長崎愛宕エステ &香水作り体験🌿BLUME☆お庭係りのブログ

グリーンピールエステとパリジェンヌフレグランスのサロンを開いた娘を応援する為のブログが趣味ブログに変化してしまいました

小島小学校建て替え工事⑦

2021年10月17日 | 歴史
おはようございます。
今日は、いよいよ玄関から、中に入っていきます。

お待たせしました。



右手には石碑があります。



こちらは、玄関内、左手です。
生徒用下駄箱。


こちらは、右手側。先生用。



教頭先生製作、あいさつ日本一の標語が迎えてくれます。



今の時代を感じさせます。
早く終息しますように。



左手に職員室。右手側には用務員室があります。



学校の変遷を知らせる写真も飾られています。
ただ今、創立137周年です。



逆方向から、玄関を見たところです。



職員室横の階段です。



クラシックな階段です。
鋳鉄製の手すり。
シンプルだけど、優雅です。



階段横の部屋が校長室ですが、撮り忘れています。
残念ながらありません。



ちょっと進み、一クラスだけ離れてある教室です。
校舎と校舎をつなぐ連絡路部分です。



こちらが、普通教室になります。
教室内の写真は、授業中でしたので遠慮しました。
ありません。ごめんなさいです。



天井が高いです。



教室前の傘立てです。



こちらは下駄箱。



小島川で、捕獲した生物を育てていました。
サンショウウオ。


こちらは、手洗いです。
歴史を感じさせ過ぎますね。



こちらは、掃除用具入れ。
50年以上使用かと。
昔のままです。




こちらは、お手洗い。
昔は、トイレの下に溝があり、一定の時間になると、ジャーっと水が流れてお掃除するトイレでした。


このトイレを見ると原爆検診を思い出します。
私が小学校に通う頃はまだ、戦後20年ほど、まわりにたくさんの被爆者がいました。

又小学校のクラスメイトも、ほとんどが被爆者2世でした。

この頃は、爆心地から3キロ以内は被爆者特別手帳。それ以外は被爆者手帳と二種類ありました。

私の母は近距離でしたので、特別手帳でした。
早死にするとずっと怯えて暮らして来ました。
が、長生きしてます。


話がずれました。


被爆者検診の日になると、地域の住民が学校へわんさか来校してました。

学校中が消毒薬の匂いで包まれます。
今でも、しっかりとよみがえってくる記憶です。

しかし、被爆者も高齢化して、検診の場所も縮小されました。

小中高と進むに連れて、被爆者2世の友人も少なくなりました。

原爆は、街や人に対するダメージが大きすぎます。

長崎の地が最後の被爆地であり続ける事を祈り続けます。



次回は、特別教室です。続く。。。








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