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完璧にサボりモード。。

エリツィンで思い出した。。

2007-04-24 16:53:18 | 徒然なるまゝに
ロシアの元大統領、エリツィン氏が亡くなった。合掌。

エリツィン氏と言えばソ連崩壊に繋がった8月クーデター。
8月クーデターとは、経済面での改革を良しとしない副大統領・ヤナーエフを中心とした守旧派が、社会主義体制維持を目的として起こしたクーデター(実際には失敗)。
ゴルビーは休養中にクーデター実行部隊に軟禁され、代わりにエリツィンが中心犯の拘束指令を出すなどの鎮圧に向けた指揮を執る。
戦車上でエリツィンが民衆に呼びかけたスピーチのシーンが有名。
このクーデター未遂事件により、ゴルバチョフからソビエト連邦内の国の一つのロシア共和国の大統領だったエリツィンに政権が移譲されるような形となった。

ま、この事は本来なら時間を掛けてペレストロイカを実行するはずが、その道筋を作り上げるべきアンドロホフがとっとと死去してしまい、改革中盤の部分(改革断行部分)の担当をするはずだったゴルビーの登板が予定より早くなってしまったおかげで改革のスピードも早くなりすぎた事が要因だと思う。

で、この時俺は卒論の執筆準備をしていた。
元々ゼミで共同論文を1本仕上げるって事で、個人論文は書いても書かなくても良いって事になっていたんだが、個人論文を書くつもりで居た。
そのタイトルは『シベリアランドブリッジに於ける日本国内の整備及び新潟の役割(仮)』

シベリアランドブリッジとは、シベリア鉄道を利用した東アジア⇔欧州間の物資輸送の事である。
飛行機便より時間は掛かるが安くて多くの荷物が運べる。
船便より輸送量は少ない分運賃は高くつくが、なんてったって船便より断然早い。
当時は今以上に環日本海ってのがブームだったからね。

資料も準備し構成(あらすじ以前の目次的な全体の流れ)も終った段階で、後は本文部分を書くだけになっていた。
そこに飛び込んできた大ニュース。
ペレストロイカと言う共産主義型政治改革(民主化)を前提に、国家指導での緩やかな改革の中でシベリアランドブリッジと言うものを考察していた為、ただでさえ先読みが出来ない俺はますます先が読めなくなっちゃったので執筆断念。

色々考えていたんだよねぇ。
道路整備計画や鉄道網の実情や港の規模・拡張性から日本側の拠点港を何箇所、それも何処に設定したら効率が良いのかとか、大量のコンテナ輸送はトラック・トレーラーより鉄道の方が良いから、その場合に当時有った東港の引込み線の有効利用の方法とか、事故を含む災害時のバックアップ港はどう整備したら良いかとか。。

こんなん書いていたら、結構無茶な考察を当時してたのを思い出した。。
それは一部の貨物(コンテナ)の新幹線軌道での輸送。
1日あたり最大30本(だったかな?)のコンテナを新幹線輸送するって考え。

とりあえず新潟と大宮の車両基地内に貨物用ターミナルを作る。
(当時の車両基地って何処でしたっけ?)
将来的には人員輸送の為に新潟空港まで新幹線を延伸。さらに貨物用に東港まで延伸し貨物用ターミナルを移す。
移せないようなら・・・しゃぁないか。。
関東側は東京港や横浜港あたりまで伸ばしたいが、どう考えても無理だから大宮で我慢。
(今考えると無理矢理に東海道新幹線とくっつけて、品川のターミナルが使えるのかな。ちなみに当時の上越新幹線は上野止まり)
コンテナの台車への積み降ろしは日中に行い、新幹線による移送はあくまでも人員輸送を行わない夜中。
新幹線は広軌だから欧州規格のコンテナの輸送が可能だし、時速100km程度なら騒音問題もさほどの問題にならなそうだしね。
新潟⇔ナホトカの船だって毎日は運航はしない事を想定してた(ってか、週1~2便で考えていた)し、陸送の事も考えてそんなに大きな船ではないって事も想定していたし、入出荷港は新潟だけではないって事も考え、1日あたりコンテナ30個(片道)程度で十分、そうすると1~2往復くらいで、多くても3往復でOKと踏んでいた。それなら0時~5時くらいで十分に運行出来そうだしね。
それなら保線作業に大きな影響も出無さそうだし、高架を使えば踏切事故などを含めた事故の確率が低くなりそうだし。。

ただ、いくら金が掛かるんねん。。
そしてその費用対効果は???

当時の資料を取っておけば良かったな。

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