きままなたぐりぶろ(日記)

ピンときたネタ・イベント(IT、旅行、日常etc)があれば書いていこうと思います。

熊野旅行3日目

2011年08月25日 22時56分59秒 | 旅行
熊野旅行3日目。
今日で新宮・那智ともお別れだ。
まず一つ。8/25の和歌山は全域で雨である。
これから行くところもいわずもがな。すっげぇ雨である。
次に向かうのは・・・串本だ。

picasaアルバム:
201108熊野旅行


(写真 98:~135:)


朝9:22に新宮駅を出発して海岸沿いを走る電車に揺られること1時間ほど、串本に到着した。
しかし・・・雨である。紀伊大島へは行けるだろうが、気持ちよく回れるとは限らない。
着いたのは10:23頃。目的とする紀伊大島へは樫野灯台行きで行く。
前に調べていたのは単なる灯台前行き。危ない危ない。直前まで紀伊大島と本土を間違えていた。
樫野埼灯台と潮岬灯台を華麗に間違えていたのだ。紀伊大島の方のバスはダイヤが少ない。
だが予定していたスケジュールに大きな狂いはない。誤差の範囲だ。
1時間ほど駅で待ち、大雨の中バスに乗り込みいざ紀伊大島へ!

紀伊大島に何があるのか。
それは・・・トルコ記念館だ!!

明治22年、明治天皇の伯父と謁見したトルコの使節たちは9月にトルコへ向けて出港した。
だが日本では9月といえば台風の季節。無事で済むはずがない。
日本側の要人の不安が的中してしまったのか、トルコ軍艦エルトゥールル号は熊野灘は
紀伊大島の樫野埼を少し過ぎたあたりで座礁して真っ二つに割れて転覆してしまったのだ。
今では座礁した場所付近にはトルコ記念館と、トルコ軍艦遭難慰霊碑が立っている。

バスはまっすぐ樫野埼灯台へは向かわず、途中で紀伊大島の北西部、大島港へと向かう。
折り返してようやく樫野埼へと向かうのだ。
途中、自衛隊の基地があったり民家を抜けていく。紀伊大島に入ったときは森だらけで
民家が見当たらなかった。人が済んでいないのかなと思っていたが、それは杞憂だったらしい。

終点、樫野埼灯台に着いた。そこから歩くこと2~3分、トルコ記念館が見えてきた。
さっそく入館。
そこで分かったのはトルコ軍鑑の遭難救助から2010年でちょうど100年だったらしい。
2010年には慰霊碑の前で盛大に記念式典が行われたそうだ。
そして明治当時、エルトゥールル号はエルトグロール号と日本人からは呼ばれていた。
トルコ語のスペルをそのままローマ字読みしたのか?
当時の大島の村長の日記の記述もそのようになっており、なかなか時代を感じさせて
おもしろい。

ところで昭和に入ってから、イラク戦争によって外国人が国外退去しようとして
困っていたとき、日本人も当然、逃げようとしたが日本政府の遅い対応でなかなか
救出できずにいた。そこに現れたのがトルコの航空機だった。
彼らは、エルトゥールル号の借りを返したのだと言葉少なに語ったらしい。
当の日本人はそんなエルトゥールル号のことなどまったく知らなかったので
何のことやらさっぱりだったようだ。
本当はこういう外国を助けたりちゃんとした交流のあることを学校の歴史で学ばせるべき
なんだよなぁ・・・。

トルコ記念館を見終わった跡は慰霊碑を見て、そして樫野埼灯台を見学した。
灯台から見る景色はこれまた絶景。ほぼ全方位見ることができるのでトルコ記念館ともども
行く価値は大有りだろう。

さて、一通り見終わったので帰ろうかと思ったとき、途中のトルコ民芸店が目に留まった。
しかもトルコアイスがあるというのでせっかくだから購入。
ちゃーんとテレビで見るようなパフォーマンスがありました。
ここでワンポイント。店主が差し出すアイスのコーンは無理につかもうとしないこと。
一度手に取っても無理に持っていようとせずに軽く持った感じで店主のパフォーマンスに
任せること。
これらは店主と戯れる上で重要なことだとしっかり学びました。
これらを念頭に置かないと、店主との戯れは気まずい空気で終わりかねない。
戯れながら動画を撮るのは大変だったけど、店主のお兄さんが取っても良いとのことで
しっかり撮って、さらにポーズまで決めてもらった。ありがとうお兄さん!残念。
しかしビザの関係なのか、9月で一旦トルコに帰ってしまうらしい。
旅先での交流、いいねぇ~。

紀伊大島を離れた。串本に戻ってきたのは13:30頃。電車までは1時間ほどあるので
近くのコンビニでおにぎりを買って駅の待合室でちょっと遅いお昼。
本当は近くの食事処に行けば良いのだが、時間を微妙に外しているのと店がようわからない。
観光局のお姉さんから料理萬口という地元の海の幸の料理で有名な店を教えてもらったが
結局諦めてしまった。

ようやく電車に乗って次に向かったのは紀伊田辺。
ここが本日の宿泊場所だ。
これにて今日は終わり・・・


とはいかない。時間にして16:02。ホテルにチェックインしてゆっくりしても16:30。
まだまだ時間はあるということで、紀伊田辺の観光を楽しむことにした。

紀伊田辺はなんと、武蔵坊弁慶の出身地なのだそうなのだ。
駅前の彫像はもちろんのこと、弁慶が産湯に浸かったとされる場所や、
弁慶が腰かけたとされる弁慶の腰掛け岩などゆかりのものが市内に散らばっている。
それらをすべてみても良かったのだが、紀伊田辺に長居をする予定はなかったので
事前に決めていたポイント+αをまわることに。
まず向かったのは歴史民族資料館。
予定にはなかったのだが、地図で見つけたのと、17時10分前というギリギリの時間なので、
時間制限のある場所を先に行っておきたかったからだ。
紀伊田辺では縄文時代にすでに製塩が行われていたらしい。
他ではあまり聞いたことないので結構珍しいよな~。

17時を過ぎて資料館を出たあとは時間制限のない観光タイムだ。
まず向かったのは闘鶏神社。
源平の合戦の際、文字通り鶏を戦わせたことから由来するのだが、新熊野とり合大権現と
呼ばれ熊野三山に関連する神社らしい。
祭神は多岐に渡っており、須佐之男命から始まり、七福神の大黒さま・恵比須さま、
七福神?のイチキシヒメノミコト、さらに神馬を祭っている。
街中に埋もれる形で存在する神社だが、今日は雨。曇り。そんな気候とあいまって
色あせた神社には荘厳な、神々しい雰囲気が漂っている。
有名どころな神社・大社よりも、小さいけど独特な雰囲気の神社の方が好きなのだ。

神社を出ようと向きを変えるとなんと弁慶社なるものが。
弁慶すら祭っているのだ!!

闘鶏神社を後にして海岸へ向けて歩くと見えてくるのは扇が浜だ。
海水浴場もあり、普通に整備された海岸部分もあって色んな人の憩いの場となっている。
ちなみに津波の想定高さの注意書きがあった。どうやら東日本大震災とは別に、
南海大地震を想定しての表記らしい。

扇が浜にそって北西に進むと目的地の一つ、田辺城水門跡に到着した。
かつて城があり、ここが水門の一つとして重要な役目を果たしていたらしいが、
廃城になってあらゆる遺物が取り壊されていった中でここだけが紀伊田辺で残された
城の遺物らしい。きちんとした形として残っている城もいいが、こういう
かつて城だった一部しか残されていない遺跡も大好きだ。むしろこっちのほうが
思いを馳せることができて好きだ。
水門跡のそばには錦水神社があった。

さて、これで紀伊田辺の観光はすべて果たしたことになる。
ホテルへ戻るかこのままどこかで夕飯を食べようと一旦駅まで戻ることにした。

途中でノーマークな神社・お寺を見つけた。
恵美須さまを祭っている戒神社や、海蔵寺というお寺など。
あと八坂神社があった。有名なほうと同名な神社だけどあまり日の目を見ない
完全な地元密着型の社、他にもあるのを知っている。こういうのも好きだ。いいねぇ~。
あと田辺銀座なる通りを見つけた。そういえば彦根にも銀座ってあったな・・・。

駅までいろいろ食事処を見たが多いのは地魚や梅を使った料理の店だ。
魚は・・・すみませんガキなので苦手なんです梅に逃げさせてくださいということで
梅うどんなるものを駅から2~3分離れた手打ちうどん屋で食す。
もちろんビールもつけた。今日のはまた格別だった。

さて、旅行も明日で終わり。
明日は紀伊田辺を出てさらに北上し和歌山を目指す。今回の旅の観光としての最終目的地だ。
本当ならもっと時間を取ってメインで和歌山を旅するべきなのだが・・・。
これで和歌山を横断することになる。

今日の歩数:15821歩
消費カロリー:414kcal

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