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小室さんの解決金 眞子さまが「私が払う」と持ちかけた可能性も

2021-05-30 11:00:00 | 日記

下記の記事はNEWSポストセブンからの借用(コピー〉です

4月8日に公表した28枚に及ぶ文書で、母・佳代さんと元婚約者Aさんとの金銭トラブルについて釈明した小室圭さん。この文書について、秋篠宮家の最側近である皇嗣職大夫が会見で、「眞子さまのご意向が大きかった」と語り、波紋を呼んでいる。
「宮内庁が『眞子さまのご意向』を明らかにした時点で、眞子さまの“介入”を隠す気がないことは明白です。問題が解決するまで、眞子さまはさらに積極的にかかわられていくことになる」(宮内庁関係者)
 文書では「返済の義務はない」という主張を繰り返した小室さんだが、その後、一転して解決金を払い、事態の解決へ前進したいとの意志を表明した。
 ここで大きな焦点になるのが、「解決金はどこから出るのか」ということだ。佳代さんは婚約時、「当面の生活費を借りたい」「とりあえず10万円程お願いしたい」といった“ヘルプメール”を事あるごとにAさんに送っていた。婚約解消の1年後にはAさんに「仕事がいつクビになってもおかしくない」「女が1人で生きていくのは大変」と自らの困窮具合を語っていたという。
 小室さんに至ってはまだ学生の身。学費は奨学金で賄い、生活費は以前、日本で勤務していた法律事務所に借りているという。小室家にはとても、解決金を支払える充分な経済力があるとはいえない。
「解決金の出どころとしてまず考えられるのは、前勤務先の法律事務所でしょう。生活費以外にまとまったお金を借りて解決金としてAさんに渡した後に、結婚時に税金から眞子さまに支払われる約1億4000万円の一時金から返済する算段ではないでしょうか。秋篠宮ご夫妻が手を貸されることは考えられません」(皇室ジャーナリスト)
 一方で、こんな声もある。
「眞子さまならどうでしょう。秋篠宮家としてではなく、眞子さま個人として援助をされる可能性は充分に考えられる。解決金という手段を眞子さまが提案されたという見方があり、だとするならば眞子さまが責任をもって支払われようとする可能性もあります。“私が払うから”と小室家に持ちかけられたのかもしれません」(皇室関係者)
 宮内庁の予算の中で、皇族としての品位保持に充てるためのお金を「皇族費」と呼ぶ。皇室の公的活動経費である「宮廷費」とは異なり、各皇族の「プライベートな御手元金」だ。眞子さまのような、「独立の生計を営まない成人した内親王」には、年間915万円の皇族費が支給される。しかも非課税だ。眞子さまは10月に30才となられるため、成人されてからの10年間だけでも、支給総額は1億円に迫る。
「皇族方の倹約精神は広く知られるところですから、小室家を援助されるだけの蓄えは充分すぎるほどあるでしょう。眞子さまが小室さんを助けたい一心で『自分が解決金を払う』と決断されたら、止められる人はいるのでしょうか」(前出・皇室関係者)
小室家の借金が税で賄われる
 かつて佳代さんは金銭トラブルの解決のため、秋篠宮ご夫妻にも“ヘルプ”を求めたことがあったという。
「金銭トラブルが報じられた直後、佳代さんは秋篠宮邸を何度か訪れる中で、ご夫妻に“騒動を収めるために皇室でお金をサポートしてもらえないか”と発言したと聞きます。紀子さまはあ然とされたといいます。もちろん、ご夫妻がお許しになるはずがありませんから、きっぱりと断られたそうです」(皇室記者)
 しかし、ここに来て眞子さまが解決金を“肩代わり”される可能性が浮上した。
「元を辿れば、ここまで小室家の金銭トラブルへの批判が大きくなったのも、その解決に税金が使われることへの忌避感を持つ人が多いからでした。ですが、眞子さまが御手元金から解決金を出されるようなことがあれば、それは結局、税金で小室家の借金が賄われることになります。
 眞子さまとしては、ご結婚は“プライベート”なことで、解決金の出どころについて国民への説明は必要ないとお考えなのかもしれません。しかし、説明がなければあらぬ憶測を呼ぶ。充分な説明をするのが最善なのではないでしょうか」(前出・皇室関係者)
 そんな中でAさんが発表した文書で《現在、佳代さんは体調が悪く、長期間の入院中と伺っております》と明かした、佳代さんの「長期入院」。しかし、本誌・女性セブンは5月3日の夕暮れ時、神奈川・横浜市内の自宅マンション近辺でベージュのロングワンピースに同系色の女優帽を合わせ、グレーのカーディガンを肩がけした佳代さんの姿をキャッチしている。
「4月には仕事にも出ていて、このGWに自宅にいるという時点で、長期の入院ということはないでしょう。誰に相談して佳代さんはこのようなことをAさんに告げたのか。どちらにせよ自分の借金問題を眞子さまに丸投げしているようにしかみえません」(前出・皇室ジャーナリスト)
 金銭トラブルの解決になぜ眞子さまが対峙しなければならないのか。どこまで進んでも違和感は拭えない。


「プライドを手放せない人」が年々つらくなる必然

2021-05-30 08:30:00 | 日記

下記は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

人生100年時代を幸せに生きるには、「プラス思考で生きるための転換力」が重要なようです。浄土真宗本願寺派 超勝寺の住職、大來尚さんによる連載「人生100年時代を幸せに生きる明日への一歩」。エンターテイメントコンテンツのポータルサイト「アルファポリス」とのコラボにより一部をお届けします。
弱みの見せ方がわからない
本当はつらい、しんどい、泣きたい、誰かに頼りたいという思いがある。しかし、それを過去の経緯やプライドからか、素直に他人に伝えたり、相談することができず、人前では毅然とした態度をとっていたり、何気ない顔をして誤魔化していたりする傍ら、陰で人知れず苦しんでいる方も多いのではないでしょうか。
アルファポリスビジネス(運営:アルファポリス)の提供記事です
例えば、少し前のことですが、私のところに相談にやって来た方の1人は、生理現象に関するお悩みを打ち明けられました。その方は、足腰の老化が進み、夜中に1人ではトイレに行けず、家族からはオムツを履くことを進められているけれども、どうしてもそれはできないと仰っていました。
これまで家族の大黒柱として胸を張り、強く生きてきた自分が、家族に格好悪いところを見せることはできない。しかし、それで家族に迷惑をかけていることは事実であり、いたたまれない気持ちでつらいというお悩みでした。
本当は頼りたいけれども、今さら頼れない。人に甘えることができれば、弱い自分をさらけ出すことができたらどんなに楽でしょう。
しかし、それができないというような心情は、誰もが大なり小なり一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
このような複雑な気持ちを和らげるのに役立つ考え方を紹介したいと思います。
難しく考えない
まず、明確にしておくべきことが1つあります。それは、自分にとっての「弱みとは何か」ということです。
人にはそれぞれ「弱み」があるものです。それはきっと、人には知られたくない素顔、性格、事実、過去だったり、おそらく無数にあることでしょう。
しかし、それらの「弱み」を作りだしている根本的なものの正体とは、一体何なのでしょうか。
「弱み」という名の「プライド」
それは、今の自分を守りたい、かわいく思いたいという「プライド」なのではないでしょうか。こうなると、話は簡単です。この「プライド」を捨てるなり、手放すなりすればよいということになります。
しかし、それができたら誰も苦労しないはずです。
大事なのは、ここからの「プライド」の受け止め方です。
私は、「プライド」は大事だと思います。それがあるからこそ「生きる」ための活力が生まれるからです。
一般的には「プライド」は否定的に捉えられることが多いと思いますが、長年にわたり蓄積されてきた「プライド」に関していえば、守るべきものだと私は思います。
そのうえで受け止めるべき事実もあります。それは、すでに自分の「弱み」という名の「プライド」は家族や近い関係にある方々には周知のことだということです。
自分では必死に隠してきたつもりでも、とうの昔にバレており、実はもう今さら隠しようがないのです。
これは換言すれば、「弱み」をひっくるめた存在として、その人が認められていることになります。このことを事実として受け止めると、少し気持ちが楽にあるではないでしょうか。
肩に力を入れて、無理に「弱み」を見せまいとしたり、変に周囲に気を遣わなくてもいいのです。大前提として、今の自分のままで安心していいのです。
しかし、「本当に?」と懐疑的になることもあるかもしれません。そんな気持ちに寄り添うお釈迦様の言葉があるのでご紹介します。
「避(さ)くべきを避くべしと知り、避くべからざるを避くべからずと知る。このように正しい見方のできる者は、幸せの道を歩むなり」(『法句経』319)
この言葉から学ぶべきことは、普通は避けたいと思ってしまう自分の「弱み」を「弱み」としてきちんと認めることが大切であり、それが人を幸せに導いてくれるということです。
人によっては、「弱み」を認めることができない方もおられます。そのような方は、執拗な頑固さや意地によって、余計に苦しみが増大していると思います。
「プライド」を手放すように心がけて生活する
しかし、この後が大切です。それは「弱み」という名の「プライド」を少しでも手放すことのできるものがあるならば、手放すように心がけて生活することです。
おそらく、人によっては「プライド」を本当にすべて手放さなければならないときが来るかもしれません。
例えば、オムツの話に戻りますが、まったく歩けなくなったり、排泄などの生理現象の感覚がわからなくなってしまうなど、どうしようもなくなるときも必ずあるはずです。
しかし、そんなときが来るまでは、絶対に譲れない「プライド」は大切にすべきだと思います。
最後に私の好きな言葉を紹介します。
「渋柿の渋みがそのまま甘みかな」
人間には、「弱み」があってよいのではないでしょうか。むしろ、それこそ人間味があって安心されるものだと思います。「弱み」もなければ、自分も自分ではないんだと思って、気持ちを楽にして生活してみてください。 
アルファポリスビジネス編集部


「コロナで瀕死の母のため、父子が肺を差し出す」この事例を美談にしてはいけない

2021-05-29 15:30:00 | 日記

下記はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

新型コロナ患者への「生体肺移植」は世界初
京都大学医学部附属病院(京都市)が4月8日、新型コロナに感染した女性患者に生体肺移植の手術を施した、と発表した。京大病院によると、新型コロナ感染で肺の機能を失った患者への生体肺移植は世界初だ。記者会見で執刀医は「重篤な肺障害を起こした患者にとって生体肺移植は希望のある治療法だ」と語った。
新型コロナウイルス感染で肺障害を負った女性に対する生体肺移植の手術=2021年4月7日、京都市左京区の京都大医学部付属病院[同病院提供]
健康な人の肺の一部を患者に移植する生体肺移植は究極の選択である。生体からの移植はドナー(臓器提供者)の健康な体を傷付ける。摘出後にドナーの肺は元通りにはならず、肺活量は2割も低下する。京大病院の生体肺移植ではドナーとなった夫と子供に、今後も大きな負担が残る。
望ましい移植は、脳死した人をドナーとする脳死移植だ。新型コロナ患者に対する肺移植は、欧米や中国でも実施されているが、すべて脳死移植である。どうして日本では脳死移植ができないのか。
後遺症で左右の肺が硬く小さくなって機能しなくなった
病院から「命を助けるには肺移植しかない」と告げられ…
女性患者は昨年12月に新型コロナに感染し、呼吸の機能が低下した。関西地区の病院に入院し、ECMO(エクモ、体外式膜型人工肺)を使った治療が施された。この治療でいったんは回復したものの、その後、再び肺の状態が悪化。さらにPCR検査では陰性となったものの、後遺症で左右両方の肺が硬く小さくなってほとんど機能しなくなった。
病院側が女性患者の夫に「命を助けるには肺移植しかない」と告げると、ドナーとなって肺を提供するとの申し出があり、京大病院で夫の左肺の一部と息子の右肺の一部をそれぞれ女性患者に移植することが決まった。女性は肺以外の臓器には障害はなく、意識もはっきりしていた。
4月5日に女性を京大病院に運び、7日に生体肺移植の手術を行った。手術は11時間かかったが、無事終了した。
これまでにも生体肺移植の過酷さは指摘されてきた。
たとえば、岡山大病院(岡山市)は、2013年7月1日、3歳の男児に母親から摘出した左肺の一部(中葉)の移植をしている。手術は成功し、記者会見で執刀医は「生体での中葉移植の成功は世界初で、男児は国内最年少の肺移植患者だ」と胸を張った。
しかし、男児は成長すると、移植された肺の容量が不足する。このため脳死ドナーが現れるのを待つか、父親の肺の一部を移植しなければならない。男児は肺移植を2度も受けなければならず、しかも母親の次は父親から肺を譲り受ける必要も出てくる。
岡山大病院は世界初の「ハイブリッド肺移植」を実施済み
岡山大病院は2015年4月4日には、当時59歳の男性患者の左右両方の肺移植で、世界初の「ハイブリッド移植」に成功した、と発表している。これは、脳死したドナーと健康な生体ドナーの双方から肺の提供を受ける移植手術だ。
男性患者は肺が硬くなり縮んで機能しなくなる特発性間質性肺炎を患っていた。岡山大病院は、脳死ドナーから提供された左肺だけでは十分に呼吸できないと判断し、男性患者の息子の右肺下部も移植した。
岡山大病院は2016年7月17日にも、世界2例目のハイブリッド肺移植に成功した、と発表している。患者は特発性間質性肺炎と診断された60歳代の男性だった。右肺は脳死ドナーから移植し、男性患者の息子が左肺の一部を提供した。
この生体移植と脳死移植を組み合わせたハイブリッド肺移植は、昨年、京大病院でも行われている。
「脳死ドナー」は欧米では年1万人、日本では年75人
ここで考えてみよう。生体肺移植でもあるハイブリッド肺移植では、健康な人をドナーにしてその人の胸を切り開いて肺の一部を摘出し、患者に移植する。肺の一部を摘出されることでドナーのその後の健康に問題が生じないとは言い切れない。新型コロナの感染で重症化する危険性もある。そもそも生体移植手術は、やむを得ない緊急避難の措置なのである。
1997年10月に臓器移植法が施行されるまで、脳死者をドナーとすることができず、健康な人から肝臓の一部や片方の腎臓の提供を受ける生体移植が盛んに行われてきたが、法的に脳死移植が認められるようになっても緊急避難であるはずの生体移植が日常的に行われている。
なぜだろうか。年間1万人近い脳死ドナーの出る欧米と違い、日本は脳死ドナーが少ないからだ。日本臓器移植ネットワークによると、昨年までの5年間の脳死ドナーの数は年平均75人にすぎない。今年は新型コロナの感染拡大の影響でさらに少なくなりそうだ。この少ない脳死ドナーに対し、移植を希望して移植ネットに登録している患者(今年4月30日現在)は心臓916人、肺484人、肝臓327人、腎臓13128人と多く、登録しても移植の順番はなかなか回って来ない。
生体移植の苛酷さを自覚し、生体ドナーを少しでも減らし、脳死ドナーを増やしていく必要がある。
「地域に根ざす診療所が、より多くの役割を担う」と朝日社説
この連載では全国紙の社説を読み比べているが、前述した京大病院のコロナ患者の生体肺移植を直接取り上げた社説はなかった。ただ、どの社説も病床の逼迫ひっぱくを回避し、医療態勢を強化することを呼びかけている。肺移植を受けなければならないほど重篤化する前に適切な治療を施せる態勢を整えておくことが大切だ。
5月11日付の朝日新聞の社説は「施設での感染 診療所の役割をさらに」との見出しを付けてこう書き出す。
「根本にあるのは、入院すべき患者が入院できないほどの病床の逼迫である。地域を支える診療所をはじめ、医療機関と自治体、国が協力して検査・診療態勢を強化し、病床を少しでも増やす具体策を急ぐべきだ」
感染力が強いといわれるN501Y変異ウイルスが感染の主流を占めてきた。感染者が増えれば、重症患者も増える。だからこそ、病床の確保が求められるのだ。
日本医師会の会長はこっそり「政治資金パーティー」に参加
朝日社説は「期待したいのは、規模は小さくても地域に根ざす診療所が、より多くの役割を担うことだ」と指摘し、「往診を含めて積極的に患者に向き合うのはもちろん、医療が手薄な施設への支援など業務は少なくない。入院待ちが多い地域では、自治体からの連絡で医師が遠隔診療にあたったり、患者の自宅に赴いたりする仕組みが見られる。医師会と自治体が協力し、連携を広げてほしい」と訴える。
日本医師会が都道府県の医師会に対し、自治体に進んで協力するよう強く呼びかけるべきだ。まん延防止等重点措置のさなかの4月20日、日本医師会の会長が後援会長を務める自民党参院議員の政治資金パーティーに医師会幹部ら100人とともに参加していたと週刊文春が報じている。これは医師会の存在意義が問われる愚行である。猛省し、コロナ対策に全力を尽くすべきだ。
後半で朝日社説は「病床の積み増しは病院が中心になる」と指摘したうえで、「設備を改修しコロナ感染者を受け入れるほか、それが難しい場合は、ある程度回復し他人を感染させる恐れがなくなった人向けの病床を提供することも逼迫緩和につながる」と書き、「そうした努力を財政面などで支えるのは国や自治体の役割だ」と主張する。
国と自治体の援助資金の原資は、私たちの血税である。財源には限界もある。国と自治体は資金を有効に使わなければならない。
「コロナ病床 逼迫回避へ総力を挙げる時だ」と読売社説
4月7日付の読売新聞の社説も「コロナ病床 逼迫回避へ総力を挙げる時だ」との見出しを付けて病床の確保を訴え、書き出しでは「変異ウイルスの拡大に備え、患者を受け入れる病床を早急に増やさねばならない。都道府県知事が主導し、医療機関に強く働きかけるべきだ」と主張し、次のように指摘する。
「初の緊急事態宣言から7日で1年を迎えるが、医療体制の脆弱さは一向に改善されていない」
「医療法は、都道府県が医療計画を策定すると定めている。地域の実情に応じて必要な病床を確保するのは、知事の責務である」
確かに病床が逼迫する原因の1つには、知事の指導力不足がある。隣接し合う自治体同士が足りないところを補い合いながら協力することも欠かせない。
医師会がもっと強く傘下の診療所に協力を求めるべきだ
読売社説は「厚労省は3月下旬、病床確保計画の見直しを都道府県に要請した」と書き、次のように訴える。
「拠点となる病院が重症者の治療に専念できるよう、医療機関の役割分担を徹底することが急務だ。回復した患者のリハビリや療養を担う後方支援病院をもっと増やし、円滑な転院を促したい」
「都道府県は、積極的に病院間の調整を進め、入退院の目詰まりを解消することが肝要である」
読売社説が主張するように「病院の役割分担」「後方支援病院の増設」「症状が良くなった患者の転院」によって重症患者の病床を確保し、新型コロナの犠牲者を減らしたい。
そのためにも医師会がもっと強く傘下のクリニックや診療所に協力を求め、病床の提供と医師や看護師の新型コロナ拠点病院への派遣を押し進めるべきである。
その点について読売社説もこう指摘する。
「多くの病院や医師会に協力を求め、着実に体制を整えることが重要だ」
「都道府県がコロナ向けに確保した病床は約3万床で、依然として既存病床の約3%にとどまっている。その背景には、民間病院の多さや医療従事者の偏在といった構造的な課題があろう」
病床が逼迫して患者が適切な治療を受けられなくなると、重症患者が増え、過酷な生体肺移植を受けなければ、生命を維持できない患者も出てくる。そうならないためにも早期に医療の態勢を整えるべきだ。
沙鴎 一歩ジャーナリスト


がん・心不全の患者さんに知っていてほしい、 現場の緩和ケアチームの悩みとは

2021-05-29 13:30:00 | 日記

下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

自分の知らない自分のことを
家族にだけは知らされている
看護師だった母親の影響を受け、幼少時より看護師を目指す。2002年、群馬パース看護短期大学卒業、2003年より看護師として病院勤務を開始する。以来、1000人以上の患者と関わり、さまざまな看取りを経験する中で、どうしたら人は幸せな最期を迎えられるようになるのかを日々考えるようになる。看取ってきた患者から学んだことを生かして、「最期まで笑顔で生ききる生き方をサポートしたい」と2013年より看取りコミュニケーション講師として研修や講演活動を始める。また、穏やかな死のために突然死を防ぎたいという思いからBLSインストラクターの資格を取得後、啓発活動も始め、医療従事者を対象としたACLS講習の講師も務める。現在は病院に非常勤の看護師として勤務しながら、研修、講演、執筆などを行っている。著書に『後悔しない死の迎え方』(ダイヤモンド社)がある。
後閑愛実さん(以下、後閑):価値観って時代によっても違うと思うんですけど、生きるとか死ぬとかって、もちろん自由にはできないとしても、ご本人のものだと思うんですよね。だけど今は医療が導き過ぎたり、障壁になったりしていて、なんだかおかしいなと思っています
宮崎万友子さん(以下、宮崎):がんの診断や治療期に、本人をその場から外して、家族と医療者だけでいろんなことを話したり、意思決定したりする場面が少なくありません。
本来は、自分がどういうふうに残された時間を生き、死ぬかということに向き合う時間と力が残されているはずなのに、それを医療者が奪ってしまってるように感じることがあります。残された時間が短くなってから、私たち緩和ケアチームがディスカッションを始めても遅いんです。
後閑:がんに限りませんが、私もそれは感じています。緩和ケア認定看護師として関わってる宮崎さんから見て、どうするといいなっていうのがありますか?
宮崎:患者さんやご家族の思いを受け止めることは、やはり時間とエネルギーが必要ですから、その負担を先生がひとりで背負わなくていいように協力していくことが大切だと思います。あとは、家での生活が難しくなってきたときに、「今回の入院が最後でしょう」とか「家に帰るのは難しいと思います」と医療者が先に言ってしまう場面をたくさん見てきました。ご家族の介護負担に配慮しているのは理解できますが、医療者が先にそれを言わないで! と感じることはよくあります。先生からそう言われちゃうと、患者さんの可能性や希望は全部奪われてしまいますから、そのことは言わないでもらえますか、とお願いすることもあります。
宮崎:患者さんの死であり、患者さんの生でありますから、それを医療者が奪ってはいけないといつも考えています。
自分ごととして患者さんが乗り越えていけるように支援するという考え方は、医師の教育としてはあまり重きがおかれてないのかなと思います。そこは看護師のほうが、持っている力を強化する関わりを学んでると思いますから、医学教育にもその視点が必要なのではないかと思います。

後閑:最後の1日だって、本人と家族が希望すれば、家に帰れますものね。
本人に悪い知らせは伝えにくく、
家族の話が優先されやすい
後閑:私もこれは家族と医療者が患者さんの生を奪っているなと思ったことがあります。
ある40代のがん患者さんでしたが、お母さんが「あの子は気が弱いから、病気のことは言わないであげてください」と言うんです。それで、本人のいないところで意思決定されてしまい、本人には余命や予後のことは伝えないまま、家族とだけで決められていきました。気持ちはわからなくもないですけれど、医師も含めていつまで子ども扱いする気なんだろうという感じでしたね。
宮崎:よくある光景かもしれません。
大森:ぼくは循環器内科医であり、緩和ケア医でもあります。がんの緩和ケアも担当していて感じることは、基本的には家族だけに悪い知らせを伝えるということはよくあります。なんなんでしょう……文化なんですかね?「本人に悪い知らせを伝えると、本人は弱いから無理だ」という一方で、「(家族の)自分は知っておきたいけど、(本人には)知らせたくない」ということはありますね。
自分なりになぜそうなるかを考えたのですが、
「(本人に未告知であることが)正しいと思っている」
「悪い知らせの伝え方がわからない」
「伝えたあとに支える方法がわからない」
「みんな、本人の力を信じていない」
などかなと。
もちろん、必ずしも伝える必要はないと思うんですよ。以前、ご家族から「悪い知らせを受けたあとに夜逃げした過去があるので、本人に知らせないでください」と言われたこともありました。確かにそういうときは伝え方をよくよく考えないとまずいかな、とは感じます。ただ、たいていの場合は、伝えないほうがラクなのでそうしている、ということがあるのではないかなと思います。

後閑:本人に未告知での緩和ケア介入もあると聞きましたが、「誰」が未告知を希望してるんですか?
大森:ご家族です。でも、たぶん……主治医もどこか賛同してるんですよ。「うんうん、未告知のほうがいいよ。もう歳だしさ…」みたいに。
宮崎:でも、本人が知りたいかどうかは確認されてないんですよ。
「本人が知りたくないって言っていたから伝えない」というなら、そこにちゃんとした理由があると思うんですけれど、そこも確認されないまま、本人抜きでご家族と話し合いをされて、本人に伝えないようにしましょう、と決められてることがあります。
大森:本人抜きで話すのは、そんなに珍しいことではないですね。
宮崎:必ずしも告知をしたほうがいいとは私たちも全然思わないし、伝えないことで患者さんが守られている環境にあるということもあります。
なぜ家族がそう選択したのかというのは、緩和ケアの立場で関わらせてもらうときは必ず聞くようにしています。そこには主治医の葛藤もあります。主治医も本当は伝えたほうがいいと思っているケースも多いですから、どういうやりとりでそう選択されたのかを聞いて、私たちもその中でできることを探しています。
後閑:本人に、聞きたいか聞きたくないかというところも含めて、どう思っているのか聞かないといけないように思います。先日対談させていただいたがん患者さんはそれをわかっているから、医師に「すべての説明を最初に自分にしてください」という要望書を書いて渡したそうです。「家族にだけ説明することが絶対にないように」と、言葉だけでなく紙に書いて渡したということでした。たぶん、そのあたりのことを聞いて知っていたからだと思うんですよね。
宮崎:その方の意思決定の背景には、その方なりの歴史や理由があるから、そこを知るために患者さんに尋ねたり、ご家族の話を聞かせてもらったりするのも大事ですね。
心不全にも緩和ケアが必要
大森:心不全はステージAからDまであります。息苦しいなどの症状が出たときに初めて心不全と告知されます。がんと違って、心不全は結構あっさり伝えられます。患者さん自身も「ああ、心不全ね」といったように、受け入れは比較的悪くない印象です。だから病名を告知しないという状況はまれです。本当は大腸がんより予後は悪いんですけれど。
後閑:言葉の印象が悪くないのかな。
宮崎:そうだと思います。「高血圧」とかに近いのかも。
循環器病棟の看護師さんが、がんの告知に立ち会うことがあったんですが、「心不全ではこんなに深刻な場面になることはない」と言ってました。患者さんは心不全を死ぬ病気と思っていないので、「あなたはがんです」と言われるのと、「あなたは心不全です」と言われるのとでは全然重みが違うって。
後閑:心不全は予後よくないというか、良くなったり悪くなったりを繰り返して弱っていくイメージですが、予後の告知に気をつかっていることはありますか?
大森:その方の治療が限界にきて、これはもう予後が限られたと主治医が感じる頃には、すでに予後を本人に伝えることができないということが多いです。なぜかというと、本人は呼吸困難などの症状で苦しんでいて、そんな話を聞いてられるようなコンディションでないことが多いからです。ぼく自身、あるべき姿としてはやっぱりある程度落ち着いている一方で、予後が限られるようなときに、原則本人を交えた説明が必要だと思っています。
後閑:心不全の予後も説明するタイミングが難しそうですね。早すぎても本人はイメージがわかないでしょうし、遅すぎれば考えている余裕がないでしょうし。
大森:良くなったり悪くなったりを繰り返すので、医療者も患者側もだんだん悪い状況に慣れていってしまうんです。「今回も治療がきつかったが、退院できた。まあ、また次があっても退院できるだろう」みたいに思ってるうちに、悪化して突然死してしまい、「こんなはずじゃなかった」となることが少なくないです。緩和ケア病棟とは違うと感じるのが、急性期となって突然亡くなってしまっても、グリーフケアがなかなか実施できない。集中治療室で亡くなることも多いのですが、スタッフは忙しく、家族が悲しむことができる場所もあまり用意されていません。
家族から出る言葉
「やっとラクになったね」
後閑:聞いていて思い出したのですが、徐脈で意識障害起こした90代の女性にペースメーカーを入れたことがあります。その息子さんがお母さんから、心不全の呼吸の苦しさもだけれど、腰が痛い、歩けなくなったといって、「死にそびれた。こんなにつらい思いを毎日しなくちゃいけないんだったら、どうしてあそこで死なせてくれなかったんだ」と言われるのがつらい、と言ってました。息子さんとしては、意識がなくなったから救急車を呼んでしまったんだけれど、あそこで本当は死なせてあげればよかったのかな、って……。
大森:そう思っちゃいますよね。
後閑:だから心不全の患者さんの家族は、たとえ急に亡くなってしまったのだとしても、「ああ、ようやく逝けたんだな」と思ってホッとしてるのかもしれないと思うことがあります。心不全で挿管したあとに苦しがってる患者さんを見て、息子さんが「挿管なんてしなければよかったのかな」と悩んでいた中でお亡くなりになったというのもありました。助けてしまったことに対する家族の葛藤もあるのかなと。ですから、亡くなったことが逆に救いになるというか、ようやく苦しみから解放されたね、。ということもあるのかなと。
大森:それは確かにあるかもしれません。「やっとラクになったね」という言葉が、がんよりもご家族の口から出やすい気がします。
後閑:がんで亡くなる方は、わりと最後まで痛みが緩和されているように感じますが、心不全で亡くなる方には苦しそうな場合が多いので、亡くなった後に「やっとラクになったね」と医療者でも思ってしまうのかもしれません。
大森:心不全の呼吸困難に関しては、医療用麻薬を使い慣れていない循環器内科医も多いですし、症状緩和に関する知見があまりないんですね。「治療か死か」みたいな限られた文脈の中で治療をしていくことが多く、そこには症状緩和という要素がなかなか作りにくいんです。患者さんにも医療者にも、治療終了イコール緩和みたい概念があることを感じています。
後閑:がんみたいに「一緒に」がないってことですか?
大森:もちろん、言葉では「心不全の治療と、症状緩和の治療は並行して行うものなんですよ」とは言うんですが、実際にはそういう相談はあまりないです。
宮崎:それは実現できるものなのですか? がんのように。
大森:緩和ケアの要素は、呼吸困難にモルヒネを使うということだけです。意思決定支援として専門家が入るとか、本人の価値観が尊重されたプロセスを踏むとか、社会資源の適正利用とかいうところも緩和ケアだと思えば、一緒にやれるはずなんですけれどね。
宮崎:外来のときから関わるとか。
大森:それは一つありますね。あと、難しいと思うのは、疾患治療も症状緩和になるんですよ。ただ、やりすぎると、たとえば点滴に繋がれた人生になってしまったり、酸素マスクをつけることにより本人が「こんな姿を他人に見せたくない」といって引きこもってしまったり精神的社会的苦痛につながったり……そういったところを見逃しがちになってしまいます。そこで医師も「でも仕方がないよね、治療が必要なんだから」といって、患者の意思を抑え込んでしまう。循環器領域では、治療するか、しないかの選択が中心ですが、そこに「全人的苦痛の緩和につながるか」「本人・家族の意思やQOL(生活の質)はどうか」といった視点も加わるといいですね。
後閑:症状緩和やQOLの視点、大事ですよね。話は少し戻りますが、患者さんが亡くなって「やっとラクになったね」とホッとするご家族の気持ちは決して悪いことではないということは伝えておきたいです。
以前、ご家族が「主人が死んだのに、なんだかホッとしている自分もいるんです。ようやくこの人も私も解放されたって……。私はひどい人間でしょうか?」と言われたことがあります。心不全に限らず亡くなった後、ご家族の緊張がとけ、今まで張り詰めていた空気がゆるむことがあります。本人もご家族も「頑張って大きなひと仕事を終えた」と思えたから、ホッとするんだと思うんです。だとしたら、ホッとするのはよく頑張ったことを証明する気持ちです。「もっと頑張りたかった」「もっと頑張ってほしかった」と思っていたら、ホッとなんてできないとは思います。
途中経過にはいろんな葛藤もあったでしょうが、そのときはそのときで精一杯対応したのだと思うので、もしホッとしたのなら、最後はむしろ、本人もご家族も「よく頑張った」と自分たちを褒めてあげてもいいくらいです。だから、「やっとラクになったね」とホッとするご家族の気持ちは決して悪いことではないと思っています。医療者もですが。
まとめ
・最後の1日だって家に帰れるから、自分で自分のことを「知りたいか・知りたくないか」も含め、家族・医療者に自分の価値観を伝えること。
・がんも心不全も、治す治療を始めると同時に、早期から「苦しさ」を緩和や予防するかかわりが必要。
・患者の身体的苦痛だけでなく、精神的・社会的・スピリチュアルな苦痛も対処していく必要があるとともに、家族・医療者の苦痛も放置しないこと。
大森崇史(おおもり・たかし)
飯塚病院連携医療・緩和ケア科勤務
日本内科学会認定内科医、日本内科学会総合内科専門医、日本循環器学会循環器専門医
急性期医療と慢性期医療の架け橋となれるような存在を目指し、地域医療に貢献している。九州心不全緩和ケア深論プロジェクトのメンバーとして心不全緩和に関する活動も行っている。

後閑愛実(ごかん・めぐみ)
正看護師
BLS(一次救命処置)及びACLS(二次救命処置)インストラクター
看取りコミュニケーター
宮崎万友子(みやざき・まゆこ)
飯塚病院看護部緩和ケア認定看護師
緩和ケアチーム専従看護師。患者さんとご家族が過ごしたい場所で安心して過ごせることを目指して活動している


“紀子さまは情感たっぷり、眞子さまはちゃめっ気、佳子さまは…” 佳子さまが「神や心など形のないものも伝えられる」手話を“職業”に選んだ理由

2021-05-29 11:00:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です

秋篠宮家の次女・佳子さま(26)が、5月6日付で、一般財団法人全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員と。
 秋篠宮家に近い関係者は、次のように語る。
「佳子さまは以前から、手話を通じて聴覚障害者をサポートしたいとお考えで、連盟への就職も自身の強い希望だったと聞いています。また、このタイミングでの就職は、結婚にむけて進み出した、姉・眞子さま(29)と小室圭さん(29)への思いも込められているのではないでしょうか」
 佳子さまが聴覚障害の問題に関心を持ったきっかけについて、宮内庁担当記者は「2015年の2つのできごとがあるのでは」と話した。2019年、映画「アナと雪の女王2」のチャリティー上映会をご鑑賞になった佳子さま
2015年の2つの出来事
「一つ目は5月19日、都内であった『奇跡のひと マリーとマルグリット』のチャリティー試写会に参加したことです」
 この映画の主人公は、19世紀にフランスに実在した少女マリーがモデルだ。視覚と聴覚に障害があった少女が、難病とたたかう修道女と交流しながら成長する、というストーリーで、自身も聴覚にハンディキャップのあるアリアーナ・リヴォアールさんがマリーを演じた。
「佳子さまは、紀子さまや全国盲ろう者協会幹部と一緒に、この映画を鑑賞しました。視覚、聴覚、発話の3つの障害をかかえたヘレン・ケラーについての本を読み、試写会に臨まれたそうです。同席したスタッフは、佳子さまは映画鑑賞後も涙をうかべていたと話していました。また、映画をご覧になった後、同協会関係者に『手話が、神や心など形のないものも伝えられることに感動しました』と感想をお話しになりました。
 もう一つのできごとは、同じ年の9月、鳥取県米子市であった『第2回全国高校生手話パフォーマンス甲子園』で初めて手話であいさつしたことです。日本語や英語、インドネシア語の手話をこなす紀子さまからマンツーマンで指導を受け、眞子さまにもアドバイスをもらうなど、入念に準備して臨んだと聞いています。初めてには見えない堂々とした手話スピーチは評判が良かったので、佳子さまも充実感をおぼえたのではないでしょうか」2020年、「第7回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」をオンラインで視聴される佳子さま(宮内庁提供)
 この2つのできごとをきっかけに、佳子さまは聴覚障害についての勉強を本格化させていったようだ。
優雅さと静けさの表現が際立つ、佳子さまの手話
 秋篠宮ご一家の手話の所作について、手話通訳のベテランに聞いたことがある。
「紀子さまは研究熱心さが現れる所作で、基本をおさえたうえで、喜怒哀楽を表現しようという情感たっぷりな手話。眞子さまはストレートに感情を伝えるしぐさが目立つけれど、持ち前のちゃめっ気が時折顔をのぞかせる、チャーミングな手話です」
 佳子さまは、というと、「メリハリがあり、優雅さと静けさの表現が際立っている」のだという。やはりダンスをなさっているからか、指先をぴんと伸ばし、腕の動かし方がスムーズでダイナミックさもあると語った。昨年9月の「第7回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」にも手話あいさつの動画を寄せたが、5分半に及ぶパフォーマンスは貫禄を感じさせるような堂々たるものだった。ユーチューブで見られるのでぜひ見て欲しい。
「第7回高校生手話パフォーマンス甲子園」に、手話でビデオメッセージをお寄せになった佳子さま (SankeiNewshttps://youtu.be/8VG2v54DiNkより)

結婚しても「皇室を支えていく」という佳子さまの‟宣言か
 宮内庁によると、佳子さまは2021年2月末から全日本ろうあ連盟でインターンをつとめ、2カ月がたち、正式に仕事をすることになった。週3回の勤務だが、新型コロナがおさまるまでは宮邸でテレワーク業務をする。5月6日から2022年3月末までの契約で、更新もできるという。
 佳子さまは2019年に国際基督教大学を卒業後、就職はなさらなかった。また、コロナ禍で公務もオンライン中心だったため、世間で話題にされることも減っていた。今回、再び注目を集めることになったが、ある宮内庁職員は「今回のろうあ連盟への就職は、いつか結婚しても関連する公務を続けることで皇室を支えていくという、佳子さまの“宣言”だったのではと、宮内庁内ではささやかれています」と話した。
佳子さまの就職には、眞子さまへの思いやりが関係している
 また、皇嗣職関係者も「佳子さまの就職には、ご結婚すれば一般人となる姉の眞子さまへの思いやりが関係しているのではないでしょうか」と口をそろえる。
「眞子さまは一日でも早く結婚したいという気持ちに変わりはないようですが、女性宮家の検討が進まないなか、将来的な公務の担い手をどうするかという点は、皇室全体の課題です。26歳の誕生日を迎えた佳子さま(宮内庁提供)
 弟の悠仁さまが天皇となるころに、サポートする皇族がどれぐらいいるのか。本来は政府や宮内庁が真剣に考えるべき問題ですが、先送りしたい姿勢がみえる現状では、結婚すれば皇室を離れる未婚の女性皇族方も気をもんでいらっしゃるでしょう。眞子さまも結婚延期から3年が経ついま、“小室さんとの結婚をとりやめ、皇室の活動に専念すべきでは”という声が世間であがっていることはお気づきと思われます」
 さらに、秋篠宮家に仕えたことがある宮内庁職員は「佳子さまは以前から姉の結婚を応援され、結婚に批判的な報道には納得なさっていないように見受けられます」と明かした。
眞子さまも週3日程度勤務
 皇室では、ほかの女性皇族方も様々な仕事に就いている。
 姉の眞子さまは2016年春に、東大総合研究博物館の特任研究員に就任された。現在も丸の内にあるインターメディアテクで週3日程度、勤務されている。2019年、一般参賀の佳子さま 
 また、高円宮家の長女・承子さま(35)は、日本ユニセフ協会に勤務。2013年4月に就職されてから、同協会が全国各地で出前授業などをする際のメンバーとして、和歌山県をまわるなど精力的に活動している。
 三笠宮家の彬子さま(39)も、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授、千葉工業大学特別教授など、多岐にわたって活動している。妹の瑶子さま(37)も、2006年から日本赤十字社に常勤で勤務された。
 就職は、皇室と社会をつなぐ窓の一つだ。佳子さまの今後のご活躍も期待される。