ウクライナの歴史②

2022年04月10日 13時01分43秒 | 自己満足的疑問解決
前回の続き。
色々ネットで調べて切り貼りした感じなんで、
ここが違うと言われたら多分、間違えていると思う。

レーニンがソビエト連邦を作ったあたりから


そういうワケでウクライナはソビエト連邦を構成する国家の1つとなりました。


連邦(れんぽう、英: federation、独: Bund):2つ以上の国(州)が1つの主権の下に結合して形成する国家形態

ところがレーニンは短命で後継者としてスターリンが現れました。

岡田 眞澄と似ているというのはあまりにも有名です。

スターリンはレーニンの後を継いでどんどんと社会主義を進めていきます。

ここで注釈
「資本主義」の問題点である貧富の差をなくすことを目的として生まれたのが「社会主義」で、
「社会主義」の理想形として進化させて体系化したものが「共産主義」という位置づけになる。
つまり「社会主義」段階では完全な平等は実現できず、完全な平等が実現できた状態が「共産主義」
むずかしい…

さてスターリンは農業集団化の政策を行いますが、結果としてウクライナでは数百万人の餓死者がでます。
ホロドモールといってウクライナでできた農作物を連邦政府が全て奪ってしまい、結果的に沢山の餓死者が出でしまったのです。
(ホロドモール:ウクライナ語でホロドは飢え、モルは絶滅や抹殺を意味する合成語で、飢餓による殺害を意味する。)


これは“赤い闇 スターリンの冷たい大地”で映画化もされています。

このころからウクライナは迫害を受けていたんですね…

さて時は進むとドイツに歴史上最悪の人物が誕生します。

ヒトラーですね。

で、ヒトラーは第2次世界大戦を引き起こしてソビエトを攻撃します。

ウクライナの人々はソビエトに迫害を受けていたので、
ドイツの進行を受け入れた経緯もあるようです。
が、結果的にドイツは敗戦しウクライナはソビエト連邦のままとなりました。

その後、冷戦時代に突入

アメリカを中心とする北大西洋条約機構(NATO)と
ソ連を中心とするワルシャワ条約機構に分かれて、激しく対立します。

ある時、ウクライナでは大事件が起こりました。

チェルノブイリ原子力発電所事故です。
戦争といい原発事故と言い、ウクライナは何とも言えない歴史を歩んでいますね。

そのまま時代を経過していくワケですが、ソビエト連邦が行っていた社会主義は欠陥システムで
ソビエト連邦はどんどんと貧しくなっていきました。
理由としてわかりやすいのがコレ↓

まあ頑張っても同じならば頑張りませんよね…

このままではやばいと立ち上がったのがゴルバチョフです


ゴルバチョフはペレストロイカと呼ばれる政策で
国家改革、すなわち情報公開(=グラスノスチ)や大統領制の採用、経済の開放・自由化などを行いました。

ペレストロイカによってソビエト連邦を構成する各国々は独立する機運が高まるワケですが
ロシア共和国が独立を承認するに至って同国の独立(ソ連邦からの離脱)は決定的になり,
更に旧ソ連諸国からなる独立国家共同体(CIS)の誕生,ソ連邦解体に伴い1990年12月末にウクライナは名実ともに独立国となりました。


そして昨今のロシアによるウクライナ侵攻に至るわけです。
長い事みるとウクライナはロシアから酷い仕打ちを受けてきたワケで、
もともと独立したがっていたのがわかります。

そもそも最近ではキエフをウクライナ語の発音を元にした「キーウ」と呼ぶようで
言葉が違う=アイデンティティさえも違うと思うのですが…

ともあれ早く戦争が終わると同時に、ロシアのプーチンには何かしらの制裁を加えるべきだと思っています。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウクライナの歴史① | トップ | 22/4/10-17週間ダイジェスト »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自己満足的疑問解決」カテゴリの最新記事