下手な絵で表現してみました(^_^;)
以前勤めていた目白の「あねっちゃ」という秋田料理の店で、元会社の友人と酒を酌み交わしてきた。秋田直送のきりたんぽ鍋も、比内地鶏が入って美味しいですが、この日特別に出していただいた、「鯖」は最高でした。少しシメテありましたが、脂が乗ってトロトロでした・・・・(^o^)
最近は外で呑む機会も減り、酒も弱くなったなぁと感じて来た。これも慣れなのかなぁ・・・
★あねっちゃ
またまたワンコイン(500円)映画で、シェルブールの雨傘を見てきました。
1964年のフランス映画。ジャック・ドゥミ監督。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した作品。すべての台詞にメロディがつけられ(レチタティーヴォ的な部分も含め)、語りが一切無い完全なミュージカルである。
2009年、製作45周年を記念し日本で世界初の“デジタルリマスター版”が特別上映された。この映画は、一回も見ていなかったので、感激でした。オーソドックスなラブストーリーではあるが、何と言ってもジュヌヴィエーヴ・エムリ (Genevi醇Qve Emery) を演じた、カトリーヌ・ドヌーヴが懐かしかった。
【ストーリー】
第一部 旅立ち 1957年11月-
シェルブールでおばのエリーズと暮らす20歳の自動車整備工ギィと、「シェルブール雨傘店」の17歳の娘ジュヌヴィエーヴは恋人同士。「子供は女の子でフランソワーズにしたいわ」「雨傘店は売りましょう」「ガソリンスタンドを買おう」と将来を語る。エムリ夫人は娘が若すぎると結婚に反対している。ギィに召集令状が届き(当時は徴兵制)、2年間の兵役をつとめることになった。アルジェリア戦争の最中であった。その日2人は結ばれた。入営の日ギィは、アパルトマンで病に伏すおばと世話をしているマドレーヌと、シェルブール駅でジュヌヴィエーヴと別れを告げた。
第二部 不在 1958年1月-
傘店の納税のためエムリ親子は宝石を売りに宝石店に行った。居合わせた宝石商ローラン・カサールがその場で購入したが、彼はジュヌヴィエーヴを見初めていたのだ。2月、ジュヌヴィエーヴの妊娠が判明する。ギィは手紙で「男の子でフランソワもいい考えだ」。ジュヌヴィエーヴはギイを待ち続けていたが、手紙は途絶えがちになる。ジュヌヴィエーヴは4月、「お腹の子は私達で育てましょう」というカサールと結婚しパリに移住する。
第三部 帰還 1959年1月-
除隊したギィは、負傷した足を引きずり帰郷した。店は所有者が変わっていた。ジュヌヴィエーヴが他の男と結婚したと聞かされる。復職した修理工場でミスをすると「恩給で暮らす」と辞め、売春婦と寝るようになる。おばエリーズが死去し、マドレーヌと整理をして葬儀を挙げる。出ていこうとするマドレーヌを引き留め、ギィはおばの遺産でガソリンスタンドを購入、マドレーヌと結婚する。時は流れて1963年の雪の夜、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった後、ギィのガソリンスタンドにベンツが入ってきた。運転席にはジュヌヴィエーヴが、助手席には娘のフランソワーズがいた。給油に出てきたギィは運転席の人物に気づき、事務室に招き入れる。短く言葉を交わして互いの無事を確かめ、給油の終わったベンツはスタンドを出ていった。
横浜ベイブリッジ(高さ約56メートル)をくぐれないため前回に続き、貨物専用の大黒ふ頭に。
今年1月に米ニューヨークを出港し、ローマや上海などを経て長崎から横浜に寄港。19日夕にグアムへ向かう。102日間の日程でニューヨークに戻ると言うことらしいです。
ラジオの中継でやっていましたが、団地のビルを3つ位合わせたような大きさで、とてつもない大きさと言っていました。一度乗ってみたいですが、無理だなぁ・・・
ネット上の白ロム販売業者によると、香港で発売されているiPhoneをSim Freeにして売っていますね・・・これを使うといろいろなキャリアのSim Cardが使えるらしいい。日本では、DocomoもOKだそうです。auは駄目らしい。海外に行けば、その国のカードを挿入すれば使用できるらしく、通話・パケット共に安上がりに出来るらしい。
しかしデメリットもあり、日本でSoftBank以外のキャリアのカードを入れても、通話やWebの接続は出来るが、認証事項が必要な所には行けないみたいです。もちろんi-Tunesでの利用も制限されるみたいです。
是非ともDocomoやauでも、iPhoneを扱って欲しいな・・・ 違約金を払っても乗り換えちゃうぞ!!