町の不動産屋さん日誌

まちづくりを考えて、日々思いつくままに~忘れないように~

HONDAイズム

2017-06-09 07:16:47 | 日記

 正直言えば今の私がそんなに好き!という程ではないのですが
 (友人には結構いるのですが・・・ホンダオンリーが)

 60年代から70年代は特に HONDA SONY は身近な存在で
 (補足するとデザインを含めて)若い世代が惹きつけられたものがあったと思うのです。

 フェアレディZやスカイライン、セリカや117クーペは高級車(!?)憧れ。
 (現在からは分かりにくいかもしれませんが)

 日本のみならずアメリカで人気を博したこともホンダとソニーの共通点。
 ビーチボーイズ(サーフィンUSA等のヒットで有名な)のナンバーで
 〟リトルホンダ〟なんて曲があったり

 そんなホンダが四輪車でポジションをつくったのはやはりこのクルマだと言って良いと思います
 
  1966年第13回東京モーターショーで発表され発売は翌年77年3月。
 S(800cc2シータースポーツカー)T500(トラック)の製造販売を行っていたが初めての量産乗用車。
 
 改めて思うと二人乗りのスポーツカーとトラックしか作ってなかったメーカー!
 (二輪では国内トップとしても)
 この車に対する期待は大きかったと想像できます。
 車名は 〟N〝 
 当時の社長本田宗一郎がミニマム・トランスポーテーショントして普及を目指し「乗り物(Norimono)」の頭一字をネーミングにしたと言われています。
 またこのネーミングのモデルが復活してcmでこの言葉が使われています。
 (私はずっと NEW の頭一字かと思っていたのですが・・)

 今回の参加は
 

 HONDAのイズムに明日と明後日の2日間少しでも触れて頂けると企画した者として嬉しいです。

 さて今夜は トークセッション です。
 時代は昭和30年代の後半(1960年代)市販車ではフェラーリでも高回転型エンジンなど(DOHC)無かった時代に
 1万回転以上を回したS500、600、800のエンジン。
 そのクランクシャフト(このエンジンを語る時に言われる二ドルローラーベアリング)の現物も持ち込みしまして
 
 当時の加工の技術のことや
 古い車を愛するひとには厳しいものは入手が厳しくなる部品状況。
 流用で乗り切ることができたら 等を語れたら!と
 
 今夜から参加して頂ける K氏の T−360 もあります。
 
 では会場でお会いできたら。
 会場は 三条市元町11番63 ステージえんがわ  ( 北三条駅の付近 )
 http://sanjoy-machinaka.jp/engawa/institution/ 
 





 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。