香川県でうどん店巡りをするには、車で移動するのが非常に便利です。
ただ、普通免許を取得していない私にとって、車での移動は他人に頼るしかありません。
なので時折、誰かに甘えて車で渡讃します・・・。
ただ、それに甘えてばかりいると、車無しでは渡讃出来ない人間になりそうで・・・。
ひとりでも強く生きて行かねば!
そう思い、今回はひとりで旅する事にしました。
1月のとある日、夜明け前の暗い路地を、私は歩いていました。
香川県へ向かう為です。
約1年振りのひとり旅で心が躍ります。
この日も高速バスを利用しました。
私の隣席が空席だったので、広々と快適なバスの旅を過ごせました。
定刻より早い時間で高松駅高速バスターミナルに到着。
これは嬉しい誤算です。
当初予定していたより1本早い電車に乗る事が可能になったからです。
天気もまずまず、雲は多いけど、雨に降られる事はなさそうだ。
切符を買い、10時10分発の快速マリンライナーに乗車する。
これから坂出に向かいます。
坂出に向かう訳は・・・、
これまで何度か訪ねようとして、訪ねる事が出来なかった心残りのお店があるからです。
その心残りをスッキリとさせない限り、何となく一歩を踏み出せないような気がしていたのです。
電車が動き出しました。
この瞬間がたまらなく良い!
「さあ!始まるんだ!」そんな気持ちになるからです。
そして、幾度となく眺めて来た車窓に流れる風景が、まるで紙芝居のように私に語りかけて来ます。
これまでの出来事、これから起こりうる出来事を・・・。
心臓がドキドキして止まらない・・・。
坂出に到着。
今日はとにかく歩こう、自分の足を少しいじめてやろう。
そんな想いを抱いて、私は歩き始めました。
まだ時間が早かったのか?それとも定休日なのか?
閑散としたアーケードの商店街を通り抜けます。
以前、この商店街の近くにあった製麺会社が、影も形も無くなっていて、少し淋しくなりました。
その製麺所へマイ丼を持って訪ねようとした事があったのですが、
もう会社を閉められていたのです・・・。
ただ、その時はまだ建物が残っていたのですが、現在は更地になっていました・・・。
商店街から離れ、路地を歩きます。
昔ながらの家が点在していて、その古民家を眺めながら歩くのは気持ち良いです。
そしていよいよ、目的のお店の近くまで来ました・・・。
香川県のうどん店巡りでは、お店の近くまで来ると、いつも緊張します。
「臨時休業ではないだろうか?」そんな事を考えてしまうからです。
ようやくお店だろうと思われる場所に到着・・・。
なぜ明確に「お店に到着。」と言わないのか?
↓↓こういう理由です。
どこにもお店の看板が無く、ただ「営業中」と書かれた小さな札が吊るされているだけ・・・。
うどんの「う」の字もない・・・。
事前の情報収集で、なんとなくお店の外観は覚えていたが、いざ到着すると自信がない。
でも、建物の横に煙突があるところから、ここで間違いないと判断。
勇気を出して扉を開けます・・・。
グループでの訪問だったら躊躇なく扉を開ける事が出来るのですが、
ひとりの訪問ですと、このお店の扉を開ける時の緊張感はハンパない・・・(^_^;)
意を決し、思いきって扉を開ける。
私の目線の先におばあちゃんがひとり・・・目が合いました。
するとおばあちゃん、すくっと立ち上がり、「ここに座り」と言わんばかりの動作で、
今まで自分が座っていた椅子を、私の為に空けて下さいました。
ストーブが側にあり、とても暖かい場所です・・・。
おばあちゃんは釜の方へ向かい、麺を釜に入れ、温めだしました。
こちらのお店は89歳のおばあちゃんがひとりでされています。
メニューは一品のみ。
温かい出汁が用意されています。
おばあちゃんの話では、夏になると冷たい出汁もあるとの事です。
お店は小さな製麺所みたいな感じ・・。
食べる場所は5人ほどが座れるカウンター席のみです。
昔ながらの感じがして、私の好きな雰囲気です。
麺は基本的に、茹で置きの麺になります。
朝、麺を作り、それを茹でて水で締め、玉にしてセイロの上に並べるそうです。
麺作りは、朝の一度だけだそうです。
ですから、こちらのお店の麺は、時間の経過と共に味わいが変わって来ます。
おばあちゃんから麺の入った丼ぶりを受取ると、出汁を自分で入れます。
ネギが用意されていましたが、私は何もいれずにこのままで・・・。
まずは出汁からいただきます。
いりこの、豊かで深味のある味が五臓六腑に沁み渡ります。
とても美味しい!
麺の状態も私好みだった。
モチモチでコシもしっかりしている。
小麦の風味も良く、とても美味しい麺。
毎日食べても飽きないうどんです。
それに・・・、久しぶりに讃岐うどんらしい讃岐うどんを食べた気がしました。
いや、これこそが本当の讃岐うどんなのだと思います。
そして、もうひとつ理解出来た事があります・・・。
ようやく理解出来たと言った方が良いのかもしれません。
讃岐うどんには、茹で置きという文化がある事。
一般的に、出来たて茹で上がりの麺が美味しいのは事実だし、私もそれが好みです。
でも、茹で置いた時間の経過と共に、それぞれ人の好みに合った麺の状態になるのが、
讃岐うどんの本質ではないかと思ったのです。
コシがある=讃岐うどんでは無く、
時間の経過と共に、やわらかくなった麺もまた、讃岐うどんだという事です。
だから多くの人に愛される食べ物だと思うのです。
これまで私は大きな勘違いをしていたのかもしれません・・・。
茹で置きという文化を受け入れることで、
「讃岐うどん」というものを、一歩踏み込んで、理解出来たような気がします。
うどんは、私が想像する以上に奥の深い食べ物です・・・。
茹で置き麺に関しては、当ブログでも厳しい感想を述べて来ましたが、これからは改めます。
そんな事に気づかせてくれた堂尾さんのうどん・・・素晴らしいうどんです。
うどんを美味しく食べていますと、地元の常連客のおじいちゃんに話しかけられました。
「どっから来たん?」
「大阪からです。」
するとおじいちゃんが、今度はおばあちゃんに「大阪から来たんやと」と大きな声で。
おばあちゃんが私の隣に座り「大阪から・・・」少し驚いたような顔をされていました。
そして「耳がよう聞こえんから」と言って、カウンターに置かれていたメモを取り出し、
ペンを走らせ、書き終わったメモを私に見せてくれました。
このメモを読んで、私はどう返事すればよいのか戸惑いました・・・。
このメモ一枚に、おばあちゃんの人生が詰まっているような気がしたからです・・・。
61年という時間は、あまりに大き過ぎます・・・。
結局私は大した返事が出来ず、そんな自分に歯痒さを感じました。
それから暫くおばあちゃんと、メモでのやり取りが続きました。
楽しくて、優しい時間でした。
私の人生が、大きく深呼吸した時間でした。
別れ際、おばあちゃんと握手をしました。
おばあちゃんの、小さな手のひらから温もりが伝わって来ました。
おばあちゃん、きっとまた訪ねます。
だから、長生きして下さい。
おばあちゃんと、常連のおじいちゃんに見送られてお店を後にしました。
小さなお店に詰め込まれた歴史の一片に、ほんの少しだけ、触れたような気がした。
私の手の中は、優しさでいっぱいだ。
おばあちゃん・・・持ちきれないよ・・・。
だから、誰かにお裾分けするね。
堂尾うどん(閉店)
コメントありがとうございます。
おばあちゃんにはずっと長生きしてほしいですね。
本当に良い出会いになりました。
また訪ねようと思っています(^○^)
ばあちゃん ほんまに もっと 長生きしてほしいです!