柴田賢龍密教文庫「研究報告」

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金沢文庫蔵理性院流宗命方聖教に関する暫定研究報告(其の四)

2013-02-18 18:57:21 | Weblog
金沢文庫蔵理性院流宗命方聖教に関する暫定研究報告(其の四)
(「金沢文庫蔵」とあるのは正確には金沢文庫保管重文称名寺聖教の事です)

前に金沢称名寺第二世の明忍房剱阿が経助法印から譲り受けたらしい理性院宗命方の口伝集と一部の諸尊次第を紹介しましたが、その後折に触れて『称名寺聖教目録』三巻を最初から詳しく見る中で、十数点の宗命方諸尊次第を検出しました。まだ同『目録』第一巻も見終わっていない段階なので、この先更に多くの諸尊供養法を主とする理性院流聖教を見出すことでしょう。とりあえず既検出分を報告紹介させて頂きます。

1. 整理番号244.2「無量寿ダルマ(梵字:dharma)」

(奥書)
(尾題に「無量寿尊次第」と記した後、簡単に「結願作法」を記してから最後に「金剛佛子メイ(梵字:me)之」と云う。)
本に云く、
仁安三年(1168)〔才次戊辰〕仲夏(五月)の比(ころ)、不食長病の間、臨終正念・往生浄刹の為に聊(いささ)か先師の遺訓に任せ、儀軌の旨趣を伺いて、憗(なまじい)に之を記す。偏に令法久住の計(はかりごと)なり。若し遁世の輩にして門跡に付き(理性院の門徒となり)弥陀の行儀を欣ぶ者あらば、此の次第を授くべきなり。観念等の委曲は口伝を聞くべきなり。
〔御本に云く、〕
 正嘉二年(1258)十月八日、鳥羽僧都御房(宗命)の御自筆の御本を賜り書写すること了んぬ。
(コメント)
巻子本の外題に「・・・ダルマ(梵字:dharma)」と記し、末尾に「金剛佛子メイ(梵字:me)之」と書き添える等、理性院流宗命方の諸尊法次第の典型を示しています。「メイ」とは宗命の「命」であり、本次第が宗命の製作である事を示しています。
又外題下に梵字でケンア(kem-a)と記されていて、称名寺剱阿が相伝した宗命方聖教一具の中の典籍である事が伺えます。
次第の構成は、大金剛輪・地結・四方結と道場観の間に召罪・摧罪等の金剛界法の印言数種を加用する典型的な醍醐の別行立次第と成っています。
猶、本次第作者の宗命は当時死期の近い事を覚悟したようですが、結局此の時は大事に至らず三年後の承安元年(1171)七月十日に亡くなっています。

2. 整理番号245.1「阿遮羅那吒(アシャラノウタ)ダルマ(梵字:dharma)」
内題・尾題共に「不動ダルマ(梵字:dharma)」と云い、亦具書目録・支度注文・巻数(かんず)等を記した後、「不動名号義」以下の本文の前に「無動ダルマ(dharma)」と記しています。
(奥書)
尾題の下に「金剛佛子メイ(梵字:me)之」と云いますから、本書も宗命の製作になるものです。
(コメント)
外題の下に「ケン(梵字:kem)□」と記されていて、欠損部は「ア(梵字:a)」に違いないでしょう。即ち是も剱阿相伝の宗命方諸尊次第の一本です。「阿遮羅那吒」は不動明王の梵号acalanathaの音写漢字です。
二種の支度注文を載せる中、始めの分は「支度〔先師(賢覚)〕」と標記してから、
美福門院皇后宮の御時、癌瘡(平癒)の御祈りに之を修され、効験あり。息災(法)にて之を修す。
と注記し、末部に、
右、注進すること件の如し。/康治元年(1142)四月 日  法眼賢覚
と記されています。亦今一つの支度注文は「注進 不動御修法一七ケ日支度事」と題し末部に、
右、注進すること件の如し。
 長承三年(1134)五月十六日、阿闍利大法師賢覚
と記しています。
本不動法はいわゆる「次第書」では無く、古来の折紙伝授の内容を一巻の書としたものであり、一座修法の眼目である道場観・本尊加持秘印・十四根本印等の法用を書き出しています。終わりに賢覚作の慈救呪(じくじゅ)に付いての句義釈を載せていますが、その奥書に、
嘉承三年(1108)四月二日 東寺入寺僧賢覚
と云い、「已上の字義〔句義〕は先師の注尺なり」と注記しています。此の奥書は嘉承三年当時、賢覚が東寺定額僧(入寺)であった事を示す証拠の文として貴重なものと云えるでしょう。

3. 整理番号245.2「能浄眼ダルマ(梵字:dharma)」
内題に「能浄眼法」と云います。
(奥書)
年記は無く、ただ「校すること了んぬ。」と云います。
(コメント)
外題の下に梵字で「ケンア(kem-a)」と記されていて、是も剱阿相伝の宗命方諸尊次第の一本と知れます。
能浄眼法は大正大蔵経第21巻(密教部四)に収載する短篇の不空三蔵訳『能浄一切眼疾病陀羅尼経』を本経とする眼病平癒の為の修法です。
本次第の冒頭に、
先師(賢覚?)授け云く、尺迦を以って本尊と為し、増益に修すべし。
と述べています。本書も次第書では無く種子・三形・印の他に経文を抄出する程度の簡単な内容ですが、最後に、
先師授け云く、本尊加持の処に必ず佛眼・薬師・悲生眼(ひしょうげん)・孔雀明王・千手の印明を用いるべし。
等の口決が記されています。
作者に付いては確実な比定の根拠がありませんが、一応は是も宗命の作とすべきでしょう。

4. 整理番号245.3「吠室羅末那提婆ダルマ(梵字:dharma)」
内題は外題に同じです。
(奥書)
後欠本ですが、末部に異筆で「校すること了んぬ。」と云います。
(コメント)
是も巻子本の外題下に「ケンア(梵字:kem-a)」と記されています。
最初に「具書目録」があり、次いで「功能(くのう)由来」「天王本誓事」「道場建立・作壇・供具弁備事」等の項目を立てて数種の毘沙門儀軌から引用していますが、その後を全て欠いています。恐らく元はかなり長大な毘沙門法次第であった事が推測されます。

5. 整理番号246.2「軍荼利ダルマ(梵字:dharma)」
(内題)甘露軍荼ダルマ(梵字:dharma)
(尾題)軍荼利ダルマ(梵字:dharma)
(奥書)(ナシ)
(コメント)
巻子本の外題下に「ケンア(梵字:kem-a)」と記されています。
内題下に「金剛佛子宗命之」と云い、是も剱阿相伝の一具の巻子本宗命方諸尊次第の中の一本であると知られます。
いわゆる次第書の形式を取っていますんが、道場観・本尊印言等は丁寧で貴重な尊法書と云えるでしょう。

6. 整理番号246.5「胎心抄〔守護ソタラン(梵字:sutram)〕」
(内題)能与無上悉地最尊ソタラン(梵字:sutram)
(尾題)守護経ダルマ(梵字:dharma)
(奥書)
永万元年(1165)三月の比(ころ)、後見の為、先師の遺訓并びに先徳の次第と本経の文等により敢えて之を記す。求法の輩、咲(わら)うこと勿れ。是れ偏に名利を得るために非ず。令法久住を存する意なり。/金剛弟子
附法に人無ければ此の□□早く破り、之を火中に抛(なげう)つべし。努努(ゆめゆめ)此の語に違すべからず。
  弘安九年(1286)五月日 御本を賜り書写すること了んぬ〔云々〕。
(コメント)
外題の「胎心抄」の意はよく分りません。『密教大辞典』の「宗命」の項にその著作として「真言肝心抄二巻」を挙げていますから、「肝心抄」の事かも知れません。
巻子本の外題下に梵字で「ケンア(kem-a)」と記されています。
冒頭に般若三蔵訳『守護国界主陀羅尼経』十巻が本経である事を示し、次いで高祖大師の『性霊集』と本経の文を載せています。その次に支度注文と巻数(かんず)を載せ、共に末尾に「阿闍利法眼和尚位(賢覚?)」と云いますが、具体的な年記を欠いています。中古の真言学僧の説によれば、大師は守護経法の勤修を奏請したけれども実修の事は未詳であり、その後も勤修の先例は確認できないとされていますから、此の支度注文と巻数も実際に御修法所に提出された文書では無いのでしょう(『密教大辞典』の「守護経法」の項を参照して下さい)。そう考えると、(宗命が)奥書で「咲うこと勿れ」と云っている意もよく理解できます。
後半部の始めに、
行法次第〔大師の御次第云々。以上、本経を引載せり。/本経の文の意は此の次第に具すると見たり云々。〕
と云い、次いで「守護国界経念誦次第」と題して修法次第を記してから、終わりに「已上、大師御次第〔云々〕」と云います。

7. 整理番号247.5「北斗ダルマ(梵字:dharma)」
(内題)北斗
(奥書)
(ナシ)
(コメント)
巻子本の外題下に「ケンア(梵字:kem-a)」と記されています。
道場観と諸真言(真言は梵字)の次に「北斗護摩法」を記していますが、此の護摩次第は後火天段を用いる六段護摩に成っているので広沢の次第らしい事が分かります。次に巻数(かんず)と支度注文を載せていますが共に具体的な年記はありません。次いで「本命星供(ほんみょうじょうく)」「本命星作法」等を記した後に、天仁三年(1110)四月日の年記を有する仁和寺成就院の「法印権大僧都寛助」(1057―1125)による「大北斗御修法一七ケ日(いっしちかにち)支度」を載せ、更に元辰星(がんじんせい)を知る法と北斗七星の形像に付いて記しています。
又裏書きには『大日経疏』の引用を始めとする各種の文があり、特に当年星供(属星供)に用いる九曜(九執)各別真言が梵字で記されているのが注意を惹きます。表側には「七曜惣呪」と九曜の中の羅睺(らご)・計都両星の真言だけが記されています。
本書は仁和寺の北斗法次第ですが、巻子本の体裁が宗命方諸尊次第一具のものと同じであるので、一応宗命方聖教の中に数えさせて頂きました。

8. 整理番号248.1「金剛童子法次第」
(内題)金剛童子ダルマ(梵字:dharma)
(尾題)金剛童子ダルマ(梵字:dharma)
(奥書)
(尾題の次行下に)金剛佛子メイ(梵字:me)之
是は全く名利を貪らん(が為)に非ず。偏に令法久住の為なり。散々に(よくよく苦心して)習学せる書籍も後跡(後の門徒)には悟り難からん。之に依り、之を結集(けつじゅう)す。
       金剛佛子宗命之
(コメント)
巻子本の巻頭部を欠損していますが、全体の体裁からすれば他の宗命方次第と同様に、外題下には梵字で「ケンア(kem-a)」と記されていた事でしょう。
前半部に長承三年(1134)五月十六日付けの「阿闍利大法師〔某〕」による支度注文と、年月日未詳の「阿闍利法眼和尚位」による巻数を載せていますが、此の両阿闍利は理性房法眼賢覚のことでしょう。大法師賢覚が法橋上人位に叙されて僧綱に成ったのは保延六年(1140)正月十四日の事ですから支度注文の位記に合致します(詳しくは拙著『日本密教人物事典』上巻の「賢覚」の条を見て下さい)。
本書も次第法用を書き列ねたものでは無く、折紙を集め記した如き尊法次第です。

9. 整理番号248.3「倶摩羅ダルマ(梵字:dharma)」
(識語/奥書)
是は全く名利を貪らん(が為)に非ず。偏に令法久住の為なり。散々に(よくよく苦心して)習学せる書籍も後跡(後の門徒)には悟り難からん。之に依り、之を結集す。
       金剛佛子宗命之
(コメント)
現在、此の写本の写真帳が所在不明という事で影印は見ていません。
『称名寺聖教目録(一)』に依れば、本書は只一紙の巻子本であり、巻頭以下の本文を全く欠いているようです。直前の第248.1号と識語/奥書が全同なのも気になりますが詳しい事は分かりません。

10. 整理番号251.13「寿延経護記」
(内題)寿延経護(まもり)造進記録
(端裏題)寿延経護記
(奥書)
承安三年(1173)十月、浄蓮房阿闍利御房(宝心)の
御本を以って之を書写す。        沙門宗命
     一交すること了んぬ。
(コメント)
巻子本の外題は端裏題を用いて新補したものらしく思われます。
最初に醍醐寺開山聖宝僧正以下の祖師先徳による寿延経護(御守り)の施主への造進記録を載せています。但し仁海僧正は施主の為では無くして「自身の為に之を造」りました。記載された先徳の名前は、
聖宝僧正、仁海僧正、成尊僧都、勝覚僧正、賢覚法眼、宗命僧都、宗厳〔大〕僧都、行厳法印権大僧都、観俊法印権大僧都、宗遍法印権大僧都、観高僧正、経助僧正
であり、宗命書写の本に後代の人々の分が書き加えられた事が分かります。亦経助僧正が最後に成っていて、これら理性院流宗命方の一具聖教が元は経助の所持本であった事を裏付ける有益な一史料であると云えます。
一方、施主の名前から、鎌倉時代に於いては理性院が九条家(乃至一条家)の祈願所であった事が伺えます。
又祖師先徳の名前を書き出した後にかなり長い「延命抄奥書」の文を記していますが、此の『延命抄』は「賢覚法眼の最極秘抄なり」と注記しています。又此の「延命抄奥書」の末尾に、
久寿第二年(1155)□秋第五日   賢覚
と記されています。

11. 整理番号252.3「御念誦作法」
(内題)晦日御念誦源由作法
(奥書)
文永五年(1268)十月十一日、巳の半より(始めて)午の終に至り書写すること了んぬ。〔名交し了んぬ。〕/兼観
〔私に云く、後七日御修法勤修の長者は其の年毎月晦の御念誦と、并びに毎月十八日の観音供を勤めらるなり。〕
永仁六年(1298)五月三日、午の始より(始めて)酉の始に至り、観音供〔二間〕作法と并びに奥砂子平(おうさしびょう)、此の法三巻□□
      法印権大僧都経助
    校合すること了んぬ。
(コメント)
本書も理性院流宗命方の諸尊次第の中の一巻ですが、今までの明忍房剱阿相伝の一具次第とは体裁を異にしているので、同じく称名寺聖教中の宗命方諸尊次第と云っても相承の経緯に付いて区別して考える必要があります。
晦念誦の実修濫觴(らんしょう/始まり)に付いて確かな史料はありません。ただ弘法大師の『(二十五箇条)御遺告』の「東寺座主大阿闍利耶、如意宝珠を護持すべき縁起第二十四」を根拠として、東寺長者の修すべき作法とされていました。その作法は如意宝珠(仏舎利)の念誦であり、大師が室生山精進峯に埋納なされた「能作性(のうさしょう)の如意宝珠」を別して観念する事にその特徴があります。毎月晦日の夜に修し始めて三日三夜を経た三日の初夜に結願するので、晦念誦と称されるのです。
「観音供〔二間〕作法」は、清涼殿の御寝所の隣室である二間(ふたま)に於いて護持僧(東寺長者)が修したので、「二間」と注記したのです。
「奥砂子平」法の事は『御遺告』の第二十五条に記されていますが、その解釈には諸説があります(『密教大辞典』の「オウサシヒョウホウ」の項を参照して下さい)。当写本の本文には奥砂子平法に関する言及はありませんが、第二十三条に説く「避虵(びゃくじゃ)法」に付いて「如意宝珠法の別名なり」と述べていて、晦念誦と避虵(蛇)法とは同じであると考えているようです。
奥書中の兼観(1232―1274)は理性院観俊の潅頂弟子で小納言律師と称されました。剱阿相承の宗命方聖教はほとんど全てが経助からの伝領らしいのですが、その相承次第には観俊―宗遍と、観俊―兼観という二種の系統があります。その中でも剱阿が梵字の自署を記した本流の聖教は宗遍相承の分であり、兼観相承の分は傍流と見て区別していると考えられます。

12. 整理番号252.4「金剛薬叉法」
(尾題)金剛薬叉ダルマ(梵字:dharma)

(奥書)
(ナシ)
(コメント)
巻子本の外題(表紙)は後補されたものです。
冒頭に保延二年(1136)四月廿二日付の「阿闍利大法師」による支度注文と勧請・発願両句を載せ、次いで「金剛薬叉ダルマ(梵字:dharma)」と記してから本文が始まりますから、此の「金剛薬叉ダルマ」が内題であると云えるでしょう。
是も次第法用を書き連ねたものでは無く、本尊印言・道場観・曼荼羅等の肝要事を書き出しただけの次第書です。最後に、
深秘(の)口伝に云く、此の法は王業相続(皇位継承)・皇后昇位・三后懇望(こんもう)の時、専ら此の法を修せしむべし〔云々〕。或いは不食(ふじき)の病の時に此の法を修せしむべし〔云々〕。
等と述べています。

13. 整理番号253.2「(求聞持法)」
(尾題)求聞持ダルマ(梵字:dharma)
(奥書)
本に云く、
文永五年(1268)十一月十六日、書写すること了んぬ。
交し了んぬ。       兼観
〔私に云く、
授心抄に云く、振鈴に於いては、用否は行者の意に有るべし。但し、鈴は結願の時に振鈴を用うべからざるか。洒水(しゃすい)・塗香に於いては、必ず之を用うべし〔云々〕。而れば今の指図と相違すなり。此の図は結願の図なり。鈴杵を除き、洒水器并に例の散杖を置くべきか。〕
本に云く、
正安元年(1299)十月十七日、戌の刻に書写并に点すること了んぬ。校合し了んぬ。
       法印権大僧都経助之
(コメント)
巻子本の表紙(後補)に外題は記されていません。
尾題の下に「金剛佛子メイ(梵字:me)之」と記されていて、理性院僧都宗命の製作になる次第であると知れます。
冒頭「大師求聞持法伝法相承事」を記し、次いで「大師求聞持勤修効験事」、次に「求聞持法功能事」二十二箇条、「求聞持略次第」と続き、その後に、
少僧、往年の比(ころ)、高野山に参籠せる間、日月蝕の時に値(あ)わずと雖も、三七カ日、此の法を勤修せしめ畢んぬ。
と記しています。

(以上)
今回報告分は以上ですが、第10号「寿延経護記」は短篇ながら中世史に於ける寺院と施主の有り様について興味深い記事に満ちているので、近いうちに別途詳しく翻刻解説する予定です。(平成25年3月5日)