絵が好きです。
自分でも描きたいなぁという気持ちはあるのですが、プレバト風に云うと『才能ナシ』なのです。
別に才能があろうがなかろうが、描きたければ描けばいいだけのことですが…。
確か小学生の図画の時間。ひらかたパークに写生会に行った時のこと。
12歳位の時なので、もう50年近く経っているのですが、私が描いていると巡回に来た先生が云った言葉を鮮明に覚えています。絵を描きたいなぁと思った時に甦って来るその言葉は…。
「あなたには、この風景がこんな風に見えるのですか?」
ははは、笑えますよね。きっと先生は私の絵のあまりのひどさにビックリして思わず云ってしまったのかもしれませんが、ショックな言葉でした…。
なので、工作は好きだったのですが、絵は苦手でした。
でも、好きだったんです。(^^;)
1978年の高校3年の頃、通学途中の本屋さんで『安野光雅』さんの画集に出会い、感動しました!
その時の画集が、
初版は1976年でしたが、もう10刷されていました。
なんて素敵なんだろう。同じ風景を見て、こんなに緻密に、且つ想像力豊かに愛らしくこびとが描けるなんて…。
あまりの感動に、2500円は安くはなかったのですが、即買いしたことを覚えています。
先生はエッセイもたくさん出されていて、ユーモアたっぷりのその口調にハマり、お陰で先生の本だけに特化した読書家になりました。
ある時、ある本の中で、先生が毎年凝った年賀状を出しているという話題になり、何年か分の年賀状を載せられていました。
住所もしっかりと載っていましたので、私は『届くでしょうか?』と書いて、翌年の年賀状を書いたのです。そしたら、なんと、『オテガミアリガトウ』と先生から年賀状が届いたんです。
うれしくて、うれしくて、それ以来の熱狂的な先生のファンです。
その頂いた年賀状は、今もその本の年賀状のページに大切にしまっています。
1980年のことでした。
あれから40年経って、先生は一昨日の20日に94歳の誕生日を迎えられましたが、まだまだお元気で活躍されています。
4/29から大阪のあべのハルカス美術館で『安野光雅展』が開催されるようです。
是非是非、行きたいと思いますし、このブログを見て下さっている方々にもお勧めしたいです!
先生の作品の中で、最も好きな作品は、
『天動説の絵本』です。
物語が進むにつれて、ページが進むにつれて、平らな地面がだんだん丸くなって行くのですが、最後に先生が『解説とあとがき』に書かれている言葉に、当時も今も感動しています。
少し長いですが、天動説と地動説の解説(とても分かりやすい!)のあと、
『そのような暗い時代、つまりブルーノが殺されたころの時代からおよそ400年たちました。
今日では地球が丸いことは子どもでも知っているし、太陽が動くのではなくて、地球が太陽のまわりをまわるのだということはだれでも知っています。なにしろ、人間が月へゆくような時代になったのです。
では、人はみんな地動説が本当にわかっているといえるでしょうか。
ここで、知っていることと、わかっていることを区別して考えてみてほしいのです。地動説が本当にわかっていれば、天動説時代の迷信や魔術や、占星術を信じてはならぬはずです。いいかえれば、地動説がわかるということは、たんに前にのべた、天体の動きのしくみが説明できるということではないのです。それよりも、天動説時代に人びとはなにを考え、どのような暮らしをしていたかを理解することができるかどうか、ということです。
コペルニクスが地動説に想いをはせたとき、きっと眠れぬほどのおそろしさを体験したでしょうし、70歳の老人となって無知な裁判官の前にひざまずかねばならなかったガリレオは、どんなに無念だったことでしょう。まして、正しいと信ずることのために火刑にあわねばならなかったブルーノの胸の中はどんなだったでしょう。
そうした歴史を思うと、「地球は丸くて動く」などと、なんの感動もなしに軽がるしく言ってもらっては困るのです。
この本は、もう地球儀というものを見、地球が丸いことを前もって知ってしまった子どもたちに、いま一度地動説の驚きと悲しみを感じてもらいたいと願ってかいたものです。 1979年6月 安野光雅』とあります。
『地動説の驚きと悲しみ』という言葉に、先生の思いが込められいて、何度も何度も読み返している本です。
あともう1冊、好きな作品があります。
『ふしぎなたね』です。
この本は、『美しい数学』シリーズの7として出版されているのですが、『美しい数学』って何?
苦手な数学についた『美しい』っていう形容詞にビックリ!
なまけ者の男が、仙人からふしぎな種をもらうところから物語が始まるのですが、途中で算数の文章問題のようなページが続いたりしても、めげずに読んで行くと、最後は有名な絵のオマージュで終わります。
ホントに美しい数学を実感出来ます。 安野光雅さんは、島根県津和野出身で、画家になる前は実際に算数の先生でした。
昔、大好きだった人に、この絵本が好きと云ったら、
「僕はこの本が好きだなぁ。」と云っていました。
私も、好きです…。(^^;)