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形が均一で美しい野菜ほど農薬が多い…化学肥料でメタボに

2020-12-25 08:00:00 | 日記

下記は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

最新の農薬には神経毒性という見えない毒性があると書いたが、そんな怖い農薬をどうして使うのだろうか。農家だって好き好んで使うわけではない。形が均一で美しい野菜を消費者が求めるからである。

 戦後、スーパーマーケットを中心に大衆消費社会が誕生すると、棚に並べやすいサイズの野菜が作られるようになった。例えばキュウリは21センチ、ホウレンソウは30センチという具合である。これがいつの間にか、工業製品のように奇麗な農作物が高級品というイメージになっていく。そういう消費者に、虫食いの跡があるようなものは売れない。

 ところが、有機で栽培すると、大きさがバラバラで、昆虫に食べられた跡が残り、既存の流通ルートに乗せると規格外になって値段が下がる。農家もそのことが分かっているから、残留基準値を超えないように、マニュアルに沿って何十回と農薬をまくのだ。農薬が危ないと分かっていてもやめられないのである。

そもそも論になってしまうが、なぜ昆虫は人間が栽培した作物を食べるのだろう。昆虫が野原一面の草を食べたというのはあまり聞かないが、畑の野菜は、軒並み食べられることはよくある。なぜ?

 慣行栽培では水溶性の化学肥料をまく。通常、植物は土壌の微生物が分解した養分をもらい、代わりに光合成でできた産物を提供するという共生関係にある。ところが化学肥料をまくと、植物はそんな苦労をしなくても養分をもらえるのだから、微生物を無視して、ひたすら化学肥料の窒素、リン酸、カリウムを吸収する。現在の農作物は、養分を与えれば与えるほど収穫が期待できるように品種改良されているから、あっという間に農作物はメタボになってしまう。スーパーでよく濃い緑色のホウレンソウを見かけるが、これも窒素分を吸収し過ぎてメタボになったからだ。

 植物は動けないからさまざまな危険にさらされる。紫外線に対して抗酸化物質をつくるのもそうで、自分を食べる昆虫に対して忌避する物質を出しているともいわれる。植物の免疫システムである。自然界では、昆虫は健康な植物を食べず、不健康な植物を食べるようで、実際にある有機農家はそれを利用して、一画の野菜をメタボにして、それを昆虫のエサ場にしている人もいた。昆虫が食べるのは不健康な野菜が多いのに、それを人間が喜んで食べているというわけである。


いまの農薬は作物の内部に浸透 洗っても落ちないから怖い


農薬を使わず、牛糞や鶏糞などの有機肥料を使う農法を有機栽培という。

 それに対し、農薬や化学肥料を使うのを慣行栽培というが、では農薬の何が問題なのだろう。

 前回、有機農産物を食べることで残留農薬による健康被害を避けることができると書いたが、本当に健康被害なんてあるのだろうか。

 農薬がついているんだったら、洗えばいいじゃないかと思うが、今の殺虫剤は作物の内部に浸透しているので洗っても落ちない。

 今世紀に入ってよく使われるようになったネオニコチノイド系農薬(ネオニコ)は、例えば根元にまくと、植物がそれを吸収して全身に浸透していく。つまり、茎も葉も実も、どの部分にも農薬が浸透していって、害虫はどこをかじっても死んでしまうという、農家にとっては実に便利な農薬なのだ。

もちろん国は、食べても問題がないように、食品ごとに農薬の残留基準値を設定していて、それを超えると販売できないようにしている。

 だったら問題ないんじゃないの? そうかもしれない。でも、最近の研究から、残留した農薬がさまざまな病気をつくり出しているのではないかといわれているのだ。

 2008年の中国製毒ギョーザ事件のように、食中毒症状が出るなら分かりやすいが、現実にこんな事件はめったに起こらない。かつて、お茶を飲んで痩せるダイエットがはやったとき、飲みすぎて中毒患者が出たこともあったが、今はそんなケースもなくなった。

 では何が問題かというと農薬の本当の毒性が目に見えないことである。

 脳から出た情報は、シナプスというところで神経伝達物質に変換されて飛び出し、その先の受容体にくっついて伝達が完了するようになっている。このネオニコは、昆虫の受容体にくっついて神経を興奮させて殺す。実は人間にもこの受容体はあるが、形が違うので影響がないといわれていたのに、少ないが人間の受容体にもくっつくことが分かってきたのだ。これが神経毒性である。さらにこの農薬、分子が小さいから、脳に脳血管関門というバリアーがあるにもかかわらず、簡単に中へ入ってしまう。これらがどんな結果をもたらすかは、最近、少しずつ分かってきたところだ。

 もっとも、その毒性があらわれたとしても、10年先、あるいは30年先ともいわれていて、分かったところで、農薬が原因かどうかは調べようがないし、たとえ裁判を起こそうにも、20年を過ぎたら訴えることもできない。これが農薬の怖さだ。


健康志向には衝撃 「全粒粉」入り食パンは残留農薬まみれ


食欲不振の時期にさらなるバッドニュースだ。

 山田正彦元農相が共同代表を務める「デトックス・プロジェクト・ジャパン(DPJ)」が8日、衆院議員会館で緊急の記者会見を開いた。

 テーマは、世界トップシェアを誇る除草剤「ラウンドアップ」の規制だ。

 旧米モンサント社製のラウンドアップに含まれる「グリホサート」は、世界保健機関(WHO)の外部組織である国際がん研究機関が「おそらく発がん性がある」と指摘している化学物質。日刊ゲンダイ(5月23日付)は、DPJが国会議員23人を含む計28人の毛髪を検査したところ、全体の7割にあたる計19人からグリホサート関連の残留農薬が検出されたと報じたが、問題はこれだけではない。ナント、普段何げなく食べている市販の食パンからも次々に検出されたのだ。

会見に同席した一般社団法人「農民連食品分析センター」の八田純人所長によると、検査した食パン15商品のうちグリホサートが検出されたのは10商品。小麦製品からグリホサートが高頻度で検出される理由は、日本が小麦を輸入する外国において、収穫直前に除草剤を散布する「プレハーベスト処理」が行われているからだ。小麦を乾燥させたり、収穫時期を調整したりする目的があるという。

 とりわけ、グリホサートの残留値が高い傾向にあるのが、小麦の表皮や胚芽が含まれる「全粒粉」入りの食パン(4商品)だ。

 八田所長は、全粒粉でのグリホサートの検出が目立つ理由について「プレハーベスト処理をした小麦の外皮を多く含んでいるから」と説明。全粒粉は食物繊維やビタミン、ミネラル類が豊富で「健康にいい」と言われているだけに、健康に気を使っている消費者にとっては衝撃の結果だろう。会見後、八田所長に改めて聞いた。

「専門家の間では最近、グリホサート関連物質の残留濃度の評価の仕方について、これまで日本や世界が行ってきた方法だけでは測り切れないとの考えが増えています。残留濃度の数字に関して、どのように評価し、分析するかがこれからの課題です。9月から国内向けの検査の窓口を設置し、希望する人の毛髪を検査して残留濃度のデータを集めたいと思います」

 DPJは、カップ麺やハンバーガー、ビールなどについても残留農薬の調査を進めているという。安心して小麦製品を口にできる日は来るのか。


定年後こそ家でゴロゴロしていてよい、納得の理由&「男性、ぽっちゃり、喫煙者は赤信号」"コロナ論文"を追う免疫学者の警告

2020-12-24 16:31:58 | 日記

下記はダイヤモンドオンラインからの借用(コピー)です


定年後は「あること」さえ守れば
自由で良い
 定年後、仕事も何もせず、どこに出かけるということもなく、家で新聞を読んだり、テレビを観たりしてゴロゴロしているのはよくない、ということはよく言われる。最近では定年退職後に夫が家にいることで妻のストレスが溜まる現象は、「夫源病」とか「主人在宅ストレス症候群」と呼ばれている。うつになることさえあるという。
 しかしながら筆者は「家でゴロゴロしていてはいけない」という主張にはどことなく違和感を覚えるのだ。なぜなら、定年退職した後は何をやろうが本人の自由だからだ。筆者は60歳以降もできるだけ働いた方が良いと主張はしているものの、絶対に働かないといけないわけではないし、何か趣味を持たなければならないわけでもない。
 ましてや何も用事がないのに、ただ「家にいるとうっとうしいから外に出て行け」というのも乱暴な話だろう。家でのんびり過ごすことの一体どこが悪いのだろう。何もしたいことがなければ家でボーッと過ごしていても一向に構わないのではないか。「定年後が不安だ」という声をよく耳にするが、それは定年後は家に居ちゃいけないなどと言われるから余計、定年を不安に感じるのだ。
 筆者は勤めていた会社を定年で退職し、それから8年たつが、定年後、家に居ることが悪いとは決して思わない。定年後は何をしようが自由だ。でもたった一つだけやってはいけないことがある。
定年後にありがちな勘違い
妻にべったり…で家庭にヒビ
 それは「人に迷惑をかけること」だ。この場合の人というのは家族のことである。要は、家に居ること自体が悪いのではなくて、家で何もせずにいることで家族に負担をかけることがよくないのだ。だから、そうならないように自分のことは自分でやるべきなのである。
 おまけに定年前に会社で「セカンドライフセミナー」などという研修を受けると、やってきた講師の多くがこのように言う。「定年後は奥さんを大事にしなさい。奥さんと一緒に過ごすようにしなさい」。そこで多くの人は勘違いをしてしまうのだ。
 この奥さんと一緒に過ごすというのは、奥さんにべったりくっつくということではない。よくありがちなのは、ずっと家に居るだけではなく、昼になると「おい、昼飯はまだか?」と催促する、あるいは奥さんが出かける時に「どこへ行くの?」「いつ帰ってくるの?」、そして「僕の晩ご飯はどうするの?」と何から何まで妻に寄りかかりきりになってしまうことだ。
 こんな状態が続けば奥さんもストレスを感じるのは当たり前だろう。子供じゃないのだから、「僕のご飯どうするの」とは、あまりにも情けない言葉だ。ご飯なんて自分で作れば良い。最近は冷凍食品でも、全く手間をかけずにレンジで温めるだけで美味しく食べられるものは一杯ある。それすら面倒ならコンビニでお弁当を買ったって、近くのお店に食べに行ったっていいだろう。それこそ自分の好きにやればいいのだ。
 出かける奥さんに対して「行ってらっしゃい。ゆっくりしてくれば良いよ。メシは適当に済ませるし、天気が良いから洗濯でもしておくよ」と言えば、どれだけ心地よく出かけることができるだろう。
 筆者の場合、妻も働いているので二人共家にいるということは少ない。したがって家事はできるだけ分担してするようにしている。料理は自分でやってみると案外楽しいし、洗濯だってたいしたことはない。だって洗濯は洗濯機がやってくれるわけで、自分でやらねばならないのは干すだけだ。「自分は会社で大変な仕事をやってきたのだ」というのなら、その程度の仕事はどうということもないはずだろう。
会社人間ほど
定年後「大きな子供」になりやすい?
 以前、女性ばかりの会食に参加したことがあったのだが、その時にある女性の言った言葉がとても印象に残っている。
「子供はいずれ成長すれば大人になるけど、夫はいつまでたっても大人にならないのよね」
 これは心に突き刺さった。自分を振り返ってみても確かに妻に甘えている面が多く、結局は大人になりきれていない、「大きな子供」の自分がいることをあらためて感じさせられたひと言であった。
 結局は普段、家でゴロゴロしていようが、何をしていようが一向に構わない。要するに自分が家に居ることで家族に負担がかかっていないかどうかを考えるべきなのだ。つまるところ、定年後に一番大事なことは「自立する」ということだろう。
 思うに会社員時代に地位の高かった人ほど、「自立する」ということができていない傾向がある。例えば、筆者は旅行に行くときは交通手段や宿の手配は全て自分でネット予約する。ところが、会社で役員とか部長になった友人にこの話をすると「信じられない、そんなこと面倒だし、とてもできない」というのだ。恐らく現役時代は秘書や庶務の人が全て手配していたのだろう。
 でも、定年退職するというのは「会社人」から「社会人」になるということである。生活の多くについて、自分一人でできなければ困ることになるだろう。
「定年の常識」に
縛られると損をする
 仮に明日、突然奥さんが病気で倒れて入院したとしても、普通に支障なく生活していけるかどうかを考えてみることが大切だ。そして自分が家に居るのであれば、料理でも洗濯でも掃除でも何でもいいので、それらにかかるパートナーの負担を減らすことを考えるべきだろう。
筆者・大江英樹氏の近著「定年前、しなくていい5つのこと」(光文社)
 家族というのは共同体である。その共同体を構成するメンバーが応分の負担を負ってこそ成り立っていくものなのだ。会社という大きな組織の中でできることが小さな家庭の中でできないわけがない。実際に多くの若い人は共働きをしつつ、家事はきちんと分担してやっている。
 最近はシニア世代の中にも夫の定年後に妻が外で働いているというケースは珍しくない。そういう状況になったのであれば喜々として「専業主夫」になってみるというのも悪い選択肢ではないだろう。我が家は外部から請け負った仕事を妻がしているので、週の内、3日は外に出かける。ところがこちらは講演などの仕事がなければ、ずっと家で原稿を書く日々だから、家事のかなりの部分は分担しながらやっている。自分が作った料理を「専業主夫料理」と称してSNSにアップするということも時々あり、これはこれで新しい楽しみになっている。
 要するに定年後のライフスタイルは何でもかまわないのである。何もすることがなければおおいに家でゴロゴロしていればいい。強迫観念に駆られて無理やり趣味を始めたり、慣れない地域の人達との付き合いでストレスを溜めるくらいなら、家の中でゴロゴロしているほうがよほどマシである。そして家の中でのフットワークを軽くして、家族のために家事をやるほうがよほど肉体面にも精神面にも良い影響があるのではないだろうか。
(経済コラムニスト 大江英樹)

 

男性、ぽっちゃり、喫煙者は赤信号」"コロナ論文"を追う免疫学者の警告

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

重症者に共通していること
新型コロナウイルスの発生から、ほぼ1年が経過しました。この未曽有の危機に対抗するために、世界中の科学者が研究を行っていて、すでに8万報以上の論文が発表されています(2020年12月現在)。
このような膨大な研究成果から、新型コロナウイルスの重症化リスクが明らかになってきています。
新型コロナでは、感染者の8割くらいの方は無症状か軽症で済みますが、約2割の方が肺炎症状が悪化して入院することになり、1割弱の方が重症化します。収束に向けた適切な対応のためには、重症化リスクがある人を明らかにすることが重要です。
しかし、多くの方が、感染した場合の重症化リスクを知らないというのが現状でしょう。
重症化し、亡くなった方の多くは高齢者です。高齢であるということは、残念ながら大きな重症化リスクです。
なぜなら、高齢であるほど免疫力は低い傾向にあり、特に、免疫反応を制御するレギュラトリーT細胞の機能が低下していて、炎症を起こしやすい状態になっているからです。
また高齢者は、なんらかの持病を持つ方が多いということもあります。
欧米での死者数増大の一因は「肥満率の高さ」か
一方、高齢ではないのに重症化、または亡くなられた方の多くは、簡単にいってしまえば「不健康な状態」にあったといえるでしょう。
アメリカ疾病予防管理センター(CDC)の発表したガイドラインによれば、重症化リスクの高い症状とは、下記のような疾患を持つ方を指します。
『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』(プレジデント社)より
ここに該当する方は、若年層でも重症化リスクを持っているとお考えください。まして高齢のうえ、基礎疾患を持っている方は、かなり重症化リスクが高いと考えられます。
とくに気をつけていただきたいのは、肥満です。その他の基礎疾患は明確な病気であるため、自分の不健康を深刻に捉えると思います。しかし、肥満については軽く見ている方が多いのではないでしょうか。
新型コロナウイルスによって、甚大な死者数となってしまった欧米では、その多くが肥満の感染者だったといわれており、実際にイギリスでは、ICUに運ばれた重症者の約73%が肥満だったという調査もあります。
“多少太り気味”でもリスクは2倍
肥満(BMI30以上)は、国や自治体の定める、新型コロナウイルスに感染した場合の入院基準の一つでもあります。ただ、日本人では肥満の人は4%程度しかいません。ほとんどの人は自分には関係ないと思っているでしょう。
しかし重症化のリスクは、BMIが30を超えると急に上がるわけではありません。東アジア人を対象にした研究では、多少太り気味であるBMI24(たとえば身長170cm/体重70kg)以上でも、2倍近く重症化リスクが上がることが報告されています。
日本人の30歳以上の2割以上がこの基準に当てはまります。これを読んでドキッとしている人も多いのではないでしょうか。
男性なら1.5倍、喫煙歴ありで2倍、55歳以上で2倍
さらに、肥満以外のさまざまな要因によってどのくらいリスクが上がるのかということも、数値としてわかるようになっています。
例えば、男性は女性より1.5倍以上重症化するリスクが高いことがわかっています。ホルモンの関係で、男性の免疫系が活性化しにくいからと考えられています。
喫煙もリスクとなります。喫煙歴があると、約2倍重症化リスクが上がります。喫煙により肺の機能が低下して、細菌やウイルスなどを排除しにくくなるからと考えられています。イギリスでは、重症化リスクを下げる目的で、禁煙する人が急増しています。
年齢についても、感染した場合の入院基準となっている65歳以上では約3倍重症化リスクが上がりますが、実は40代以上でリスクが上がり始め、55歳以上でも約2倍リスクが高くなっています。
基礎疾患についても、どの病気でも同じようにリスクが高くなるわけではありません。糖尿病では2倍以上、高血圧で3倍近く、冠動脈性心疾患や慢性腎疾患では5倍前後、COPD(慢性閉塞性肺疾患)では6倍以上リスクが上がります。
このように、肥満度や基礎疾患、喫煙など統計的データがあるものだけで計算しても、20代の基礎疾患のない標準体重でタバコを吸わない女性に比べて、働き盛りの40代後半の男性の6人に1人、50代後半の男性の2人に1人で10倍以上の重症化リスクがあるということがわかっています。
生まれながらにリスクが高い人もいる
小林弘幸著、玉谷卓也監修『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』(プレジデント社)
なんと、生まれつき重症化リスクが高い人がいることもわかっています。血液型に関連した遺伝子やネアンデルタール人から引き継いだ遺伝子が、重症化に関わっていることが報告されているのです。どちらの遺伝子も免疫の機能に関連していると考えられています。このような遺伝要因のリスクは、DNAを調べることによってわかります。
ここまでにお伝えした環境要因や遺伝要因によって自分がどれだけの重症化リスクを抱えているかを、科学的なエビデンスにもとづいて判定する検査も受けられるようになってきています
検査によって自分の重症化リスクを知り、リスクの高い人は特に感染予防を心がけ、感染してしまった場合はすぐに治療を開始するようにすることで、新型コロナウイルスへの適切な対応ができるようになることが期待されます。


小室圭さんと母・佳代さん 父の自死直前、「湘南のパパ」と呼ぶ男性と会っていた

2020-12-24 09:15:24 | 日記

下記の記事はヤフーニュースからの借用(コピー)です

日本中が注視する秋篠宮家の長女・眞子さま(29才)と小室圭さん(29才)の結婚問題。眞子さまが“お気持ち文書”を発表し、秋篠宮さまが11月30日の会見で「結婚を認める」と述べられたことで、結婚への道筋は整ったが、小室家を巡る状況に新展開が訪れた。 
 これまで、タブーのよう深く語られてこなかった小室さんの父・敏勝さんの自死について、詳細を知る複数の関係者が重い口を開いた。すると浮き上がってきたのは、新たな登場人物を取り巻く、いびつな人間模様だった。この事実に秋篠宮家は何を思う──。  敏勝さんが自ら命を絶ったのは2002年のこと。敏勝さんが未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。敏勝さんは自殺を選んだのだ。  小室家の関係者によれば、敏勝さんは勤務先の部署異動によって希望の仕事ができず、上司との折り合いもつかないことに悩んでいた。さらに妻の佳代さんと敏勝さんの母親の間に嫁姑問題も発生し、間に入った敏勝さんは困り果てていた。  見るからにやつれた様子の敏勝さんを見て、周囲は心療内科に通わせることを勧めたが、佳代さんは「病院に行かないのは本人の勝手だから」と言い、2002年の正月には夫を自宅に残し、息子の圭さんを連れて実家に帰ったという。さらに知人に電話をし、「夫の食事、なんとかしてもらえます?」と、世話を頼んだのだ。 「夫について、知人から“心の病だと思うから病院に連れて行った方がいい”と助言されているのに、その夫をひとり置いて、母子で神奈川に帰って、他人に夫の世話を頼みますか?」(小室家をよく知る知人)  そして、こう続けるのだ。 「しかも、神経が衰弱している敏勝さんを置いて2人が向かった先は、佳代さんが『運命の人』、小室さんが『湘南のパパ』と呼ぶ、とある男性の元でした。なんと3人で、新春ドライブを楽しんでいたのです」
敏勝さんの捜索もしたYさん
 この男性を仮にYさんとしよう。小室家をよく知る知人が驚くべき説明を続ける。 「佳代さんから聞いた話では、Yさんは、敏勝さんの幼なじみの1人です。仕事の都合でアメリカでの生活が長かったそうで、“お金持ちでオープンカーに乗ってるの!”と、うれしそうに話していたのを覚えています。  Yさんが日本に帰ってきたのは小室さんが生まれたばかりのとき。当時、敏勝さん夫婦は横浜市役所の官舎に住んでいて、Yさんが帰国の挨拶に自宅へ来たのが初めての出会いなんだとか。  佳代さんは当時のことを、“圭を抱っこしながら玄関先でYさんを出迎えたときに目が合って、その瞬間にお互いが運命の人だって思ったのよ”と話していました。それから、互いに運命の人と呼び合っているということでした」  夫の幼なじみを“運命の人”と呼ぶことは、多くの人に奇異に感じられるかもしれない。 「佳代さんは、Yさんが住んでいる場所にちなんで、小室さんには『湘南のパパ』と呼ばせていました。小室さんもなついているようでしたが、自分の子供に、父親以外の男性のことを、パパって呼ばせることがそもそも驚きでした」(前出・知人)  Yさんと小室母子の3人は、よくドライブに出掛けていた。 「湘南の方に行き、ご飯をごちそうになっているという話は聞いていました。正月に敏勝さんを置いてドライブに行ったのも、佳代さんと小室さんにとってはいつものことだったのでしょう。Yさんは、色白で線が細く、身だしなみには確かに裕福な生活ぶりが感じられる男性でした。彼には敏勝さんの葬儀で会っているんですよ」(前出・知人)  なんとYさんは、小室さん母子と3人でドライブに行く傍らで、敏勝さんの幼なじみとして死を悼んでいたのだという。小室家の関係者もYさんを見たと語る。 「敏勝さんの幼なじみは数人いて、彼が2002年3月の深夜に家を出て亡くなった際、遺体が見つかるまでの数日間、幼なじみの面々が敏勝さんを捜してくれたんですが、そのなかにYさんもいました」  幼なじみを真剣に心配しながらも、その妻子とただならぬ関係だったYさん。 「佳代さんは“小室が死んだらとてもひとりじゃ生きていけないから、そしたら私は運命の人と結婚するの”と話していたほどでした。だから、敏勝さんの葬儀が落ち着いたときに、Yさんとの関係をどうするのか聞いたんです」(前出・小室家の関係者)  すると、佳代さんからは、思いもよらない答えが返ってきた。 《自殺なんて気持ち悪いことされたから、2人で話し合ってもう会わないことにした》  前出の小室家の関係者も、「自殺ということに対して、佳代さんは、よく『気持ち悪い』という言葉を使っていたのを覚えています」と語る。 「小室家の自宅の和室には、敏勝さん夫妻用のクイーンサイズくらいのベッドがあったんです。それについても、“自殺をしたような人が寝ていたベッドは気持ち悪いから処分したいのよ”と話していました」
もし110番が早ければ……
 自殺を想起させるYさんとの縁もすぐに切り、佳代さんは別の男性と交際を始めたと語るのは、小学校の関係者だ。 「敏勝さんが亡くなって1年も経たないうちに開かれた音楽の発表会に佳代さんは別の男性と手をつないで参加していました。それより前にも都心で腕を組んで歩いている2人が目撃されていたから、保護者内で一気に『もう別の人に……!?』と噂が広がったのを覚えています」  過去にも報じられてきた、佳代さんの元交際相手の彫金師・Aさんである。佳代さんは身を寄せる縁がないと不安になってしまう、そんな孤独を抱えているのかもしれない。敏勝さんが自殺を決断する前に、できたことがあったのではないか、といまでも後悔するのは、前出の小室家をよく知る知人だ。 「敏勝さんが行方不明になってから、警察に連絡した方がいいんじゃないかと佳代さんに話しても、“そんな連絡したら、いろいろ表沙汰になって圭が心配するからしない”と返されたんです。  何か事情があるのかとも思ったけど、一晩捜しても見つからず、警察への連絡を再度うながしても、また“ダメだ”と。世間体を気にされたのかもしれませんが、あのとき、無理を通してでも警察に電話をしていたら、敏勝さんは助かったかもしれないといまでも悔やんでいるんです」  敏勝さんの命日は平成14年3月5日。小室家の墓には、そう刻まれている。当初の予定通りであれば、眞子さまと小室さんの納采の儀は、敏勝さんの十七回忌の前日に執り行われる予定だった。その予定日からも、はや2年近くが過ぎたいまも、小室さんとその母親は説明責任を果たそうとはしていない。 ※女性セブン2021年1月7・14日号
https://news.yahoo.co.jp/articles/957bc0843792d954d27a222be196cc1682043a47?page=1

小室圭さんの父と祖父の自死に新証言 母・佳代さんが放った言葉と嫁姑問題


秋篠宮家の長女・眞子さま(29才)の婚約内定者・小室圭さん(29才)の家族を巡る状況に新展開だ。これまで、タブーのように詳細が語られてこなかった、小室圭さんの父・敏勝さんの自死。今回、その詳細を知る複数の関係者が重い口を開いた。すると浮き上がってきたのは、新たな登場人物を取り巻く、いびつな人間模様だった。この事実に秋篠宮家は何を思う──。 【貴重写真】幼い頃、マッシュルームヘアの小室圭さんと父親の敏勝さんのツーショットなど写真11枚
 窓際のダイニングテーブルに射し込む陽光が、机上に広げられた東京・国立市周辺の地図を照らしている。小室さんの母・佳代さんと祖父が、神妙な面持ちで向かい合って座っている。  小室さんの父・敏勝さんが、前日の未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。  重苦しい空気を意外な形で切り裂いたのは佳代さんだ。突然、仁王立ちになって大声で義父に向かって怒鳴り散らし始めたのだ。 「小室は自殺している! それは全部あなたたちのせいだ!」  反論せず、じっと床を見つめて耐えている祖父の頭上に、更なる怒鳴り声が突き刺さる。 「あなたたちの愛情が足りないから彼は自殺したんだ!!」  小さな祖父の背中は、佳代さんの大声に反応する機械のように、罵声を浴びるたび、どんどん丸く小さくなる。その怒号がやんだのは、見かねた親族が割って入ってからだった。  翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。佳代さんの発言通り、敏勝さんは自殺を選んだのだ。そしてその1週間後、後を追うように、面罵された祖父も首を吊って自殺した──。  小室家の関係者は、佳代さんの電話越しの声が耳から離れないという。 《あのね、義父が死んだの! (敏勝さんの)弟は言葉を濁しているんだけど、どうも首を吊ったみたい!》  これは今回初めて明らかになった、いまから19年前の3月、小室さんが小学4年生のときの出来事である。小室家の関係者が語る。 「敏勝さんは、穏やかな人でしたよ。全然怒らない人で、おとなしくて。佳代さんが言うことを否定しない人で、何を言われても、“そうだね”と静かにうなずいて、なるべく彼女が自由にできるようにしていました。  仕事も一生懸命でね。小室さんの国立音楽大学附属小学校の進学に合わせて東京・国立市に引っ越してからは、勤務先の横浜市役所まで通勤するため、朝は小室さんが寝ている6時には家を出て、小室さんが寝てから帰ってくるような生活だったようです」  子煩悩で、佳代さんの意思にも従順な敏勝さん。何かをがまんするなら、常に自分自身だったのだろう。関係者が続ける。
「そうした生活の影響もあって、(2001年の)夏頃に体調を崩したようです。部署異動によって希望の仕事もできず、上司との折り合いもつかなかったことについても悩んでいました。見るからにやつれて、目にも生気が宿ってなくて。明らかに心の病だと思って、佳代さんに心療内科に通わせた方がいいんじゃないかと言ったんです。そしたら、“いやよ、病院に行かないのは本人の勝手だから”と。随分と冷たい人だなと思いました」  別の小室家の関係者は、嫁姑問題を指摘する。 「同じ頃、佳代さんは敏勝さんのお母さんとこじれていましてね。敏勝さんがマイホームを建てようとしていたんです。建築学科を出ている敏勝さんはマイホームを建てるのが夢でしたから。  敏勝さんのご両親がいろいろと支援をしてくれたそうなんですが、それに乗じて、佳代さんが家具とか内装にお金を掛けようとして予算が大幅にオーバーしちゃったみたいなんです。それで、お義母さんと佳代さんが大げんか。間に入った敏勝さんはほとほと困っていましたね」  家族、職場、実家──どこにも居場所がなくなった敏勝さんが、得意ではないお酒に手を出したのはこの頃だ。そして、敏勝さんが自ら命を絶つことになる2002年。正月早々、小室家をよく知る知人のところに、佳代さんから電話があったという。 「佳代さんと小室さんは、2人で実家のある横浜方面に帰るので、体調が悪いのにひとりで国立市に残る敏勝さんの様子を見ていてほしいと言うんです。心配なら一緒にいればいいのに“夫の食事、なんとかしてもらえます?”って。仕方がないから敏勝さんに電話をしたら、彼は遠慮したのか“もうよくなったから気にしないでください。寝てますから大丈夫ですよ”と答えました。  ただ、後から佳代さんに聞いた話では、そのときに敏勝さんは行方不明騒動を起こしていたんです。半日ほど多摩川の河川敷で過ごし、音信不通になっていたそうです」(小室家をよく知る知人)  多摩川。敏勝さんがここで自ら命を絶つのは、この2か月後のことだ。年が明けて間もない寒空の下の河川敷で、敏勝さんは何を見て、何を思っていたのだろうか──。 ※女性セブン2021年1月7・14日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/7cf4a938393f7ac2945d7a2d105a1d46fe99d8bf?page=1


アーモンドの健康効果のカギを握る成分は?

2020-12-23 16:37:56 | 日記

下記の記事は日本経済新聞からの借用(コピー)です  記事はテキストに変換していますから画像は出ません

「ナッツは食べ過ぎ注意」の認識はもう古い
藤井省吾所長(以下、藤井)川田先生は、ナッツ摂取を推奨され、ご自身も毎日ナッツをとっていらっしゃるそうですね。数ある食品のなかでも川田先生がナッツに注目されたのは、どのような理由からでしょうか。
川田浩志教授(以下、川田)少し遡りますが、1970年ごろから地中海沿岸地域の伝統的な食事スタイルである「地中海食」が心臓病による死亡リスクを下げることが報告され、世界の研究者が注目するようになりました。地中海食とは、野菜や果物、ナッツや全粒穀物、オリーブオイル、魚介や豆類などを主体とした食事法で、近年に至るまで数多くのエビデンス(医学的根拠)が集まっています。
この食事法の大切な要素であるナッツについて、注目すべき研究成果が2013年に報告されました。世界で最も権威ある医学雑誌の一つである「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」において、約300万人を対象にした大規模追跡調査で「ひと握りのナッツ摂取(1日28g以上、週2回以上)で死亡リスクが13%低減する可能性がある」と発表されたのです。疾患別にみると心疾患、呼吸器疾患等の死亡リスクを有意に低下させることが分かりました[1]。
藤井そのようなエビデンスがあるにもかかわらず、ナッツには「脂質が多いから食べ過ぎてはいけない」というマイナスのイメージを抱くなど、まだ誤解している方が多いようですね。
川田おっしゃるとおりです。ナッツをつまんでいると「太るからやめたほうがいい」と言われたりもします。大学で講義の感想を学生たちからもらうと、「ナッツが健康にいいというのが意外だった」「親に教えたらびっくりしていた」といったコメントが多いので、ナッツの健康効果についてもっと広く知られるべき、と考えています。ナッツは脂質が多いから太る、生活習慣病になる、といった認識は改めるべきです。
米国の約12万人の肥満ではない男女を対象に、様々な食品の1日あたりの摂取量の増加と4年間の体重変化の関係を分析した。ナッツは、野菜や果物、全粒穀物、ヨーグルトと同様に体重減少に関係していた。
(データ:N Engl J Med. 2011 Jun 23;364(25):2392-404.)
藤井例えば、食べた食品と体重変化を4年間追跡した大規模調査からは、ナッツは、野菜や果物、全粒穀物やヨーグルトと同等のダイエット効果があることが分かっています(上記グラフ)。
川田食べ過ぎ注意ではなく、ナッツはむしろ積極的に食べるべき食品なのですね。アーモンドの健康効果のカギを握る成分は?
藤井ナッツの中でも、アーモンドには、地中海食の健康効果のカギを握る成分である「良質な油」であるオレイン酸や、抗酸化ビタミンともいわれるビタミンE、また、日本人がもっととるべきとされる食物繊維が豊富です
川田オレイン酸は、不飽和脂肪酸という脂質の一種で、悪玉(LDL)コレステロールを低下させる一方で、善玉(HDL)コレステロールは低下させない、良質な脂質です。食事にアーモンドを加えることは、脂質異常症をコントロールするために推奨できる安全かつ実用的な栄養戦略になると多くの研究結果から考えられます[2,3]。例えば、糖尿病患者さんにアーモンドを食べてもらったところ、それまで少し高めだったLDLコレステロール値が改善したという研究結果などがあります。
20人の2型糖尿病患者を対象に、1日56gのアーモンドを4週間食べた場合と、食べなかった場合とでLDLコレステロールの変化を比較したところ、高めだったLDLコレステロールがナッツを食べた後では有意に低下していた。上の図では、対象者のLDLコレステロールの平均値を表示している。
川田また、ビタミンEは、優れた抗酸化作用を持つ脂溶性ビタミンで、体を酸化ストレス(さびつき)から守ります。食物繊維は満腹感を高め、肥満の予防にもなります。私も昼食時にナッツをとっていますが、腹持ちが良いので食べ過ぎや間食を無理なく抑えられます。
さらに、アーモンドには抗酸化作用を持つプロアントシアニジンやフラボノイドなどのポリフェノールをはじめとするファイトケミカル(植物由来の化学物質の総称)も多く含まれています。このファイトケミカルによる抗酸化作用も、その健康維持効果に貢献していると考えられます。現在、私はアーモンドに含まれているポリフェノールの医学的な効果に着目して研究を行っています。
藤井オレイン酸やビタミンE、食物繊維、ファイトケミカルをアーモンドという食品で満遍なくとる。その総合的な働きによって様々な健康増進効果が期待できるわけですね。抗酸化、抗糖化の両面から老化に歯止め
藤井酸化ストレス、というキーワードが出ました。年齢を重ねるとともに気になる「老化」とも関わりますね。
川田私たちが生きる上で、酸素は欠かすことができません。その一部は活性酸素という物質に変化します。活性酸素は細胞内外の情報伝達や免疫などで必要な働きをする一方、反応性が高い物質であるために、過剰になると細胞を傷つけます。これがいわゆる「酸化ストレス」です。この酸化ストレスは、老化を進行させる重大な要因となります。酸化ストレスによって細胞が障害されると、臓器や組織がダメージを受けて、本来の年齢にふさわしい機能を果たせなくなる、つまり老化の加速につながります。
藤井酸化ストレスを抑えるには、どのような手立てがありますか。
川田酸化を抑えるシステムには2つあって、一つは体内で作り出している酵素による防御機構、もう一つが食品などからとるビタミンC、ビタミンE、ファイトケミカルといった抗酸化物質によるものです。最近、老化制御研究において、食品からファイトケミカルをとることによる刺激が体本来の抗酸化システムの働きを高める「ホルミシス作用」に関わっているのではないかという考えが出てきています[4]。有酸素運動をして息をはっはっ、とさせたとき体内で産生される活性酸素が体の防御機能を高めるスイッチになっている、それと同様の働きをファイトケミカルが発揮しているのでは、という考えで、私も注目しています。
藤井大変興味深いですね。さらにもう一つ、近年、老化に関わる因子として「糖化」も話題となっています。
川田糖化とは、体内で糖とたんぱく質が結びつくことによって糖化最終生成物(AGEs)が作られることを言います。空腹時に一度にたくさんの糖質をとる、というような急激に血糖値が上がるような食べ方をすると、糖が体内のあちこちでたんぱく質と結びつき、糖化が進行します。糖化が血管で起こると、動脈硬化を引き起こして心血管疾患などにもつながります。
藤井糖化を抑えるにはどうすればよいでしょうか。
川田糖質のとり過ぎを控えることはもちろんですが、野菜やキノコ、ナッツといった食物繊維の多い食品を食事の最初にとると、糖の吸収が緩やかになり、血糖値の上昇を抑えられます。アーモンドには血糖値上昇の指標を改善する効果も報告されています(下記グラフ)。また、糖化が皮膚に起こると、皮膚の黄ばみや弾力性の低下など見た目の老化も促進しますが、アーモンドの摂取が顔のしわの改善に影響を与える、という研究もあります[5]。
糖尿病予備軍の成人65人を対象に、エネルギーのうち20%をアーモンドから摂取する(アーモンド28gに相当)16週間の試験を行った。アーモンドなしの食事群と比較し、アーモンド摂取群は空腹時のインスリン値が大幅に減少した。
(データ:J Am Coll Nutr. 2010 Jun;29(3):189-97.)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/20833991/
藤井アーモンドには、老化を進める「酸化」と「糖化」を抑制する働きが期待できそうです。積極的に取り入れたいですが、先生はどのようなとり方をお薦めになりますか。
川田最近、私は皮ごと食べられるブドウと一緒に食べています。ブドウのみずみずしさでアーモンドのパサつきが和らぎ、風味も豊かになります。オフィスなどでナッツを食べにくい、という人は、液状のアーモンドミルクなら手軽です。アーモンドミルクは、朝食の際にシリアルにかけて食べるとおいしくヘルシーですし、コーヒーに混ぜると香り豊かなフレーバーコーヒーのような味わいを楽しめるので、気に入っています。
食は健康的な生き方の原点となります。まず、食習慣の改善からスタートしてみてください。体調が良くなり、気持ちが前向きになってきたら、運動をプラスするとさらにその効果は高まります。おいしいものを頂き、よく動き、幸せ感を感じることが好循環を引き起こしていきますよ。


母が「余命10日」の宣告を受けたとき、50代娘が一番後悔した決断

2020-12-23 15:58:01 | 日記

下記はプレシデントからの借用(コピー)です

「母が母でなくなり、私も私を保てなくなる」介護は“懲役刑”か
10年前、肺がんだった父(享年79歳)を自宅で看取り、正直「やれやれ」と思ったのも束の間、母(当時75歳)がある難病にり患していることがわかった。日ごとに体が不自由になっていく母の「なし崩し的介護生活」は、文字通り、問答無用で始まった。
親の介護をするつもりは1ミリもなかった。
両親は長男教であり、私は姉兄がいる末っ子で、しかも親から「嫁して実家の敷居をまたがず」という教育を受けてきたからだ。
両親の介護生活は10年を超えた。
その間は葛藤の嵐である。私は介護なんか、やりたくなかったのだ。
母は途中で認知症も加わり、私の知っている母ではなくなっていった。そんな姿をただ茫然と見つめる、あるいはムカつく、あるいは情けなくて涙するという日々に、母も私も互いに打ちのめされた。
介護は、母が「母でなくなる」ことを見せつけられるばかりか、私自身が「私を保てなくなる」ようで、お互いの平安のために、私はこの“懲役刑”が早く終わることだけを願っていた。
しかし、健康診断での母は常に内臓周りは異常なしの「健康優良児」。ケアマネに「よかったですね~!」と言われるたびに、更年期障害で苦しむ私は本気で「逆縁」(※)を心配したほどだ。
※本来、後に亡くなるはずの人間が先に亡くなること。
当時、私の中には母が死ぬという概念がなかった。「この人は死なない」と本気で思っていた。でも、母は死んだ。
介護はある日突然、はじまる。正確に言えば、徐々に介護が必要になる体に移行しているのだが、介護者にとっては、見て見ぬふりをしてきたという経緯があるので「ある日、突然」と感じやすい。「看取り」も同じだ。ある日、当事者にさせられる。
「お母さんの命はあと10日ほどですが、延命治療をしますか?」
約3年前の梅花の頃、母が入居する老人ホームの訪問医から、私はこう告げられた。
「お母さんの命はこのままですと、あと10日ほどですが、延命治療をしますか?」
前年秋に腸閉塞の手術をした母はそれ以来、食が細くなり、1日の大半をベッドの上でボーっとして過ごしていた。認知症は明らかに進行していたが、私との会話は辛うじて成立していた。とても10日後に死ぬ人には見えなかった。
しかし、時は急を要する。訪問医の宣告で世界はひっくり返った。
命を助けてほしければ、今すぐ、救急車で大病院に運ぶ。運ばなければ、死ぬ。救命か看取りか、選択肢はふたつだ。命の決断は認知症の母ではなく、介護のキーパーソンである私に委ねられたのだ。
実は、母は、その日からさかのぼること1年半ほど前、日本尊厳死協会が行っている〈リビングウィル〉に加入していた。つまり「延命治療は望まない」という意思カードを持っていたのだ。ならば、普通は「お看取り」を選択となりそうだが、私は迷走し、決断できなかった。
「延命治療しない」とすぐに決断できなかった理由
その理由は今、考えると、下記のようなことだったと思う。
1 「延命しない」は本当に母の意思なのか? という迷い
2 母への惜別の情
1について説明すると、こうなる。
以前から母は「体に管を付けないで!」と言っていた。それは、ベッドの上で病気の治療や救命処置のための管や電線などを体に取りつけられた入院患者を嫌というほど見てきたせいだ。
母自身も、認知症がさほど進行していない時に、病院側の意向で手にはミトン、腰には拘束ベルトという拷問生活を何度か体験したことがあり、それを本当に嫌がっていたのだ。
それゆえ、リビングウィルカードを無事に手にした私は、母が自分の意思で自分の最期を決めることができたと思い込み、満足していた。けれども、実際は母が100%決断したわけではなく、私が誘導した部分もかなり大きい。
母の「管を付けたくない」は「延命無用」という意味なのだと私は勝手に解釈し、「管を付けない=治療しない=死」という深いレベルでの意思を確認せぬまま、半ば強引にその書類にサインさせたようなところがある。
この機を逃せば、母が自著でサインすることはできなくなるという焦りもあった。ゆえに、十分な話し合いがなされ、母の本当の意思を確かめたとは、とても言えなかった。
母は昔から病院が大好きで、病院に行きさえすれば、魔法のように病は完治する。治らないのは病院に行く回数、あるいは医療者の技術が足らないのだというほど西洋医学信仰を持っているとしか思えないような人だった。それと矛盾するようだが、「管はつけないで治す」ということも母の“信仰”の延長線上にあったのだ。
「介護生活からの解放」を願っていた私と違う私が、そこにはいた
もちろん、そんな都合の良い話はなく、母の場合、生き永らえることはできるが、それは延命に過ぎず、いわゆる普通の暮らし(ベッドから起き上がり、口から食べる)に戻ることは困難だということは、訪問医の説明からも明らかだった。
しかも、一度、「延命」のボタンを押せば、もう後戻りはできないシステム。病床の天井を見つめるだけの時間が年単位で流れる可能性も大きかった。
そうやって客観的に親のことを見る一方、もしかして「奇跡」が起こるのではないか、という感情も私の中に存在した。「母は生きたいのではないか?」という思いがわきあがったのだ。
「どんな形であっても、奇跡を信じて、生かすことができる命は救うべき? それとも、それでは生きているとは言えないと考えるべき? どっちなの、お母さん?」
母が返事をできる状態の時に、こう聞けたらよかったのに……。
もちろん、死ぬはずがないと思っていた人間があと10日でいなくなるという事実に、急に惜別の情が湧いてきたこともある。昨日まで、あんなに「介護生活からの解放」を願っていた私と違う私が、そこにはいた。その事実に私はショックを受けた。
看取り担当の私の一番の苦しみは、母の命の糸を、フェイドアウトにしろ、カットオフにしろ、私が決めなければならないという責任の重さだ。「自分の手で母の命をカットオフする」。このことに耐えられなかった。
母が死なないのである。死なないというより、死ねない。
苦しみに苦しみ抜いて、私はやっと決めた。病院での延命措置ではなく、施設内での看取りを選んだ。「命の長さ」より「命の仕舞い方」を選んだのだ。しかし、ことは予定通りには運ばなかった。
母が死なないのである。死なないというより、死ねない。あらゆる臓器が死に向かっている中、心臓だけが頑張り抜いているようなイメージだ。
余命10日だったが、2週間が経ち、3週間が過ぎようとしていた。看取り経験豊富な施設長によれば、母の場合は「遠い溺死(治療死)か、近い餓死(自然死)」の2択。私は「枯れて死ぬこと」を選んだのだ。
1滴の水が飲み込めない母は絶飲状態。せめて、渇きを癒やそうと、唇を湿らせたガーゼで拭うと、母は口をパクパクしながら水を求める。その姿は陸に揚げられて、必死に呼吸をしようとしている魚のようだった。
母は苦しそうに見えた。さまざまな医療関係者が「自然な死は苦しくない」と発信しているのは嘘なの? それを信じていたのに、現実の母は苦しそうで、眠るように安らかには、とても見えなかった。
母を生かしたいのか、殺したいのか。どっちなんだ、私は。
繰り返し、繰り返し「今からでも病院に行くべき?」という思いがよぎっては消える。「外から不自然な手を加えて、それで1日、ひと月、1年と、長く生きることに意味があるのか?」との1人問答が延々と続いていく。
ある時は、苦しそうな姿を見ていられなくなり、母の鼻と口を覆えば、母は楽になるのか? という誘惑にかられた。そうかと思えば、母の足が異様に冷たくなりかけると必死に温めて、その命を長らえさせようとする私がいた。
生かしたいのか、殺したいのか。どっちなんだ、私は。
母は結局、1カ月近く経ったある日の夜半に旅立った。葬儀が過ぎ、50日祭(仏教の49日に当たる神式行事)が済んでも、私の心は重かった。耐え切れず、看取りの時にお世話になった看護師さんを訪ねて、こう聞いてみた。
「(延命措置をしなかった)私の決断は正しかったですか?」
延命措置をしなかった決断は正しかったのだろうか?
彼女は「判断する立場にはない」と言いながら、こう答えてくれた。
「ある高齢のご婦人の話をしますね。自宅でその時を待っていたその方は点滴を拒否されました。終末期の点滴は血管が脆くなっているので、漏れたり、刺す場所も見つけられなかったりで、刺し直しは激痛を伴うからです。
でも、ご家族は『最後まで治療を諦めないで!』と懇願されました。それでそのご婦人は、必要最低限の点滴をゆっくり入れることに同意され、やがて旅立っていかれました。『家族が望むならば、そうしましょう』というご希望だったのです。これはこれで、ご家族全員が納得された結果でした。
りんこさん、『死』は『死』であって、それ以下でも、それ以上でもないです。『良い死』『悪い死』というのもありません。そこには家族にしか分からない家族の思いがあるだけです……」
10日後に死ぬ母」延命しない決断を下した50代娘は見殺しにしたのか
私はもっとわからなくなり、今度は自分の姑に尋ねてみた。
「母を見殺しにしたんじゃないかって……」
姑はこう言った。
「りんちゃん、死は苦しいものなんやて。『最期は安らかに旅立ちました』と人は言うかもしれんが、それは最期の瞬間の話。人は泣き叫びながら逝くことはできんでね。でも、そこに至るまでは、どんな死に方を辿ろうとも、苦しいものなんやて。誰もが、そうやって苦しみを通って、また別の世界に行く。それを遺されたものが思い煩う必要はないんやよ」
母が逝って3年。今も本当の意味での整理はついていない。
私は両親を看取った後で「人は死ぬのだ」と驚く大阿呆である。
「人の死」を知らなさ過ぎたのだ。にもかかわらず、いきなり介護のキーパーソンになってしまい、「終着駅」を前にして、余計に大混乱に陥ってしまったのだと思う。
ただ、両親の死は私に最後の教育を施してくれたのだろう。それは「人はこうやって老いて、死ぬのだ」ということに他ならない。