基本図式3-1
基本的構図
(A) (a)作者→{(b)人物→(c)世界}
(B) (a)作者→{(b)世界→(c)人物}
(C) (a)作者→{(c)世界}
今回は(B)の構図を有するフィクション作品が沢山あることを納得してもらうのが目的です。
前回、次のようなことを言いました。
「我々が知りたいのは、我々が「揺るがしがたく」作品と共有するところの(ある側面から見た)真実です」
しかしながら、次のような疑問がわきます。
我々は何かを知るため、あるいは発見すること(だけ)を目的として小説を読むのか?
殆どの人が違うはずです。
この知るために何かをする、特に世界を知るために何かをするというのは、「世界観」という哲学的態度と共通項を持つ、いわば「芸術としての小説」に偏った考え方です(さらに言えばこれは芸術的態度の中でも限定的なものでしょう)。
そして、そこには大切な「娯楽性」が欠如しています。
ということで、私が何を言わんとしているか大体察しがついたと思うのですが、(B)の構図は主にいわゆるエンターテインメント小説に見られるものです。
そこでは主人公たちはいわば伝記的に語られる、つまり、周辺に起こる事件などによってその人物が語られていきます。
と、言ってもまだ納得いかない人のために、とびっきりわかりやすい例を挙げます。
但し、小説ではないのですが、とにかく笑っちゃうくらい(B) (a)作者→{(b)世界→(c)人物} という構図が分かりやすく表れている例です。
それは最近の映画なのですが、タイトルもずばり
「容疑者室井慎次」
「NANA」
……分かり易すぎですね(笑) タイトルから言って、架空の人物が主題になっています。
ただ、小説において、それが分かり難いのは、文そのものがいわば宿命的にもつ性質によります。
例えば次の文を見てみましょう。
「室井慎次はその女弁護士を見て可愛いなと思った」
分かりやすく(人物・世界)を(内・外)で置き換えると、(内)というのは「室井慎次」で(外)というのは「その女弁護士」です。
つまり、上の文章はこの場合の(人物)「室井慎次」を通して(世界)「その女弁護士」が描かれているという風に「も」解釈できるわけです。
実際には「その女弁護士を見て可愛いなと思うような室井慎次」を表しているとしてでもです。
そして、このような形の文章はほぼ全ての小説に必ず出てきます。
要するに文章によって物語るという行為が殆どの場合、人物の「内言(語)」の記述を含まざるを得ないわけですね。
そのため、どうしても(内)→(外)という形を含む場合が殆どとなるわけです。
だから、構図(A)における(b)人物→(c)世界という図式を(少なくとも局所的には)含むものが殆どとなり、構図(B)が見かけ上隠れてしまうわけです。
では、構図(B)を有する作品において、私たちはその何に魅力を感じるのでしょうか?
それが次回のテーマです。
基本的構図
(A) (a)作者→{(b)人物→(c)世界}
(B) (a)作者→{(b)世界→(c)人物}
(C) (a)作者→{(c)世界}
今回は(B)の構図を有するフィクション作品が沢山あることを納得してもらうのが目的です。
前回、次のようなことを言いました。
「我々が知りたいのは、我々が「揺るがしがたく」作品と共有するところの(ある側面から見た)真実です」
しかしながら、次のような疑問がわきます。
我々は何かを知るため、あるいは発見すること(だけ)を目的として小説を読むのか?
殆どの人が違うはずです。
この知るために何かをする、特に世界を知るために何かをするというのは、「世界観」という哲学的態度と共通項を持つ、いわば「芸術としての小説」に偏った考え方です(さらに言えばこれは芸術的態度の中でも限定的なものでしょう)。
そして、そこには大切な「娯楽性」が欠如しています。
ということで、私が何を言わんとしているか大体察しがついたと思うのですが、(B)の構図は主にいわゆるエンターテインメント小説に見られるものです。
そこでは主人公たちはいわば伝記的に語られる、つまり、周辺に起こる事件などによってその人物が語られていきます。
と、言ってもまだ納得いかない人のために、とびっきりわかりやすい例を挙げます。
但し、小説ではないのですが、とにかく笑っちゃうくらい(B) (a)作者→{(b)世界→(c)人物} という構図が分かりやすく表れている例です。
それは最近の映画なのですが、タイトルもずばり
「容疑者室井慎次」
「NANA」
……分かり易すぎですね(笑) タイトルから言って、架空の人物が主題になっています。
ただ、小説において、それが分かり難いのは、文そのものがいわば宿命的にもつ性質によります。
例えば次の文を見てみましょう。
「室井慎次はその女弁護士を見て可愛いなと思った」
分かりやすく(人物・世界)を(内・外)で置き換えると、(内)というのは「室井慎次」で(外)というのは「その女弁護士」です。
つまり、上の文章はこの場合の(人物)「室井慎次」を通して(世界)「その女弁護士」が描かれているという風に「も」解釈できるわけです。
実際には「その女弁護士を見て可愛いなと思うような室井慎次」を表しているとしてでもです。
そして、このような形の文章はほぼ全ての小説に必ず出てきます。
要するに文章によって物語るという行為が殆どの場合、人物の「内言(語)」の記述を含まざるを得ないわけですね。
そのため、どうしても(内)→(外)という形を含む場合が殆どとなるわけです。
だから、構図(A)における(b)人物→(c)世界という図式を(少なくとも局所的には)含むものが殆どとなり、構図(B)が見かけ上隠れてしまうわけです。
では、構図(B)を有する作品において、私たちはその何に魅力を感じるのでしょうか?
それが次回のテーマです。
http://www1.odn.ne.jp/kaminariokoshi/2005_10.html
気が向いたらお願いします。
記事に関係のないコメントをしてすみません。では、また来ます!
あんな感じで良かったのかな? と不安ですが、無理矢理やらせていただきました。
何か拙かったら教えてください☆
ではでは~♪