、それでいて大型コンピュータでの特に帳票印刷の取り扱いでは、恐らく今でも匹敵するものがないであろうこの言語のプロフェッショナルだったのだ。
その他にも、PL1、PASCAL、VISUAL BASIC、DELPHIもそれなりに使いこなしていた。
信じられないことだが、VBやDELPHIで製作したソフトウェアを幾つかホームページに公開し、その内の一つがあの「窓の杜」のニュースに紹介されたことさえあるのだ。
あの時は、普段一日に数十程度のホームページのアクセスが、突然数百に跳ね上がり、何事かと驚いたものだ。
しかも、いま調べてみたらその記事がまだ残っているので、さらに驚いた。

今は転職こそしていないが、違う職場で仕事をしている。
元にいた、入社当時は「電算課」というこれまた古色蒼然とした名前の部署は、今では「情報システム」という今風の名前に変わり、その職務はコンピュータを主体とした情報企画専門であり、プログラミングの仕事は一切ない。

COBOLを書くことはもうないのだろうなあ。
今でもパソコン用のCOBOLがあるにはあるのだが、構造化されイベント・ドリヴンなそれと、旧来のホストコンピュータ用のベタなCOBOLとは感触が違うのだ。
僕は「GO TO」全盛の古いCOBOLが好きなのである。

まあDELPHIは老後の趣味として取っておいてもいい。
PL1やPASCALは使うことはないだろう。
しかしVBはもう見たくもない。

さて、この記憶が呼び起こされた時、僕は筒井康隆氏のある小説を読んでいた。
その作品名を当てていただきたい。
ツツイストにはそれほど難しい問題ではないだろう。

当時の「窓の杜NEWS」を見たい人はこちら

死刑制度

2005年10月07日 | 時事
死刑制度賛成論者が制度を維持する根拠の一つとして挙げるものに、被害者遺族の感情への配慮がある。
つまり被害者の遺族にとって、自分の大切な人間が殺されて、犯罪者がのうのうと生きているということは許せないはずだ。
それならば、国家が被害者に代わって犯罪者を成敗してくれん。というわけだろう。

しかし僕が思うに、例えば僕の大切な人が犯人の単なる楽しみのために酷い殺され方で殺された場合、その犯罪者が死刑になったとて、何の慰めにもならないような気がするのだ。
一つの区切りにすらならないのではないだろうか。
例えそれが公開処刑であり、僕自身が死刑に処される犯人を目前で見ることができたとしても、それはあまり変わらないだろう。
そこには虚しさが残るばかりだ。
もしかしたら、僕が犯人をどのような方法を使ってでも(犯人と同じ方法を使ってでも)死に至らしめることができる制度があったとしても、自分の犯した殺人に対する嫌悪感が一生残るだけで、そこに僕自身の精神的苦痛を乗り越えるという、次への出発点は見出せないかもしれない。
死刑執行の日、刑務官が受刑者にその旨を伝えると、腰が抜け脚が立たなくなる者も多いという。
確かにこれから他人の手によって自分が殺されるのであるから、その恐怖は想像に余りある。
だが、それと大切な人が死ぬまでに与えられたであろう恐怖と苦しみとはまったく比較にならないのだ。
そのアンバランスさは現在の死刑の方式では埋まらない。
そう考えると、死刑制度の被害者遺族の慰撫という効果は少ないだろう。

しかし、犯罪者への人権上の配慮であったり、諸外国は廃止の方向が大多数だからという理由だけでは、日本での制度廃止は難しいだろうし、少なくとも僕自身は反対だ。
そんな理由ならば、残しておいてくれといいたい。

死刑制度廃止論者には「死刑制度廃止前夜」にどのような準備をする必要があるのかということについて、もっともっと具体論を展開していただきたいと思う。

殺人蚊(キラー・モスキート)後編

2005年10月06日 | 創作・架空
B級映画「殺人蚊(キラー・モスキート)」 1979年 アメリカ 粗筋(後編)

【病院】
ヨハンソンが目覚めると、そこは病室のようだった。
傍らにはメリッサとロッドが立っている。
「・・・来てくれたのか」
「例の件の結果が出たから警察署に電話したら入院中だって言うじゃない。びっくりして・・・ロッドにも連絡して二人で飛んできたのよ」
「事故の大体の状況は若い刑事さんから聞いたけど、さすがのヨハンソン刑事殿もヤキが回ったかな?」
「そうか・・・まったくドジなこった」
「・・・冗談だよ。それよりも早速だが聞いて欲しいことがあるんだ」
「そうよ!例の肺に詰まっていた大量の昆虫について・・・」「例の管理人の件だが・・・」
メリッサとロッドが我先にと同時に話し始めた。
「ま、待ってくれ。順番に順番に。そうだな・・・管理人の話から聞かせてくれ」
メリッサは不服そうだったが、優先権を与えられたロッドを促した。
ロッドは肯くと、軽く咳払いをしてから話し始めた。
「君たちを発見したのは、管理人の同僚の若い警備員だそうだ。いつまでたっても君たちが戻ってこないのを不審に思って探しに行ったらしい。そして君が地下に下りる階段の途中で気を失っているのを発見した」
「で、あの管理人は?」
「・・・残念ながら、彼は階段を下り切ったところにあるエレベータ落下緩衝器の近くで・・・死因はやはり例の虫だ」
ロッドは俯いて首を振りながら答えた。
「・・・なんてこった。俺がドジさえ踏まなけりゃ・・・」
「気にしないで。もしあのまま奥に行っていたら、あなたも同じようになっていたかも知れないのよ」
メリッサはヨハンソンの肩に手を置いて言った。
「しかし、助けられたかもしれないのに」
「もういいだろう。君はよくやったし、彼に対する手向けは事件を解決することじゃないか」
「・・・わかったよ。メリッサ、サンプルの調査結果を教えてくれ」
「ええ」
メリッサはバッグからレポートを取り出すと、ヨハンソンとロッドに手渡しながらこの一週間に集められるだけ集めた調査内容について話し始めた。

「まず、結論から先に言うと、あの小さな昆虫は鑑識の言うとおり蚊だったわ」
「なぜ蚊が人間を窒息させるほど大量に体内に入り込んだんだ?」
ロッドが苛立たしげにメリッサに尋ねた。
「焦らないでよ。順番に話すから」
メリッサは報告を続けた。
「蚊の種類はアカイエカ。どこにでもいるごく当たり前の蚊ね。それから、私の方から担当の検死官に直接問い合わせてみたんだけど、最初の被害者ロイニーの体内から摘出された蚊の重量は驚いたことに約2kgよ。アカイエカがこんなに大量に集まることはまず考えられないわ。例え殺虫剤メーカーの研究室でもね」
「ひゃあ!蚊の塊がウチにある鉄アレイ一個分の重さもあるなんて、想像もつかないね」
ロッドが大仰に驚く。
ヨハンソンは考え込みながらメリッサに尋ねた。
「で、2kgっていったら何匹分なんだ?」
「アカイエカ一匹が約3㎎だから、ざっと70万匹ってところね」
ロッドがおどけた様に再び驚く。
「ひゃあ!あのちっちゃい蚊が70万匹!で、そりゃ一体どのくらいの重さなんだい!」
「だから約2kgだとメリッサが言っているじゃないか!」
「・・・冗談だよ。そんなに怖い顔するなよ」
「でね、驚くのはまだ早いの」
「まだ、これ以上驚くことが何かあるのか?」
ヨハンソンは不気味な予感に襲われながら、メリッサの次の言葉を待った。
「ええ。体内にいた大量の蚊は・・・すべて雄よ」
「!」
「!」
ロッドとヨハンソンは顔を見合わせて、なにかとてつもない恐ろしい事態が起きていることを確信し戦慄した。

殺人蚊(キラー・モスキート)前編

2005年10月05日 | 創作・架空
B級映画「殺人蚊(キラー・モスキート)」 1979年 アメリカ 粗筋(前編)

【農場】
アメリカのとある大農場の夏。
その片隅に設置された10台の古い雨水桶。
雨水の一杯に溜まったすべての桶の中で、大量の赤黒いボウフラがウヨウヨと蠢いている。
農場では飛行機を使い殺虫剤が散布されている。
農場主の家の近くでは、3歳になる長男のステファンと愛犬スピーキーが楽しそうに駆け回り遊んでいる。
家の中では農場主の妻が得意のミートパイを作っている。
雨水桶の置いてある農場の片隅にまで、わずかに漂い流れてくる農薬。
ボウフラが、まるで熱湯に落とされた大量の小エビの如く一斉に飛び跳ね、バシャバシャと水を飛ばす。

ある朝、納屋に置いてある農機具を取り出しにきた農場主は、裏庭の薄暗い藪の中でスピーキーが干乾びて死んでいるのを発見する。
昨日まではあんなに元気だったのに・・・
農場主は急いで獣医ロッドを呼び調べてもらうが死因は不明。
ロッドはスピーキーの亡骸を見て、全身の血を抜かれたようだと思った。
しかし外傷はなく、興味を持ったトッドは農場主に許可を得てスピーキーの遺骸を防疫ケースに入れて持ち帰った。

あの雨水桶にボウフラは一匹もいない。

母親の腰に抱きついて泣きじゃくるステファンの上腕部に止まっている一匹の蚊のかすかな羽音。

【動物病院】
農場から数キロはなれたところにあるロッドの動物病院。
車で農場から帰ってきたロッドは、今日が休診日であるのをいいことに、すぐさま解剖室に入り白衣とマスクを着用し、最後に手術用手袋をはめた。
防疫ケースから取り出され、解剖台の上に横たわる干乾びたスピーキー。
ロッドはピンセットとメスを持った。
「さあさあワンちゃん。パパと遊びまちょうねー」
軽口を叩きながら、ロッドのメスがスピーキーの胸から下腹部にかけてを切り裂く。
ミイラのようになったスピーキーの体内は、表皮と比べればまだ瑞々しかった。
胃を切開したロッドは、胃壁に点々と貼り付いている幾つかの黒く小さなものを見つけた。
手袋をした指でその小さなものを取り出してみる。
芥子粒のように小さいものだ。
「なんだこりゃ・・・」
呟きながら、続けてロッドは気道から肺にかけてを切開した。
ロッドは息を呑んだ。
ロッドがそこに見たものは、気道から肺の内部にまで、びっしりと溢れんばかりに詰め込まれた極めて小さな羽虫の塊だった。
茫然とするロッドは、ブルッと頭を一振りすると傍らにある電話に飛びついた。
州立大学の研究室にいるはずの幼馴染の昆虫学者メリッサ・シールズにコールするために。

【都市】
農場から百数十キロ離れた都市にある、古いオフィスビルの3階。
小さなIT企業に勤務する女性ロイニーがパソコン画面をにらみつつ一人残業している。
するとダクトだらけの天井の方から昆虫の羽音のようなかすかな物音がした。
不審げに上を見上げるロイニー。
しかしもう何も聞こえてこない。
再び仕事に熱中するロイニー。

翌朝、クライアントへのプレゼンの準備のために一番で出社してきた黒人男性社員ブローンは、フロアに倒れている赤黒く干乾びたミイラのような死体を発見する。
そしてそれは可哀想なロイニーのなれの果てだったのだ。

ブローンは彼の通報で駆けつけた刑事ヨハンソンに「一体全体、何が起こったんどよー」と噛み付く。
彼は興奮するとなぜか「だよー」が「どよー」になるのだ。
子供の頃からの癖だった。
ヨハンソンはそんなブローンの顔をまじまじと見つめ、困った顔で「・・・捜査中だ」と答えるだけだった。

【再び農場】
その農場では元気なステファンの声も、農場主やその妻の笑い声も聞こえてこない。
昨日刈り取った農作物が、家の前に積み上げられたまま放置されている
スピーキーが死んでしまったからではない。
もうすでに彼らは家の中で赤黒いミイラとなって死んでいる。

【再び都市】
オフィスビルでの事件から3日後。
刑事のヨハンソンは検死官から回ってきたロイニーの検死報告書を読んでいたが、その結論部分に我が目を疑った。
「遺体内部、特に気道から肺内部にかけて、微細な昆虫と思われるものの無数の死骸で満たされており、その他の状況も含めて考察するに、死因は失血死ではなく窒息死と思われる・・・」

【大学研究室】
「何よ、久しぶりに電話してきたと思ったら、突然「話がある。今から行く」ガチャンって!あなた昔からちっとも変わらないわね!何なのよまったく!」
両手を腰に当て脚を少し開いた格好で、昆虫学者のメリッサは研究室に訪れた刑事ヨハンソンに向かって怒鳴っていた。
「君こそ、その怒り方は昔のまんまだ」
苦笑いしながらヨハンソンはメリッサに言った。
メリッサは「しようがない人ね」と溜息ながらに言って、ヨハンソンを目の前の応接ソファに座るように促し、自分もテーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろした。
「それで、そんな急ぎの用って何なの?事件なの?それともプライベート?刑事さん」
「事件だ」
「どんな事件なの?昆虫学者の私に話を聞いて解決するような事件なの?」
「いや、それはわからんが・・・とにかく訳が判らんのだ」
「詳しく話してみてちょうだい」
ヨハンソンは先日古いオフィスビルで起きた事件の経緯を話し、検死報告書のコピーをメリッサに手渡した。
「ふーん、で、なんなの?この気道や肺に微細な昆虫って?」
検死報告書に目を通しながらメリッサが聞いた。
「それがわからんから、ここに来たんだ」
「昆虫って言っても、種類はわかってるの?」
「検死官は蚊のようだと言ってる」
「その被害者、殺虫剤メーカーの蚊の培養室にでも入ったんじゃない?」
「いや違う。さっきも話したように被害者はIT企業のオフィスのフロアで死んでいたんだ」
「・・・冗談よ。で、私はその蚊らしきものを詳しく調べればいいのね」
「ああ、ああ、その通りだ。やってくれるのか。ここに遺体の体内から採取したサンプルがある」
「幼馴染でガキ大将だったあなたの頼みじゃ断れないわね。来週の頭にはある程度詳しいことが判ってると思うわ」
サンプルをメリッサに手渡しながら、ヨハンソンは満足げにうなずいた。
「そうそう、いいこと教えてあげましょうか。昨日ロッドから電話があったわ。珍しいことね何年も連絡がなかった幼馴染が突然2人も電話をかけてくるなんて」
「ロッドって、あの秀才ロッドか?今は死んだ親父さんの跡を継いで獣医をやってるそうだが」
「そうよ。なんだか彼も慌ててたわ。あなたほどじゃなかったけど。彼、今日これからここに来るのよ」
「あ、そうか・・・あ、じゃあ」
腰を上げようとするヨハンソンにメリッサが言った。
「三人で久しぶりに昔話に興じましょう」

【街のレストラン】
レストランのドアを開けて入ってきたロッドに手を上げ、メリッサは「ここよ」と声をかけた。
ロッドは汗を拭きながら、メリッサの向かいに座っている男を訝しげに見つめた。
「・・・ヨハンソン!ヨハンソンじゃないか!」
「久しぶりだなあ、ロッド」
ヨハンソンはロッドを眩しそうに見上げた。
ロッドはガキ大将だった頃のヨハンソンを思い出しながら言った。
「最後に合ったのは君がベトナムから引き上げてきた頃だったか?」
「そんなに前じゃない」
「・・・冗談だよ。いやしかし君が来てるとは驚いた。まったく驚いた」
二人のやり取りを、いたずらが見事に成功した子供のように嬉しそうに見ていたメリッサがロッドに席をすすめる。
しばらくの間三人はメリッサの提案どおりに昔話に興じた。
「・・・ところで、ロッド。あなたまで慌てて私のところに来るなんて」
「うん、ちょっと見当も付かないことがあってね」
ロッドは犬のスピーキーの件をかいつまんで話した。
「驚いたな」
メリッサと顔を見合わせながらヨハンソンが呟く。
「だろ?なんであんなに大量の虫が気道や肺に・・・」
「違うのよ。今日ヨハンソンが私のところに来たのも同じ件なの。もっとも不幸に会ったのはロッドの場合と違って人間だけど」
興奮するロッドの言葉を遮ってメリッサが言う。
「なんだって!?一体何が起こってるんどよー」
ロッドもまた興奮すると「だよー」が「どよー」になる癖の持ち主であった。

【再び都市】
蒸し暑い夏の午後、ヨハンソンは事件のあったオフィスビルにいた。
第一発見者のブローンは目ざとくヨハンソンを見つけると、小走りに駆け寄ってきて、まるでそれが自分の使命だと言わんばかりに、しつこいほど捜査の進展具合を聞き出そうとしていたが、ヨハンソンが煩げに手を払いながら「目下捜査中だ」と言うと「どうして教えてくれないんどよー」と興奮しつつも残念そうに引き下がった。

ヨハンソンは一階にあるビルの管理事務所に向かった。
管理事務所には初老の管理人と若い警備員らしき男がスターバックスのコーヒーとを飲みながら談笑している。
ヨハンソンはコツコツと軽く窓を叩いた。
初老の管理人がこちらを振り返り、手を伸ばして窓を開けた。
「お楽しみ中すまないが、話を聞かせてくれないか」
ヨハンソンは手早く警察手帳を見せた。
「で、なんだい?事件のことなら俺達には何にもわからないぜ」
「このビルには蚊がいるか?」
「蚊?蚊くらいなら今の季節どこにでもいるだろうよ」
「そんなんじゃない。もっと大量の蚊だ」
「そんなもの・・・ああ、そういえば去年の夏は蚊が大発生しやがったな」
「その話を詳しく聞かせてくれ」
「テナントからクレームがきたんでさあ。蚊が多くて困るから、なんとかしろってな」
「それでどうした?」
「どこでクソ野郎が大発生してるのか、このビルをくまなく探し回ったぜ。せっかくの気ままな管理人仕事を手放すわけにはいかねぇからな」
「で、発生源は見つかったのか」
「ああ。地下のエレベータ落下緩衝器に水が溜まって、そこで気持ち悪いくらいの大量のボウフラが浮かんでやがった」
「で、どうしたんだ?」
「すぐに殺虫剤を買ってきて、しこたま振りかけてやったよ」
「蚊はいなくなったか?」
「ああ、ばっちりだ。クレームもピタリと止んだよ」
「地下を見せてもらってもいいか?」
「いいとも。こっちだ」
管理人は懐中電灯を二つ持ち、こちらに出てきた。
そしてヨハンソンを階段下の扉に案内すると、鍵を開けた。
「さ、この下だ。これを使いな」
管理人はヨハンソンに懐中電灯をひとつ渡し、先に下りていった。
ヨハンソンは何となくただならぬ気配を感じ取り、辺りを確認しながらゆっくりと下りていく。
その時、下で管理人のくぐもった悲鳴が聞こえた。
慌てて走り出すヨハンソンだったが、湿った階段に足を滑らせ、転倒し気を失ってしまった。

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ここまでで、約45分。
超の付く低予算映画であり、肝心の蚊はほとんど出てこない。
笑っていいのか、深刻になればいいのか判らぬシーンが多く、続きを書く気力も半分失せている。

2005年10月04日 | 日記
もう秋だというのに蚊蚊゛出て困る。
妻は「蚊好き」する体質なの蚊、昨晩も家の中に入り込んだたった一匹の蚊に腕や脚を数蚊所刺され、僕の横で悶絶していた。
僕の下では悶絶することなどないのにである。

この蚊という非常に小さな昆虫は一体どのようなものであるの蚊。
吸血については産卵のための栄養補給である蚊ら致し方ないだろう蚊゛、しかし何ゆえ蚊ゆみをもたらすの蚊。
この蚊ゆみさえなければ、叩いて潰そうなどとは思わないし、多少血を吸われても許してやろうと思う。
その前に吸われたことにすら気づ蚊ない蚊も知れない。
だ蚊ら、蚊は馬蚊である。
もっと生き延びることができるのに、もっと繁栄できるのに、蚊はより困難な進蚊の道筋を選択した。

蚊は動物の呼気に含まれる二酸蚊炭素によって居場所を知ると言われる蚊゛、それだと鼻や口の周りば蚊り刺されるはずなのに、逆に首筋や腕や脚を刺される場合のほう蚊゛圧倒的に多いのはなぜ蚊。
調べてみると、二酸蚊炭素だけではなく、糖を原料として筋肉内で作られ、汗に混じって皮膚表面に分泌されるL-乳酸という物質の量蚊゛、蚊に刺される度合いに個人差をもたらすらしい。
二酸蚊炭素で居場所を知り、汗を多く蚊く部位を刺すということだろう。

何匹の蚊に刺されると、人間は失血死するのだろう。
家で人間の血を吸う「ア蚊イエ蚊」の標準的な体重は約3ミリグラムであり、一度に吸血する量は2ミリグラム蚊ら8ミリグラムであるらしいので、これを約5ミリグラムとしよう。
人間の血液量は約5リットルだから、重量は約6000000ミリグラムとする。
体内の血液の半分以上を失うと死亡するようだ。
よって、3000000ミリグラム÷5ミリグラムで600000匹の蚊に襲われ、同時に吸血されると人間は死ぬ。
600000匹の蚊といっても、重さは2キログラムにも満たない。
その気になれば、恐ろしいヤツなのだ。

蚊が昆虫族のエリートになれる日は来るのだろう蚊。