柴田賢龍密教文庫「研究報告」

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愛染『秘密要術』と「九佛愛染(愛染曼荼羅)」について

2014-11-08 16:42:19 | Weblog
愛染『秘密要術』と「九佛愛染(愛染曼荼羅)」について


(一)愛染『秘密要術』
大正大蔵経『図像』第五巻の『覚禅鈔』81「愛染法下」に於いて染愛王の形像として法三宮(真寂親王)作とされる『ラギャ(梵字:raga)記』の説を引用した後で、更に続けて『佛母愛染最勝真言法』と『秘密要術』の説を引用紹介していますが、『秘密要術』の説に付いては理性院宗命撰『授心抄』の中でより広範な引用がある事に気が付きました。
先ず『覚禅鈔』の文は以下の通りです。
「秘密要術に云く、其の形は両頭にして左は白、右は赤なり。四臂ありて、左右の(第)一手に刀印を作り、次の左右は三鈷杵にして、赤蓮に坐す〔云々〕。」
次に金沢文庫保管重文称名寺聖教の第18箱1.2『授心抄』巻中の「ラギャダルマ(梵字:ragadharma)」(愛染王法)に於いて、「或る書」に依って記す愛染曼荼羅の文中には上記「其の形は」以下と同文があるので、此の「或る書」とは『秘密要術』なる典籍であると考えられます。以下にその一節を書き出しの部分から紹介します。
「又(先師理性房賢覚の口伝に)云く、或る書の中に愛染王マンダラ(梵字:matara)を説く。〔但し才学の為に記す。云く、毀(こぼ)つべき説なり。之を用うべからず。〕三重マンダラ(梵字:matara)の中央の院に愛染王あり。其の形は四面五首(「目」の誤写)〔額に一目、左右の本目、下に各一目あり〕にして、首(こうべ)に宝冠を戴き、髪は火焔の如くして、身色は皆白色なるが少しき青色なり。四臂ありて、左の(第)一手に弓を持して空に上げ、右の(第)一手に箭を持して胸間に当てて七星を射らんと為しむる相なり。左の(第)二手に彼を取らしめ、右の(第)二手に白蓮華を持して彼を打つ勢なり。四足ありて、左の二足は上に置き、右の二足は下に垂れて金蓮華を踏む。凡て(全身)白蓮華に坐して月輪に住す。彼の座の下に四面の師子あり。四足にして下に各の蛇を踏む。其の師子は口より如意宝珠を雨(あめふら)す。蓮の上、次いで中院に両頭染愛菩薩あり。其の形は両頭なるが左は白、右は赤なり。四臂ありて、左右の(第)一手を刀印に作し、次の左右(の手)に三股杵を依持す。赤蓮に坐して、月輪に住す。是を名づけて東方の衆と為す。(以下略す) 」
此の『秘密要術』に説く愛染曼荼羅は、大正大蔵経『図像』第12巻の別紙37「三面愛染明王曼荼羅」に相当します。『図像』の方は三面ですが、大きく描かれた中央面上の師子面を加えれば四面に成ります。その他は、『図像』の師子座の部分がほとんど欠損しているにしても、両者の尊容は完全に合致していると云えます。

(二)「九佛愛染(愛染曼荼羅)」
大正大蔵経『図像』第五巻の『覚禅鈔』81「愛染法下」の裏書644に、
或る抄に云く、一面三目六臂の像を以って中尊と為し、十二臂大日・両頭二臂尊・不動・大威徳・観音・弥勒・宝幢・剣龍を加えて一曼荼羅と為す。
と云い、その図像(図像287)を載せています。但し、「大威徳」は当該図像の持ち物を見る限り三面四臂の不動明王と思われます(次文で再述)。
本図(曼荼羅)は明らかにバークコレクション本「愛染曼荼羅」と同本であり『日本の美術』No. 376『愛染明王像』に於いて両図を並べ掲載していますが(第117,118図)、写真が小さくて残念です。バークコレクション本は平安時代の優れた白描図像であり、そのより鮮明な画像は『在外日本の至宝 1 仏教絵画』の図90に見る事が出来ます。それに依れば、向かって左下の尊が結ぶ印は内縛して二中指を立て合わせる大威徳の根本印(宝棒印)に見えますが、内縛して二頭指を立て合わせる不動の根本印(大独股印)であった可能性も考えられます。面貌は大威徳に相応し、不動の面影はありません。しかし、その尊容は大威徳明王の著しい特徴である六足では無く四臂二足であり、とりわけ左右の第一手に剣と索を持つ事は、何よりも不動明王である事を示唆しています。結局、この尊の正体に付いて確かな事はよく分からないと云えます。
又図90の解説に依れば、紙背左端の識語に「愛染王曼荼羅」と題名を記し、更に伝写の経緯に付いて、
嘉承二年(1107)三月五日、三昧阿闍利(良祐)の□を以って書き了んぬ。
と云い、更に注記して、
件の本に云く、大原僧都(長宴)の御本〔云々〕。
と述べています(掲載写真に依る)。即ち、(皇慶)―長宴―良祐―写本作者、という伝写次第です。
さて『覚禅鈔』の裏書には続けて、
右曼荼羅図は安養房(芳源)の抄にあり。(同抄に云く?)皇慶闍利(云く)、三井の山王院大師(円珍)、愛染王マンダラ(梵字:matara)一幀を(唐より)渡さる。爰に北山隠士(芳源自身を云うか)あり。竊に釈を作りて云く、前後の二尊は慈悲の一双なり。所謂く、弥勒は大慈三昧の尊、観音は大悲行門の士なり。左右の二三昧耶は福智の一双なり。幢は福を表し、剣は智を表すなり。艮坤(向かって右上・左下)の二尊は主伴の一双なり。大日は主、不動は使者なり。巽乾(右下・左上)の二尊(「大威徳」と両頭染愛王)は愛憎の一双なり。其の義は顕然なり。〔彼の大師の御持念目録の中に此のマンダラ(梵字:matara)あるも、其の法名は無し。〕
と云います。四角(よすみ)の尊は図像287と配置を異にしますが今は無視します。此の「安養房の抄」に記す「北山隠士」の釈は、真言宗全書36に収載する蓮道記『覚源抄』巻上末の「第十一。九佛愛染王の事」に於いて、高野伝法院の「(五智房融)源阿闍利の口伝」として記されていますから、上記愛染曼荼羅は高野では九佛愛染とも称されていたのです(「蓮道」は蓮道房宝篋かと思われます。『覚源抄』や宝篋に付いては拙著『日本密教人物事典』の「宝篋」の条参照)。
一方、『覚源抄』は巻上末「第四。一身両頭愛染王の事」に於いて、
是(両頭愛染王)は他門より出でたる事なり。所謂(いわ)く、智証大師の九佛愛染王を作り給えるが、其の(中の)随一なり。説所として分明なる文は無し。只だ是れ随意(意楽/いぎょう)して愛染王の内証を作り顕し給える許りなり。経文には全く見えざる處なり。
と云い、上の皇慶阿闍利の説とは違って、此の愛染曼荼羅は請来本では無くて智証大師の意楽の作であると主張しています。
さて大正図像第九巻の『阿娑縛抄』115「愛染王」には、此の九佛愛染曼荼羅に関する興味ある物語を記しています。始めに、
愛染王の師子無き像あり〔師子の四足に蛇を踏む〕
  私に云く、中尊を加えて九尊あり。角の四(尊)は龍に乗る。
と云い、標題に云う「師子」とは面上の獅子冠の事であり(愛染明王は宝瓶の上の華座に坐しています)、注記の「師子」はここで言及する異像が乗る師子の事です。続けて本文には以下のように記されています。「
恵什闍利云く、清水寺の虚空蔵〔智者〕某(智虚空蔵と称された定深)が始めて造画して出だせし者なり。為隆卿(藤原 1070―1130)、有間(有馬)に於いて院(白河上皇)に進上す。件の本は甚だ異様の事なり〔云々〕。
観雲闍利云く、偽物なり。本院、御湯治の為に有馬に幸せしめ給える時、左大弁為隆は国司たるに依って御儲けを勤仕す。御護りと為(し)て、覚猷法印(鳥羽僧正 1053―1140)を以って愛染王を画かしめたる處、件の像を画けり。観雲、之を拝して云く、此れは是れ偽物なり。法印は此の由を知らずして之を画き進めたり。尤も不便(憫)なり。本院は此の由を聞し食して、故藤中納言〔顕隆〕(葉室 1072―1129)を以って問わしめ給う。仍ち以って陳し了んぬ。頗る法印の失(あやまち)なるか〔云々〕。 」
「私に云く」の注記と芳源阿闍利の弟子である恵什(斉朝)の説に依れば、智証大師が請来、或いは作画した曼荼羅とは別に清水寺の定深が新作した九佛愛染曼荼羅があったのです。それは「師子の四足に蛇を踏む」という注記と「甚だ異様」なる表現からして、『覚禅鈔』同巻の裏書の中にある図像288が是に相当すると考えられます。本図に関する同鈔の記事は以下の通りです。「
或る伝に云く、其の形は四面にして、面毎に五目あり。所謂く、額に一目、左右の本目、下に各一目なり。首(こうべ)に宝冠を戴き、髪は火焔の如し。身色は白色なるが少しく青色なり。四臂ありて、左の一手に弓を持ちて空に上げ、右の一手に箭を持ちて胸間に当つ。左の一手に彼を取らしめ、右の一手の白蓮花にて彼を打つ勢いなり。四足ありて、左の二足を上に置き、右の二足を下に垂れて蓮花を踏む。白蓮花に坐して、日輪に住す。彼の座の下に四面の師子ありて、四足の下に各の蛇を踏む。其の師子は口より如意宝珠を雨す〔云々〕。 」
この後に図像288が入り、続けて、
右の二像(図像287,288)は智証大師の御請来〔云々〕。但し、八体の菩薩等は(図像288では)之を略す。
と云い、図像288に関して清水寺定深の関与に言及していません。又「或る伝」の説は、(一)に述べた『秘密要術』の文に一致します。即ち大正図像第12巻の別紙37「三面愛染明王曼荼羅」が今の「或る伝」(図像288)の全体画像と考えられます。尤も『阿娑縛抄』では「角の四(尊)は龍に乗る」と云っていますが、別紙37では向かって右上角の尊は龍に乗っていますが、左上角の尊は一部欠けてよく分りませんが獅子に乗っているようです。下角の二尊は欠失して全く確認できません。

(以上)平成26年11月15日