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人に自然に耳を傾けながら、まちを歩こう。

さいごにやっぱりwurst

2008-03-26 23:02:22 | 旅の記憶
 食シリーズ最後はやっぱり、ドイツのソーセージ=wurstを。

 ドイツのソーセージはいろいろあるも、ミュンヘンといえば白いソーセージ:weiss wurstが有名。ドイツ滞在2日目の夜、全員で入ったミュンヘンのビヤホール「ホーフブロイハウス」でこのソーセージをたのんだ。白いソーセージがお湯で満たされた白磁の入れ物に2本入ってでてきた。赤いケチャップと黄色のからしがついて、色どりがとてもきれい。もちろんお味もグーだった(ちなみにこのとき私は、のちのオペラハウスにも使えるかもとストールを買うかまよったあげく、チヅコさんを同伴して隣のミュンヘン三越へとちらりぬけだした。ちょっとトイレに…と抜け出したのに、ビヤホールに戻ったら皆理由を知っていた。なんで?)。

 ちなみに、私がビヤホールで一番驚いたのは、ほとんどの人がただビールのみを、おつまみもなく、飲み交わしていたこと。水と同じ感覚とはよくいわれるが、酔わないのかなあ。17時にお店に入ったのだが、こんなはやくから人が多い。かつ若い人がやたら多いのも驚き(みため10代なんだけど、どうみても。)「ビールを飲むところ」というより、「社交場」ということ? なぞだ…。

日本料理?

2008-03-26 02:59:18 | 旅の記憶
 チヅコ・リュウヘイ・ヒラツカ&私のドレスデン・4人組ツアーは、晴れ間のみえはじめたツヴィンガー宮殿を歩き、再建聖フラウエン教会を厳粛に見学したのち、隣のショッピングモールで昼食をとるあたりから、本領を発揮し始めた。

 せっかくのドイツ、もっと手はあるだろうに、誰しも妙に、地下のショッピング街の奥にある日本料理店が気になっていた。まさか。いやそのまさかになってしまった。4人の共通点の最たるひとつをなすのが「好奇心」…ぜったいに期待してはいけないとニヤニヤ胸にいいきかせながら、お昼はここでとることに決定。
 ここのメインは「SUSHI」。チヅコさん&ヒラツカさんは悩んだあげく、すしセットを選ぶ。リュウヘイ氏は、タイ料理の盛り合わせにみえるプレート。私は「UDON」を頼んでみた。

 最初にきたのはアジア料理プレート。社会科学者リュウヘイ氏はここですかさず指摘する。「写真のサラダがついていません」運んできた若い女性も即答で応戦。「これは、写真だけです!」えー!?そんな言い訳、あり???もうここで完全に、笑いのツボにはまってしまった。
 私のうどん。メニューの写真にある豆腐がみえない。私:「お豆腐、ありませんよ」…店員さん:「ありますよー」といいながら、はしで器用に汁の奥からなにかをひっぱりだす。あった!たしかに豆腐だ。ブログ掲載写真をよくごらんあれ。中央付近に白いさいの目豆腐があくまで控えめに斑点のようにうかんでいる。ヒラツカさん:「この豆腐といいワカメといい、これはきっと、メニュー冒頭にある「みそスープ」とまったく同じ具ですね」
 この大発見のおかげで、ここの料理構成の全体像がもろもろうかびあがった。写真ではかまぼこがのっているうどんに実際にのっていたのは、チキンの薄切り。これを切らないでもとのかたちにもどしてみると、アジアプレートの上に鎮座している串刺しチキン。で、はるさめかなにかにみえたアジアプレートの本体は、決してタイ料理などではなく、ザ・やきそばだった。これがメニューで別途掲載されていることはいうまでもない。
 そうしてつまり、意外にもいちばんまともだったのは「SUSHI」だったのだ。お米のお味もまずますだった。ただ、量だけは日本人についていけるレベルではなかった。それに巻き物に色づけられた緑色。「これだけはうけつけない」とはSUSHI注文組のつぶやきだ。でも、うどんも、実は結構おいしかった。

 ちなみに、若い店員さんは、ベトナム人だった。くつろいでキッチンで話をしていたのでおそらく皆そう。でもそんなことドイツ人にはどうでもいいことなんだろうなあ。

旅だつ日にひらく桜

2008-03-26 02:28:17 | 学びの場
 今日、卒業式。パレスホテルの謝恩会で講座の卒業生を、その後ゼミで集まって6名の卒業生の旅立ちを祝った。記念にと、卒業生からはじめてネックレスなんぞをいただいた。妙に照れくさい。帰宅すると家の隣の桜並木の遊歩道で、まさに今日、桜が一気にひらいていた。彼らの旅立ちを祝うかのような桜色の空のじゅうたんが、なんだかうれしかった。 

 このところずっと追い出し関連の飲み会がつづいている。卒業の代のゼミ長・くぼっちくんの追いコン風景をおまけに添付(おまけが特大だ…)。かしまし女性陣に男性ただ一人の代で、いいたいことをのみこんだことも多々あっただろう。よくぞがんばった。追いコンの贈り物には、郵便局員になってまで、どうか遅刻しないでと後輩から特大目覚まし時計が贈られていた。時間にも、論文にも、生き方にも、マイペースくぼっち、そして4年生たちよ、さらば!



スープ、鹿、etc.の舌鼓

2008-03-21 03:41:26 | 旅の記憶
 まずはやはり、食べ物の話から。到着初日の晩餐。リーダー・オオグシが「最近、ドイツのスープがおいしいってことを発見したんだよね」とおっしゃるものだから、軽くすでにたべていた同席の人々は全員スープ(のみ)とビールを注文した。店員さんには首をかしげられたけれど、ほんとこれが美味。しかも妙にビールに合う!
 なるほど…とその後スープにこだわる日々を送ったのだが、なかでも最大のヒットは、滞在3日目、山間の楽器づくりの村「マークノイキルヘン」のガストホーフでいただいた、お野菜たっぷりクリームスープだった。唯一都市に滞在しないこの日の夕食は全体的に手作り感のある心あたたまるコースだったのだが、なかでもこのスープの味わい深さに同席一同感嘆した。

 メインディッシュで一番記憶にあるのは、5日目ドレスデンで自由散策ののち、「4人組」で入った宮殿内のおみせ。ミシュラン一つ星らしいが、そう高額じゃない、お値打ち感たっぷりの大正解店だった。全員ちがうものをたのんだのがどれも、ちゃーんとおいしい。サービスも抜群。なかでも、前日にわれわれはザクセンの夏の離宮かつ狩の拠点・モルツブルグ城を見学し、鹿の顔だらけの壁面に強烈な印象をうけていた。もう鹿はみたくない…感もあったのだが、鹿肉は最高料理と聞いてリュウヘイ氏が一品だけメニューにあった鹿肉を頼んだのだ。が(全員まわして試食した結果…ああ日本人…)、これがくせもなく本当においしかった。はい。鹿肉はすばらしいです。

 と、各地のビールとお食事を満喫したのだが、われわれがそんな正統路線だけでおわるはずもなかった…。(つづく)

抱腹絶倒の旅 -ドイツより帰国

2008-03-20 03:12:40 | 旅の記憶
 今日朝11時、ドイツから無事帰国した。二度目のオオグシ先生率いる社会教育研修ツアー。ところが同じツアーでこうまで違うのかという、前回との趣の違いぐあいだった。前回を「学びのツアー」とすれば、今回は「文化と出会いなおしの旅(お笑いつき)」というべきか。ともかく、ドイツの人・同行の人の人となりや「人間」の奥深さに多く出会った。

 今回一番多く話したのは、もちろん旅の間中同室かつ同行したオグマ女史。その次が大学院時代の一年後輩で現在東北大学で教鞭をとるリュウヘイ氏。そしてラブコールを送ってお誘いしドレスデンからご一緒いただいたヒラツカさん@現在イギリス・リーズ大学在外研究中だろう。ドレスデン2日目の一日は4人であれこれ話しながら、晴れた空そのままに、自由に歩き回り、語り合った。

 まず今日書いておきたいのは、旅の話題のまんなかに終始いた、オグマさんのこと。私もかなりの楽天主義者なのだがそれを一回りもふた周りも大きくしたオグマさん(ブログ師匠。「鶴が舞だより」をごらんあれ)はほんとうに話題にことかかなかった。自由時間の多かった今回、彼女はその魅力をもう最大限に発揮した。「私って、ついてるのよねえ」と語り続けるのが口癖の彼女。彼女といると、ほんとにすべてがうまくいく気がしてしまう。しかも彼女はけっこうおっちょこちょいでかなりいろいろ事件をまきおこす。それでいながらのそのせりふなのだから、いかにたくさんの周囲の人が彼女をかかわり、助け、話題と笑いの渦をまきおこしているかがわかるというもの。
 たとえばスーツケース事件。彼女が持参したスーツケースの取手が1日目で破損した。「私には消費の神様がついているのよねえ」が持論の彼女は、ものつくりの国ドイツの頑丈なスーツケースをミュンヘンにて即決で購入し、実は買ったばかりだった持参したケースはホテルに捨て置いた。が、問題は次の日の夜。「鍵が開かないのよねえ。きっと、ひもをはさみこんだからだわ」とお困り旅行者顔。鍵番号は「0●▲」か「0▲●」のどちらかよという言葉を信じて何度まわすも、あかない。ひもをきっても、あかない。リュウヘイ氏を呼んできて、10分ほどたったころか、開いた!「なぜ、開けられたの?」と聞くと「僕はドイツのものつくりの力のほうを信じました」。つまり、番号が間違ってるかスーツケースの異常かを考え、迷わず番号の間違いだと思ったのだという。案の定、一桁ずれた数字が正解だった。彼女の記憶&彼女のさまざまな理由付け(ひもが、とか無理に閉めたから、とかいろいろあった(笑))がすべて誤っていたのだ。さすが科学的。
 ところが、それをみた彼女はひとこと。「私、開くと思っていたのよねえ!」…ありがとうとか、ごめんなさいなんてことばなんか無縁な、この自信。それでいて夜中には荷物を使いながら「開いて、よかったわ!」…周りの心配など、なんのその。でもいやみなんてまるでない、実にほがらかで、ひたすら笑える反応なのだ、これが。道中一事が万事、彼女の周りに笑いあり。うーん、去年はそういえば同レベルでおとぼけ街道まっしぐらのオオタ先生とノノガキさんがいらしたせいで、めだたなかったこともあるんだな、きっと。
 こんな調子ですすんだ今回のドイツ・ミュンヘン&ドレスデン道中。すこし社会教育施設視察つき。数回にわけて書いて見たい。
  ※写真は、エルベ川沿いのホテルの庭からドレスデン旧市街を望む絶景

ドイツ語の時間。そして

2008-03-11 21:47:20 | 旅の記憶
 1年半前の11月、オオグシ先生率いる社会教育ツアーでドイツに行ってきた。帰ってきて決意したことはひとつ。「ドイツ語を学ぼう」

 ふりかえれば、ドイツと私の縁はそう浅くない。…大学時代に1ヶ月のドイツ語研修旅行に行き、充実したカリキュラムのなかでホームステイも一人旅もした。あこがれていたシュタイナー学校を2校見学した。でもそのことが、シュタイナー研究ではなく、もっと地に足のついた教育のありかたを、と社会教育へと向かわせるきっかけとなった。
 大学院受験の第二外国語は、当然ドイツ語を選択した。でも、そのドイツ語のできなさが原因で、受験に失敗した。私のアバウトなドイツ語が裏目にでてしまったのだろう。でもここでストレートに合格していたら、私はきっと修士課程だけを出て、中学か高校の教師になっていたと思う。落ちて、人生を真剣に考えて、なぜだかわたしは私は研究という茨の道を選び、今に至る。

 それから長いブランクをへて、2005年からふいにドイツとの縁がでてきた。2005年ドルトムントへの研究会議参加。2006年北ドイツへの社会教育ツアー。なんだか気になりながらも手をつけられないことってある。私にとって「ドイツ」はそんな存在だった。2006の2度めの旅では、教育と福祉の両方にまたがって設計され、個人と社会をつなぐことを支援するドイツのsozialpedagogikにいよいよ魅力を感じた。旅をおえたころ、代々木駅前をとおりかかり、ドイツ語学校の文字が目にとびこんだ。「行くしかない!」…で、新宿に可能な限り週1回通い始めて、15ヶ月がすぎる。
 ばたばた動いている私のことだから、お休みは多数。予習復習はさっぱり。申し訳ないほどしか上達していない(哀しいかな本当に!)それでも、1回丸3時間、頭をオーバーヒートさせながらドイツ語の空気にふれることが、とても楽しい。振り替え授業でであったオーストリア出身・鎌倉在住のマリア先生が人柄も教え方もとっても素敵でファンになり、彼女の曜日にうつったほどだ。彼女に出会えたことで、ドイツ語学習がまだまだ続きそうだ。

 で、明日から働き始めて3度目のドイツ。言葉を再度学び始めて初の渡独になる。なにか、ちがうかな?どれくらい、ドイツ語をつかえるかな?今回訪れるミュンヘンとドレスデンで、何がおこるのか、どのくらい小さなチャレンジを試みることができるのか、ちょっと楽しみだ。

tokyoグルメ

2008-03-07 23:58:09 | 今日のまちあるき
春休みで東京歩きが多い今週。tokyoグルメあるきの記を2件。

 まずは、西早稲田近くの小さな和食やさん「麻の葉」の特製お弁当。いま事務局長をしている学会の事務局が早稲田大学にあるので、前事務局員のカメヤマさんと現事務局員のナオコさんのお二人とつれだってランチへ。カメヤマさんがかなりなグルメで、「どこかいいところへ」とお願いしたら、さくさくつれていってくださった。大きな丼のようなうつわをひらくと、海鮮いっぱいのお重、ごはん、そして鴨汁。目にも口にもおいしさいっぱい。なのに、1000円をこえない。カウンターには手づくりの大皿料理がならんでいて、マスターは小粋なベレーをかぶって腕をふるっていた。小粋なお店という表現がぴったり。

   つづいては、久しぶりの銀座。ブランドショップを横目にみながら到着したのはルーマニア料理のお店「ダリエ」。あまわりの頃お仕事をご一緒して以来、ゆるやかに交流を続けている沖縄出身の元都庁マン・キンジョウさんが、私経由でバイトをお願いした院生たちの修了祝いの会をひらいてくださった。ルーマニアって正確な位置をいえますか?フォークロアの国の位置を私は今回はじめて確認した。ハンガリーよりロシアより、トルコにも近いんだ…。お味は日本人の口に優しくて、練り物?を3種のパンにつける前菜からとばしてしまった。ところがそうすると、ひき肉アレンジでお皿いっぱいに盛られてくるメインディッシュのころには減速に入ってしまう…。とどめはデザートのドーナツ菓子「パパナッシュ」。サワークリームがかけられて軽く、本当においしかった。ただし、おなかは悲鳴!キンジョウさんはいまでもあまわりのことを気にしてくださっていて、あまわりが総務大臣賞を受賞した新聞記事をコピーして持参くださっていた。私のほうがびっくり。ああそれにしても、贅沢な一日、ごちそうさまでした。 


ともに巣立つ意志 -最後の卒業式・学校との別れ

2008-03-07 02:15:36 | 学びの場
 ここ4年、この時期になると、この学校の門をくぐり、卒業式の場にいあわせてもらうのがわたしの大事な時間だった。それも今年が最後になる。

 浦和商業高校定時制第60回卒業式。3200人の卒業生をおくりだしてきたこの学校は、最後の学年の「23人+6人」を送りだして、3月5日、閉校となった。ある卒業生が学校への思いをこめて、23年間かかすことなく、故郷八丈島のフリージアを卒業式におくりつづけてきた。この花が浦商を飾るのも、今年が最後になった。
 毎年この学校で、在校生が実行委員会をくんで企画してきた卒業式は、まさに1年間の集大成となる「教育実践」そのもの。生徒一人ひとりの「生のドラマ」がこんなにもみえる学校教育の場を、私は他にそうそう知らない。けれど今年、最後の学年となる4年生に、送り出してくれる後輩たちはいない。そこで卒業する4年生が全体の企画をたちあげ、OBたちが実行委員会をくみ、最後の卒業式を迎えるべく準備がすすめられてきたのだった。当日、司会も設営も装飾もすべて、定時制高校らしく老若男女のOBがたちはたらいていた。

 今年の式の底流に流れていたもの。私はそれは「23人+6人」に尽きるように思った。…今年は比較的淡々と式の進行を見守っていた私だったが、卒業生23人が入場したあと、卒業生自身がふいに立ち上がり、「これじゃ、終わらない!」と6人の入場を促したところで、今年最初のノックダウンがきた。ああ、そうなんだ。これこそ、浦商定時制。中途で退学した同級生がいる。さらに今年は閉校に伴って、進級できないことが卒業できないことを意味する生徒が生み出されてしまっている。そうして卒業にいたらなかった6人をしかし、卒業生たちは卒業式の場に呼びよせた。恒例の「担任からのメッセージ」は卒業組も退学組もばらばらに順不同。担任タナカ先生のメッセージの最後はすべて「卒業おめでとう」ではなく、「さあ、今日を君の人生の新しいスタートにしましょう」で締めくくられていた。
 4年1学期で学校をやめても、ときどきニッカボッカで学校へやってきた生徒。進級できない=卒業できないと決まった生徒に教師の側がおちこみそうになったとき、もはや卒業につながらないのに「大丈夫です。補習も出ます」ときっぱり宣言してむしろ教師を励まし、修学旅行にさえも参加した生徒。本当は高校卒業資格はのどから手がでるほど欲しいだろうに、それでも卒業かどうかなどにはもはやくくりきれない、〈彼らの「今」〉がこの学校には濃密にある、ということなのだろう。それをクラスメイトたちも共有していて、たとえ卒業はできなくても絶対に一緒にこの学校を巣立つんだという意志が、式全体に満ちていた。それが哀しくも力強かった。

 「水曜どうでしょう」をもじった卒業生の「水曜答辞SHOW」。卒業生から教師たちへの通信簿授与はほほえましかった。一人一人まったく違うその評点は、笑いにつつみこみながら、鋭い観察眼がひそまされていた。もうひとつの学び手たち=親から子への祝いのメッセージ。「親として学んだのは、信じること、そして待つことでした」。そして教師からも、この場で何度も学びなおし、そのきっかけをくれたことへの「ありがとう」のことばが、生徒にむけて幾度も語られた。

 今年の観客は私がみたなかでも最高に多彩だった。まず教育学の芸術家(?!)イワカワ先生の登場には驚いた。高校教育研究の専門家であり浦商定時制との付き合いも長いわれらが親愛なるオオタ先生。和光のウメハラ先生。また、今年私は現在沖縄・共同研究者であり高校受験の母のただなかを生きるリエコさんをお誘いした。学校に疑問をもつ中3の愛息リョウくんと肩をならべて式を見守ってくれた。教育学の授業で浦商定時制と出会った1年のユカさんや私のゼミのOBも参列していた。
 こんなにも多くの人、なにより思いをこめてOBや父母たちが見守るなかで、この学校は幕を閉じた。
 最後の4年間、そばでみていただけでも、私はどれくらい多くのことを学ばされ、胸うたれたことだろう。本当にありがとうございました。