気持ち良い居眠りから目が覚めると、さっき乗った特急新宿行きは夜空の中を走っていた。
ギョッとして窓の外を見ると、確かに銀河鉄道みたいに空に浮いていた。
な、な、なんで?
周りを見渡すと、私以外は誰も乗っていなくて、良く冷えた車内は穏やかだった。
ガーッと扉が開くと、隣の車両から派手な水色のバケツを持ったハツカネズミが走って来た。
きちんと紺の制服で身を固め、胸にはダイヤと金のバッジが光る。
ハツカネズミは私のまえに立ち止まると、バケツを差し出し、「はいはい、あなたの忘れ物受け取って」と言った。
バケツを覗くと金魚が二匹、あとは私が使っていた薄い水色のペンケースが入っていた。
わたしはハツカネズミに言った。
「この金魚とペンケースは知らないわけじゃないけど、もう必要ないわ。」
そうするとハツカネズミはフッと笑って、少し呆れた顔をした。
「これだから困る、自分の忘れ物に対する感謝がまるでなってない。」
私は答えた。「じゃあ、なんであなたはこれが私の忘れ物だとわかるの?」
「あはは、冗談じゃないよ、私は特命忘れ物長官に任命されて95年になるんだよ。忘れ物庁の忘れ物履歴情報管理の徹底ぶりは他の業界でも話題になるほどなんだ。あなたの忘れ物のデータだって完全に管理されているんだ。」
ハツカネズミの説得力のある話っぷりに圧倒されて、私はしぶしぶバケツの中に手を伸ばした。
バケツの中の忘れ物はほとんど重さがなく、驚くほど小さく縮んだので、金魚二匹とペンケースを片手で握り潰すと、素早くショルダーバッグに押し込んだ。
「はい、これで過去の身代わり清算完了。確認の拇印をよろしく。」ハツカネズミは帳簿を広げて言った。
「身代わり?清算?なんのこと?私、清算するような過去はないわ。」私はちょっとムッとして軽く睨んだ。
ハツカネズミは続けた。
「あらあら、知らないのね。忘れ物達はあなたの代わりにあなたが受けるべき災難をいろいろと身代わりになって、それを全うし終わったものだけ、あなたのもとに帰ってくるんだよ。もっと忘れ物に感謝してくれなきゃ困るな。これだから若い者は…。」
ハツカネズミは、私に早く拇印を押すように、目で催促した。
忘れ物が私の身代わりに?
私は良く意味がわからなかったけど、金魚もペンケースも確かに受け取ったので、しぶしぶ拇印を押した。
帳簿は金と銀の縁取りがされていてとても立派なもので、かなり長い間使い込まれた感じがした。
ハツカネズミはその帳簿を大事そうにしまうと、片手に空のバケツを下げて立ち去ろうとしたので、私は急いで呼び止めた。
「ちょっと、あなた、この特急はどこへ行くかわかる?私、新宿へ向かっているはずだったんだけど。」
するとハツカネズミは言った。
「この特急は23年に1度の特急“旧宿”行きだよ。この特急は過去の身代わり清算ができるんだ。
あんた、たぶん乗り間違えだね。」
ハツカネズミはそう言い残すと、忙しそうに隣の車両に去って行った。
私はしばらく呆然としてしまった。
混乱した頭で、思い出した。
とりあえず、今日は大学の友達の誕生会で、青山に向かっていた。
どうしよう。
そう思っていると、なめらかな車内アナウンスが流れた。
レディース&ジェントルマン、旧宿に着きました。ご利用ありがとうございました。
電車がなめらかに停車し、ドアが開くと、ふわりと薄紫の空気が流れ込んだ。
私は恐る恐る車外に足を踏み出した。
数メートル先に改札があり、個人用のボックスのようになっていた。
車内で渡された忘れ物をひとつずつ投入するように、表示があった。
私はショルダーバッグから小さく潰れた金魚二匹と薄い水色のペンケースを投入した。
すると、急に大きなスクリーンが広がって、私が小さかった頃が映し出された。
まだ若い父と母が笑顔で私の手を引き、ごった返した夏祭りの参道を歩いている。
よちよち歩きの私は、人の渦に揉まれながら夢中で歩いていた。
手には赤い金魚が二匹入ったビニール袋が握られていた。
スクリーンは、幸せな家族の夏祭りのひとこまを映し続けていた。
いつの間に用意されたのか、目の前には証言台が並び、先ほど改札に放り込んだはずの金魚二匹とペンケースが、若干緊張の面持ちで起立していた。
金魚の右の一匹が口を開いた。
「この少しあとのことでした。私達二匹が入ったビニール袋は、この子の手から落ちました。私達は任命通りに、この子の身代わりとして、異次元で様々な危険と向き合いました。命がけの旅でした。私達がその役割を果たさなければ、この子はこのあと命を落とす運命でした。」
私は金魚の思いがけない証言にびっくりしたが、さらに耳を澄ました。
金魚は続けた。
「すべての物には運命があります。今ここにいる、二匹の金魚とペンケースは、あなたの過去の身代わりの役目を果たして、生き残れたから、あなたのもとに戻れました。まだあなたのもとに戻れず、あなたの身代わりとして戦っているたくさんの忘れ物たちのことをどうか忘れないでね。」
私は、そんな話は聞いたことがなかったから驚いたけど、金魚の真剣な様子から、どうも本当のことかもしれない、と思った。
私は、こんな不思議なこともあるんだなあ、と思った。
無くした物や忘れ物なんてたくさんあるし、すぐに代わりも買えるから、忘れ物を気にとめたことなんか、あまりない。
でも、もしこの話を信じるとすると、忘れ物たちが私の運命の一部を担ってくれていたから、今日私がここにいるらしい。
なんだか不思議な気持ちだ。
私は、はっと、誕生会に向かっていたことを思い出し、もう行かなきゃ、と思った。
二匹の金魚とペンケースにお礼を言って歩み寄ると、少し丁寧にショルダーバッグに入れた。
青山行きはどのホームだろう。
改札の駅員の方へ歩き始めた。
なんか不思議な寄り道だったけど、まだ居眠りの途中で、単なる夢かもしれない。
昨日たまたま傘をなくしたから、こんなことを経験したのかな。
きもちラベンダーの香りがする薄紫色の空気の中、小さなショルダーバッグが少しカタカタ言った。
*おわり*
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すべての忘却も宇宙の一端を担い続けているんじゃないかな、と思って、書いてみました。
あとで、時間があったらえもかいてみたいなと思います。
え、描きました。
電車に興味がなくて、形がわからないことが判明(笑)