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人に自然に耳を傾けながら、まちを歩こう。

世界の色がかわった一週間

2009-05-17 00:11:06 | Weblog
 5月10日日曜、私は元夜間中学教師、松崎運之助さんがひらいてらっしゃる「路地裏のつどい」にでかけた。元夜間中学生徒さんをまんなかにしたとても魅力的な空間で、その日は清水由貴子さんの自死のことが、多く語られていた。せめて誰かにうちあけてくれれば、と誰かがいっていた。その空間で感じることは多く、私は大事に、その日のことをブログに書こうとしていた。でも、まさか、それを書き続けられないほどの、悲しい一週間がはじまろうとは。

 ちょうどその日、私の大事な教え子が自ら命を絶った。教師だった。妻も私のゼミ生、彼のこと、彼女のこと、小さな愛児のこと、どれをおもっても、言葉にならない。こういうときって、悲しいとか、そういうことばになるかんじじゃなくて、もっと混沌としてわけがわからないものなんだ。何もかも、はじめて学ばされることばかりだ。
 今週、かつがつ授業をしてきたものの、本当はちゃんと成立していなかったと思う。何をいっても、そこにウソがある気がして。私が教育を語る時、それは「いのちをはぐくむ」希望の道をあゆむためのものだった。そのための「つながり」を考え、実践してきたのがゼミだった。そのゼミ生が…と思うと、大きな無力感にとらわれる。
 でもそれはきっと、私たちにできる「その先」があるということなのだろう。最後はその人自身の人生、という、他人にはたちいれない領域が。その人自身が背負わねばならないものが。

 ここから、わたしたちはもういちど、歩みはじめるんだ。変わってしまった世界の色は、決してもとには戻らない。戻るのではなく、新たな色を、ここから生み出していく。きっと。

秘密兵器登場!

2009-05-08 00:47:25 | Weblog
 それは、ある雑誌に何かの景品として紹介されていた。これはいい!私のこういうカンは結構あたる。応募してあたればもらえるなんて、そんな悠長なのは、性に合わない。早速ネットで検索したら、やはりあった。2000円ちょっと。うん即、購入!…というわけで、私の手もとにとどいてしまった、この商品。

 その名も「ノビーナ」。別名、「ダイエットクロック」。しくみは簡単。目覚ましの音でおきると、同時に女性の声がする。「おはようございます!さあ、朝のダイエット体操をはじめましょう!」ダイエット体操といっても、2種類の背伸びを、指示どおりに3セットするだけ。その動きが、睡眠中にひらいた骨盤を、さらには頭骨もしめてくれるのだという。

 いとも簡単に背伸びタイムは、終了する。「おつかれさまでした♪体をうつ伏せにして、ゆっくり起きてください」はーい。ただそのあとふうっと安心して、二度寝してしまいそうになるのが、凡人のこころの弱さ。そう、まさにそのとき、この「ノビーナ」はそのこちらの心の動きを読むがごとく、絶妙のタイミングでもう一言を発するのだ。「二度寝には気をつけましょう」
 …は、はい、すみません。解説書には「二度寝すると、せっかく締まった骨盤がゆるんでしまいますので、気を付けてください」とまでご丁寧にある。かくして、
反射的にも、頭の理解の上でも、二度寝はあかん、と納得のうえで体がおきあがる。ノビーナ登場後、これまで二度寝はゼロ。私にとっては秘密兵器登場、なのであった。


観客ではなく、プレーヤーとして

2009-05-05 13:25:49 | ともに生きる現場
 普段、日の高いうちにテレビをみることはないのだが、久しぶりにゆっくり過ごす連休の朝、NHKで世界の知性といわれるジャック・アタリへの緊急インタビューを目にした。段々にひきこまれて、思わず目の前にあった今日の新聞にメモをとってしまった。彼は現代有数の思想家として活躍する傍ら、実際にマイクロファイナンスという低所得層への小額融資を行うため、プラネットファイナンスというNPOをたちあげ、実践している。

 彼は、これからの未来に5つの波を予測する。1)アメリカ支配の崩壊。2)多極化秩序。10~20カ国が世界を統治する。だがいずれ失敗に終わる。3)グローバルなルールと統治へ。市場そのものが帝国となる。エンターテイメント(人心をそらすため)と保険(リスクから守るため)が重要になる。4)超紛争。ノマドと呼ばれる遊牧民族が増え大きな役割を果たす。超ノマド・下層ノマド・バーチャルノマドにノマドは分類されるが、圧倒的大多数はバーチャルノマド。5)超民主主義。超紛争に代わりうるものとして利他主義がある。2060年頃には、人は、他人を援助することで、自分が幸せになることに気付く。
 決して楽観的に眺められる未来像ではない。どんな国家も、グローバル経済にはかちえないだろうという。そのなかで彼は問題を解決する道を、あくまで市場経済をベースとした博愛主義・合理的な利他主義に求めていた。“共有によって自分も利益を得る”“人のため、が自分のためになる”という方向は、理想論ではなく、例えばレストランにせよサービス業に、その萌芽はあるではないかという。
 …なるほど、と思う。「仕事のありかたの転換」の胎動を、私もあちらこちらで垣間見る。それは主体である“他者”や環境全体を意識したものつくりやサービスであることが多い。はじめはNPOにそうした「もうひとつの仕事」をみていたけれど、決してNPOだけでなく、企業にも地場産業にも、そうした転換はうまれつつある。いま私がわくわくしてみつめている、「家づくり」のあるムーブメントにも、その転換を確かに感じる。マイクロファイナンスによって小さなビジネスの足場を築いたアフリカの男性は、借りたお金で事業を拡大ししかも返済を完了した自信に目を輝かせて、また前進したいと語っていた。暮らしと仕事を通して、実践に裏付けられた「自信」をとりもどすこと。それが夢ではないという社会への「信頼」を確かなものにすること。それは、ただ頭で理想を描くだけで現実は何もかわらないという社会を覆う絶望感とはまったく別の地平にある。大事なのは、「そうせずしては、生きられない」という切実なレベルでの、生活そのもの・仕事そのものの転換=実践と実践に裏付けられた思想なのだ。

 過去においては、人類が消滅するということはなかった。しかし今人類は自殺行為さえ行いかねない。「一人でいるより、一緒に力をあわせたほうがいい」という考え。低所得層が生み出したその動きに、彼は「人類の生存そのものがかかっている」という未来をかける。
 ジャック・アタリは、自らのスタンスをサッカーに例えた。自分がもし観客ならば、なんでもいえる。でも自分は観客でなくプレーヤーなのだ。「悲観主義でも楽観主義でもなく、勝つために考えるのです」「マイクロファイナンスは、博愛・団結という思想と実践の場なのです」しかもそれが唯一のこたえではなく、未来への希望の一部なのだということを自覚して。 
 …ものを考える者が、プレーヤーになりきるということ。しかも、一人が最優秀選手賞をとるためにでなく、チームが勝つために、考えること。そうだと思う。私もまた、チームの喜びを無上の喜びとしてフィールドにたちつづける、プレーヤーでありたい。


なおちゃん家

2009-05-05 00:56:21 | おうちの話
 この連休に、なおちゃん家、初訪問。そう、私に〈中古マンション&リノベ〉の威力を教えてくれた張本人のおうちだ。もっと早くに行きたかったんだけど、今のタイミングで、というのもある意味ありがたい。ほとんど、「お勉強モード」(!?)。カメラをかかえて神楽坂のマンションへむかった。

 なおちゃん曰く、「なんとなく、買っちゃったんだけど。で、このままでは住めないと思ってリフォームを考えたんだけど」…できあがりの見事さからすると一見信じられないことば。でも、よくよく話を聞いていると、要は、「お仕事大好き!」ないいリフォーム業者を探し当てたのがポイントで、その業者さんに出会うまでには、さすが、相見積もりをとるなど丁寧なプロセスをふんで、これぞと思った業者を探り当てていた。彼女が「大工さん」とよぶその人は、大工が本業ではなく、どうも設計が主らしいが、大工仕事もできる彼が、設計から大工仕事、全体管理まで面倒みてくれたらしい。当初、あれこれきかれても「うーん…」だったなおちゃんに、“大工さん”は「せっかくだから、いいものつくりましょうよ、もっと、楽しみましょうよ」とはっぱをかけ続けた。うまくのせてもらった彼女、最後は彼女の好み=ヨーロピアンアンティークの雰囲気にみあった、照明やカーテンレールやなにやをネットショップから自らとりよせて、大工さんにつくりつけてもらうまでになった。この照明はイギリスの古道具、これはフランス…と、かなりなこだわりだった。

 なおちゃんちは、リビングと部屋の仕切りをとりはらって、明るく開放感のあるワンフロア。その部屋をはじめとしてキッチンやトイレ含む全体に、無垢材のフローリング&珪藻土の塗り壁がほどこされている。ドアも、寝室コーナーをくぎる木の飾り壁も、あちこちに設けられた棚も、大工さんのアイディア&手づくり。ベッドの頭のほうの壁は、ベッドと一体感がでるよう、木組みでアクセントをつけるとともに、この壁面だけ濃いベージュ色の珪藻土で柔らかな波をうつような模様が描かれていた。私と違い築10年の物件をリフォームした彼女、水周りは20年くらいでいれかえになることをみこして、お風呂やキッチンやトイレ本体には手をいれなかったという。そういう賢い選択も、リフォームには大事なところ。なおちゃん、素敵なおうちづくりを教えてくれて、ありがとう。


チヅコ姉妹!

2009-05-03 20:51:41 | 今日のまちあるき
 三鷹からの帰り、チヅコさんが送ってくださるというものだから、車をとめていた近くの妹さんのお宅に歩いていった。井の頭公園にそって歩いていくと、なんと公園に面した豪邸。その一角にてフードコーディネーターや料理教室をしておいでの妹さん、どうぞ、ということで料理教室をひらく白で統一された素敵なキッチン&リビング空間にあげていただいた。窓の外のベランダからは、公園の木々が完全なる借景。なんとあの武者小路実篤の一族に嫁がれ、この家もその敷地内にあるという。ただただ、呆然…(わが身に程遠いセレブな世界に、ことばを失う私)。

 で、今日の教室でつくったものよ、どうぞ、とクリームオムレットを出していただく。紅茶も特別なものをとりよせておいでのようで、とってもおいしい。まともに考えると別世界すぎて"ははー!"なのだが、でもチヅコさん同様、気さくで魅力的な妹さんに、ついくつろいで甘え、1時間以上おじゃましてしまった。
 妹さん、もともとは主婦だったのに、料理好きが高じて、いまの仕事にいきついたのだという。その幅はひろく、世界中への料理の旅のコーディネート、雑誌の料理記事の執筆、そして現在放映中のドラマ「コンカツ・リカツ」の料理指導(松坂慶子が作っている料理!)までなさっているとのこと。ひとつの「仕事おこし」のありようとしても、なるほどなあと、とっても興味しんしんな私なのであった。

フィンランドのユースワーク!

2009-05-03 19:46:41 | 学びの場
 5月2日、連休の初日。午後、私は三鷹の文化学習協同ネットワークにいた。H大学の教員であるマキさんが2年間の外国研究から帰国し、半年前に日本からの仲間を誘って行ったフィンランドの若者・子ども支援環境調査の報告会が行われるためだ。
 私は、マキさんの「ことば」と研究への生き様が大好きだ。彼女のことばには、研究者としてというよりその背後にある彼女の「ひらかれた身体」がしっかり刻まれていることを感じる。彼女が何かを描くまなざしも、誰かに語りかけることばも、「共に」というわかちあいの思想がなにげなく実現している人なのだ。マキさんとはあの幻の社会教育ゴシップ誌、もといミニコミ誌「よんどけ」の文章を通して出会い、サトウ先生主催のNPO科研ではじめて顔をあわせ、そしてこのブログにも書いたけれど、ドイツでは2度、素敵な旅仲間となった。彼女にはずっと共鳴していただけに、だんだんに距離が縮まっていくのが、とてもうれしい。
 今回のフィンランド調査のお誘い文が夏前に流れてきたときも、せっかくなら一人で行くより、みなさんとともに学びたい、という思いが書かれていた。研究するとは、共有するということ。ことばにすれば簡単だけれど、それが研究の主流とどんなにかけ離れた、大変なことか。だから、マキさん主催のこの学びの旅の報告会には、行きたくともいけなかった分、どうしてもかけつけたかった。そしてそういう思いって伝播するのか、いつもならありえないのにチヅコさんや学生やOB、4人もが「私も行きたい!」と申し出てくれた。

 パワーポイントで説明するため、場内はまっくら。でも私はもったいなくて、別途しっかりまとめられた報告書があるというのに、10ページにわたり、ひたすらノートにメモをとりつづけた。
 ひとしきりどれも興味深い報告が披露され、フィンランドの学校外の子ども・若者の育ちの世界の充実ぶりはとても魅力的だったけれど、一番「眼からうろこ」だったのは、最終盤の議論のなかで紹介された「今、フィンランドでは、PISA調査世界一、の影響で、逆に学力重視が強まり、反面、アートなどが弱くなっている」とアート系ユースワーカーが語ったことばだ。
 フィンランドでは学力世界一、のおかげで「学校」の存在が際立っているが、実は若者・子ども支援はその外側に分厚く広がるユースワークをはじめとした若者・子ども支援環境の支えによって、彼らの育ちの世界の豊かさもなりたっているのではないか、というのがマキさんら調査団の仮説だった。実際、EUの統一コードに支えられ、フィンランドでもユースワーク関連施設・事業は非常に充実していた。またそこにはいろんな経歴をもったワーカーが流れ込んでいる。とくにアート系の経歴をもつ層は一群をなしていて、アーティストになるよりわかち伝えることに価値を見出した人々が、高等教育での資格取得と現場をいったりきたりしながら、子どもたちの育ちを支えていた。それが本来、フィンランド流の「柔らかな学力」には太くつながっているはずなのだ。しかし「学校」に世界のまなざしが集中しすぎた結果、子どもたちの育ちの世界の根底はゆるがされようとしている。

 さらに、これはドイツでも思ったことだけど、「制度」と「専門職」への人々の信頼によってなりたたせる制度やサービスの充実は、確かに今必要不可欠だ。年月をかけてつくられてきた若者への移行政策あればこそ、西欧の子ども・若者はなんども「やりなおし」を社会に許容され、ときに専門職の支援をうけながら、自分のペースで社会とのかかわりをみいだしていく。移行的な学びの場が、移行的な労働市場と平行して、形成されていた。
 しかし、「制度の外の世界」=人々の自治の世界、が、とくにフィンランドの場合あまりみえなかったことも事実だったようだ。つまり、学校が制度で学校外が自治、ではなく、フィンランドでは学校もユースワークも、ある種「制度に子ども・若者をつなぎとめる世界」でもあるのだ。(…というのはマキさんいわく「ワークショップ」の若者が日本語でつくったバッジに「家でぶらぶらしてちゃダメ!」(!)と書かれてあったのをみてピンときたのだという…。このアンテナ、なんだよなあ。)制度であっても「選び取る自由」「行き来できる自由」が子ども若者の手にしっかりあれば基本的に問題はないのだが、そこに何気ない息苦しさを感じている部分もあるとすれば…。ユースセンターにもいかないで「ひきこもる自由」だって、やはり大事なのだから。そのバランスって、意外に難しい。
 
 ともあれ、それもこれも、まずは現場ワーカー次第、なのかもしれない。そしてフィンランドのユースワークの現場には、決して高給ではないけれど、他の専門職とつながっていくこと、そのむすびめとなることを厭わない魅力的なワーカーが多数配置されているようだ。そして私にとっては、「制度」と「制度の外」の関係への関心がますます鮮明になった報告でもあった。

 長くなってすみません。写真は、約3時間半の報告・議論ののちの、交流会のテーブル。会費1000円で、風のすみかのパンをふんだんに使ったパーティーテーブルが用意されていた。色とりどりのパン、ピザ、フルーツ、白いカップに、セルフサービスのコーヒー&ティー。そう、ドイツにて、行く先々でもてなされたテーブルに似ている!日本でもこのセンスで、場をつくることができるのだなあ。あれだけ議論したのに、こころおきないやりとりは、その後なお3時間つづいた。会話の豊かさにつつまれ、とても幸せな空間だった。



おひさまランチ

2009-05-02 00:14:50 | Weblog
 前回つづき。ガーリーな人々&黒一点のばうあー氏とともに、おひるごはんにでかけた。外は見事な快晴。キャンパスをあるくと、新緑に包み込まれているかのようで、すがすがしさこの上ない。

 はじめはふつーに食堂にむかっていたのだが、歩いているうちに、食堂のメニューをプレートごともちだして、われらがコモ棟の前の芝生広場で食べようと、ばうあー。うん、名案!お弁当やサンドイッチでなく、ふつーの定食、というところがミソ。
 円陣をくんで、笑い声いっぱいにおひさまランチを食べていたら、知り合いの先生が通りかかっては声をかけていく。のんびりと、おひさまとランチと学生たちの笑顔を味わう、至福の時間。その空気がきっと、人をふとよびよせたのだろうなあ。そんなふうに、人とつながりあっていきたいものだよね。

ガーリーな人々

2009-05-01 14:49:39 | 学びの場
 朝10時、卒論指導のため研究室に入ると、いつもジーンズ姿のニシデマンが、ふわふわスカート姿で立っていた!みやさまは、青いドレス姿で座っていた!あやこちゃんは、中学校のときのピアノの発表会で着たというジャケット姿。
 …???… なんと、今日の朝、ガーリーな格好でくるべしという、指令がみやさまからとんだらしい。のりのりの面々は、みんな「女の子」して、集まってきた。ちなみに、デートでもピクニックでもなく、「卒論指導に」です。

 あんまりもったいないので、ガーリーな人々を記念にパチリ。中央におすわりなのは、もちろん高貴な風情で、みやさまです。