5月10日日曜、私は元夜間中学教師、松崎運之助さんがひらいてらっしゃる「路地裏のつどい」にでかけた。元夜間中学生徒さんをまんなかにしたとても魅力的な空間で、その日は清水由貴子さんの自死のことが、多く語られていた。せめて誰かにうちあけてくれれば、と誰かがいっていた。その空間で感じることは多く、私は大事に、その日のことをブログに書こうとしていた。でも、まさか、それを書き続けられないほどの、悲しい一週間がはじまろうとは。
ちょうどその日、私の大事な教え子が自ら命を絶った。教師だった。妻も私のゼミ生、彼のこと、彼女のこと、小さな愛児のこと、どれをおもっても、言葉にならない。こういうときって、悲しいとか、そういうことばになるかんじじゃなくて、もっと混沌としてわけがわからないものなんだ。何もかも、はじめて学ばされることばかりだ。
今週、かつがつ授業をしてきたものの、本当はちゃんと成立していなかったと思う。何をいっても、そこにウソがある気がして。私が教育を語る時、それは「いのちをはぐくむ」希望の道をあゆむためのものだった。そのための「つながり」を考え、実践してきたのがゼミだった。そのゼミ生が…と思うと、大きな無力感にとらわれる。
でもそれはきっと、私たちにできる「その先」があるということなのだろう。最後はその人自身の人生、という、他人にはたちいれない領域が。その人自身が背負わねばならないものが。
ここから、わたしたちはもういちど、歩みはじめるんだ。変わってしまった世界の色は、決してもとには戻らない。戻るのではなく、新たな色を、ここから生み出していく。きっと。
ちょうどその日、私の大事な教え子が自ら命を絶った。教師だった。妻も私のゼミ生、彼のこと、彼女のこと、小さな愛児のこと、どれをおもっても、言葉にならない。こういうときって、悲しいとか、そういうことばになるかんじじゃなくて、もっと混沌としてわけがわからないものなんだ。何もかも、はじめて学ばされることばかりだ。
今週、かつがつ授業をしてきたものの、本当はちゃんと成立していなかったと思う。何をいっても、そこにウソがある気がして。私が教育を語る時、それは「いのちをはぐくむ」希望の道をあゆむためのものだった。そのための「つながり」を考え、実践してきたのがゼミだった。そのゼミ生が…と思うと、大きな無力感にとらわれる。
でもそれはきっと、私たちにできる「その先」があるということなのだろう。最後はその人自身の人生、という、他人にはたちいれない領域が。その人自身が背負わねばならないものが。
ここから、わたしたちはもういちど、歩みはじめるんだ。変わってしまった世界の色は、決してもとには戻らない。戻るのではなく、新たな色を、ここから生み出していく。きっと。