昨日の記事。
なぜ今になって苦い過去を振り返ることにしたのか・・・。
それは、知人から、温熱療法が受けられる病院についての相談を受けたからでした。
越谷の病院についての思い。
今まで、言葉にするのを自分で抑え込んでいたわけではありません。
あまりに健気で、純粋だったちっちの存在。
その存在を失った時、わたしの中にあったのは、喪失感だけでした。
獣医師に対する怒りも、悲しみも、悔しさも、
病気に対する無念の思いすら、
ちっちを失った悲しみを前にすれば、遠い出来事でした。
でも、知人から温熱療法の相談を受けた時、
ある感情が、自分の中に強く存在していることに始めて気付きました。
『もう、あの病院にはまかせたくない』
そこにあったのは、怒りでも悔しさでもなく、
悲しさとやりきれなさでした。
はじめて越谷の病院に足を運んだとき、
きっとここは良い病院だと思いました。
暖かで穏やかな陽射しが差し込む広々とした清潔な待合室の中を
先生や動物看護士の方が忙しく動き回り、
大型犬を携えた飼い主さんたち、小型犬を抱っこする飼い主さんたち。
飼い主さんたちの先生方に向ける視線は、
信頼に満ちていました。
院長である獣医師も、診察室にこもっているわけではなく、
誰よりも快活に院内を動き回り、
病状のせいで待合室に入れず、病院の庭先で順番を待っている
寝たきりのワンちゃんのところへ足を運び、
看病に疲れた飼い主さんに声をかけているのを何度も見ました。
わたしに対してもそうでした。
わたしにとって、越谷の先生は、治療の方向を指し示してくれる先生でした。
少なくとも温熱療法を続けている間は。
ここでわたしが、病院名を名指しするのは簡単です。
でもそれをしないのは、
あの動物病院のあの獣医師を信頼し、治療に望みをかけている
多くの飼い主さんの存在を知っているからです。
誰かにとって最良の病院が、
わたしにとっても最良とは限らない。
その逆もまた然り。
そしてわたし自身が最初に感じたあの動物病院への信頼。
獣医師への信頼。
信頼したからこそ、ちっちをまかせました。
それらがすべて間違いだったと、自分自身に認めさせるのは
ちっちを失ったわたしには耐えられないことでした。
あの病院が、獣医師が、信頼出来ないとは
言えないし、言いたくないのです。
だからわたしはその感情を、自分の胸の中にしまいこんだのだと思います。

それでも、その知人から話を受けたとき、
一番に心の中にわき上がったのは、
『もう、あの病院にはまかせたくない』
という思いでした。
それはもう、仕方のないことでした。
どんなに認めたくなくても・・・・・。
「とても良い病院を知ってるよ。ちっちを助けることはできなかったけれど、
精一杯のことをしてくれた。わたしはとても感謝してるんだ」
そう言えたなら、どんなに幸せだったことか・・・。
けれど現実は、
「ちっちが温熱療法を受けた病院は、おすすめできない・・・・」
という言葉でした。
それはとても悲しいことでした・・・・。
飼い主は、獣医師を信頼したい。
信頼したいのです。
たとえ首をかしげたくなるようなことがあっても、
不信感を抱いたとしても、
この先生を信頼して、ついていきたい、と、
いつも願っているのです。
それしか、自分の大切な存在を守ることはできないのだから・・・・。
今、珠ちゃんとぼーちゃんが通っている病院は、
ちっちのかかりつけだったK病院ではありません。
でも、K病院は、K先生は、誠実な先生だと思っています。
なにかあれば、頼ろうと思っています。
K先生の良いこところは、出来ないことはできないとはっきり言ってくれるからです。
そしてきっと、どの子も平等に診てくれるからです。
今は、ちっちが貧血から呼吸困難の発作が出たある日曜日の午後、
休診の病院が多い中、
あいているところを必死になって探した時に、
快く受け入れて「すぐに連れてきてください」と言ってくれた
救急受付もしている病院に通っています。
幸い珠ちゃんもぼーちゃんも健康に過ごしているので、
頻繁に通う、というわけではありませんが・・・・。
ペットの闘病を経験した方なら、
誰もがさまざまな思いを、きっと今でも胸の内に抱いているのではないかと思います。
その中には、まだ言葉にすることすらできない、
辛く苦しい思いも・・・・。
今回、わたしがこのようにその思いを言葉にできたのは、
珠ちゃんとぼーちゃんの存在があったからです。
珠ちゃんとぼーちゃんが、わたしを悲しみの淵から救ってくれました。
だからわたしは、悲しみからは少し離れたところで、
静かに過去を振り返れたのだと思います。
ちっちにしてあげられなかったこと。
したくてもできなかったこと。
それを彼らにしてあげようと思います。

ちっちの存在は、永遠です。
珠ちゃんやぼーちゃんを大切に思えば思うほど、
その存在は強く、永遠になっていきます。
ちっちはもういないけれど、
珠ちゃんとぼーちゃんと過ごす時間の中に、
ちっちはいつまでも存在している。
そう信じています。
もし、これをお読みの方で、ペットを亡くした悲しみの淵にいる方がいたら、
わたしみたいなヘタレの泣き虫がいうのはおこがましいけれど、
失った悲しみは、その喪失感は、
愛情を傾ける相手を探しているかもしれない。
という言葉を置いてあげたい。
そして、その愛情を待っている子が、どこかにいるかもしれない。
恐れないで。信じて。
そう言ってあげたいです。
長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございました。
なぜ今になって苦い過去を振り返ることにしたのか・・・。
それは、知人から、温熱療法が受けられる病院についての相談を受けたからでした。
越谷の病院についての思い。
今まで、言葉にするのを自分で抑え込んでいたわけではありません。
あまりに健気で、純粋だったちっちの存在。
その存在を失った時、わたしの中にあったのは、喪失感だけでした。
獣医師に対する怒りも、悲しみも、悔しさも、
病気に対する無念の思いすら、
ちっちを失った悲しみを前にすれば、遠い出来事でした。
でも、知人から温熱療法の相談を受けた時、
ある感情が、自分の中に強く存在していることに始めて気付きました。
『もう、あの病院にはまかせたくない』
そこにあったのは、怒りでも悔しさでもなく、
悲しさとやりきれなさでした。
はじめて越谷の病院に足を運んだとき、
きっとここは良い病院だと思いました。
暖かで穏やかな陽射しが差し込む広々とした清潔な待合室の中を
先生や動物看護士の方が忙しく動き回り、
大型犬を携えた飼い主さんたち、小型犬を抱っこする飼い主さんたち。
飼い主さんたちの先生方に向ける視線は、
信頼に満ちていました。
院長である獣医師も、診察室にこもっているわけではなく、
誰よりも快活に院内を動き回り、
病状のせいで待合室に入れず、病院の庭先で順番を待っている
寝たきりのワンちゃんのところへ足を運び、
看病に疲れた飼い主さんに声をかけているのを何度も見ました。
わたしに対してもそうでした。
わたしにとって、越谷の先生は、治療の方向を指し示してくれる先生でした。
少なくとも温熱療法を続けている間は。
ここでわたしが、病院名を名指しするのは簡単です。
でもそれをしないのは、
あの動物病院のあの獣医師を信頼し、治療に望みをかけている
多くの飼い主さんの存在を知っているからです。
誰かにとって最良の病院が、
わたしにとっても最良とは限らない。
その逆もまた然り。
そしてわたし自身が最初に感じたあの動物病院への信頼。
獣医師への信頼。
信頼したからこそ、ちっちをまかせました。
それらがすべて間違いだったと、自分自身に認めさせるのは
ちっちを失ったわたしには耐えられないことでした。
あの病院が、獣医師が、信頼出来ないとは
言えないし、言いたくないのです。
だからわたしはその感情を、自分の胸の中にしまいこんだのだと思います。

それでも、その知人から話を受けたとき、
一番に心の中にわき上がったのは、
『もう、あの病院にはまかせたくない』
という思いでした。
それはもう、仕方のないことでした。
どんなに認めたくなくても・・・・・。
「とても良い病院を知ってるよ。ちっちを助けることはできなかったけれど、
精一杯のことをしてくれた。わたしはとても感謝してるんだ」
そう言えたなら、どんなに幸せだったことか・・・。
けれど現実は、
「ちっちが温熱療法を受けた病院は、おすすめできない・・・・」
という言葉でした。
それはとても悲しいことでした・・・・。
飼い主は、獣医師を信頼したい。
信頼したいのです。
たとえ首をかしげたくなるようなことがあっても、
不信感を抱いたとしても、
この先生を信頼して、ついていきたい、と、
いつも願っているのです。
それしか、自分の大切な存在を守ることはできないのだから・・・・。
今、珠ちゃんとぼーちゃんが通っている病院は、
ちっちのかかりつけだったK病院ではありません。
でも、K病院は、K先生は、誠実な先生だと思っています。
なにかあれば、頼ろうと思っています。
K先生の良いこところは、出来ないことはできないとはっきり言ってくれるからです。
そしてきっと、どの子も平等に診てくれるからです。
今は、ちっちが貧血から呼吸困難の発作が出たある日曜日の午後、
休診の病院が多い中、
あいているところを必死になって探した時に、
快く受け入れて「すぐに連れてきてください」と言ってくれた
救急受付もしている病院に通っています。
幸い珠ちゃんもぼーちゃんも健康に過ごしているので、
頻繁に通う、というわけではありませんが・・・・。
ペットの闘病を経験した方なら、
誰もがさまざまな思いを、きっと今でも胸の内に抱いているのではないかと思います。
その中には、まだ言葉にすることすらできない、
辛く苦しい思いも・・・・。
今回、わたしがこのようにその思いを言葉にできたのは、
珠ちゃんとぼーちゃんの存在があったからです。
珠ちゃんとぼーちゃんが、わたしを悲しみの淵から救ってくれました。
だからわたしは、悲しみからは少し離れたところで、
静かに過去を振り返れたのだと思います。
ちっちにしてあげられなかったこと。
したくてもできなかったこと。
それを彼らにしてあげようと思います。

ちっちの存在は、永遠です。
珠ちゃんやぼーちゃんを大切に思えば思うほど、
その存在は強く、永遠になっていきます。
ちっちはもういないけれど、
珠ちゃんとぼーちゃんと過ごす時間の中に、
ちっちはいつまでも存在している。
そう信じています。
もし、これをお読みの方で、ペットを亡くした悲しみの淵にいる方がいたら、
わたしみたいなヘタレの泣き虫がいうのはおこがましいけれど、
失った悲しみは、その喪失感は、
愛情を傾ける相手を探しているかもしれない。
という言葉を置いてあげたい。
そして、その愛情を待っている子が、どこかにいるかもしれない。
恐れないで。信じて。
そう言ってあげたいです。
長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございました。
そろそろ珠ちゃん・ぼーちゃんを
登場させよう!次こそは!
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