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小室圭さんと母・佳代さん 父の自死直前、「湘南のパパ」と呼ぶ男性と会っていた

2020-12-24 09:15:24 | 日記

下記の記事はヤフーニュースからの借用(コピー)です

日本中が注視する秋篠宮家の長女・眞子さま(29才)と小室圭さん(29才)の結婚問題。眞子さまが“お気持ち文書”を発表し、秋篠宮さまが11月30日の会見で「結婚を認める」と述べられたことで、結婚への道筋は整ったが、小室家を巡る状況に新展開が訪れた。 
 これまで、タブーのよう深く語られてこなかった小室さんの父・敏勝さんの自死について、詳細を知る複数の関係者が重い口を開いた。すると浮き上がってきたのは、新たな登場人物を取り巻く、いびつな人間模様だった。この事実に秋篠宮家は何を思う──。  敏勝さんが自ら命を絶ったのは2002年のこと。敏勝さんが未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。敏勝さんは自殺を選んだのだ。  小室家の関係者によれば、敏勝さんは勤務先の部署異動によって希望の仕事ができず、上司との折り合いもつかないことに悩んでいた。さらに妻の佳代さんと敏勝さんの母親の間に嫁姑問題も発生し、間に入った敏勝さんは困り果てていた。  見るからにやつれた様子の敏勝さんを見て、周囲は心療内科に通わせることを勧めたが、佳代さんは「病院に行かないのは本人の勝手だから」と言い、2002年の正月には夫を自宅に残し、息子の圭さんを連れて実家に帰ったという。さらに知人に電話をし、「夫の食事、なんとかしてもらえます?」と、世話を頼んだのだ。 「夫について、知人から“心の病だと思うから病院に連れて行った方がいい”と助言されているのに、その夫をひとり置いて、母子で神奈川に帰って、他人に夫の世話を頼みますか?」(小室家をよく知る知人)  そして、こう続けるのだ。 「しかも、神経が衰弱している敏勝さんを置いて2人が向かった先は、佳代さんが『運命の人』、小室さんが『湘南のパパ』と呼ぶ、とある男性の元でした。なんと3人で、新春ドライブを楽しんでいたのです」
敏勝さんの捜索もしたYさん
 この男性を仮にYさんとしよう。小室家をよく知る知人が驚くべき説明を続ける。 「佳代さんから聞いた話では、Yさんは、敏勝さんの幼なじみの1人です。仕事の都合でアメリカでの生活が長かったそうで、“お金持ちでオープンカーに乗ってるの!”と、うれしそうに話していたのを覚えています。  Yさんが日本に帰ってきたのは小室さんが生まれたばかりのとき。当時、敏勝さん夫婦は横浜市役所の官舎に住んでいて、Yさんが帰国の挨拶に自宅へ来たのが初めての出会いなんだとか。  佳代さんは当時のことを、“圭を抱っこしながら玄関先でYさんを出迎えたときに目が合って、その瞬間にお互いが運命の人だって思ったのよ”と話していました。それから、互いに運命の人と呼び合っているということでした」  夫の幼なじみを“運命の人”と呼ぶことは、多くの人に奇異に感じられるかもしれない。 「佳代さんは、Yさんが住んでいる場所にちなんで、小室さんには『湘南のパパ』と呼ばせていました。小室さんもなついているようでしたが、自分の子供に、父親以外の男性のことを、パパって呼ばせることがそもそも驚きでした」(前出・知人)  Yさんと小室母子の3人は、よくドライブに出掛けていた。 「湘南の方に行き、ご飯をごちそうになっているという話は聞いていました。正月に敏勝さんを置いてドライブに行ったのも、佳代さんと小室さんにとってはいつものことだったのでしょう。Yさんは、色白で線が細く、身だしなみには確かに裕福な生活ぶりが感じられる男性でした。彼には敏勝さんの葬儀で会っているんですよ」(前出・知人)  なんとYさんは、小室さん母子と3人でドライブに行く傍らで、敏勝さんの幼なじみとして死を悼んでいたのだという。小室家の関係者もYさんを見たと語る。 「敏勝さんの幼なじみは数人いて、彼が2002年3月の深夜に家を出て亡くなった際、遺体が見つかるまでの数日間、幼なじみの面々が敏勝さんを捜してくれたんですが、そのなかにYさんもいました」  幼なじみを真剣に心配しながらも、その妻子とただならぬ関係だったYさん。 「佳代さんは“小室が死んだらとてもひとりじゃ生きていけないから、そしたら私は運命の人と結婚するの”と話していたほどでした。だから、敏勝さんの葬儀が落ち着いたときに、Yさんとの関係をどうするのか聞いたんです」(前出・小室家の関係者)  すると、佳代さんからは、思いもよらない答えが返ってきた。 《自殺なんて気持ち悪いことされたから、2人で話し合ってもう会わないことにした》  前出の小室家の関係者も、「自殺ということに対して、佳代さんは、よく『気持ち悪い』という言葉を使っていたのを覚えています」と語る。 「小室家の自宅の和室には、敏勝さん夫妻用のクイーンサイズくらいのベッドがあったんです。それについても、“自殺をしたような人が寝ていたベッドは気持ち悪いから処分したいのよ”と話していました」
もし110番が早ければ……
 自殺を想起させるYさんとの縁もすぐに切り、佳代さんは別の男性と交際を始めたと語るのは、小学校の関係者だ。 「敏勝さんが亡くなって1年も経たないうちに開かれた音楽の発表会に佳代さんは別の男性と手をつないで参加していました。それより前にも都心で腕を組んで歩いている2人が目撃されていたから、保護者内で一気に『もう別の人に……!?』と噂が広がったのを覚えています」  過去にも報じられてきた、佳代さんの元交際相手の彫金師・Aさんである。佳代さんは身を寄せる縁がないと不安になってしまう、そんな孤独を抱えているのかもしれない。敏勝さんが自殺を決断する前に、できたことがあったのではないか、といまでも後悔するのは、前出の小室家をよく知る知人だ。 「敏勝さんが行方不明になってから、警察に連絡した方がいいんじゃないかと佳代さんに話しても、“そんな連絡したら、いろいろ表沙汰になって圭が心配するからしない”と返されたんです。  何か事情があるのかとも思ったけど、一晩捜しても見つからず、警察への連絡を再度うながしても、また“ダメだ”と。世間体を気にされたのかもしれませんが、あのとき、無理を通してでも警察に電話をしていたら、敏勝さんは助かったかもしれないといまでも悔やんでいるんです」  敏勝さんの命日は平成14年3月5日。小室家の墓には、そう刻まれている。当初の予定通りであれば、眞子さまと小室さんの納采の儀は、敏勝さんの十七回忌の前日に執り行われる予定だった。その予定日からも、はや2年近くが過ぎたいまも、小室さんとその母親は説明責任を果たそうとはしていない。 ※女性セブン2021年1月7・14日号
https://news.yahoo.co.jp/articles/957bc0843792d954d27a222be196cc1682043a47?page=1

小室圭さんの父と祖父の自死に新証言 母・佳代さんが放った言葉と嫁姑問題


秋篠宮家の長女・眞子さま(29才)の婚約内定者・小室圭さん(29才)の家族を巡る状況に新展開だ。これまで、タブーのように詳細が語られてこなかった、小室圭さんの父・敏勝さんの自死。今回、その詳細を知る複数の関係者が重い口を開いた。すると浮き上がってきたのは、新たな登場人物を取り巻く、いびつな人間模様だった。この事実に秋篠宮家は何を思う──。 【貴重写真】幼い頃、マッシュルームヘアの小室圭さんと父親の敏勝さんのツーショットなど写真11枚
 窓際のダイニングテーブルに射し込む陽光が、机上に広げられた東京・国立市周辺の地図を照らしている。小室さんの母・佳代さんと祖父が、神妙な面持ちで向かい合って座っている。  小室さんの父・敏勝さんが、前日の未明に自宅を出て行ったきり、戻ってこない。パジャマ姿にスリッパを履いたままの状態で、24時間以上がゆうに経っている。知人の協力を得て自宅周辺をいくら捜しても見つからない……。  重苦しい空気を意外な形で切り裂いたのは佳代さんだ。突然、仁王立ちになって大声で義父に向かって怒鳴り散らし始めたのだ。 「小室は自殺している! それは全部あなたたちのせいだ!」  反論せず、じっと床を見つめて耐えている祖父の頭上に、更なる怒鳴り声が突き刺さる。 「あなたたちの愛情が足りないから彼は自殺したんだ!!」  小さな祖父の背中は、佳代さんの大声に反応する機械のように、罵声を浴びるたび、どんどん丸く小さくなる。その怒号がやんだのは、見かねた親族が割って入ってからだった。  翌日、立川警察署から電話が入った。多摩川近くで見つかったという。佳代さんの発言通り、敏勝さんは自殺を選んだのだ。そしてその1週間後、後を追うように、面罵された祖父も首を吊って自殺した──。  小室家の関係者は、佳代さんの電話越しの声が耳から離れないという。 《あのね、義父が死んだの! (敏勝さんの)弟は言葉を濁しているんだけど、どうも首を吊ったみたい!》  これは今回初めて明らかになった、いまから19年前の3月、小室さんが小学4年生のときの出来事である。小室家の関係者が語る。 「敏勝さんは、穏やかな人でしたよ。全然怒らない人で、おとなしくて。佳代さんが言うことを否定しない人で、何を言われても、“そうだね”と静かにうなずいて、なるべく彼女が自由にできるようにしていました。  仕事も一生懸命でね。小室さんの国立音楽大学附属小学校の進学に合わせて東京・国立市に引っ越してからは、勤務先の横浜市役所まで通勤するため、朝は小室さんが寝ている6時には家を出て、小室さんが寝てから帰ってくるような生活だったようです」  子煩悩で、佳代さんの意思にも従順な敏勝さん。何かをがまんするなら、常に自分自身だったのだろう。関係者が続ける。
「そうした生活の影響もあって、(2001年の)夏頃に体調を崩したようです。部署異動によって希望の仕事もできず、上司との折り合いもつかなかったことについても悩んでいました。見るからにやつれて、目にも生気が宿ってなくて。明らかに心の病だと思って、佳代さんに心療内科に通わせた方がいいんじゃないかと言ったんです。そしたら、“いやよ、病院に行かないのは本人の勝手だから”と。随分と冷たい人だなと思いました」  別の小室家の関係者は、嫁姑問題を指摘する。 「同じ頃、佳代さんは敏勝さんのお母さんとこじれていましてね。敏勝さんがマイホームを建てようとしていたんです。建築学科を出ている敏勝さんはマイホームを建てるのが夢でしたから。  敏勝さんのご両親がいろいろと支援をしてくれたそうなんですが、それに乗じて、佳代さんが家具とか内装にお金を掛けようとして予算が大幅にオーバーしちゃったみたいなんです。それで、お義母さんと佳代さんが大げんか。間に入った敏勝さんはほとほと困っていましたね」  家族、職場、実家──どこにも居場所がなくなった敏勝さんが、得意ではないお酒に手を出したのはこの頃だ。そして、敏勝さんが自ら命を絶つことになる2002年。正月早々、小室家をよく知る知人のところに、佳代さんから電話があったという。 「佳代さんと小室さんは、2人で実家のある横浜方面に帰るので、体調が悪いのにひとりで国立市に残る敏勝さんの様子を見ていてほしいと言うんです。心配なら一緒にいればいいのに“夫の食事、なんとかしてもらえます?”って。仕方がないから敏勝さんに電話をしたら、彼は遠慮したのか“もうよくなったから気にしないでください。寝てますから大丈夫ですよ”と答えました。  ただ、後から佳代さんに聞いた話では、そのときに敏勝さんは行方不明騒動を起こしていたんです。半日ほど多摩川の河川敷で過ごし、音信不通になっていたそうです」(小室家をよく知る知人)  多摩川。敏勝さんがここで自ら命を絶つのは、この2か月後のことだ。年が明けて間もない寒空の下の河川敷で、敏勝さんは何を見て、何を思っていたのだろうか──。 ※女性セブン2021年1月7・14日号

https://news.yahoo.co.jp/articles/7cf4a938393f7ac2945d7a2d105a1d46fe99d8bf?page=1



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