sachi-community

人に自然に耳を傾けながら、まちを歩こう。

屋台のようなつけ麺屋にて

2010-12-28 19:12:26 | 今日のまちあるき
 関東5DAYSより福岡へ帰還。博士論文指導委員会のため空港から大学に直行し、その後ようやく自宅近辺にたどりつく。帰宅が遅くなったので、一度いってみたかった、近所の新規オープンつけ麺屋へ。
 自宅近辺は福岡でも一大ラーメンエリアだが、細麺ラーメン文化のこの一帯にうってでたのが、この超太麺つけ麺や。ところが開店当初から大人気で隣の公園まで列がはみだすほど、長蛇の列ができていた。サードブランドということなので、すでに定評があるのだろう。さすがに最近はおちついてきて、あまり列はみなくなったけれど。

 入ってみると、若いスタッフ一人が、カウンター5席のみのこのお店をきりもりしていた。福岡市内に数店舗できているので、複数人のスタッフで一体としてまわしているらしい。席について麺200gでつけ麺をたのむと、写真の見返り美人ならぬ見返りN君が、さりげなくアットホームに話しかけてきてくれた。聞けば19歳。若いのに、接客が手慣れている。「年上の方と話すの、苦にならないんです」と。
 カウンターの並びにすわる3人は、ビールをつぎあってもりあがっている。しかしよくみると、大人なお二人と若者というアンバランス構成。私にまでビールをすすめてくださるので、すすめられるまま私も一杯。「会社帰りですか?」と聞くと、お二人と若者は初対面とのこと。でも、若者が間もなく大学卒業で社会に入っていくとのことで、励ましの会話がくりひろげられていた。やはり今年の厳しい就活組、30社ほどうけてようやくかちとった就職先だったらしい。小さいけれど環境エコにつながる会社なんですと、自らの決断に揺らぎはないようで頼もしい。大人コンビのほうは、社長さんと仕事でつきあいのある税理士さん。こちらは飲み歩いて3件目とのことだが、さすがにちょっと風格がある。10代・20代・30代・40代とみごとにそろった異世代の5人が、10代・20代の若者への励ましのまなざしとつけ麺をまんなかに、ビールとことばをかわしあうという、なんとも不思議な空間が登場していた。
 ちなみに最初にスタッフN君が話しかけてきてくれたのは、3人がもりあがっていて私が孤立しないようにという、彼なりの配慮だったらしい。母子家庭だから、子どもに苦労を感じさせない家庭を築きたいというN君。若いながらその歩みの中で獲得してきた優しさだったんだろう。

 いや、この空間、つけ麺屋というより、完全に初対面でもすぐ知り合いになる屋台そのもの。いつもこうなんですか、と聞くと、めったにないですよ、(今回のビールをすすめて会話をすすめる社長さんのような)ああいう場をつくる人がいないと無理なんです、とN君。でも、がんばる若者がいるから、今回のように彼らを囲む場もできる。長くない時間だったけど、きっとまた会いましょう、と名刺をかわしあって別れたのだった。

イルミ2010

2010-12-26 09:16:54 | 学びの場
 S大イルミの季節!今年で7回目。当時の学生たちと大学まちづくりの新しい展開をめざして、立ち上げてからもう7年もたつことになる。これまで12月に入ってクリスマスまでの2週間点灯が恒例だったけれど、なんと今年からクリスマスにむけて1カ月の点灯になった。さらに観客は日曜が多いからと点検日を日曜から水曜にかえた。つけっぱなしでなく基本的に常時学生が交代で現場に立ち会うし、点灯延長はスタッフたちには大変な重負担となる。けれど「私たちなら大丈夫だから」と、かろやかに、大胆な転換に挑んだ今年のイルミなのだ。当初ともかく点灯を目標にしていたころから、なんて進化だろう。
 私自身はさすがに福岡からは遠く、1か月も点灯してたのにラストナイトが初見だ。ちょうどS大にむかうバスにのると、4代目の技術トップを全力ではったきっしーと新婚のパートナーまきさんに遭遇。「おっ、そろそろ見えてくるね!」と3人でわくわくしながら大学に向かった。

 今年のテーマは水族館。あちこちに、海の生物たちがかたどられて、夜のまちを大学を彩っている。地域からよく希望があがる点灯エリアの拡大も昨年に続き実現。さらに大学前三角公園と大学内サル山という二大点灯エリアをつなぐイルミの充実は学生たち自身の願いだったけれど、それが本格的になっていた。先のきっしーは、「僕たちの願いが形になった」と感無量の様子。自分たちがすべてをできはしないけれど、できなかったことを次の世代が実現していくという思いのバトン。それはまちをつくるということそのものにもつながるものだと思う。一番印象にのこったのは、写真の亀さんイルミ。落ち葉のひろがる木の下にラティスをおき、ロープライトと網とスチールをたくみにつかって、まるで陸ガメのように模したイルミだ。今年はいろんな素材の使用に大胆に挑戦していることが一目了然だったけれど、網をうまくつかっていたことがなかでも象徴的だったと思う。網がもつ反射効果をうまく利用して、ひとつの明かりが数倍になって光る。そのひとつの典型がこの亀さんイルミだった。

 ラストナイトイベントは、三角公園のくじらイルミの前での、ジャグリングサークルの演技と、恒例となったイルミスタッフによるハンドベル。イルミで魅せるだけでなく、別の形でも何かをとどけたいという彼らの思いの表現だ。ジャグリングはここ3-4年、練習風景を身近にみていたけれど演技をしっかりみるのははじめて。イルミとコラボということで道具を光らせて夜の闇の中でまわしてくれたのは、かなり見ごたえがあった。こうして学生たちの力をいろんなかたちで地域の人の前にひきだしていくのも、大学と地域をつなぐ、イルミの存在意義だと思う。
 今年の主力メンバー3年生は、スタッフ数こそ8名ほどと1年のときから全力でやってきたたくましい面々。実行委員長まにちゃんには私も全幅の信頼をおいていたし、まして新顧問のりいさんがついてくださっているので、私もなんらの不安はなかった。けれど、イルミの実行委員長って、ほんとつらいもの。ほとんど全員女の子が実行委員長をはってきたけれど、毎年彼女たちはこの長い1年間の準備過程で、孤立感に幾度も涙を流す。大学の学長たちとも行政や地域のトップともわたりあっていくこのしごとは、普通のサークルとは全く違う緊張と重圧感があるのだ。顧問の仕事の大きな仕事のひとつは、孤立する実行委員長の傍らにたつことだと思ってきたけれど、いろんな思いをこめて涙を流しているまにちゃんや3年生たちのイルミ卒業にあたっての涙に、彼女たちのそばにいたかった、と切なくなった。
 あなたたちの奮闘はこの1年じゃない。3年間、よくやった。見事だった。あなたたちがまちにともしたこの灯は、きっとあなたたちの胸のなかで、一生あなたたちを励まし続けるよ。おつかれさま。

来年の干支は…

2010-12-25 08:26:57 | 今日のまちあるき
 あっという間に、はや今年もわずか数日。今年こそは、余裕をもった年賀状作成をとこころしているが、はたしていかに?

 一昨日から今年最後の埼玉詣で。昨日はひさしぶりにあった友人と、浦和一の宮、調神社(つきのみやじんじゃ)に足をのばしてきた。おととしの正月以来だなあ。このあたりの初もうでは、だいたいここなのだ。この神社はすべてに「うさぎ」が登場するかわった神社。狛犬ならぬ狛兎?だし。

 ちょうど来年の干支はうさぎ。調神社が12年に一度、いちばん華やかに栄える年になることだろうな。福岡、埼玉、全国の私の大事な人々にも、着実でこころに残る一年がめぐってきますように。ちょっとはやいけど、年の暮の気分になった、クリスマス散歩だった。

桟敷席で新感線

2010-12-19 13:20:39 | 今日のまちあるき
 ちょっと画像が悪いけど、こちらは来年開場80周年をむかえるという芝居小屋・飯塚は嘉穂劇場にかかげられた手書きの演目看板。筑豊炭鉱の隆盛期にできた芝居小屋「中座」が台風で倒壊して1931年に「嘉穂劇場」として再スタートする。炭鉱閉山とともに最盛期には48か所あったという芝居小屋は次々廃業するが、嘉穂劇場だけは筑豊の女傑といわれる伊藤英子さんが意地で守りとおす。そして2003年の水害でついに大打撃をうけつつも、地元がNPOをたちあげ、復活。80年間絶えることなく興行が続いた劇場としては全国唯一で、いまも、さまざまな演目が上映されるし、休演日には貴重な文化財の見学ツアーができるとのこと。

 その嘉穂劇場で、劇団・新感線が、30周年記念の舞台を、東京ー大阪につづけてうつという。劇団のけん引役たちが福岡出身ということで、思いを込めて、最終ツアー地に嘉穂劇場を選んだらしい。新感線は一度みにいきたい舞台だったし、これはベストコラボ、ということで思いを込めて最終日、いわば大千秋楽のチケットをゲットした。
 駐車場が劇場にはないということだったが、飯塚はそう便のいいところじゃないので、これはやはり車をつかいたい。調べると近くの河川敷に無料の駐車場があるという。雨がふらなければOKということで、晴天だったこの日、のんびり川べりに車をとめて、嘉穂劇場へ歩いた。さすがに劇場周辺には熱気。「あなた、何便できたの?」という会話があっていたり、どうもかなり、東京などからも観に来ている模様。空港から飯塚なんてローカル線利用で、東京の公共交通に慣れた方々にはかなり不便のはず。おつかれさまです…。

 嘉穂劇場は当然ながら桟敷席。左右の花道もいかにも。ふすまをあけて座席に入るなんて、いや、このレトロは最高。ここに、電力車をもちこんで、電飾ばんばんの舞台がくりひろげられるというミスマッチがまたよし。今回の舞台「鋼鉄番長」は彼らがネタものという、もうおばかまるだし、ひたすら何も考えずに笑える舞台だったが、3時間あきさせずに舞台をひっぱっていくには相当の体力と精神力がいるようだ。おかげでこの公演は主役をふくめて2人が降板という異例の事態にもなり、中盤から「オレが2号だ!」と、代役登場で再出発している。客演の酒井真紀と田辺誠一も、自虐ネタも交えつつ、ときに照れつつ、全力で演じているかんじだった。アラフォー劇団員たちが、アイドルのように歌い踊る姿もなかなかはまっていて、楽しめた。なかでも一番存在感がひかっていたのは、さすがの古田新太。なんだかスリムにもなって、こんなに舞台に映える人だったなんて。
 別々にとったので友人は1階の前方だけど右端。私は2階最前列の席。私の席のほうは舞台との一体感というより、全体を俯瞰できるかんじだったけど、狭い会場だけになかなかよかった。花道を存分にいかした演出だっただけに、花道の真上から演技をながめられるというなかなかない経験もできたし。あと桟敷席に座布団、というのは狭い席だとなかなかつらかったらしいが、幸い私は付近にゆとりがあって、席にも助けられ、あっという間の3時間を存分に楽しませてもらった。知らなかったけど、新感線は大千秋楽におせんべいくばりをするらしく、終演後、役者たちが席を回って手渡ししてくれた。そのサプライズにまた、心ほっこり。
 会場には子どもづれやおばあさん友達で観劇のグループがいたり、さすがは嘉穂劇場の雰囲気にいやされつつ、初・新感線に大満足して、夕闇に電灯かがやく劇場をあとにしたのだった。

二十うんねんぶりの母校

2010-12-11 22:52:49 | Weblog
 本日から明日まで、職場で学会開催中。同僚の先生が実行委員長になって院生動員でひらかれている。ほんとは宮崎だったのに口蹄疫で急遽こちらにきたものだから、ほんとたいへんだったらしい。で、何もできなかった私はせめて当日もりあげぐらい、と思っていたのだけれど、ただいま鬼の撹乱か、風邪で咳が止まらない…。申し訳ないけど珍しく本気でしんどいので、懇親会は失礼して帰ってきてしまった。

 で、それとは関係ないけれど、写真は、私が若かりし頃通っていた高校の正門風景。今週火曜、ほんと20うん年ぶりに、母校にいってきた。大学セミナーで、分野別に大学の教員を呼んで、パネルディスカッションと、分科会をもつという試みだ。もう何年もあっているらしく、毎年うちの職場から一人派遣してきたが、今年は私が赴任したのでそりゃ、母校なんだからあなたでしょ、とおはちがまわってきたわけだ。
 まあ、私にしても、これまで当時の友人たちと卒業後、外からのぞきにいったことはあったけど、建物の中まで堂々と入れたりなんてしないから、せっかくの機会、ちょっと楽しみだった。
 車でのりつけた母校は…。もう、びっくりするくらい、なにもかわっていない空間だった。正門も、建物も、生徒たちの制服も。あの頃だって相当古かったのに、今も何もかわらないなんて、文化財のような学校!ちょっとちがうといえば、隣に立っていた付属予備校が時代の流れでさすがにおとりつぶしになっていたこと、くらいか。イギリスパンという皮がぱりぱりのパンが大好きでよく買いに走ってた正門そばのパン屋さんだって、まだ健在だったし。とりまく街自体は、地方都市のご多分にもれず、この20年で急激に元気をなくしていったのとまったくもって対照的だ。

 全体会に通されたのは、武道館。そうそう、ここは畳敷の部屋。学年ぐらいが集まるのにちょうどいい部屋だ。進路セミナーとか、私もうけたことあったなあ。創作ダンスの授業なんかも、ここだったのでは?…なんて思いながら、生徒たちの前に。ぐるぐると3週くらいコメントを話してたらあっという間に終了。つづいて男子生徒2人が呼びに来て教育関連の分科会会場へ案内される。全体会で私も卒業生だと口にしてたので、「先輩なんですね、体育祭とかいまもかわりませんよ」とか「ほら、プールは確か先生のときから増設されたはずですよ」「午睡の時間ですよね、あれ昼休みだから、1-2年生は遊びたくてしょうがないですよ」とか、興味深い話題を明るく快活にふってきてくれる。そのノリのまま教室にのりこんで、結構わきあいあいと、あっという間にに持ち時間はすぎた。このなかから、わが校に入ってきてくれる子がでてくれるだろうか…。

 さいごに、今日はいろんな話題があれこれとぶけど、もうひとつだけ。生命科学分野でがんばってる友人が、染色体研究の世界トップの仕事をしてる人が、社会教育のこと書いてるよ、と知らせてくれたブログ。氏曰く、日本が生き残るには、社会教育がある意味一番大切、と。
 ⇒“生きるすべ 柳田充弘ブログ” http://mitsuhiro.exblog.jp/
まったく別の分野で先端を走る人がこういう目の付け方をしてくれるって、ほんと励まされる。

1年半ぶりの再会

2010-12-10 15:23:08 | 学びの場
 福岡に転居もしていないころ、最初の現在の職場での仕事となったのが2009年度の主事講習。その同窓会が、博多駅近くのホテルの一室で行われた。ちょうど1年前に1回目の同窓会をひらいて、今回で2回目。去年の会のときに翌年の同日の会場を予約していったというから、わらえる。

 2009年度の結束のひとつの核は、オモト代表。さらに同じ職場に、のちに赴任してきた人も含めて4人の同窓生がいるからバックアップ体制も万全。連絡からゲームからあいさつまで、その4人を中心にすすめてくださっていた。72人の受講生のなかで今回参加したのは21人。オモト代表は、こんなにすくないなんて、と肩をおとしていらしたけど、いいんじゃないかなあ。なにせ、集まった人たちはそれぞれ立ち上がっては、積極的にあたたかな交流の輪をひろげていた。いかなきゃいけない宴会とはちがう、1年あけても日常の場はどんなにちがってもすぐに懐かしさに距離が縮まる、ほんとの同窓会のような交流だった。

 会の間中、完全に、気楽にみこしにのせられていた私は、ふと今年の主事講習をおもいだしていた。去年はなんにもわからないから、なされるがままに神輿にものせられてた。でも今年は一年を経験していろいろみえてしまっただけに、力をいれてカリキュラムを変えようとしたり、かなり意図的に動こうとしてみた。でもそれもよしあしなんだなあ。私の立場は“のせられて、ナンボ”なんだ。動くのはあくまで講習生さんがた自身。いつのまにか、雑巾がけしてればいいというポジションではなくなってしまったんだなあ。役割を演じつつ、気持の上では雑巾がけ、で来年の夏を迎えたいと思わされた、私にとっても大事なふりかえりの同窓会だった。

奥小学校100周年にて

2010-12-03 00:43:34 | 旅の記憶・沖縄
 今回の沖縄行きは、土曜夜便で那覇到着、月曜昼便で那覇発という超特急。那覇から車を約3時間走らせて、奥小学校100周年記念式典に参加するのが目的だ。もちろん、招待なんてされてない。でも、1000円払って受付を通れば誰でも参加できるよ、ぜひおいでよ、と常宿・海山木のナオミさんにいっていただき、りえこ・たか&私のトリオでおうかがいすることにした。時は11月28日。そう、全国が注目する沖縄県知事選当日でもある。沖縄全土が知事選のゆくえに注目する渦中で、私たちは本島最北端の全校生徒8名の小学校を見つめていた。抜けるような素晴らしい青空がひろがっていた。

 会場の小学校近くには、スーツ姿の若者があちこちで自動車を誘導していた。え?奥にこんなに若者いたっけ?13時からの式典開始にあたって、司会は若手ホープのヨシクニさん。うん、このヨシクニさんだけは、いつもお会いしている。というか、奥でヨシクニさん以外の若者には会わないのだ。若者といってももう30代半ばだけれど。(実はその日の夜、ヨシクニサン&彼が連れてきた2名の若者と飲む機会があって、この行事が若者台頭をはじめてムラに示した象徴的な場になったことを知る。長老の力が強い村で、それは大変なことだったのだ…。)

 冒頭には国頭村長、沖縄県教育長など来賓あいさつが続く。あいさつといっても持ち込んだ文章を読むどころか、参加者に配布されている式典用綴りのあいさつ文をそのまま読み上げるので、となりでリエコさん&たかが、「えー?そのまま読み上げてる…」とかなり違和感ありげ。けれど私はどこでみてきたからかなあ、あまり違和感を感じない。それがこういう式典のおきまりだよね、と思ってしまう。私が九州・田舎育ちのゆえんなのだろうか。それはともかくも一番喝さいをあびたのは、綴りに掲載されていない児童会長のモエちゃんの挨拶。他の子よりぬきんでて大人びたモエちゃんはあいかわらず大人びたあいさつをしていた。さすがモエちゃん。と同時に、やっぱりここでも期待される役割を演じきっちゃうんだなあ…と、複雑な思いも抱いた。
 印象的だったのは、校長表彰だ。90周年から100周年の間に赴任された3人の校長が表彰されたが、私たちが一番お世話になってきたオオワン校長は、いまケニア・ナイロビの日本人学校に赴任されているので、文面で百周年のお祝いの言葉が届いていた。短い文章のなかでオオワン先生は、普通なら記すだろう奥での思い出には一切触れず、ナイロビの地で格闘している自身の姿を鮮明に伝えていた。お前たちも世界を意識しつつそこでがんばれといわんばかりに。これが、手塩にかけた子どもたちへのメッセージ・愛情の形なんだなあ、先生らしいなあと、なんだか胸が熱くなってしまった。
 もうひとつ印象的だったのは、バス二台でのりつけてきた(本当は3台が予定されていたが、県知事選のため1台分減ったとのこと)郷友会の方々の姿だ。式典のあと、第二部・祝賀会では食事とお酒がふるまわれ、壇上では踊りやエイサーが披露された。壇上最後を飾ったのが、ずらっと大勢であがった郷友会だった。郷友会の旗をドーンとかかげ、長老が大声で独特にリードしながら旧校歌と青年会歌の歌詞カードがくばられ、会場全体で合唱することに。翌日共同店でであった地元の男性も「あれは懐かしかったなあ、よかったなあ」といっていたくらいに、郷土への思いが会場に満ちたシーンだった。

 とはいえ、全体としてふりかえれば、なにか強烈に人々の母校愛が語られたわけではない。きわだって感動的なシーンがあったわけでもない。ただそれよりも、腰の曲がったおばあさんを娘さんがつれてくる姿。かけまわる小さい子を見守る若いお母さん。そしてみなそれぞれに、正装で集っている。ことばや演出というよりも、集まっているその姿が、一番何かを語っている気がしたのだった。
 (※写真は小学校児童らによるエイサー。太鼓は最近卒業した中学生も加勢していた。いいな、奥の子たち!)