柴田賢龍密教文庫「研究報告」

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真慶撰『諸流灌頂』の翻刻和訳紹介

2024-01-13 23:15:05 | Weblog
真慶撰『諸流汀(灌頂)等』の翻刻和訳紹介
其の一

宰相阿闍梨真慶(―1177―1219―)は平安末から鎌倉初期にかけての勧修寺流良勝方を代表する学僧の一人であり、聖教識語中にしばしば其の名を見出す事が出来ます。
又師僧の常光院良弘(1130―88―)は平清盛夫妻の帰依僧として出世して、良勝方の僧としては破格の法印権大僧都にまで成っていました。治承二年(1178)の建礼門院御産に際しては、女院の召しに依って天台座主・三井寺長吏・東寺長者等並み居る高僧を差し置いて、当時権少僧都の良弘は唯一人御産所の母屋の簾中に入って(加持護身をして)います(『山槐記』同年11月12日条)。
しかし平氏政権中枢との強い結びつきの故に、壇ノ浦で平家が滅亡した後に安徳天皇護持僧の良弘は流罪の憂き目に会い、其の高弟であった真慶も先途を失う事に成ったのです。
後日、本篇の執筆掲載が完了した後に、良弘と真慶の伝記をHP『柴田賢龍密教文庫』に執筆する予定です。
ここに翻刻して和訳紹介する真慶撰『諸流灌頂』は金沢文庫保管称名寺聖教の第312函19号に分類され、表紙の左に「諸流汀(灌頂)等 真慶記」と記されていますが、内題はありません。又後欠していて奥書類はありませんが、他の称名寺聖教諸本と同じく鎌倉後期の写本と見て問題ないでしょう。

翻刻和訳文は読みやすくする為に、改行や「」付をする事等があります。又()中に字句を補う他、適宜コメントを挿入させて頂きます。以下本文に成ります。

諸流汀等 真慶記

灌頂に大灌頂あり、小灌〼(頂)あり。謂く、兩部を以て大汀と為し、蘇〼〼(悉地)を以て小汀と為す。夫れ両界は大日を以て汀するが故に大汀と名け、蘇悉地は別尊なるが故に小汀と名く。(入壇時の)投花の一尊に付き印明を授くが故に小汀と云う。
又五佛の汀を以て(大)汀と名くなり。
[コメント]ここに「蘇悉地」と云うのは十八道法の事です。別尊法は普通十八道法を用います。」
不空羂索毘盧遮那(佛)大灌頂光明真言一巻を尺(釈)して云く、不空羂索とは是れ首題を表す。此の真言(光明真言)は、不空羂索経の中より出だせるが故なり。毘ルサナは大日なり。大灌頂とは、大日の灌頂印を授けるが故に。又光明真言は、大日遍照如来の真言なるが故なり。外題に依れば此くの如し。
又内の真言句義に依らば
(中欠)
[コメント]単に「大日灌頂印」と云う時は、『密教大辞典』に依れば、小島八印中の金界第三印である大日剣印、即ち三昧耶会の大日如来の印を指す事が多いようです。しかし今云う所は塔印、即ち無所不至印(大恵刀印)を念頭に置いていると思われます。後文を参照して下さい。」

(五部の三昧耶形。佛部は)塔、金剛部は五古、宝部は摩尼、〼(蓮)花部は、羯磨部は羯磨杵なり。五部大日の三形は此の如し。種子(シュジ)に於ては、ウーン(梵字 hum)字を以て五部大日と為す。惣種子なり【云云】。
(寛信法務の?)視聴抄に云く、灌頂印の事
進房(進士阿闍梨良勝?)記に云く、範俊は仁海僧正の説を語りて云く、灌頂印に三(ミツ)あり。第〼〼(一印)は唯我が門跡に留む。第二印〼(者/は)〼〼(醍醐?)覚源僧正、第三印は〼〼仁和寺宮(性心)なり。一宗普く知る【云云】。

灌頂印【勧】
初重印明【書の如し】 師(良弘?)云く、彼の印(無所不至塔印)を見るに二大(指)を開かず【云々】。具支(灌頂)等の作法の時に之を授くべし。但し已達(イダツ)の人には、此の事所望に依る。重受せしむるには相計らいて授くべし。
(一紙脱落あるか)
極か。且は其の例あり【云々】。 【三】
モギャサンボダラ(梵字 moghasammudra)
ア(梵字 a)
バン(梵字 vam)
[コメント]「モ」字と「ア」字の右肩に斜線を付しています。「モギャ」は「空」、「サンボダラ」は「海」ですから、モギャサンボダラは弘法大師を云います。即ち灌頂真言に関する大師の伝は、胎蔵ア、金界バンと記しています。」
(乍二塔(サニトウ)印の)口に云く、ソトバ(梵字 stubha)を(ア・バン)二明の中央に当てて書く事あり。乍二(フタツナガラ)ソト(梵字 stu)(バ)と云う〼(意?)なり。
又云く、一を以て不二と習うは猶〼〼〼一、不二と習うは至極なり。〼〼〼は兩部大日の本誓同じきが〼(故)に一印を用うなり。明は而二(ニニ)を説くが故に二を載するなり【云々】。【已上】
[コメント]勧修寺の灌頂印明に三重ある中の初重に付いて述べています。初重の印は兩部共に無所不至塔印です。是に付き兩部二つ乍ら塔印を用いますから「乍二塔印」と称するのが勧修寺流の口決です。初めの所に「二大を開かず」と云うのは閉塔印です。二大指の間を開く時は開塔印と云います。原本に脱落と虫食い欠損があって精確に理解しづらい面があります。」

〼(摂)大軌の無所不至印の事(但し善無畏訳『摂大軌』は無所不至印を説いて「大卒覩波」印と云います。大正蔵18 p.85a)
尋ねて云く、止観(両手)蓮未敷(未敷蓮合掌)とは印母(を云う)か。所謂(イワク)、塔印を作らんが為に先ず未敷蓮印を作るか。
〼云く、印母なり【云々】。 或が云く、小野の〼(説)の如きは別印か。之を思うべし。
小〇仁(海)の胎蔵次第に云く、【印の説文等は〼(皆)頌に依る。彼の自筆本を以て之を書く。】
止観未敷蓮 名けて遍照〼と曰う
方円角合掌 双円〼〼〼
両手月〼〼(竭?)
 口に云く、上二句は能住の大日を顕す。〼(下)三句は所住の塔婆表すか。【已上】常喜院(心覚の説)
彼の印(塔印)に於ては三重の口伝ありて、云く、
〼(第)一重に云く、摂大軌は大師の〼〼に非ず。此の印ありと雖もノ(除)クルナリ。
第二重。聖観音軌に云く、二〼(手)を以て心に当て合掌して、二頭指の中節を屈して横に相拄(ササ)えて、二大母指を以て二〼(頭)指の上節を並べ押すこと釼形の如し。【文】(「聖観音軌」とは不空訳『聖観自在菩薩心真言瑜伽観行儀軌』であり、此の印は「大日如来剣印」と云います。対応する真言は帰命「アクビラウンケン」です。大正蔵20 p.5bc)
口に云く。二風の上節に付く【云々】は説所明らかなる句なり。【私に云く、(二風の上節を)ソラスなり。】仍ち第二重なり。
第三重。二ギャ(梵字 ga 「大」の誤写?)は即ち理智の〼(大)日、二而不二(ニニフニ)なり。理智不〼(二)〼〼〼なり。〼(理)智(の各別)を顕さんが為に二を存して〼〼〼不二一体と曰う。二頭は智火なり。又釼なり。智火を以て〼薪を焼く〼〼。〼〼(釼の如きは)一切の物を摧滅が故に釼印と号すなり。喩(タトエ)を以て名と為すなり。真言八〼(遍)を誦す。
口に云く、台三反。三部を表す。金五反。五部を表す。【云々】
[コメント]以上を以て灌頂秘密印である塔印に付いて、口決に依る一応の説を述べた事になります。以下に文証を引いて詳しい検討が成されます。

纂要抄(成尊撰『真言付法纂要抄』)に云く、灌頂殊勝とは〼〼(青龍)和尚(恵果)相承の文に云く、即ち兩部〼(大)法阿闍梨位毘盧遮那根本最極伝法密印を授く。此の印は広智三蔵(不空)の南天より帰りて後、唯恵果一人に授く。恵果和尚は〼(又)唯弘法大師許りに授けて〼(余)人に〼(授)けず。〼(是)の故に恵朗は六(祖)を紹(つ)ぎて七(祖)と為れるも〼〼〼(師位を得)ず。(恵果付法弟子の)義明は印可紹接(伝持)すれども入室(ニッシツ)と謂わず。不空・恵果既に之を授けざれば誰に随いて伝うる哉。而れば〼〼(他家)と本處と力を争うこと、猶し游〼(夏)が聞かざること、張兎の漫(ミダリ)に読む(大正蔵「讒(ソシ)る」)が如きなる耳(ノミ)。」【子游は孔子の弟子なり。九哲の内なり。】
遺告(ユイゴウ)(『御遺告』第二十一条)の伝法灌頂の章に云く、〇是の章句は梵本に在り。経文幷に儀軌の外なるに〼(依)りて取り離ち出だして、密かに納める所なり。吾が三衣箱の底に納め置き、亦精進峯の入弟子沙門土心水(堅恵法)師に在り。
[コメント]『纂要抄』は、大師相承の灌頂秘印は不空・恵果の諸弟子の中でも唯大師一人が相伝したのであると云い、『御遺告』は、此の印言は漢訳諸経典の中には記されていない等と述べています。」
口に云く、「経文幷に儀軌の外なるに依りて」とは、経と儀軌の両本に非ず。儀軌は経中〼(従)り〼(其)の軌の文を切り出すと〼(云?)う。文中の儀軌とは聖観音儀軌なり。其の〼(文)に云く、「次に大日如来釼印を結べ。(中略)〼〼〼(釼印の如し)。此の印を結び已れば即ち自心の中に八葉蓮花ありと観ぜよ。々(蓮花)の中にア(梵字 a)を観ぜよ。金色の光を放ちて印と相応す。彼の(阿)字を(想うこと)了れば、一〼(切)法は本来不生なり。即ち真言を誦して曰く、
帰命(ノウマクサンマンダボダナン)アークビラウーンケン(梵字 ahvirahumkham)」
釼印とは塔印(無所不至印)なり。
[コメント] 『纂要抄』『御遺告』に云う大師一人相伝の灌頂秘印は、実には『聖観音軌』の「大日如来釼印」であると述べています。」

文証の事
(安然撰)金剛界対受記(第)七巻に云く、此の三昧耶印は略出経に云く、「金剛縛(契)を(作り)已って忍願(度)を(申(ノ)べて)、其の初分を屈して相拄(ササ)えて刀に為す。進力度を曲げて刀の傍らに附く。(大正蔵18 p.243c)」之に因って古来大日釼印と呼ぶ。今、文に謂いて「刀に〼(為)す」と云うは、〼(是)れ作印の詞(コトバ)なり。実には是れ卒都〼(波)印なり。何を以て之を(知る)。彼の略出経の灌頂法中に(云く)、「弟子の心中に月輪(相)ありて、(内に八葉蓮花あり)蓮台に阿字あり。部に随って三昧耶形を想え。(中略)毘盧遮那部には卒都波を想え。(師は弟子所得の部瓶を執り)上に其の部の物は瓶水の内にありと想え。各の其の所得の部契を結ばしめ、其を頂きの上に置かしめよ。其の部の真言七遍を誦し、而して用いて之を灌ぐ。(p.251b)」故に爾りと知んぬ。若し爾らざれば、台蔵大日無所不二(印)も刀形に作りて、而も摂大軌に卒都婆と名けること、其の文は尺(釈)し難し。【其の一】」(大正蔵75 p.186b)
【コメント】大日釼印という名称は其の外観に依るのであり、内実/内証に付けば卒都婆(塔)印なる事を明かしています。」
(同記に云く)凡そ三昧耶印は是れ三昧耶の標熾(幟)なり。其の大日の三昧耶形は是れ卒都波なるが故に、其の三昧耶印も〼(亦)卒都波印なり。【其の〼(二)】(p.186b)
口に云く、此の(聖観音軌の大日釼)印を以て四種マンダラ(梵字 madhara)と習う事は、二大指を両部の大日と想う。即ち大万タラの塔印と習う。此の印形は三昧耶万タラなり。二頭指より手頚に至るは方形なり。是をア(梵字 a)と想う。即ち法万タラなり。已上の三種は各の自業を成弁す。是を羊石(羯磨)万タラと云うなり。此の文は髻中の明珠なり。珍重すべし。但し、文は極事ならず。只(タダ)心に在る耳(ノミ)。
【コメント】「髻中の明珠」は如来所説の大乗方等妙典の喩(タトエ)(『涅槃経』 大正蔵12 p.380b)。

(図あり)(図は未敷蓮花印ですが、二大指の間を開けて、二頭指を二大指の甲の下に横さまに付けています。是は『摂大軌』の印文に依り作図したものでしょう。図の下に注記して、「(二大を)二中の本に付けよるは非なり。此の印は地水皆(ミナ)立てしむなり。」と云います。)
勧(修寺) 寛信云く、
(『摂大軌』に)「双佉(キャ/大指)を羅(ラ/中指)の本に依る」(p.85b)と者(イ)うは、二大指を以て二中指の本に付く。  安祥寺宗意云く、予は先師権大僧都厳覚の御前に於いて三度結びて師に見せしめ奉る。又師も三度結びて見せしめ給う。既に羅の本に依ると云えるも羅の本に付くべからず。其の後、法務(寛信)に此の義を付す。
(図あり)(此の図も前図とほぼ同じですが、二頭指を以て二大指の頭(ハシ)に拄(ササ)えています。注記して、「羅に依る事(?)は本文の如し。此の印は又地水皆(ミナ)立てしむなり。」と云います。)
真慶私に云く、先師常光院法印(良弘)の此の印を伝授せしむる時、羅の本に付けざること安祥寺の説の如し。又先師光堂法印(行海?)の真慶に授け給える時、羅の本に〼〼(付けず?)。而して先師(光堂?)法印は法務入室の灌頂弟子なり。(寛信法務は?)何ぞ二中指の本に付けしむべし(と云うや)。蓮光房闍梨(良勝)と法務御房は共に大僧都(厳覚)の御弟子なり。常光院法印は又蓮光房の弟子なり。共に以て異義あるべからざるなり。若しは安祥寺実厳律師の門弟の間に云いて出だせる事か。尤も不審なり【云々】。
[コメント]『聖観音軌』の「大日釼印」、即ち無所不至塔印の二大指を二中指の本に付けるべきかどうか、相伝に異説があると問題にしています。三位法印行海(1109―80)は良弘と共に真慶伝法の師僧ですが、「光堂法印」と称する事は他史料に見ない所です。やや判然としない所もありますが、先ず同じ厳覚の付法弟子でありながら、寛信と宗意では「付ける」と「付けず」の違いがある事を記しています。次いで真慶が良弘と行海?から伝法した分は共に「付けず」であり、而も行海は寛信の入室灌頂資、良弘の師僧良勝は寛信と同じく厳覚の灌頂弟子であるから、異説が生じるのは不審であると云う事でしょう。」

印次第の事
口に云く、先ず未敷蓮に作る事は、台(胎)内五位の時は蓮形なるが故なり。次に刀印に作る事は、刀形を成せるが故なり。其の増長の次第に依るなり。
四種万タラの事
口に云く、法万タラは慥に(タシカニ/察スルニ)五智の種子なり。
口に云く、摂大軌は大師の御請来に非ざるが故に証と為すに非ず。但潤色する(参考の為に彩を添える)許りなり。彼の聖観音軌、是れ証なり。
口に云く、先ず蓮(花)合(掌)して水(無名指)より大(指)に至るまで、アサバ(梵字 asava)三字を以て之を開く。此は心蓮を開敷する意なり。其の後、聖観音軌の印言を結誦す。三部・五部に当てて八反誦すなり。(真言は、帰命アークビーラウーンケン。 大正蔵20 p.5c)
此の印を以て大日釼印と云うは、頭指の上を釼と習うなり。略出経第二(大正蔵本は巻第三)に云く、
此の結壇法は、粉を以て之を作るを最初(最も)第一と為す。欲取久、固めて画作することも亦得(ウ)。次に画印法を説かん。鎫(輪)壇の中に蓮花台を画き、座の上に卒都婆を置く。此を金剛界自在印と名く。【已上】(大正蔵18 p.240b)

ユギ(梵字yuki)汀
[コメント]標題に「ユギ灌頂」と云いますが、『瑜祇経』とは関係が無いようです。伝法灌頂の事です。」
初重 五古印【金】 塔印【台】
先ず二羽を未敷蓮合してアビラウンケンを誦す。
次に塔印を成ず。未敷蓮は五輪(五大)の惣体なり。此の印を以て身の五輪に配当して、我が身は即ち五◦(輪)塔なりと想うべし。
ア(梵字 a)字(地輪)は諸法本不生なり。万法はは本よりア(梵字 a)字理体を具す。ビ(梵字 vi)字は水◦(輪)なり。水は寂静なり。寂静は理の義なり。理は女の義なるが故に(バ字に)三昧の点を加えて理を表すなり。水を以て地を潤して万物を生ぜしめて生〼(開?)あること、即ち女の義なり。ラン(梵字 ram/実にはraとすべきか)字は火◦(輪)なり。成就の用(ユウ)あり。水を煖めて熟(アツ)くせしむなり。ラン(梵字 ram)字(の字義)は塵垢不可得なり。塵とは諸の五塵なり。其の体性は都(スベ)て無なりと雖も、又諸塵無きにも非ず。空は即ち色なればなり。故に仮に常在あるなり。ウン(梵字hum)字は損減と増益(ゾウヤク)の二執ありと雖も、即ち中道に会するなり。ケン(梵字 kham)字は虚空に等しき義なり。第一義に大空三昧と謂うなり。万法を含みて常空常有なり。是れ大空三昧なり。
此の理を証するを大日如来と号す。我が身に本より此の理あり。三密加持の力に依りて、即身に法性五◦(輪)の卒都婆なり。法界に周遍する身なり。故に大日経に云く、我覚本不生 出過語言道(我は本不生を覚(サト)る 語言の道を出過せり)【云々】。(大正蔵18 p.9b)(安然撰)『教時義』に云く、大日一印の中に一切尊の印を具す。主伴和合して、(以て)一体と為る。【文】(大正蔵75 p.397b)

【有る師の説(に云く)】.
近来の結縁汀は受明汀の作法なり。結縁汀は只(投花)得仏の印言(真言?)のみを授けて全く印を授けず。天台には印明を授けず。只投花の尊を以て縁佛を教える許りなり。【云々】
受明汀は若しは佛菩薩にあれ、若しは金剛にあれ、得佛の印明を授く。伝法汀は先ず打ちたる所の別尊の印明を以て、中瓶を〼(取り?)加持すること三度して、水を灌ぎ了る。(次いで)得佛の印明を授くなり。是を受明汀と云うなり。然る後に大日の灌頂印可を授くなり。
伝法灌頂又結縁灌頂の事
口に云く、台(胎蔵)汀の後に大日経幷に台儀軌等を伝(授)すべし。金界も〼(又?)爾なり。妙成就(蘇悉地)汀の後に蘇悉地経等を受くべきなり。汀了って後に其の法を受くるが故に伝法汀と名くなり。大師の入唐灌頂次第も此の如し。又結縁汀は只投花得佛の一尊の印明許りを受く。之を以て結縁を為すが故に結縁汀と名くなり。
請来録に云く、受明灌頂に沐すること再三なり。【文】(大正蔵55 p.1060b)
口に云く、五佛の明を以て五瓶の水を加持し、頂上に灌ぐが故に、受明汀と名くなり。受の言は水を受く義なり。又結縁汀も自尊の明を受くるが故に、又受明汀と名く。然れども今云う所の受明汀は彼と同じならず。〼(又)再三とは、是れ両部を指すなり。或(アル)が云く、再とは両部を指し、三は蘇悉地を指す。【云々】此の義は相承(の口決)に違す。謂く、妙成就の汀は高野の古風に行わざる所なり。【云々】全く作法無くして之が汀を受得す。只妙拳士(「妙」は蘇悉地の意。は金剛「拳」大「士」)の手(印の意)明のみなり。但し伝教大師は順暁和尚の所に於いて、作法を受けて之の蘇悉地汀を受けたるが、全く両部灌頂を受けざるなり。
[コメント]伝教大師撰『顕戒論』巻上の注記に依れば、最澄は順暁和上より両部灌頂を受け、種種の道具を与えられました(但し略儀の受法と推測されます)。又その時の灌頂印信は、同大師撰『顕戒論縁起』巻上に「三部三昧耶を伝える公験(クゲン)一首」として採録されています。是を「蘇悉地汀」と云うのも誤りです。詳しくはHP『柴田賢龍密教文庫』の「研究報告」の(八)「『三種悉地軌』『破地獄軌』と兩部不二の事 其の一」の(一)「伝教大師の三種悉地法相伝の事」を見て下さい。」
抑(ソモソ)も上の再三の言は、是れ畳字の故に再三と云うなり。両部及び蘇悉地の三に非ざるなり。大師の御意は、両部の智水に浴するを再三と云うなり。抑(ソモソ)も上の妙拳士手明とは、妙は妙成就(蘇悉地)を謂い、拳は金(剛)拳を謂い、士は菩薩を謂い、手は印を謂うなり。而して印は三〼(摩)耶会拳菩薩の印を指し、明は羊石(羯磨)会〼〼(拳菩薩)の真言なり。羊石会の真言は、是れ尊容の号の梵号なり。三摩耶会は是れ尊の三(昧耶)形なり。之を以て最秘と為す【云々】。

請来録に云く、六月上旬、学法灌頂壇に入る。(是の日)大悲台大曼荼羅蔵の臨み(中略)、五部灌頂に浴して三密加持を受く。(p.1065)【已上】
口に云く、五部灌頂とは是れ五部の瓶水に沐すれば五部と名く。所以は、五瓶は是れ五佛の智水なるを以ての故に五部と云うなり。中台の瓶水は大日の明を以て之を灌頂す。中の上(右?)なる東の瓶水は不動(佛)の明を以て之を灌頂す。前なる南の瓶水は宝生の明を以て之を灌頂す。〼〼(左辺)の瓶水は無量寿の明を以て〼(之)を灌頂す。〼(後)なる北方の瓶水は不空尊の明を以て之を灌頂す。左方の金界は此の如し。台蔵界も之に准じて知そそるべし。凡そ五部灌頂は、台金共に五瓶水を指すなり。請来表(録)を見るべきなり。【云々】
又請来録に云く、命を留(学)の末に銜(フク)みて万里の外に問津(モンシン/行く先を探る)す。(p.1060b)
者(コレ)は宣旨なり。(留学の先例として)俗の留学には吉備大臣(真備)なり。在唐留学すること十八年なり。十三道に通達したり【云々】。
僧の留学者には、八家の外に天台の円載(?―838―77)も留学の人なり。帰朝の時に入海して逝去し了る。凡そ入唐〼〼(大師)等の宣下には〼(二)あり。一は留〼(学)の宣旨〼、学満を以て期と為す。二は請益(ショウヤク)の宣旨にして学未満なれども帰朝すなり。只入唐し、諸聖教を以て(請)益すなり。留学は是れ究法・長学して帰朝す。久しく唐土に留まり、年暦を積みて〼〼(求法)習教する(故に)留学と名くなり【云々】。

長寛元年(1163)十月七日甲〼()
列して酉酉(ダイゴ)蓮蔵院に於いて之を伝う。
[コメント]此の記が前後何れに付くか問題ですが、後文に石山寺の朗澄(1132―1208)が醍醐寺の亮恵阿闍梨(内山真乗房 1098―1186)より受法した事を記しているので、是はその時の事を記しているのでしょう。即ち朗澄は永暦年間(1160―61)に醍醐に於いて亮恵から受法していた事が知られており、東寺の賢宝は真慶が朗澄より其の伝を受けたと推測しています。詳しくは『日本密教人物事典』上巻の「朗澄」の条第4項を参照して下さい。猶「蓮蔵院」は、勧修寺の厳覚が四度加行を修した大谷の坊舎の寺院名です。」
口に云く、塔印を結び、二空を小(スコ)しく開く【〼(摂)大軌に見ゆ】。〼観ぜよ、其の塔内にバンウンタラクキリクアク(梵字 vam hum trah hrih ah)、アアーアンアクアーク(梵字 a a am ah ah)あり。即ち是れ両界の五佛なり。一の法界塔婆を開く時、両部海会の諸尊は俱時に顕現すと想うべし。但し台を行ずる時は、アアーアンアクアーク(梵字 a a am ah ah)バンウンタラクキリクアク(梵字 vam hum trah hrih ah)と誦すべし。金を行ずる〼(時)は〼(先ず?)金の五字を誦し、次に台を誦すなり。【已上は初重なり】
次に先の印の二頭指を相拄(ササ)えて円形に成す。是は心月〇の形なり。【厳覚の静与アサリに伝う】
[コメント]静与(誉)は範俊・厳覚両師の付法弟子です。」
師口に云く、彼の聖観(音)儀軌の印に文点を読むことを以て口伝と為す。(軌に云く、)二手を以て心に当て〼(合)掌して、二頭指の中節を屈して横(ヨコサマ)に〼(相)拄えて、二大母指を以て二頭指の上節を並べ押し釼形の如くにせよ。(【文】 p.5b)明は上の如し(帰命アークビラウーンケン)。
蘇(悉地) 金剛外縛。明は拳(菩薩)の明、バン(梵字 bam)なり。
[コメント]「師口」と云うのは特別な意味があるようです。次に「口に云く」として朗澄の相承血脈を出しているので、「師口」は先師の口決を云うらしく思われます。
明は羯磨会金剛拳菩薩の真言オン・バザラサンヂ・バンを云うのでしょう。」
口に云く、不空三蔵は更に龍智の御許(モト)に詣して之を伝え奉りて後、唯恵果一人に授く。恵果は又弘法に授くるも全く余人に授けず。故に秘密灌頂と名く。〼〼の由、秘蔵記に見ゆ。
 弘(法)〇  厳(覚) 寛(信) 淳(寛/観) 亮(恵) 朗(澄)
[コメント]口決の相承血脈です。朗澄の次の真慶は記していません。猶理明房興然(本名智海 1121―1203)も内山亮恵から委悉の受法をした人ですが、その相承次第は此の朗澄の血脈に同じです(『日本密教人物事典』上巻の「興然」の条第8項)。」

口に云く、(『御遺告』に)「是の章句は梵本と◦(土心)水師の所に在り」【云々】。彼の印を釼形に作ると者(イ)うは卒都ハの印なり。蓮花の上に月〇を観ぜよ。阿字八返、之を誦す。三部五〼(部)〼【云々】。秘中の秘には(虚空蔵)転明妃を五返〼〼(之を誦す?)。各(オノオ)の五〇(佛)を供養する義なり【云々】。
次に〼釼形を開き、後に二空を並べ〼。
[コメント]胎蔵法の虚空蔵転明妃真言は、金界法の普供養真言に相当するとされている。
結印の次第に付いて、初め閉塔、次に開塔、その後に閉塔と云います。」
大師の御記に云く、左は理にして台(胎蔵)の五智、右は智にして金の五智なり【云々】。真言不二と者(イ)えり。五智は〼(「菩薩」の略字ですが、「菩提」の略字の誤写でしょう)なれば(五智の中の)大円鏡智にも発心・修行・証・入あるべし。利生(方便)を本と為すが故に、方便にも又五〼(智)あるべし。皆此の義あり。仍って手(?)之あり。
金界は普賢に従いて成佛し、台界は観音に従いて成佛す。金剛蓮花は之に依りて有るべし。(塔印の)二大は両部大日なり。証文あり【云々】。
[コメント]以上の文も朗澄の口伝でしょう。是より以下は仁済の口伝らしく思われます。後程コメントします。」

大日経に云く(「大」の右肩に斜線)、
心の佛国を開き、心に正覚を成じ、〼(心)に大涅槃を証す。【文】
[コメント]『大日経』七巻に此の文は見当たりません。当時此の文を付した同経が存したのでしょうか。」
已〼(上)三句の心を以て三印と作す。々(印)〼は是れ一印に二言を用う。併(シカシナガ)ら口に在り。
無所不至印を結ぶ(書出しの「結」字の右肩に斜線)
バンウンタラクキリクアク(梵字 vam hum trah hrih ah)を誦して「心の佛国を開」くと謂うべし。次に二大指を開きてバンウンタラクキリクアク(上に同じ)を誦して「心に正覚を成」ずと唱うべし。次に二大指を入れてラ(梵字 ra/中指)の〼(本)に付けて「心に大真(涅槃)を証す」と唱え、帰命アソワカ(梵字 a svaha)と誦す。是は仁済の心中大事なり。真言に文共を加うるは皆由緒あり【云々】。
[コメント] 是は上に云う「三印/一印」「二言」に付いての口伝なのでしょう。
次出の文にも「仁済の口伝」なる由を注記していますが、真慶が地蔵房仁済(本名尊海)から直接受法したのか、或いは朗澄から仁済の口決を相伝したのか、何れとも決しかねます。『石山寺僧宝伝』は、朗澄律師の受法の師僧を列記して「尊海」を挙げています(『石山寺資料叢書 寺誌篇 第一』p.472)。」
無所不至印を結ぶ(書出しの「結」字の右肩に斜線【バン◦(ウンタラクキリク)アク(梵字 vam ah)/ア アーク(梵字 a ah)(五智明と五阿明を略記)】
次に蓮花合掌の印を結び「心の佛国」を庄厳す。
次に塔印を結び「心に正等覚を成ず」。
次に二大指を入れて「心に大真を」見る。
口に云く、別して真言無し。此の文を誦するを以て真言と為すなり。
  已上、仁済の口伝なり。
[コメント]前の「心中大事」と一対の口伝でしょう。」

初重【常の如し】
第二重 蘇悉地 印言は〼(拳)菩薩【常の如し】
第三重 如法花印【(塔印の)二大指を開きて塔の戸を開くなり。】
明に曰く、オン・バザラダト・バン(梵字 om vajradhatu vam)
口に云く、如法の花印 合(閉塔の印)
明に曰く、アビラウンケン【両部不二の言なり】
又云く、一のア(梵字 a)
 仁済云く、此を以て第三重の至極と為す【云々】。
小野の秘口伝に云く、大日経の肝心の文なる我覚本不生【文】(等の)五句は五字の功徳を説くなり。
[コメント]五句は『大日経』巻第二「具縁真言品の余」に説く「我覚本不生 出過語言道 諸過得解脱 遠離於因縁 知空等虚空」を云います(大正蔵18p.9b)。」
口授に云く、
オン(梵字 om) 我覚  ア(同 a) 本不生  ビ(同 vi) 出過  ラ(同 ra)  諸過  ウン(同 hum) 遠離  ケン(同 kham)
  已上、正念誦に之を用う。
印は五古外塔なり。
[コメント]印は外五股印であり、是は塔印であると云う事でしょう。外五股印を塔印と称する事に付いては『密教大辞典』の「塔印」の項(二)を参照して下さい。」
 小野の最極秘伝なれば胸臆の外に出すべからざるなり。仁済自筆の口伝なり【云々】。

文治二年(1186)二月九日戌時(イヌノトキ)、安祥寺の坊に於いて秘密灌頂を伝え奉る。
[コメント]誰が誰から灌頂を受伝したのか記していません。亦前後に空き行が無く、前文を受けるのか後文に続くのか判然としませんが、続けて灌頂印明を書き連ねているので後文に付くと思われます。是も朗澄が仁済から受法したのか、或いは真慶が朗澄から仁済の伝を受けたのか、又は真慶が仁済から直接相伝したのか、何れとも断定し難い事です。終わりに「勧修寺の秘密灌頂」と注記していますが、前のように朗澄の血脈を記していないので、是は勧修寺寛信法務の付法弟子仁済から真慶が直接伝法した事を云うのでしょう。」
口に云く、塔印なり。但し件の印は普通の塔印に似ず。虚心合掌の如くにして微(ワズ)かに掌を開き、塔の戸を開くと想うべし。此の内の(本尊から見て)左に台大日、右に金大日の並び坐す。
 明
アアーアンアクアーク(梵字 a a am ah ah)バーンウンタラクキリクアク(同 vam hum trah hrih ah)
次妙成就 高雄万タラの供〼(養)会大日の印なり。
明 オン・バザラボシュチ・バン(om vajra busti vam)
  アークン(梵字 akm)【アクム】 バークン(同 vahm)【ハクム】
  已上、了んぬ。
秘密灌頂【不二汀】
印は外五古なり。此を卒都婆と名く謂(いい)は、五古は即ち五ア(アアーアンアクアーク)のソトハなればなり。
真言 一のバン(梵字 vam) 若しは一のア(同 a)
 已上、勧修寺の秘密汀なり【委しくは〼(彼)が如し】。

五古印は内外等に通ず【云々】(「五」の右肩に斜線)
[コメント]空行はありませんが、是より以下に正覚房覚鑁(興教大師)の五股印に関する長文の口伝を記しています。末部の識語を参照して下さい。」
(五股印の標示する所は)五大所成の法界体性智なり。真金の体にして又是れ法界実【三十二相】理体なり。如来の十真如・十法界・十如来地を表して、以て上下十峯の金剛大空智処を成ず。五古は即ち五智なり。左の五指は台蔵界の〼(五)智にして、又衆生界の五智、亦本有の五智なり。右の五指は金剛界の五智にして、又佛界の五智、又修生の五智なり。各(オノオ)の五古印を成じ、惣じて二杵和して合成す。五古印は是れ兩部不二なる五大所成の五智なり。又五古印は五佛なり。五佛は即ち虚〼(空)を尽くし、法界に遍ず。無尽無余の佛は〼(聚(アツマ))りて此の五身を成ずなり。即ち五方の佛位に違立して十方佛土に摂在す。
又五古印は五菩薩なり。五佛頂なり。五大明王なり。五大力尊なり。故に(佛菩薩の)惣印なり。又五方天なり。五星なり。(菩薩定・縁覚定・声聞定・不定・無性の)五性なり。〼五戒なり。又五行なり【木火土金水等の五神なり】。乃〼(至)五龍王等なり。凡そ衆生界は五道の生死に流転し、五根本(貪瞋痴慢疑の五大煩悩)を或いは本と為して五輪の器界に依住して、五欲の境を貪愛す。五根・五識・五塵は和合して迷いを生ずること、皆是れ五古印の縁起なり。此の印の〼(加)持に依りて迷即悟なり。惣じて天地に亘り、内外に通じ、在情・非情に通ずるが故に無所不至印と名く。一切の五法は皆五古印を表す。々(印)〼〼は一切の五法を表す。是は五大願なり。(因行証入方便具足の)五句法門なり。五宝・五香・五穀・五薬なり。
又五古印は是れ諸尊の最極秘印なり。即ち究極(クゴク)秘密法界体なり。是れ大日の〼(極(キワミ))なり。是れ諸尊の秘なり。又五古の上に五部灌頂を〼(建)立す。是れ五部灌頂の源なり。五部惣持の秘印なり。又五佛の灌頂印なり。又台蔵の五輪成佛(支分生曼荼羅)なり。又アビラウンケン(梵字 avirahumkham)等なり。又金界の五相成身なり。バンウンタラクキリクアク(同 vam hum trah hrih ah)等なり。又五輪法界ソトハも皆〼(五)古なり。故にソトハ印と名く。塔の上に〼佛頂あり。五古〼(印)の中に五佛の位あることを表す。(五古の)下は五大〼(天?)及び一切外金剛部を表す。
又五秘密法なり。東方の一切金剛サタ等の法は五忍等の法を摂すなり。又(南方は)五大虚空蔵法なり。南方の一切〼(法)を摂して宝部法を摂すなり。又(西方は)五字〼(文)殊法なり。西方の観音・八字文〼(殊)等一切を摂して、蓮華部の法を摂尽す。又(北方は)金剛夜叉法なり。前五識を転じて成所作智を得(ウ)。此の智は此の尊なり。五眼を具するは是れ五古印なり。是は秘中の秘なり。又五々廿五法を〼〼(建立)し、以て羊石(羯磨)部の一切〼(法)を摂尽すなり。
又佛眼法は余の四眼を〼(以?)て、〼(中)央の一切佛法を摂尽すなり。凡そ五古印は一切灌頂の根本なり。金剛サタは受職灌頂の時に、親(マノアタリ)に大日如来より両部を相承す。之れ一切の灌頂も皆爾り。如来体性を成ぜんが為の故に今に嫡々相承して絶えず【云々】。
 五古印の極大事、大略之を記す。自余の義理は尽くし難き者なり。此は眼肝を守るが如くせよ【云々】。
  已上は正覚房(覚鑁)の口伝なり。
     浄法房、之を記す【云々】。
[コメント]「浄法房」は覚鑁上人の嫡資とされる兼海(1107―55)です。兼海は高野伝法院の学頭職を務め、亦密厳院を相伝して、後に伝(法院)流兼海方の祖とされるに至りました。
以下に空行があり、次に「伝法八印」等の諸流の灌頂印信を記していたらしく思われますが、残念ながら後欠しています。即ち外題の「諸流汀等」は後文に相応しています。次いで写本の裏書部が続きます。これらも相当な分量があるので、以上の和訳部を「其の一」とし、以下を「其の二」とします。」


(続く)
(製作途中です。本文を一部改訂する事があります。ご了承ください。)