「第四章 死とは」より (日木流奈著)
あるところに偉い坊さんがいました。
その坊さんの師匠が死にました。
偉い坊さんは泣きました。
その姿を見た、偉い坊さんの弟子は、なぜ泣くのかききました。なぜなら、偉い坊さんは死ぬということについて悟っていらっしゃるから、そんなことで悲しむとは、その弟子は思ってもみなかったからです。
偉い坊さんは答えました。
「なぜ泣いていてはいかんのだ。人と別れて悲しくないはずがなかろ」と。
偉い坊さんの弟子たちは、その偉い坊さんがそんなに悟っていないと思って離れていきました……
という話があるのネ。
でも、私に言わせれば、その偉い坊さんはやっぱり悟っていたと思うヨ。自分の心をごまかさず、人としての心を素直に出しきってるでしょ。私、そういうの、だーい好き。
でネ、私が勝手に想像するには、その偉い坊さんは、その後、その死んだ師匠の心を以前にもまして受け継いで、でも、いつまでも引きずらずに生きたと思うヨ。
つまり、そのときの悲しみ、寂しさをしっかり出しきったから、次の段階に移れるの。
次に移れない人というのは大抵ね、その瞬間に生きてないの。その瞬間に自分が感じたことや受け止めた思いを活かさずに、感じるのではなく、思い続けてしまうの。考え続けてしまうと言ったほうが正しいかナ。
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