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諸々の嗜好に対する思考と試行

按摩屋にて

2005年04月13日 | 創作・架空
半月ほど前に、妻に教えてもらった按摩屋に行ったときの話し。
去年の暮れあたりから、首筋、肩、背筋、肩甲骨周辺、腰、そこらじゅうが凝って凝って、酷いときには首が回らないほど。
このまま放置すれば仕事にも朝晩の夫婦生活にも差し支えるのではと思える状態で、見るに見かねた妻が、以前何度か行ったことのあるという駅前の按摩屋を紹介してくれた。

店の前まで妻に連れて行ってもらい、一時間後にまたここで、ということにして僕だけそろっと中に入って見てみると、なかなか広いスペースに10ほどのカーテンに仕切られた個室が並んでいる。
按摩と客との会話らしき声も聞こえてくる。
それぞれの個室の中で、お客が按摩に揉まれ倒され組んずほぐれつしているのだろうと思う。
入り口にある受付のおばちゃんは、僕の顔を見るなり「ご指名、あります?」と、店内の雰囲気と相まって、まるで場末の風俗店の遣り手ばばぁを思い出させる。
初めて来て指名もへったくれもなかったので「誰でもいいです」ということにして、部屋の隅にある待合に座って週刊女性を読みながら待っていると、5分ほどで「お待ちの方どうぞ」と呼ばれた。
受付のおばちゃんは僕を一番奥の個室に誘導すると「それではお願いします」と按摩に言い残して、すぅーっとカーテンを引いて退いた。

「よろしくお願いします」と小声で言った按摩は中年の華奢な男で、動作と霞がかった両の目から推測するに盲目のようだ。
按摩らしい按摩といえる。
僕も小声で「よろしく」と言いながら、上着を脱ぎTシャツ一枚になってベッドにうつ伏せで横たわる。
そういう風にしろと、事前に遣り手ばばぁから言われていたからだ。
「あ、ちょっと待ってください、タオルを敷きますので」と按摩が手探りでタオルを広げているので、僕はあわてて起き上がり、按摩の仕事の邪魔にならないようにする。
「お待たせしました、どうぞ横になってください」と按摩が言うので、再びベッドに横たわる。
「どこか凝ったところとか痛いところはありますか?」と聞かれた僕は「もう肩、首、背中、腰、そこらじゅう痛くて痛くて」と正直に答えた。
「それでは、まず首から」
按摩は僕の首筋にやんわり手を触れると、微妙な強弱をつけて揉み始めた。
気持ちいい。本当に気持ちいい。
僕はこの按摩はプロ中のプロだと直感した。
按摩の手は徐々に肩のほうへ移動していく。
「うん・・・かなり凝ってますね」
あんたが大将!
もうすごく気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。

揉み続けながら按摩は「ご自分でシップなんかしてますか?」と聞く。
お客をリラックスさせるために、こういう会話を挟みながら揉むのだろう。
僕が「インドメタシン入りの軟膏を時々」と答えると、「インドメタシンはあんまりお勧めできませんね。あれは対症療法ですから」と言われるが、とりあえず短時間とはいえ嘘のように痛みが消えるインドメタシンの魅力にはなかなか抗えない。
「あとメンソール入りのものもいけませんね。お客さんの場合温シップの方が効きます」という。
「ははぁ、やはり温シップのほうが血行が良くなりますかね」と、プロの言に従い温シップを買って帰ろうと決意しながら聞いてみると、按摩は「血行ですか。まぁ一般的には血行ですね」となにやら言いにくそうにしているので「血行だけじゃないんですか?」と先を促してみると、「血行が良くなると凝りが軽くなるというのは普通の人にわかりやすい表現なんですが、実際は血行とはあんまり関係ないですね」と、これまでの僕の常識を覆すようなことをおっしゃる。

按摩が言うには、実は凝りの正体とは「凝漿」という半固体の物質で、これが血管ではなく筋肉や関節の隙間に詰まって神経を刺激することから起こるということだ。
「凝漿」は体内の余剰脂肪に死んだ細胞や血球などの老廃物が混じったもので、脂肪だから熱によってトロトロと軟らかくなる。
いわゆる凝り性の人で全身に約100~300グラム、そうでない人でも数十グラムの「凝漿」が体内にあるという。
凝り性かそうでないかは、先天的に「凝漿」が作られやすい体質かどうかで決まるらしい。
この「凝漿」を揉んで温めながら分散させ体外に排泄することが、直接的な凝りの解消につながるという。
つまり血行が良くなると凝りが軽くなるという理屈は、実は我々が血行を良くしようと揉んだり叩いたり熱い風呂に入ったりとするいう行為が、結果的に「凝漿」を溶解させ排泄させる結果になっているということだ。
メンソール入りの軟膏なぞは「凝漿」を冷やし固めるばかりで、逆効果もいいところであったのだ。
まったく世の中知らないことばかりなり。

そんな話をするうちに規定の時間が過ぎた。
全身が軽い。
首や他の部位の痛みもほとんど感じられない。
「凝漿」が十分流れたのだろう。

服を着て帰り支度をしていると、按摩が「さっきの話は、他の人にしないほうがいいですよ」と言う。
さっきの話というのは勿論「凝漿」の件であろう。

「・・・さっきの話、全部嘘ですから」
霞がかった見えぬはずの目をこちら向け、按摩がニヤリと笑った。

いい店である。
来週もまた行くつもりである。

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