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ちっちと一緒に

線維肉腫と闘ったちっちとの大切な時間
ぼーちゃんとの出会いと別れ。珠ちゃんとの愛しい日々のこと。

6年前のあの日

2015-02-22 | ちっちの闘病記


今朝、まだぐっすり眠ってる珠ちゃんを撫でながら、
なぜだか4年前に亡くなった愛猫のことが頭に浮かんでいました。

『ワクチン性腺維肉腫』
ワクチン接種後、数年の潜伏期間を経て発症すると言われている、とても悪性度の高い肉腫。ペットの健康のために、良かれと思って打ったワクチンが、愛猫の命を奪ってしまいました。

朝食を食べながら、ラジオをつけて、あ、と思う。
東京マラソン。
ごはんを食べてるちっちの背中に、ひどく違和感のある"しこり"を見つけた6年前のあの朝も、テレビから東京マラソンの号砲聞こえていました。



人ではないけれど、
自分の子供ではないけれど、
同じ時間を生きる、小さな命が
わたしに教えてくれたこと。

病気に向き合うこと
命に向き合うこと

そんな大袈裟なことではないのかもしれないけど、
あの日がたぶん、転機だった。

2014年7月6日 ひまわり

2014-07-06 | ちっちの闘病記
今日は、ちっちの4度目の命日です。

実習の最中だというのに、お散歩に行くことができました。
奇跡(笑)
公園をぶらぶらして、ホームセンターで野菜の苗を買って、
家に帰って、庭いじりしてたら、


お花が届きました。



『ちっちに見せてあげてね』
って小さな手紙がついてた。

すごく嬉しい。
ありがとうね。

ちっちのことを覚えていてくれて、ありがとう。
ちっちは幸せ者です!







“ちっちは向日葵みたい”

って、あの当時いろんな人が言ってくれたけれど、

病気と闘って、ひたむきに生きたちっちの姿と、
太陽を向いてはじけるように元気な向日葵との対比が
あの当時、本当は少しだけ、つらかった。



その気持ちが消えたのは、いつ頃だったんだろう。。。

今、ちっちと過ごした日々は、
向日葵みたいにぴかぴかに輝いています。
つらかった闘病の時でさえも。


写真を見れば、
その時かけた言葉も、
やわらかな毛並みの感触も、
温かさも、
全部思い出せます。






今でも、ちっちのことが大好き。
これからも、ずっと。





ありがとう。




2013.7.6 虹

2013-07-07 | ちっちの闘病記
7/6はちっちの命日でした。

風の強い一日で、
夕暮れの少し前、空を見上げると

風に吹き飛ばされた濃い雨雲が散り散りになって
その向こうからくっきりとした夏の空が顔を見せていました。




空が輝いてる。。。。

そう思って、しばらく眺めていました。

ちっちがお空に旅立った3年前のこの時期は、
毎日とてもとても暑くて、
会う人が口々に

今年は暑いね。まだ7月なのに。
なにかおかしいね。

とそう話していました。


今年の梅雨は、昨日で明けたそうです。

今日は朝からもうなにかが違いました。
空気が夏です。

夕方のにわか雨のあとには、
綺麗な虹が見えました。

二重の虹をはじめて見ました。
マンションのベランダの正面に
大きな虹がふたつ。





虹をくっきりみせるために、無理な画像処理。
ああ、良いカメラが欲しいなあ。。。
と思います。


それにしても、虹。

こういうのって、
たまらないよね。
ねえ、ちっち。

ちっち、という名前を呼ばなくなったら、
わたしの生活はいったいどうなってしまうんだろうと
本気でうろたえて、
たくさん泣いたけど、

今はちっちと一緒に過ごした時間も、
うしなって苦しんだ時間も、
全部が愛おしい。

全部が愛おしい。

こんな気持ちになるなんて。





ずーっと子供顔だったね。

わたしの大切な茶トラの男の子。

きっといつかまた会えるね。







雨上がり、虹が消えたあとには、
大きな夏の空が待ってた。

夏がきたんだ。



永遠

2011-07-07 | ちっちの闘病記
ちっちの命日の今日も、
慌ただしく過ぎていきました。

帰りの電車でメール着信。

だんなさんから。

"ちっちは元気にトイレダッシュ&ちっちボールでぼーちゃんを凌ぐほど走り回ってるよ。

今朝はぶりのお刺身あげたんだ。"



うれしかった。

だんなさんの気持ちが。
二本並んで立てられたお線香が。そして、愛しいあの子たちが、並んでるのが。


永遠の存在。
そして、記憶の中で生き続ける。

今日は、永遠の存在になったあの子たちを胸に、
愛しい珠ちゃんと、
一緒に眠ろうと思います。



Rさん、AMRTAさん、胸に染みる言葉を、
ありがとうございます。




今日も携帯からの投稿です。
写真が横向いてたりして、見苦しかったらごめんなさい!
近々なおします、、、!

あの日から

2011-07-06 | ちっちの闘病記

あの暑すぎた日から、一年が、たちました。
今日はちっちの命日です。


なんてたくさんのことがあった
一年だったでしょう。

ふわふわと、
おもしろおかしく生きているだけだったわたしが、
ちっちと出会って、
大きな喜びを知りました。

そしてその大事なちっちが病気になった時、

わたしも新しい人生の一歩を
踏み出したかのように思うのです。

人生の厳しさに出会ったのかもしれないな。。
なんて、思ったりもします。。。

みゃー、ちっち、ぼーちゃん、珠ちゃん、

この子たちと生きる時間とともに、
わたしの生き方も、考え方や、心のあり方も、
変化していってるように思います。

猫との出会いが、
こんなふうに自分の人生に密接に関係してくるなんて、
思いもよらないことでした。

あの子たちと生きることで得る、
大きな喜びと、そして悲しみ、、、。


そのきっかけを作ってくれたのは、
ちっちだったと思います。

たくさん涙を流してしまうのは、
くじけたり、落ち込んだり、
疲れて言葉もなくなってしまうのは、

きっとまだこの新しい人生においては
わたしはまだ新米だからなのです。



悲しみを知って、
人はどうなっていくのでしょうか。

わたしにはわかりません。
きっとまだまだ、道の途中なんだと、思います、、、、。


つい先日、だんなさんに会った時、
どちらからともなく、ちっちの話になりました。



命日が近いからかな、最近よく思い出すんだよ。

だんなさんはそう言っていました。

ふたりで、ちっちのどんなシーンを思い出すか
話してみました。

だんなさんは、

「ゆうがシリンジでごはんあげたりしてた、
去年のちょうど今頃、ちっちが本当に弱ってきてしまっていた
最後の一週間くらい。
あの頃のことを、なぜかすごく思い出すんだ」
だんなさんはそう言い、
さらにこう付け加えました。

「でもそれは、悲しさではなくて、
あの時、ちっちほんとに頑張ってたな~、って、
もう愛しくてさ」

言葉にすれば、
ちっちへの想いが、
わたしとだんなさんの心に橋をかけます。

だんなさんの想いが、
同じ温度で
わたしにも伝わってきます。

同じ時間を過ごすって、
きっとそういうことなんですね。

彼がわたしと同じように、
猫との生活を大切に思ってくれる人で本当に良かったと、
わたしは恵まれていたと、思います。

わたしがちっちのことでここ最近一番思い出すのは、
まだ所沢に引っ越す前、
都内のマンションで、ちっちと暮らし始めた頃。

ちっちの豪快なトイレダッシュや、
その後2年以上、飽きずに遊び続けた
ちっちボールを追いかける姿。。。。。
ベランダに飛来する小鳥を追いかけて、
部屋をいったりきたりしてた姿。。。。

ぴかぴかの日々です。

それからもうひとつ、
それは、ちっちの再発を見つけた日のこと。。。


今もはっきり思い出せる。
これは、あの日に撮った一枚。

なぜかあの線維肉腫再発の日のことを思うのです。

家族の協力を得て、
たくさんの愛情とお金と時間を注いで、
ちっちの治療に専念し、

きっとちっちは助かるはず。

と、どこかでのんきに考えていたわたしの前にあらわれた、

小さな小さな、白い泡のような一粒の腫瘍。

目を閉じても、
目の奥に焼き付いて離れない記憶。


人生は、厳しいのかな、、、、。


あの時は、治療ことや、ちっちを救いたい気持ちで頭がいっぱいで、
そんなことを思う暇がなかったけれど、
再発がわかったあの日、
そのことに、また気づかされたのだと思います。

それでも、病気のちっちに寄り添った時間が、
今の方向を指し示してくれました。

誰かのために、
具体的に何かをしてあげられる人になりたい。
誰かを支えられる人に。
愛情をもって、生きていきたい。

今それは、わたしのキャパを大幅に超えて(笑)
それはもうヒーヒーいっているけれど(笑)




いつかまた、

ぐるっとひと回りして、

もう一度あのぴかぴかの日々に。

その時はもう、無邪気なだけじゃなく、

悲しさを知っているかもしれないけれど、

今よりももっと強く、まっすぐに立って、

自分のそばにいる存在を愛しく思っていたい。

そんなふうに思います。


暑い日々が続きます。

緩く風のふいた日の昼下がり、
ふと空を見上げると、
その風は一年前、
ちっちとだんなさんと一緒に、
所沢の家の庭でひなたぼっこをしていた時と同じ
やさしく木々の梢を揺らす風でした。





揚羽蝶が一羽ひらひらと羽を揺らしていました。

しばらく離れず、跳んでいました。

写真を眺めれば、
ちゃんと手の中にちっちの感触が蘇ります。

不思議です。
忘れてしまうのではないかと、あれほど恐れたのに、
ちゃんと覚えているんですね。

人生は厳しいけれど、
同時に、時にやさしい。



ちっち、ありがとうね。
いつまでも、大好きだよ。

長くなりました。
今日も読んでいただいて、
ありがとうございます。


ワクチン性線維肉腫 ちっちのこと

2011-02-06 | ちっちの闘病記
ちっち。



ワクチンが原因で発症する悪性腫瘍で
2010年7月6日旅立ったわたしの大事な愛猫です。

発症は2009年の3月。
その時点で、すでに
『目指すのは治癒ではなく、延命です』
と獣医師から告げられました。

このブログは、
大切なちっちの、
残された日々を記録しようと立ち上げたものでした。


カテゴリーの一番上にある
『ちっちの闘病記』には、その闘病と、日々のことが
綴られています。





『治癒ではなく延命』
と宣告されてはじまった治療でしたが、
望みを捨てたことはありませんでした。
先進の医療に頼りながら、
奇跡を信じて治療を続けました。

ちっちは最後の最後まで、
ほんとうによく頑張ってくれました。

もうこれ以上は望んではいけないのかな、
と、わたしが思うほどに、
小さな体に巣食った病魔と
懸命に闘ってくれました。

けれど、この、
ワクチンが原因で発症する線維肉腫
の悪性度の高さはものすごくて、、、、
ちっちの身体をあっという間に蝕んでいきました。。。。


暑すぎた2010年の7月初めに、
ちっちは旅立ちました。

ひたむきに生きた命と寄り添って過ごした日々は、
わたしに数え切れないほどたくさんのことを教えてくれました。

失った苦しみや喪失感も大きかったけれど、、、

優しい人たちの助言や、
支えてくれる人たちや
そして幸運な偶然が、
わたしを救ってくれました。

今でも強く思います。

愛するペットのためにと受けたワクチンが原因で
とても悪性度の高い腫瘍を発症してしまうこと、
たくさんの人に知ってもらいたい。



『ちっちと一緒に』

ブログタイトルをつけたときは、
大して何も考えていなかった(考える余裕がなかった)けれど

今は、
ほんとにそうだな、
と思います。

『ちっちと一緒に』

今はもう会えないけれど、
その存在はいつまでも心の中に

いつまでも一緒に。


読んでいただいてありがとうございます。




ワクチン性線維肉腫について→




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命の輝き2

2010-10-11 | ちっちの闘病記
ちっちが残してくれた
最後の命の輝き。

それを記しておかなくてはと思ったのに、
わたし自身がそれを冷静に振り返れるようになるまで
ずいぶん時間がかかってしまいました。

命の輝き1

その間に、わたしの心の中にも
様々な変化がありました。

けれど、
その輝きを記しておきたいという思いは
薄れることはありませんでした。

ちっちが残してくれた
最後の日々。

大切な大切な思い出。

悲しみの中で
悲しみの一部として
綴りたくなかったのかも
しれません。

今、ようやく
しっかりとふりかえれるような気がしています。

長くなりますが、おつきあいください。



**************

あれほど恐れた腫瘍の脳への転移。

背中にできたワクチン性線維肉腫が
最も転移しやすい部位は肺。
それから足。

厳密にいえば、ちっちは脳腫瘍では
なかったと思います。
でも、限りなく脳に近い部分、
首にできた腫瘍が、
神経を刺激し、
それによるさまざまな諸症状に
苦しめられることになってしまいました。



ちっちの背中の内側を這うように
じわじわと広がりを見せた腫瘍は、
いつのまにか、ちっちの首の根元を内側から押し上げ、
こぶ、というよりは、
背中につながる首の根元全体を盛り上げていました。

その部分は、温熱療法により、
ふくらんだりしぼんだりを繰り返していたように見えました。

それよりももっとひどかったのが、
そのさらに上部、
後頭部、といえる部分にできた、
大きくて硬い塊でした。

それは石のように固く、
細胞とも思えないほど固く、
重さすら感じさせ、
あまりの不自然さに
触ることもはばかれるものでした。

その腫瘍には、
先生ももう、手をつけませんでした。

下手に刺激をして、
活動が活発になってしまった時の危険性は
あまりに高かったからです。

ちっちが時折
「う~。。。。。」
小さくうめきながら首をすくめる時、
ちっちの首の上に、
重い石がどっかり乗っているように見えました。

血液検査では、最後まで
異常値は見られず、内臓の疾患の可能性は
少ないと言われました。

けれど、さまざまな症状が次から次へとあらわれ、
ちっちから自由を奪っていきました。
症状に追いつこうと、
先回りして食い止めようと、
追いかけても追いかけても、
追いつくことができませんでした。

腫瘍が脳や神経を刺激したことが
諸症状の主たる要因だったことは
ほぼ間違いないと思います。

だからこそ、次にどのような症状が現れるのか、
それを予測することは
誰にもできなかった。



腫瘍部分が熱を持ち、
その活動が一気に活発になると
腫瘍部分自体が痛みや熱をを発し、
ちっちは瞬く間に衰弱していきました。
みるみる体重は落ち、
食欲が失われ、
多飲多尿がはじまりました。

そして、
徘徊や粗相などの痴呆症状
瞳孔不動
耳の痙攣
貧血
全身の痙攣発作

見た目の変化も激しく、
駆け足で年をとっていっていくかのように、
ちっちは小さく小さくしぼんでいってしまいました。

最後は完全に寝たきりでした。

まだ11才とは思えない姿でした。


でも。

それでも。

どうしてなのでしょうか。

以前はあれほど恐ろしかった
その衰弱の過程が、
決して考えたくないと思っていた
その姿が、
目の前にあるのに、

その時
わたしの中にあったのは、
ただちっちへの愛おしさだけでした。

確実に迫りくる死や喪失の恐怖さえも、
そこにはありませんでした。




小さく短いリズムで弱々しく上下するお腹、
投げ出されたかのように力なく寝そべる姿
遠い呼吸、
うつろな視線
小さな体
しがみつくかのように、毛布をつかむ丸い前足



わたしの目の前にあったのは、
『死』や『衰弱』ではなく、

ただまっすぐに
ひたむきに生きようとする

『生』

そのもの

『命の輝き』

そのものでした。



それは
あまりに純粋で、尊いものでした。

その強い輝きを前に、
目をそらすことはできませんでした。

たくさんの幸福をくれたちっちに
わたしができることは、
泣き崩れ、不安におびえ、
目をそらし、逃げることではないと、
その輝きが、はっきりと伝えていました。

ちっちの姿を最後まで見つめ、
自分が愛した、
たったひとつの尊い命を
しっかりと目に刻みつけ、
記憶することだと
思いました。

だから、
どんなことがあっても、
決して目をそらさない。
全て受け止めるのだと
心に誓いました。

なにも怖くありませんでした。

わたしは、ちっちのことが
本当に大好きでした。






もし、これを読んでくださる人の中に、
自分のペットの末期に不安を感じている方がいたら、
わたしは、だいじょうぶです、
と言いたい。

愛があれば、
なにも怖いことはありません。
愛しい存在のすべてを
受け止めてあげられるのは、
その子を心から愛してるあなただけです。
だから、だいじょうぶです、と
きっとだいじょうぶです、と
言いたいのです。


***************


長くなりましたが、
最後に、わたしの宝物のメールを
ここに記録しておきたいと思います。

ちっちの闘病の末期、
仕事に出てるわたしのかわりに、
昼間ちっちを看病してくれた母親が
わたしに送ってくれたものです。

このたどたどしくて(ごめん)
短いメールが、
眩しい輝きを放った
ちっちの最後の日々を
どんな言葉よりも正確に伝えてくれます。

わたしの一生の宝物です。



6月10日 
11:35

11時30分に 無事 ちっちは、お薬を飲みました。
うんちは、小さいのが3こくらいありますので、
とります。しばらく様子を見て、帰ります。


14:48

今ちっちはちっちボックスで、ぐっすり眠っています。
2時までうとうとしていたので、しばらくは、熟睡すると思います。
あれから うんちも おしっこも、ありません。
もうしばらくいてから、帰ります。


6月21日 
15:37

11時30分 お水をたくさん飲んですぐおしっこ多い。
1時30分お水を飲んですぐおしっこ少ない。
すぐ下に降りて、トイレの前でしばらく眠って、
二階に登ってお水を飲んでおしっこ無し。
ベッドですやすや。
部屋の室温は、最適。
涼しい風がふいてなんと気持ちいいことだろう。
夕方からは涼しくなるだろうから、除湿は、切っていきます。

6月22日
15:54

今日のちっち、おしっこ 1回しておりました。
ベッドからまったく降りてこなかったので、
口もとまでお水を持っていったら、少しお水を飲んで
トイレをベッドのそばまで運んだら、おしっこと
緩いうんちをして、又自分でたくさんお水を飲み
階段に10分くらい寝そべって 自分でまたベッドにのぼって
寝そべっています。
今日は、昨日より室温は涼しいけど、
風がないので除湿して気持ち良さそうに、眠っています。
昨日より 元気は、ありません。
空気が触れるほどの接触でも不快を表します。
もしかしたら痛みがあるのかもしれない。
4時までは、おしっこお水無し。

16:36

帰ろうとして、ちっちを見に行ったら、
ちっち、おしっこのそそうをしたばかりで、
なんともいえない、かおりを、していました。
ベッドから、間に合わなかったと、思います。
お水をたくさん飲んで、ケースの中に
入っていきました。

6月23日
13:12

今日のちっち、昨日よりは調子良さそうに
すやすや眠っていました。
11時に おしっこ。
上手くやったー。
あれ?おしっこない!
そうです、水色のケースにシャーシャー。
周りに漏らさず上手にはいりました。
その後 お水たくさん。
つめとぎにゆったりと、50分くらい寝そべっています。
その後上手におしっこをして、気持ち良さそうに
ベッドで眠っています。

16:04

4時に日が照ってきたので、クーラーをつけて
帰ります。
2時からずっとケースの中ですやすや眠っています。
おしっこは、全部で4回です。

6月30日 
16:49

ちっち、4時に下からベッドに運びました。
その時はすんなり抱かれましたが、その後不機嫌になり、
ちょっとのことでも怒ります。
お水は、たくさん飲みました。
今はすやすや、安定した呼吸です。

7月3日
12:49

おまたに、テッシュを挟んで、
すやすや眠っている。
おしっこ一回しました。





15:42

気持ち良さそうに、眠っています。
しっぽも、力強くバタバタと、すごい勢いで振ります。
今日は安心して、少し早めに
帰れそうです。

17:36

ちっち、おしっこ3回しました。
まったく立ち上がることなく垂れ流し状態なので、
やはりおむつを使ったほうがいいと、思いました。
おまたのテッシュのおかげで、そそうなく
無事クリア。
ちっち、気分良さそうに、穏やかな瞳でじっと見てます。



これが、
ちっちの様子を告げる最後のメールになりました。
旅立つ3日前の様子を告げる最後の一文は

『ちっち、気分良さそうに、穏やかな瞳でじっと見てます。』

でした。




お母さん、

本当に、ありがとう。






虹の橋









またまたあくびシーン

2010-07-22 | ちっちの闘病記
うん。

ちっちのあくび、最高。(親ばか)


あくびって、一見当たり前のことだけど、
じつは元気な証拠だった。

人間は眠いときにあくびをするけど、
猫は、寝起きにしかしない(と思う)
猫のあくびは、きっちり目を覚ますため(と思う)
つまり、熟睡した後にしかしない。
眠る前にはしない。

少なくとも、
ちっちのあくびは、いつもそのタイミングだった。

だから、病状が悪化していくにつれ、
眠っていたり、丸くなっていても、
熟睡できていない時間が長くなると、
必然的にあくびもなくなって、
最後のほうは、もう全然なかった。
一回も見なかった。

だから、あくびシーンは、健康で、平和な証拠。

ま、見るからにそんな表情です(笑)










前回も今回も、それぞれ
首のまわりにカラーをつけてる。

肛門のう炎を併発してる時の写真。

それだって、充分平和だった、って証拠。

4枚目の写真の、顔のゆがみっぷり。

こちら↓↓↓



ちっちは、大きく口をあけてあくびのあと、
その口を閉じるとき、
口の左側を先に閉じてから、右側を閉じる、という
癖がありました。

ちなみに、口を大きくあけすぎて、
顎がはずれたことも、ありました(笑)







 ※コメントのお返事、少しずつしています。
  お手数ですが、さかのぼっていただけると幸いです!


ちっちのあくび

2010-07-21 | ちっちの闘病記
ちっちのあくびシーンが大好きでした。

お口をあんぐりあけて、
かわいいとは言いがたい顔になるので、
お母さんなんかは、

「ちっちの変な顔」

と言っていたけど、

わたしは、むしろそれが愛しくて。。。。。

今でも、その写真をみると、
ちっちがいた頃のことが、生き生きとよみがえります。

ちっちのあくびシーン、大好きでした。














ちっち、今頃なにしてるかな。。。。。?


あの日のこと② ~ちっちの最後の闘病記~

2010-07-11 | ちっちの闘病記
先生ははじめ、
「あ、ちょっと発作が起きちゃったかな、、、」
と言って様子を見ていました。

痙攣を抑える薬を注射したばかりだったので、
その意味で少し楽観していたのかもしれません。

でも、
ちっちはもんどりをうって、横向きに倒れ、
伸ばされた四肢が、空をばたばたと掻いていました。
口のまわりは透き通るような白になり、
一文字にきつく結ばれ、
体は、手足の先までがぶるぶると震えていました。

「先生、これ、、、、!?」
わたしは思わず声をあげました。叫んでいたと思います。
明らかに緊急事態でした。
こんな大きな発作ははじめてでした。

先生も
「ちょっと、心肺停止が、、、、」
というようなことを、小さく口の中で呟いたあと、
とても素早い動作でちっちを抱え上げ、
診察室よりもさらに奥の部屋に
二人の動物看護士の人たちと、駆け込んでいきました。

その瞬間、
走っていく先生の肩越しに、
ちっちの顔がありました。

それが、
自分で呼吸をし、目を開いているちっちの姿を
わたしが見た、最後でした。

もうすでにその時、意識はなかったのかもしれません。
でもその時、ちっちの視線は、
まっすぐにわたしを見ていました。

・・・誤解を恐れずに言うのなら、
その時、わたしの中に浮かんだ言葉は、

あ~。。。ちっちは可愛いなあ。。。

でした。

なんてのん気な!!
と自分でも思います。
でも、本当にそう思ってしまったのです。
一種の現実逃避だったかもしれません。


先生の肩越しに見えたちっちの顔は、
被毛があるのに、そんなことあるのかしら!?
と思うほど、蒼白でした。
真っ黒な瞳は、信じられないものを見たかのように大きく見開かれ、
輪郭は小さくなり、先生の肩の横で揺られるちっちの姿は、
まるで仔猫のようでした。

わたしは、ちっちが仔猫のときの姿を知りません。
でも、本当に、その時はまるで、仔猫のようだったのです。。。。

もしちっちに意識があったとしたら、

おねえちゃん!
今、そんなのん気なこと言ってる場合じゃないよ!
まったくもう!!

と、憤慨したと思います。

でも、
ちっちが最後に目にしたものが、
その場に立ち尽くして、
ちっちの可愛さに茫然と見惚れる
わたしののん気なばか面だったとしたら、
それはそれで良かったのかもしれないと思っています。

きっと、わたしは、
いつもちっちを見る時と全く同じ顔で、
ちっちを見ていたはずだから。。。。

ちっち大好き
ちっち可愛い
ちっち大好き

そう、もう嫌になるくらい、
ちっちはわたしのその顔を知ってるはずだから。

ちっちは

あ~やれやれ、
おねえちゃんがぼくのこと好きなのは、
もうわかってるよ。

と、いつものように呆れて、
でもどこかで、そのいつもの感覚に安心してくれたと
思うのです。。。。。


先生と動物看護士さんたちが消えた部屋からは、
バシュッ!バシュッ!という、
空気が洩れるような、大きな音がしていました。

後で考えれば、もうそんなことを言っている状態では
なかったのかもしれないけれど、
その時わたしは、その大きな音を聞いて、
(先生、そんな大きな音をたてたら、
またちっちに発作が起きちゃう。。。。!!)
と、そんなことを心配していました。

でもあの音は、きっと、
心臓マッサージの電気ショックの音か、
人工呼吸器を作動させる音だったのです。

そう。
たぶん、あの時、すでにちっちの心肺は停止していたのだと
思います。

診察室の外の待合室では、
女の人の大きな声がしていました。

「今日はー、爪きりとー、・・・・」

誰かと話しているのでしょうが
その女の人の声しか聞こえず、
なぜかワンちゃんと決め付けたわたしは、

町の動物病院には、本当に爪きりなんかで
来院する人がいるのだなー・・・・・
それともワンちゃんの爪きりは、
猫のよりも難しいのかなー・・・
と、ぼんやり考えていました。

ちっちの爪きりは、
だんなさんの趣味でした。
ちっちはもうちょっと伸ばしたいだろうに、
だんなさんは、透明な三日月のような綺麗な爪を発見すると、
大喜びですぐにチョッキンチョッキン
してしまうのでした。。。。

そういう、日々の細やかなことは、
だんなさんのほうが得意だった。。。

ちっちの小さな変化、
ちっちの小さな好み、
そういうものに、だんなさんは
いつも誰よりも先に気がついた。

ちっちと静かな時間を過ごすのは、
だんなさんの方が、得意だったかもしれない。



奥の部屋の半分開いたドアの隙間からは
先生たちがせわしなく動き回る姿が見えました。

そこは、普段わたしが出入りする
診察室のずっと先にありました。
わたしが立ち入っていい場所とも
思えませんでした。

けれど、


行かなきゃ。
今行かなきゃ、絶対にだめだ。
ちっちを見なきゃ。
絶対にだめだ。

自分の中で、声がしていました。

ちっちはわたしの猫なんだ。
わたしが見ないで、どうするんだ。
いつまで遠慮すれば気がすむんだ。


わたしは、奥の部屋のドアの前に
駆け寄りました。
そして、ドアにかじりついて、
言いました。
「見させてください!」

誰も、だめだと、言いませんでした。

誰も、わたしのことなんか、気にしていませんでした。

ちっちは、口に管を通され、
体中にクリップのついた線をつけて
横たわっていました。
すでに意識はありませんでした。

お腹は人工呼吸器から送り込まれる酸素に
風船のように自動的に膨らんではしぼむのを
繰り返していました。

心拍数を告げる電子音と、
人工呼吸器の空気の音が満ちていました。

いつも穏やかなK先生は、
ちっちの股の間に注射をしたり、
人工呼吸器のつまみを調整したり、
信じられないほどきびきびと動き回っていました。
わたしの横をすり抜け、診察室付近に戻り、
何かの道具を持ってまた駆け込んできました。

その動きが少しおさまった時に、

「ちっちに触れても、いいですか」

と、声をかけました。

先生は少しだけ、また何かを微調整した後、
わたしを部屋に通してくれました。

「さっき、一度心臓が止まったのですが、
今、なんとか持ち直してくれています。
ただ、自発呼吸が戻らない状態です」

先生はいつものように、淡々と説明されました。

心臓の心拍数を告げる線は、乱れた波形を示していました。

「このまま、呼吸が戻らないと、どうなるのですか」
「脳に酸素がいっていない時間も長いですし、
その影響は残ると思います」

なんとなく、わかっていたことではありました。

その時、言うより先に、涙があふれてきました。

人間と違って、猫が、人工呼吸器だけをつけて
生きるなんて、きっとあり得ない。。。。

「先生、もし助からないのなら、先生のご判断で、、、、」
先生が、わたしの目を見ていました。
はじめて先生と目があったように感じました。
そして、わたしはそこまで言いかけて、
自然と自分で打ち消していました。

「でも、ちっちががんばろうとしてるなら、
がんばらせてあげてください」

涙声だったと思います。

その時、その場で、
ちっちの死のことを考え、口にしたのは、わたしだけでした。

先生も、動物看護士の方も、
たとえ無理だとしても、
みんな、ちっちが生きるためだけに、動いていました。
そして、もちろん、ちっちも。

電子音が鳴る感覚が伸びていき、
心臓の鼓動を示す波が、小さくなっていました。

ちっち!!
ちっち!!

おねえちゃん、ここにいるよ!
がんばって!
ちっち!
ここにいるよ!
がんばって!

ちっちの耳元に顔をよせ、
声を殺して、何度も言いました。

その時、電子音が、また強く響きました。

「ちっちちゃん、えらいぞ!!」

誰かがそう言う声が、聞こえました。

「ちっちちゃん、がんばって!!」

その声も聞こえました。

「戻りましたね・・・・・」

先生が、波形を示す画面を見ながら、
驚いたように、静かに言いました。


そして、みんながその画面を見つめ、
ほんの少しの時間がたった後、
ゆっくりと、
波形は再び乱れていきました。

長い直線と、ほんの少しの波形。

また、少しの時間が流れました。

ちっち、おねえちゃん、ここにいるよ。

わたしは、何度も、ちっちにそうささやいていました。
それしか、できることは、ありませんでした。

やがて、
先生が波形を指差して、
口を開きました。

「これは、正しい心臓の動き、というよりも、
心臓の痙攣のようなもので、、、、、」

先生はご自身の握りこぶしを使って、
それを軽く握ったり離したりしながら、
淡々と説明されていました。

・・・・先生は、どんな時も、変わらないな。。。。

説明。

事実を、ありのままに述べる、説明。

この先生は、いつも一貫してそうでした。

悲観もなければ、楽観もない。
厳しい現実も、淡々と。
事実を。

できないことは、できないと。

ありのままに。

感情を出さずに、説明を。

患者とは常に距離を置いているのがわかったけれど、
それは少しも冷たいものではありませんでした。

いつ行っても、
同じ態度。

きっと、どの患者さんに対しても
そうなのだろうと、思います。

そして、時に、饒舌なまでに、説明を。

誠実に。



わたしは、先生を見つめ、
画面を見つめ、
手はちっちの体に触れていました。
その手は、ちっちのぬくもりを感じていました。

先生は、今の説明で、
わたしが理解しなかったと思ったのでしょうか、

少し困ったように、
自身の首の後ろに片手を回し、
「まあ、一応、これで、心肺停止です」
と言いました。

先生らしい、言い方だなあ。。。。。

わたしは、ぼんやりと、そう思いました。

そして、携帯電話の時計を見ました。
時間は9時23分でした。

それから、ちっちにすがりつきました。

これが、ちっちの最期でした。




ちっちの体から、
管がはずされ、
線がはずされていきました。

先生が、ちっちのおなかを絞って、
最後のおしっこを出していました。

病院に来る前に、バッグの中で少し
うんちとおしっこをしてしまっていたので、
量は少なかったけれど、

きちんとした、黄色のおしっこで、匂いもありました。
きらきらとしていました。

動物看護士の方が、
バッグを持ってきてくれました。
おしっこで汚れてしまったトイレシートは
新しいものに変わっていました。

先生は、少し力を入れて、
ちっちの瞳を閉じようとしました。

そのせいで、ちっちはまるで眉をしかめたような
おやっさんのような顔になり、
わたしは少し笑ってしまいました。

「先生、この顔、ちっち、ちょっと変です。
だいじょうぶです。わたし、目を開いているちっちの顔が好きです」

それから先生は、
死後硬直が始まっても、
ゆっくり筋肉をのばすようにすれば、
体を動かすことは可能であることなどを
丁寧に教えてくれました。

ちっちを、ちっちバッグにおさめ、
蓋をしないまま、抱えました。
先生にお礼を言って、
お会計は、今日のお昼までか、
午後の診療時間内に、
とにかく今日中に必ず来ます、と告げて、
病院を出ました。

もう、待合室には、誰もいませんでした。

その時、ふと時計を見たのですが、
時刻は10時4分でした。

ちっちが息絶えてから、
40分近く、たっていました。

その間、何をやっていたのだろう。。。?
と不思議に思いました。

そして、車に乗り込んで、家に帰りました。

薬を持ってきてくれるはずのお母さんを、
待っていました。

会社にいるだんなさんに電話をしました。
電話口で、だんなさんの声がつまるのが
わかりました。



ちっちを、庭の見える、
窓辺に寝かせました。

愛しさだけが、ありました。

愛しくて
愛しくて

まだあたたかいちっちに、
ずっと触れていました。
















ちっちの最期を、このように刻み付けることが
どんな意味をもつのか、
今のわたしにはまだわかりません。

ただ、記憶が薄れてしまう前に、
書き留めておかなければ、

という思いだけでした。


決して読んで心地よい内容でもなく、
読みづらくて長い文章を
最後までご覧いただき、感謝いたします。









あの日のこと① ~ちっちの最後の闘病記~

2010-07-11 | ちっちの闘病記
ちっちの闘病記として、
書き残しておくべきことも、
もう残りわずかになってきました。

わたしが見たもの。

ひとつも、忘れたくない。
どんなに悲しくても、忘れたくないのです。
どんなに苦しくても、
なにもかも、全て、憶えておきたいのです。


長くなってしまいますが、
もしよろしければ、お付き合いください。



ちっちの、最期。

これが生前最後の写真になりました。



ちっちはもう一晩中、目をつぶることが
ありませんでした。
ただ、時折、信じられないくらい
優しい瞳で、
わたしを見ていました。







あの日、7月6日 8時30分の少し前、
K病院に電話を入れました。
診療時間は9時からでしたが、
もう、先生たちは病院にいるだろう、と思って。。。。

ちっちはもう、一刻の猶予も許されないように見えました。

K先生に往診をお願いすると、
「発作の診察やその他の処置をするにしても、
器材が整っているほうがいいから、
連れてこれるなら連れてきてください」

とのことでした。

ちっちは、
もう、どんな小さな緊張でも、
発作を起こしてしまう状態でした。

お水を飲ませようと、意識の朦朧としたちっちの口元に
お水のお皿を近づけたときでさえ、
そのお水がちょん、と、あごについた
その些細な衝撃でさえも、
発作の要因となってしまいました。

ちっちの発作は、
もともと荒い呼吸がさらに荒くなり、
前足をぐん、とつっぱらせ、上半身を起し、体を小刻み震わせる
というものでした。
足に力が入らないのか、つっぱらせた前足は、
伸びたまま徐々にハの字に広がっていき、
それが限界に達したところで、
ちっちはトスンっと、また布団の上にうつぶせにつぶれてしまいました。

目は黒くなり、
緊張に見開かれていました。

よだれを流して暴れまわる、
というほどの強い発作ではありませんでしたが、
これをもう昨日の夜からずっと繰り返していました。



ちっち、
ちっち、

だいじょうぶだよ、

おねえちゃん、ここにいるよ

だいじょうぶだよ、

おねえちゃん、ここにいるからね



その日それから、何度言うことになったかわからない
その言葉を、
わたしはただただ繰り返し、
ちっちの額を撫でるしかありませんでした。

キャリーバッグにちっちを移そうとした時も、
予想通り、発作は起きました。
わたしは、バッグのふたはあけたままにし、
ちっちの体がつぶれないようにして
(先生に、呼吸をしやすい状態を保って、と言われていたので)
バッグごと膝の上に乗せて車を発進させました。


病院についたのは、8時35分くらいだったと思います。

待合室を素通りして、すぐに診察室に通されました。

K先生はちっちを見て、

まず、貧血がひどいこと。

つぶれた姿勢で横になっているのは、
少しでも呼吸をしやすくしようとしているのだということ。

わたしは昨日の朝までは、シリンジでごはんを
あげていました。
その時は少しも気にならなかったちっちの口臭が、

その日の朝、病院に連れていこうと
抱えあげたとき、急激に強くなったことに気づいていました。

明らかに、内臓が悪くなっている証拠でした。

それから、
抗けいれん薬の説明。

抗けいれん薬は大きくわけて2種類。

麻薬系のものと、脳の働きを弱めて痙攣をおさえる薬。
薬の名称も聞いたのですが、その時はメモをとる
余裕がなく、あとで改めてもう一度聞こう、
と思ったのを憶えています。
あとで、、、、、。
それはもう、意味のないことになってしまいました。

「麻薬系のものは、今の状態で使うと、
そのまま昏睡に陥って、目覚めない可能性がある。
だから、どこまで効果があるかわかりませんが、
脳の働きを弱めて、痙攣をおさえるほうの薬を注射します」
K先生はそう言いました。

K先生には、いざという時、安楽死のことまで
お願いしてありましたが、
先生の口からその言葉が出ることは、
とうとう一度もありませんでした。

その時、今母が越谷の病院に取りにいってくれている
座薬のことが頭をよぎりました。

(※なぜふたつの病院をかけもちしているかは、ここでは
省きます)

越谷の先生にその座薬の説明をされたときも、
この座薬はとてもきつい薬で、使ったらちっちの体は
もたないかもしれない。と言われていました。

おそらく越谷の先生の処方した座薬は、
麻薬系のものだったのだと思います。

。。。。そして、わたしの中に、一抹の不安がよぎりました。

ちっちの今の状態を知っている、二人の先生が
使ったときには覚悟してくださいと、口をそろえて言っている、
強すぎる薬。
その薬を、次に強い発作が起きたとき、
家にいる誰かが、
使わなくてはいけないんだろうか。。。。。
そんなこと、できるだろうか。。。。。



細長い注射器の中には、薄い黄色の液体が入っていました。

それがちっちの後ろ足の根元に注射されました。


それから、点滴にうつりました。

その時、ちっちが、
先生に噛みつこうとしたので、
とても驚きました。

そんな力が残っているとは
思ってもみなかった。

ちっちは、K先生には、というか、
男の先生には、いつも意外と反抗的だった。。。。

わたしには絶対に噛み付かないけど、
だんなさんとは、よく戦ってた。。。。。

力強く、我慢強く、そして優しい子でした。


先生が器用な手つきで
ゴムでちっちの前足をしばりました。
でも、いくら待っても、ちっちの血管は
浮き出てきませんでした。

ひどい貧血な上に、
度重なる治療で、血管が磨耗して細くなって
しまっていたからでした。

ちっちの血管のあるべき場所に細い注射針を刺すと、
一本の絹糸のような赤い血がツーーと
流れ出てくるの見えました。
でも、点滴をするには、さらにその血管に
もう一回り太い針を刺さなければいけないのです。
その針が、ちっちの血管には、もう入らなくなっていました。

「うちにある、一番細い針でも、ちょっと
むずかしいみたいですね、、、、」

両方の前足に、同じように試してから、
先生はそう言いました。

ちっちはもう、点滴も受けられない体に
なってしまっていたのでした。。。。

先生はそれから一度、奥に入って、
なにやらごそごそとやっているようでした。
他に何かできないかと、
何かを探していてくれたのだと思います。

その時、計った体重は、
3・98キロ。

「ちっちちゃん、痩せたー・・・・」

若い女性の動物看護士の方が、呟いたのが聞こえました。
わたしよりずっと若い子で、
いつもちっちに直接、

「ちっちちゃん、元気?」
「ちっちちゃん、もうちょっとがんばろうね」
「ちっちちゃん、えらかったね」
と、声をかけてくれる人でした。

ちっちの治療中、緊張を強いられる場面は
いく度もいく度もありました。
脳腫瘍を疑われたとき、
肺のレントゲン写真に細かな影がうつったとき、、、、、

でも、わたしがこらえきれず病院で涙を流してしまったのは、三度。
一度目は、悪性腫瘍を宣告された時
二度目は、腫瘍の再発を宣告された時
そして、三度目は、ちっちが亡くなった時。
すべてK病院でした。
病院には、お母さんと一緒だったり、
だんなさんと一緒だったりすることがほとんどだったのに、
そういう宣告をされる時、そこにいるのは、
なぜかいつもわたし一人でした。

それは本当に不思議なめぐり合わせ、としか
いいようのないものでした。

その動物看護士の方は、
そういう時、いつもそこに居合わせていました。

表情を見るような余裕はなかったけれど、
わたしよりずっと若いその女の子が、
泣き出すわたしの横で、体を一歩ひいて、
ただ静かにわたしが落ち着くのを
待っていてくれるのをいつも感じていました。

そして先生が戻ってきた時、
これまでにない大きな発作が起きたのです。





 







  ※コメントのお返事が遅くなっています。
  少しずつ、返信しています。
  お手数ですが、遡ってみていただけると、幸いです。

さよならのとき

2010-07-09 | ちっちの闘病記
さよならのとき

7月7日 朝9時30分。
狭山丘陵の森の中にある、小さな斎場で、
ちっちの火葬を執り行いました。



その日、予報では朝から雨だったけれど、
空はぎりぎり持ちこたえてくれて、
傘は開かずにすみました。

ちっちと過ごした最後の晩、
ちっちと一緒に、
室温23度の超冷却部屋で、
真冬とおんなじ格好をして、
毛布をかぶって過ごしました(笑)
明け方には、寒さで頭痛がしてくる始末でしたが、
その場を離れることはできませんでした。

一晩の間に、何度も保冷剤をとりかえたので、
それはまるで、ちっちの看病の続きのようでした。

だんなさんが帰ってくるまで
家にいてくれたお母さんは、

「このクーラーちゃんと効いてるの?だめだよ、
ちゃんと冷やさなきゃ」
ち言いながら、
「それ、ちっち、ちょっと寒すぎないかねぇ。。。。」
と、何度も言っていました。

ほんとうにちっちは、眠っているだけに見えた。。。。

保冷剤を変えるたびに、ちっちの硬い体を持ち上げました。

ちっちの体は冷たい鉛のようだったけれど、
被毛は滑らかで、心地よい柔らかさを保っていました。

切歯の一本も抜けることなく、
肉球には弾力があり、

病気さえなければ、ちっちは
まだまだ若く、健康な猫だったのだと
思い知らされました。


横たわるちっちの体を
何度でも撫で、
頬をよせ、
その体に触れることができました。
とても久しぶりのことのように感じました。
生前の最後のように、
触れることもためらわれるほどの
過敏な何かは、もうそこにはありませんでした。



冷たく静かな長い夜の間、
ちっちの手に触れながら、
ただただ見つめて過ごしました。

すると時折、わたしがまばたきをした拍子に、
まるでちっちがまばたきをしたように見えて、

わたしは、その次を待ちました。
息をつめて。
それは、眩暈のような時間でした。

指先がぴくりと動くのではないか、
横になったまま、ぐぐぐっと体を伸ばすのではないか、、、、

そんなことを思いながら、
時々眠りに落ちて、
また目を覚ましました。

そして朝がきました。

ちっちの最後のごはんを
用意しました。

「ほら、ゆうが用意してあげて」
と、だんなさんに言われたとき、
涙がぽろぽろ出ました。

タイ
まぐろ
ぶり
びんちょうまぐろ

前から思ってたけど、ちっちのごはんは贅沢です。

それから、いつも食べてたドライ
鶏肉味とお魚味。
それから厚削りのかつおぶし。

ちっちの、はじめてのお弁当だね。

もうちっち元気だから、
お魚そんなに細かく刻まなくても
食べれるんじゃないの?

え~?基本的にちっちは
めんどくさがりだから、
細かくしといたほうが食べるんだよ

手のかかるやつだなあ(笑)

そんなことを言い合いました。

そして、
ちっちをちっちのお気に入りのブランケットでくるみ、
わたしが助手席でちっちを抱いて、斎場に向かいました。

はじめて、麻布大学病院に
ちっちを連れていった時の記憶が
よみがえりました。

あの時も、このブランケットにちっちをくるんで、
病院に向かったのでした。



車の窓から外を覗き込むちっちの顔が、
サイドミラーに映っていて、
その顔がすごく可愛いと、
わたしはよく騒いでいました。

また、泣いていしまいそうでした。

わたしもだんなさんも、
もうあまり口を開きませんでした。

森の中にある斎場は、
5月の上旬にに二人で歩いていたときに
偶然見つけました。

見学に行くと、
対応してくれた人もとても物腰がやわらかく、丁寧でした。

澄んだ空気の中を、鳥のさえずりが聞こえていました。
静かだけど、
豊かな自然の輝きに満ちていました。

ここならちっち、さみしくないね。
うん。さみしくない。

そう言って、パンフレットをもらったのですが、
その日が、こんなにも早く訪れるとは、
あの時は、本当に思ってもみなかった。。。。。


式は静かに滞りなくすすんでいきました。

ちっちに持たせるもの。

お弁当。
ちっちボール
お気に入りのブランケットの切れ端
お花

最後に、お水を含ませたコットンで
ちっちの口を濡らしてあげました。

最後ですのでね、
声をかけてあげてください、

と斎場の人に言われたとき、

もうわたしに、かける言葉は見つかりませんでした。

ただ、横たわるちっちの体に頬をよせました。

おねえちゃん、ぼく眠いんだ。。。
ぼく、今日ちょっとだるい。。。。

いつものように、ちっちの話す言葉が
聞こえてくることは、ありませんでした。

ちっちはもうここにはいないのだと、
わかりました。

そして、
ちっちの静かなからだが、
さよならのときを、告げていました。

病気と闘った、小さな体。

もう、いいね。
もう、自由になろう。

もう、自由になろう。

ありがとう。
ちっち、ありがとう。

そう、送り出しました。

炉が閉まり、空気が震えて、
少し開かれた小さな丸い穴から
明るい炎が点火されたのが見えました。


合唱して、目を閉じました。

ちっちが、空に満たされていくのを
感じました。





ちっちのお骨は、
爪の先から、尻尾の先まで、
どれも全て完璧に、残りました。

腫瘍があった肩甲骨や首の付け根の部分も
どこにもそんな形跡はありませんでした。

ふつう、ほとんどなくなってしまう
頭の部分も、あまりに美しく完全な形で残っていたので、
斎場の方も驚いていました。

ちっちはいつも、
おかえりなさいのゴロンをする時、
こっちがハラハラするほど
床に頭をゴチン!していたのでした。

ちっち、鍛えてたんだね。。。。。

わたしとだんなさんは、思わず目を見合わせました。


時間はたっぷりあります。
ゆっくりと、全部飼い主様の手で、
入れてあげてください。

そう斎場の方は言ってくれました。

小さな白い骨壷に、ちっちのお骨を
すべてわたしたちの手で、移しました。
どんな小さなかけらも、見逃さず。
全部。

乾いた音が、していました。
愛しさに胸がつまりました。
そして、そのあまりの見事さに、
清清しさと、誇らしさを感じました。

丁寧な式をしてくれた斎場の方に
感謝しています。







2010年 7月7日 

はじまりの朝のような清清しい空気の中で、

ちっち、お空に還りました。













※コメントのお返事が遅くなっています。
落ち着いたら少しずつお返事させていただきます。
本当にありがとうございます。



ちっちの名前を呼ぶ

2010-07-07 | ちっちの闘病記
6日、
夕方になりお母さんが帰り、
仕事から帰ってきただんなさんが、
もう一度所用で出かけた後、

それは、
ちっちを病院から連れて帰り、
お母さんを迎え、
お母さんに事の次第を説明し、
斎場の予約をとり、
段取りを確認し、
病院にお礼に行き、
ちっちに添えるお花とお刺身を
買いに行き、
だんなさんを迎え、
今日あったことを説明した、後のことでした。

何もすることがなくなって、
わたしはちっちと部屋にいました。

ちっち好きだよ~
ちっち、可愛いねぇ
ちっち、大好きだよ~
ちっち、えらいね~
ちっち、よくがんばったね~

相変わらすのボキャブラリーのなさで(笑)、
いつものように
額を撫でながら
声をかけていました。

でもその瞳は、
以前のように気持ち良さそうに
閉じてくれることはなくて。。。

ちっち、
ちっち、
ちっち、

次第にただ名前を呼ぶだけになっていきました。
何回も名前を呼びました。

ちっち

という、耳に残る心地よい響き。
その響きを自分で追いかけるみたいに、
何度も呼びました。

その響きに包まれていると、
ちっちの様々な姿が
浮かんできました。

止まらなくなって、

何度も何度も
おかしくなったみたいに
呼び続けました。

ちっちは一生懸命がんばったのだから、
感謝の気持ちで
笑顔で送り出さなきゃいけないと
頭ではわかっているつもりなのに、
どうしても止められませんでした。

ちっち

あたたかさ、やわらかさを含んだその響き、

それが、わたしの毎日から消えてしまったらどうしよう。
どうしたらいいんだろう。

ちっちがいなくなっちゃったら、
誰にそう呼びかければいいんだろう。

どうしたらいいんだろう。
どうしたらいいんだろう。

どうしようもなくて、
ただ泣き続けました。

ちっちをくるんでいた布をめくりとって、
抱きしめました。

ちっちはあんなにがんばったのに、
わたしは自分がさみしいことだけで泣いてる。
なんて自分勝手なんだろうと思ったけど、

忘れないよ、なんて言ったって、
人間は忘れる生き物だもの。
完全に完全に覚えておくなんてできないもの。

感触だって匂いだって
ぬくもりだってやわらかさだって
本当に覚えておくことなんてできない。

ちっちの名前を呼ばなくなったら
ちっちの感触を忘れてしまったら
ちっちの記憶が薄れてしまったら

わたしはいったいどうしたらいいんだろう。

。。。。。


そうしてしばらくたった時、
ふと顔をあげると、
以前、友達がわたしの誕生日にくれた、
大きく引き延ばしたちっちの写真のパネルが目に入りました。

くるんと体を丸めて、
足を抱え込みながら
物憂げな目線をこちらに向けている写真です。


ああ、そうか。
写真がある。
ちっちを撮った、
たくさんのたくさんの写真がある。

そして、ちっちのことを記録した
この日記がある。

そうか。
それを見ればいいんだ。
それに話しかければいいんだ。

それに全部残ってる。
走るちっち
眠るちっち
おトイレするちっち
家中のあちこちに体をこすりつけながら歩くちっち
おかえり、と出迎えてくれるちっち
おねーちゃーん、ごはーん!と催促するちっち
つめとぎするちっち
お股に急ぐちっち
ひなたぼっこするちっち

そうか
みんなここにある。

ちっちはわたしの前からいなくなったりしない。

いなくなったりしないんだ。

そう思ったら
少し落ち着きました。

わたしが悲しみすぎて、
だんなさんがわたしをカバーする役回りになり、
だんなさんの悲しみが宙吊りになってしまわないよう、

そろそろしっかりしようと思います。


今、外にちょっとお散歩に出ました。(夜10時頃のことです)
ちっちと一瞬でも離れるのは
ほんとーーに名残惜しいけど、

だんなさんにも
ちっちとふたりっきりで
悲しむ時間をあげなくちゃ。

ちっちをしっかり抱き締めて、
自分の気持ちに向き合う時間を
あげなくちゃ。

だんなさんはわたしがいると、
「俺、実をいうとゆうに黙って、ちっちに2回くらいビール飲ませたことあるんだよね、、、」
←中毒になる!!

とか、ふざけるから。

でも人間はそんなに強くないし
男の人は結構弱いくせに、
強がりだし(笑)

だんなさんとちっちには
男同士の友情があったし(笑)

そして、
ちっちのことが大好きだった人たちにとって
この日記が少しでもその悲しみをやわらげるものであるといいな、、、

と思う。

そして、
わたしは
だいじょうぶですと、
伝えたい。

やれるだけのことはやったから、とか、
強いから、
とか、
そんな理由でなく、

ただ、ちっちのことが好きだから。
ちっちへの愛情が溢れて、
わたし自身まで包んでくれているようだから。
ちっちと過ごした日々が、
優しくわたしを包んでくれているようだから。

なんだかそんなふうに思う。

そして、
わたしに、
よくがんばったよ
と言ってくれる人たちの支えを感じるから。

明日は、
精一杯のありがとうの気持ちを添えて、
ちっちを送り出したい。


ちっちの写真を載せます。
もう、魂は入ってない写真です。

でも、
とても可愛いから。
とても健やかに眠っているから。
どうか見てやって下さい。

























ちっち、大好きだよ


命の限り

2010-07-06 | ちっちの闘病記
ちっち、
7月6日 9時23分
息を引き取りました。

最期まで、命の限り、一生懸命がんばってくれました。




心肺停止になった時、
わたしが呼びかけると、
一瞬止まっていた心臓が動きだし、
命を取り戻してくれました。

「ちっちちゃん、えらいぞ!!」

そこにいた、
先生か動物看護士の方の声が
聞こえました。

わたしの声が届いて
ちっちの命が助かるなら。。。

夢中で名前を呼び、
体を撫で続けましたが、

次第に心拍数は小さくなっていきました。

心拍数を示す電子音と波形は
まだ小さく動きを示していましたが、

「これは、もう心臓の正しい動きではなく、痙攣のようなもので、、、、、」

と、K先生は、いつものように
少し困ったように
言いました。

そして、静かに、

「心肺停止です」

と告げました。


ちっちの最期を、ちゃんと看取ることができました。

明日の朝、
お母さんとだんなさんとわたしの立ち会いのもと、
火葬します。

森の中の小さな斎場です。


伝えたいことはたくさんあるのに、
今はこれ以上は言葉がでてこないみたいです。。。

ちっちを見守ってくれた方々、
本当にありがとうございました。
ちっちは、最期まで生きることを諦めず、
精一杯がんばってくれました。

まずはご報告まで。

みなさま、本当にありがとうございました。

痙攣発作

2010-07-06 | ちっちの闘病記
昨日の夜19時半くらいから、
1分~6分くらいの
断続的な痙攣発作が続いています。

越谷の先生に連絡すると、
危険を伴っても
痙攣を抑える薬が必要、とのこと。
座薬を出してくれるそうです。

ちっちを越谷まで連れていくことはできません。

もし今後、10分も30分も発作が止まらないようだったら、
今晩は
近隣の夜間の緊急外来を受け付けている病院に行くことになりました。

K先生にも連絡をしました。
K病院は、家から車で1、2分のところにあり、
緊急の際には
点滴、痛み止め、痙攣止め、そして安楽死までお願いしてあります。

K先生のところには、抗けいれん薬は、注射と飲み薬しかないとのことでした。
痙攣発作中は、飲み薬はあげられず、
つまり病院のやっている時間中に
ちっちを連れていかなければいけないということでした。
ただそれも、
K病院なら可能です。

今日はまず、
病院があく時間の前に連絡して
連れていき、
注射か、処置をしてもらうつもりで、
今あと数十分を待っています。

座薬は、今日中に、母が越谷の病院に取りに行ってくれます。

母のもらってくる座薬を待ってもいいのかもしれませんが、
痙攣発作はおそらくそれほど激しいものではない(と推測します)ものの、

一晩中呼吸は荒く、
発作の回数も3~4回はあり、
ただ、痙攣自体はどれも数分で一応おさまるのですが、
呼吸は早いままなので、一晩中切れ目なく、
もちろん眠ることもなく
ずっと緊張が続いている状態でした。

お水だけは、何度も飲ませましたが、
昨日の夕方もごはんをあげることもできず、
きっと相当消耗しているはずです。

点滴などの処置を含めて、
まずちっちをK病院に連れていきます。

最も激しい発作がおきたのは
早朝4時半でした。

緊急の夜間外来の診療時間は
朝の5時まで。
車でいけばギリギリ間に合うか間に合わないか。

電話を入れると、
「必ず時間内に来てください。間に合いますか?
「金額は、夜間診療で15000円。それから別途処置料金がかかります。こちらは応急処置のみです」
と、淡々と説明されました。

その時、ちっちの様子が少しおさまったので、
思わず
「あ、今少しおさまってきた、、、」
とつぶやくと、
さっきまでと同じ人なのかな!?と不思議に思うほど、
電話の向こうの人はいきなり饒舌になり、
なんだかいろいろまくしたてられました。

かかりつけの病院があいたらすぐに連れていったほうがいい
とか
ここでは応急処置しかできない
とか
やたらと、がんばってください、とか。

早くちっちのそばで、名前を呼んであげたかったので、
いらいらしました。


ちっちは、名前を呼ぶと、
しっぽで返事をしてくれます。
名前を呼びながら額を撫でると、
呼吸が落ち着きます。

一晩の間で、
おどろくほど優しい表情をした時もありました。

あと15分たったら、
病院に電話を入れます。
往診を頼めるなら、頼みます。
無理ならすぐに
車を駐車場から出して
ちっちばっぐにタオルとペットシートを敷いて、
連れていきます。

少しの緊張でも、
発作が起こります。
病院行くだけでなく、今の状態で動かしただけでも
危険かもしれません。

でも、今、
母が座薬を持ってきてくれるのを、あと数時間待つことはできません。

今、少し、
ちっちの呼吸は落ち着いています。

あと12分です。