禁制!)北花園さな競馬ブログ

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(読書)実践理性批判/カント

2019-07-05 19:08:09 | 読書
図書館で、

:実践理性批判(カント)

と言う本を借りて来る・・・。
所謂、一般には’哲学書’として扱われているだろうこの本は、まあ高校くらいの歴史系などの本の中に出て来るくらいのまあ結構な著名な人物、これであるが、いや中を覗いてみると、これが一読かなりの堅物が書く一冊の本であると直ぐにわかる。いや、名くらいは知っていてちょ~う固い系の本ながら、一辺(アホすぎると逆に興味を持つのか)読んでみようと思ったわけである。それで、直ぐに帰り、お家でページを捲って読み進めて見ると、こうカント君は(自ら)申しているのである。本のタイトル通り、’実践理性批判’と言うのが、実はカント君が持つ自らの’理性’これを否定したいが為に言う本である。それは、(僕にはレベルが低すぎて逆に分かりにくく!)カント君が、実に内面に持っている心の奥底の闇、実はこのカント君は、自分と同じような(他者)青年へのお喋り(付き合い)これを実は、したい。カント君は、本の中で言葉、

:思弁

と言う言葉を何度も使っているように、自らの考えを他者に伝えるべく他者と意見を述べ合いたい(青年の主張、及び他者付き合いがしたいのだ!)これが、心の奥底にある!実は、カント君は、本のタイトル通り自分の’理性’と言う心の闇(バリア)を持っていて、実はカント君は、これが自らが抱える問題として持ち、これがこの本の正に言いたい言葉、なんとかして’自らを解放したい!(他者付き合いが下手な自分のシャイな気持ちを克服、もっと自分を解放したい’こう思っているわけだ!

カント君は、自らの問題を提起する如く、

:神、不死、自由

この3つの言葉を掲げる。カント君は、この3つの言葉を認めることが実はなかなか出来ないわけである。実は、簡単に書くが、日本人ではないドイツ人のカント君が抱えている問題とは、内向的な自分と言う存在を(他者付き合いの為)もっと開放し、もっと自由に自分と言うものを曝け出して生きていきたい、こう思っているわけだ!

いやいや、日本ではない外国人がよく持つ自分の問題で有名な’自分の解放’と言う問題テーマに、カント君も出でどう克服しようか悩むわけだ。いや、僕的な感想を持てば外国人は日本人より、内向的で自分をなかなか解放できず、うじうじ悩んでいるものが多い。

カント君は、この自らを曝け出そうとするとき、自らを立ち塞いでしまう’理性’が嫌で克服しようとしている。カント君は、自由と言う言葉に憧れがあるようだ!自由と言う言葉が、カント君に引っ掛かっているとすれば、カント君は、実は他者に対しいつもびくびく臆しているのはこう懲り懲りで、何とかもっと他者とお喋りが出来ないか、願うのである。(自分を不自由にしているカント君の心の裏側が必ずある)

いやいや、自分と言うのはある。他者と比べるわけではないが、実は自分と言うものを認めるこれが難しい人物ってのは世の中にいて、カント君も実はそれだ!
いや、解決方法は自ら考えるのである。勇気を振り絞り、自らを’解放’すべく、一歩前へ進ますしかないだろうが、いやはや、ちょ~う堅物に見えるカント君は、僕から言わせると
:お馬鹿に塗る薬はないのでは?
と、言われるだろうが、みなは’努力で克服!’と、こう言い張るだろう。

では、一端、哲学者カント君が、自らの心の内を吐露する告白書’実践理性批判’のちょっとだけ読んだ感想(中の核心だ!)はこれくらい!


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