いや前にも書いたとおり、いまiPhone中毒でね。
久しぶりにiPhoneの同期&充電以外の目的で、自宅のPCを開いたんです。
しばらくご無沙汰って感じだったんですけど、まあボチボチ。
元々COBOLプログラマとして採用されて、電算室ってところに閉じ込められてCOBOLとVBを10年やって、趣味でObject Pascal(DELPHI言語ってやつね)やってさ、いったん開発現場抜けて労働組合の仕事を4年、戻ってみれば開発の「か」の字もない、情報企画室になってた。
一緒にゴリゴリとコーディングしてた奴らも、今度プレゼンがどうのとか、対予算がどうのとか・・・バカかお前らは。
モノ書きプログラマがお偉いさん相手にプレゼンしてどうすんだ。
プレゼンなんて必要ねぇ。書いて動かしゃわかる。動かねぇのは仕様が悪い。
あたしゃ死ぬまで1プログラマ。アビリティは低いけどね。わははははは。
いや、ホント、プレゼンとか苦手なんだよねえ。
だから現実逃避的に陰でコソコソとノーツでスクリプト書いてる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
閑話休題(例によって使い方間違えてる)。
えーと、題名にもありますように今日のお題は「関数とは?」ってことです。
あ、ちなみにこの文章はプログラミングってナニ?って人を対象に書いてますから、っていうかプログラミングって言葉すら知らないひとを誑(たぶら)かす為の文章ですので、そのつもりでお読みください。
プログラミングってのは、プログラムを書いてそれを実行する行為を意味します。
じゃあプログラムってナニ? ってことになれば、それは「Aという行為とかモノとかをBという結果に変換するためのプロセス」です。
実はこれ、全然本質的じゃないんだけど、まあそういう意味だと思っといて。
じゃあそれってどうやんの? ってところで「関数」って言葉が出てくる。
たぶんプログラミングを全く知らない人がまず引っかかるのが「関数」って言葉の意味で、それを知ればプログラミングの世界が恐ろしく広がるってことに気づくでしょう。
逆に言えばプログラムってのは関数の塊だってことです。
もちろん関数を使わない高級言語ってのもあるにはあるんだけど、基本的には関数でOK。
あ、これも全然本質的な話じゃないからね。あくまでもそういう風に考えてね、ってことです。
で、じゃあ、関数ってなに? ってことになるんだけど、別に難しいもんじゃなくて、中学生の時にならった「x + y = z」みたいなぁ・・・
うーむ、判りにくいなあ。
公文式の小学生のテキストに「1 + 〇 = 5」ってのがあります。
これ、立派な関数なんですね。
「1に何かを足して5にする手続き」を表してるわけです。
例えば「おはよう」は関数です。
正確には「おはよう」という言葉が引き起こす情動も含めて関数なのです。
「おはよう」と言われれば、普通の場合「おはよう^^」でしょうが、言われたほうが年頃の女の子なら「キャッ!憧れのあの人に『おはよう』っていわれちゃった。どうしよう」とか思うかもしれないし、寝床でグダグダしてる二日酔いのオヤジなら「眠いんだよ馬鹿」とか思うでしょう。
「おはよう」という言葉が、受け取り側の感情で変化するこの一連のプロセスが関数です。
そう言っちゃえば、あらゆる言葉は関数ですけどね。
これをプログラム(架空の言語)で書くと
function おはよう(ptype: human)
Select ptype
case “年頃の女の子” : messege “キャッ!憧れのあの人に『おはよう』っていわれちゃった。どうしよう”
case “二日酔いの俺” : messege “眠いんだよ馬鹿”
else message “おはよう^^"
end-select
end-function
ってなります。
・・・もう眠いので続きはまたいつか。
『まーた鯖雄がブログをやめた』と一部で囁かれているという話を耳元で妻に囁かれた私の可哀想な耳元よ。
嗚呼、耳元よ耳元よ。
お前はどうして耳元なのか。
気づかぬうちに
いつからそんなところに
毛が生えてきたのか。
おお、耳元よ耳元よ。
(村田像杏 『耳元』 若弓文庫)
そんなことはどうでもいい。
私はブログをやめたわけではなく、よしんばやめたとしてもそれがどうしたと言いたい。
もとい、私はブログをやめていないし、やめるつもりもないし、明日になったらやめるかもしれない程度のやる気はあるのだ。
だから、この場をお借りして何故ここ最近ブログを書いていないのか、書く気はあるのか、書かずんば腹を切る気なのか、その辺の諸事情を書いておかなければならないと、私の中のラジヲがチンチンと音を立てているのだ。
しかし、これをアップしたとたん私がブログを再開したことになって、いま書いている言い訳は無意味になる可能性も無きにしも非ずということにもなりかねない諸刃の剣、デブのロングヘアー、ロンパリの上目遣い。
ということで、閑話休題。
閑話休題の意味を解って使っているのか私は。
2週間ばかりブログを書いていない理由、それは『iPhoneを買ったから』です!
『えーっ!いまさら?』とか『だからナニ?』とか『アタマわるー(笑)』とかいう声が聞こえてきそうだけども、本当だから仕方がない。
iPhoneを買うとパソコンなんてものは必要がなくなるし、そもそも使う気がなくなって、仕事もしたくなくなって、家族や友人のことなどどうでもよくなって、自分の命の重さは2グラム(iPhoneは133グラム)くらいになります。
これはiPhoneを手に入れた人にしかわからないだろうけど、iPhoneというのはそういう魔力というか胆力というか、そういうものがあるのです。
iPhoneが登場した頃、タッチパネルというと、反応の悪い駅の券売機とか、効いているのかいないのか判らずに思わず二度打ちして暗証番号を打ち間違えるATMのイメージであったから、正直私も『またジョブスのヤツがやっちゃったよ(笑)』なんて、ともすればWindowsの優位性を再確認しちゃったりして。
アハハハ、馬鹿でした。馬鹿な私でした。
スティーブ、あなたはやはり偉大な先駆者であり天才であった。
iPhoneのマルチフィンガー方式のタッチパネルがこれほど使いやすく、というより異常なほど気持ちいいものだとは思わなかった。
画面をタップし、フリックし、ピンチすることが、こんな素晴らしい効率性と官能性とを兼ね備えているとは思わなかった。
頑として携帯を持たなかった上司が一ヶ月ほど前にiPhoneを買った。
それを触らせてもらった私は即座にドコモを解約し乗り換えた。
私のiPhoneを触った後輩も、その日のうちにauを解約し乗り換えた。
あと二人ほど買いそうなやつがいる。
まるでデンゼル・ワシントンの『悪魔を憐れむ歌』の『アザゼル』の如き感染力。
今ソフトバンクのキャンペイン中で、機体が実質タダってのも大きいのだけれど。
人類の歴史は、iPhone以前とiPhone以降に分けられるだろう。
この先数年でiPhoneタイプのインターフェースはより一般的になり、現在問題になりつつある『オプティカル・ハンディキャップド』(『ポリティカル・コレクトネス』です)への対応が為され、この世はマルチフィンガータッチパネル一色の世界になるはずだ。
マウスも革新的なマン・マシン・インターフェースだったが、今となってはそれは野暮ったいただの機械鼠にすぎない。
まぁいろいろ書きましたが、もうしばらくiPhoneで遊びますので、今後ともよろしくお願いいたします。
あ、ちなみに私のiPhoneの愛称は私がいつも気に入ったものに付けるのと同じ『ステファニー・パステルカンプ』です。
ではでは、ごきげんよう。