多くの船員さん達が、白い制服に身を包んでおられて、何方(男女ともに)も格好良く見えました。
800名にも上る乗船客の数にも驚きましたが、それにも増して、職員が大凡480人も乗り込んでおられることも吃驚です。それもその筈、微に入り細に入り、そのサービスは素晴らしいものでした。責任者は、日本人であるのに対し、殆どのサービスに当たられるのは、フィリピンを始め東南アジアの若者達でした。日本語は辿々しくはありましたが、一生懸命の対応でした。船はずっと航海を続けるので、中々家にも帰れない職場ではあるけれど、きっと彼らにとっては、良い職場なのでしょう。将来の日本を見るようでした。日本の若者達もっと頑張って欲しいものです。
800名の乗船客の内、半分が私達と同じ、初めての参加でした。私達と違うのは、以前は”にっぽん丸”に乗っていたとか、大阪に本社のある”ぱしふぃっくビーナス”に乗ったことがあるとか、話されておられる方も有りました。2万5千トンのにっぽん丸や、ぱしふぃっくビーナスと違って5万トンの飛鳥は、大きくて船内で迷ってしまいますとも言われていました。
10万トンのアメリカのクルーズ船を見学したけれども、廊下が狭く、お部屋が暗い感じがして、飛鳥の方がずっと良いですよと言われていた方もおられました。
半分のリピーターの中には、世界一周に何度も参加いるご夫婦もありました。
服装も普段はカジュアルで良いのですが、”インフォーマルの洋服を”と言われた日もありました。鹿児島での花火見物の夕方は、浴衣を着ておられる方が目立ちました。
今度の世界一周には、「着物を持って行きたいわ」と言われていた奥様もありました。
セレブな乗船客に圧倒される気持ちでした。私の友人・知人には《誰もいないのに》と思いながら・・・・。
船大好き小母さんは、船長さんの放送に先ず感激・興奮でした。
『船長の浅井でございます。本船は只今神戸を後にして、友が島海峡を抜けて、紀伊水道から太平洋を航行し、一路次の寄港地【宿毛(すくも)】に向けて、18ノットで航海して参ります。どうか皆様ゆっくりおくつろぎ下さい』その声色から、未だお若い素敵な方だなと勝手に思ってしまいました。
船内には、4~5名のカメラマンがおられて、何方も写っていない人がない位に、スナップ写真を撮っておられました。その写真は船内の写真展示壁に、展示されていました。インフォーマルな衣装を纏われた方々は、記念写真を写しておられました。私は地味なワンピースに淡水真珠のネックレスを付けただけなので、輝くようなお洒落をした皆さんを見て、何も知らない田舎者だなと恥ずかしくなりました。その写真コーナーに船長さんの写真がありました。綺麗な女性と二人で写っておられたので、思わず「この方は何方ですか?」と質問してしまいました。リピーターでお親しい方だったみたいです。
ところでその船長さんと会えたのか??と興味があるでしょう。本物にお会い出来たのは、敦賀で下船する時でした。出口に金筋4本の船長さん、機関長さん、金筋3本の一等航海士等々幹部の船員さん達が、一列に並んでお見送り下さいました。。
声の素敵な船長さんは、優しい顔の少し白髪は交じってはいましたが、若く見える方でした。格好良い制服を着ておられたので、より魅力的に見えました(小母さんが言って良いことなのか?ご免なさい)。
世界一周クルーズでは、橋田壽賀子さん(脚本家)が泉ピン子さんとご一緒に、TBSのクルーを連れて、スイートルームに乗船しておられたそうです。その世界一周では、南極まで行かれたそうです。
平均年齢70歳位の団体は、ツアー客でした。一人で参加しても、お友達が出来るから、ツアーはよいのですよとも言われていました。そんなツアー客が、何組もおられた様な気がしました。
ワンナイトクルーズに参加して、すっかり魅了されて、参加しましたと言われていた姉妹の方もおられました。
夕食のレストランでは、フィリピンの若者3人で、フルート、ギター(二人)の三人で各テーブル毎にリクエスト曲を弾いて、場を盛り上げて下さいました。私はテネシーワルツをリクエストしました。
お誕生日の方があれば、happy birthdayを演奏して、蝋燭の付いたケーキが運ばれて来ました。同じテーブルや隣のテーブルの方々も一緒に拍手でお祝いをしておられました。細やかな心遣いの行き届いた一コマでした。
今日はこの辺で失礼します。