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韓国問題-現代 第三部「嘘も百回言えば真実となる」3-5 竹島問題 ~ 「日韓友好」に隠された欺瞞

2013-12-29 11:42:51 | 政治
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韓国問題-現代 第三部「嘘も百回言えば真実となる」
3-5 竹島問題 ~ 「日韓友好」に隠された欺瞞

「竹島問題を国際司法裁判所に提訴しよう」という日本政府の提案を拒否する韓国のお家の事情。

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■1.「竹島? だれその人?」■
 
先日、韓国の釜山空港のロビーで出発便を待っていた時のことである。ロビー内の観光案内所に、無料の観光地図が置いてあるのを見つけ、一部貰った。

 地図には日本海の所に「東海」と書いてある。「やはりな」と思った。韓国は歴史的に「東海」が正しい名前だと主張しており、国際的に認めさせようと画策しているのである[a]。

 その「東海」の中に、小さな鬱陵島と完全に点でしかない「独島」が描かれている。独島の日本名は「竹島」と言い、日韓で50年以上も領有権を争っている。観光客が行くはずのない「独島」を、観光地図にまで描いているところに韓国側の「竹島問題」に対する執念を感じる。

 最近、島根県が「竹島の日」を定めたところ、韓国で「妄言だ」と抗議のデモ騒ぎが起こったり、姉妹都市交流をキャンセルする市町村が続出して、日本国内でも改めて「竹島問題」がクローズアップされた。韓国政府はこれを「第二の侵略」と呼び、対馬を韓国領として「対馬の日」を設けようとする自治体まで現れたりと、いつもながら喧(かまびす)しい。

 日本のある人気タレントが釜山で公演を行った時、韓国人のファンが恐る恐る「竹島問題」について尋ねたら、「竹島? だれその人?」と答えて、会場を唖然とさせたという。しかし、このタレントが無知だとは責められない。「竹島問題」など最近の騒ぎで初めて知ったというのが、平均的な日本人であろう。

 一方、韓国では中学用の歴史教科書で「日本は日露戦争中に独島を不法に奪った」と教え、この問題が「慰安婦問題」とともに「日本の侵略的帝国主義」を教える恰好のテーマとなっている。だから、このタレントが「独島問題」を知らなかった事で、会場が唖然としたのも当然なのだ。

 竹島問題にいきり立つ韓国人と無関心な日本人。日韓の深い溝がここにもある。


■2.鬱陵島の拝領を許した徳川幕府■
 
竹島は島根県の北北東220キロ、朝鮮半島の東岸から東方215キロの日本海中の絶海の孤島である。西島、東島の二つの島と数十の岩礁からなり、総面積は0.23平方キロ、日比谷公園ほどの広さである。2島とも山頂がそそり立って海上に姿を現したような形で、平地はほとんどない。飲料水の確保も困難で、古来から人の定住を阻んできた。付近はアワビ、サザエ、ベニズワイガニなど海産物の宝庫である。

 江戸時代初期の元和4(1618)年、伯耆国(鳥取県)の大谷・村川両家が幕府から竹島(現在の鬱陵島)を拝領し、アワビ、アシカ等の漁猟や木竹の伐採などを始めた。そして鬱陵島へ渡る途中の寄港地として松島(現在の竹島)を利用した。

 出雲藩から派遣された隠岐島の郡司・斎藤豊仙が1667年に著した『隠州視聴合記』には、この竹島・松島を我が国の北西限の地として、次のように記している。

__________
(1) 隠州(隠岐の島)は北海の中にあり。(中略)
(2) 戍亥(北西)の間、行くこと二日一夜にして松島(現在の竹島)あり、また一日の程にして竹島(現在の鬱陵島)あり。(中略)この二島、無人の地。高麗(朝鮮)を見ること雲州(出雲)より隠州(隠岐)を望むがごとし。
(3) 然らば則ち、日本の乾(北西)の地、この州を以て限りと為す。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「鬱陵島から朝鮮を望むのは、出雲から隠岐の島を望むようだ」として、この州(島)すなわち鬱陵島を日本の北西限としている。韓国の研究者の中には、(2)の部分を削除し、(3)の「この州」を(1)の「隠州」として、「隠岐島が日本の北西限」と解釈する者がいるが、それは牽強付会の説である。

 米子の大谷・村川両家は鳥取藩から「往来手形」を発給され、著者の斎藤豊仙が駐在する隠岐島の出雲藩番所に立ち寄ってから、鬱陵島に出漁していた。

 幕府が大谷・村川両家に鬱陵島の拝領を許したのも、また出雲藩郡司が「往来手形」で出漁を許したのも、竹島を含め鬱陵島までは日本領である、との認識があったからである。


■3.江戸幕府と李氏朝鮮の領有権争い■
 

実は鬱陵島には古くから人が住んでいたのだが、李朝朝鮮の太宗17(1417)年、近傍の「于山島(うさんとう)」(現在、「竹嶼」と呼ばれている)から住民86名を朝鮮本土に移住させ、以後、渡航を禁じて空島政策をとった。過去に鬱陵島の島民が和冦を粧って対岸の本土を襲ったことがあったからである。

 その時以来、無人の島であった鬱陵島を、2百年ほどして大谷・村川両家が拝領し、今日の言葉で言えば「実効支配」した事になる。

 それから80年ほどして、朝鮮の漁民が大挙して鬱陵島に渡り、アワビやワカメ採りを始めると、鬱陵島に関する領土問題が起きた。元禄6(1693)年4月、大谷家の二百石船が鬱陵島で漁猟をしていた韓人2名を、幕府の裁定を仰ぐために連れ帰ったのである。

 幕府は朝鮮との外交を担当していた対馬藩に交渉させたが決着がつかず、「無用の小島を争って、隣国朝鮮との好を失うのは得策でない」との判断から、鬱陵島への渡海を禁じた。


■4.大韓帝国は竹島を領土地図に描いていなかった■
 
明治9(1876)年、日朝修好条規が結ばれると、日本漁民による朝鮮近海での漁業が活発になった。農林水産資源の宝庫だった鬱陵島にも、島根県や鳥取県の人びとが移り住み、商業や農漁業に従事するようになった。

 朝鮮政府は江戸幕府の渡海禁止措置を引き合いに出して抗議し、明治政府もこれを受け入れて、鬱陵島への渡海を改めて禁じ、日本人住人254名を連れ戻した。

 朝鮮の高宗は翌年、鬱陵島近辺の地理と産物の詳細な現地調査を命じた。その報告書が『鬱陵島検察使日記』や『鬱陵島外図』として提出されたが、それには今日の竹島は記述されていない。鬱陵島の最高峰から四方を眺めたが、「一点の島嶼」も見えなかった、と報告している。

 1898年に製作された『大韓與地図』にも、また1899年に大韓帝国の学部編集局が製作した『大韓全図』にも、描かれているのは鬱陵島までで、竹島はない。

 日韓の歴史的な領有権争いはあくまで鬱陵島に関するもので、それよりもはるかに日本に近い竹島については、問題にもされていなかったのである。


■5.「他国ニ於イテ之ヲ占領シタリシト認ムベキ形跡ナク」■
 
1900年、大韓帝国政府は「勅令四十一号」を発布し、鬱島郡の行政地域を「鬱陵島全島と竹島、石島」と定めた。今日の竹島を当時は日朝ともにリャンコ島と呼んでおり、この「竹島」は鬱陵島近傍の「竹嶼」と考えられる。

 「石島」とはどこの島か分かっていない。これを韓国政府は独島(現在の竹島)としているが、その根拠は「石」(ソク)の音が「独」(トク)と似ているからだそうだ。素人にも疑わしい薄弱な根拠であり、しかも竹島が韓国で「独島」と呼ばれるようになったのは1904年以降である。

 1903年、隠岐島の中井養三郎が、当時リャンコ島と呼ばれていた竹島でアシカ猟を始めた。そしてリャンコ島の領土編入願いを内務、外務、農商務省に提出した。

 これを受けて、明治政府は閣議で「他国ニ於イテ之ヲ占領シタリシト認ムベキ形跡ナク」として、リャンコ島を竹島と命名し、明治38(1905)年2月22日、竹島を島根県に編入した。


■6.「安龍福将軍の活躍」■
 

韓国政府は、歴史的な文献をいろいろ持ち出しては、竹島が朝鮮の固有の領土だったと主張している。たとえば、必ずと言ってよいほど引き合いに出されるのが18世紀後半の『東国文献備考』の「鬱陵、于山、皆于山の地。于山は則ち倭の所謂(いわゆる)松島なり」という一節である。

「倭のいわゆる松島」、すなわち現在の竹島は于山島であり、それは昔から朝鮮領土だった「于山の地」に属するとの解釈だが、しかし、この于山島とは前述の鬱陵島の近傍の「竹嶼」であることが、他の韓国の文献や地図にも出てくる。

 なぜ、これが「倭のいわゆる松島」と言われたのか。実は元禄6(1693)年4月に連れ去られた韓人の一人、安龍福が絡んでいる。安龍福は朝鮮に戻されてから、禁じられていた鬱陵島渡海の罪を逃れようと、対馬藩主に鬱陵島と于山島を朝鮮領として認めさせたという、でっち上げの証言をする。

 その中で安龍福は、鬱陵島で漁をしていた「倭人ども」が松島から来たというので、「松島は于山島だ。これも我が朝鮮の地だ」と言い、さらに松島、すなわち于山島に出向いて「倭人たち」を追い出したという証言をしている。実際には安龍福は日本に連行されただけで、于山島にも松島(現在の竹島)にも行っていない事が日本側の記録で明らかになっている。

 このほら吹き漁師の言葉が朝鮮の史書に残され、竹島が于山島で古来からの朝鮮の領土だったという「歴史的証拠」とされたのである。いまや鬱陵島では「安龍福将軍」として記念碑が建てられ、記念館では「将軍」が日本人を追い払う姿がジオラマで展示されている、という。


■7.サンフランシスコ条約で「独島、対馬島、波浪島」を要求■
 
敗戦後、1951(昭和26)年9月4日に締結されたサンフランシスコ講和条約では、第二条【領土権の放棄】(a)項に以下の文言があった。
__________
 日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この条項の最初の草案では、日本から除外される地域として「斉州島、竹島、欝陵島」とされていたのだが、日本側の要請を受けたシーボルト駐日政治顧問が米国務省に対し、「竹島はもともと日本の領土だった」と提言したことから、書き換えられたのだった。

 これを知った韓国政府は、米国に対して「独島、対馬島、波浪島」を朝鮮領に含めるよう求めた。波浪島とは、「朝鮮半島の木浦、日本の長崎、中国の上海を結んだ三角形の中間地点にある島」ということだったが、その後、韓国政府の努力に関わらず、遂に発見することのできない「幻の島」であった。韓国は竹島のみならず、古来から日本人の住む対馬と、さらには存在しない「波浪島」まで要求したのである。

 韓国政府の要望は当然ながら拒否され、こうしてサンフランシスコ講和条約で、竹島は日本の古来からの領土と認められた。


■8.人質にされた日本漁船員2731名■
 

1952年1月、韓国の李承晩大統領は突如「李承晩ライン」を宣言し、竹島を自国領に含めた。国交正常化のための第一次日韓会談の一ヶ月前のことであった。当然、日本政府は抗議し、アメリカ、イギリス、中華民国からもその違法性が指摘された。日韓交渉では、在韓日本資産の請求権をめぐって隔たりが大きく、進展のないまま終了した。

 翌1953年1月、第二次交渉開催が合意された直後に、李承晩大統領はライン内に出漁した日本漁船の拿捕を命じ、2月4日には日本の第一大邦丸が拿捕され、漁労長が射殺されるという事件が起こった。

 日本側は竹島に「島根県穏地郡五箇村竹島」の標識を建てたが、韓国政府は「独島は日本による韓国侵略の最初の犠牲の地」として、「日本が独島を奪おうとするのは、韓国を再侵略することを意味する」との声明を発表した。以降、日本側の領有権主張は、すべて「日本侵略主義」を指弾する恰好の標的となった。

 韓国による日本漁船拿捕はその後も続き、合計233隻が拿捕され、抑留された漁船員2731名、死亡5名に及んだ。日本はこれらの漁船員を人質に取られたまま、日韓交渉を続けなければならなくなったのである。

 1954年6月11日、韓国政府は竹島に海岸警備隊を派遣し、8月10日に無人灯台に点火、9月15日には竹島を描いた切手を発行し、実効支配を着々とすすめた。

 9月25日、日本政府は竹島問題を打開するために、国際司法裁判所への提訴を韓国政府に提議したが、領土問題は存在しないと韓国政府は拒否した。当事国の両方が同意しないと国際司法裁判所は審理できない。昭和37(1962)年の衆院外務委員会で「国際司法裁判所で敗訴したらどうするか」との質問に、当時の小坂善太郎外相は「結果に従う」と堂々と答えている。

 国際法に照らせば竹島は明らかに日本領であると、韓国政府も知っているのだろう。だから国際司法裁判所への提訴を拒否しているのである。


■9.欺瞞からは真の友好は生まれない■
 

平成16年、元東京学芸大学助教授の殿岡昭郎氏らが「竹島切手」発行の申請を郵政公社に行ったところ、「外交上問題がある」と拒否された。また島根県が「竹島の日」を制定しようとしたら、外務省は島根県と県議会にあて、韓国内で起きた抗議活動などを列挙した文書を送付した。条例を制定させまいとする圧力であろう。こうした動きが、日本政府の事なかれ主義の姿勢をそのまま示している。

 朝日新聞などは例によって、対立を「ことさらあおり立てて、どれだけの得になるのか」と島根県の動きを批判している。このように政府や一部のマスコミは、「日韓友好」を振りかざして、国益を棚上げしている。

 逆に韓国政府は、日本が領土権を主張する事自体を「妄言」として話し合いすら拒否し、「第二の侵略」などと言い立てる。まさに国益を振りかざして「日韓友好」への配慮などはおくびにも出さない。

 まさにごり押しと泣き寝入りの関係であって、これを日韓友好というのは欺瞞である。こういう欺瞞からは真の友好は生まれない、というのが世間の常識ではないか。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(261) 韓国製トンデモ日本史
 日本は百済の残党が土着原住民を制圧して作った国?!
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog261.html
b. JOG(265) 「反日」ナショナリズムという病~ "日韓"関係の正常化に向けて
 韓国の「反日」ナショナリズムを分析すれば、日韓関係がうまく行かない理由が見えてくる。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog265.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 下條正男『竹島は日韓どちらのものか』★★、文春新書、H16
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166603779/japanontheg01-22%22
2. 濱口和久『守ろう竹島! 日本の領土』★★★、インテリジェンス、H17
http://www.hamaguchi.ne.jp/book/20050119.html
3. 島根県ホームページ、「かえれ! 竹島」
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/takesima/