『MYTH』

2006-05-29 23:51:40 | Weblog
"Myth(ミス)"には、神話、伝説、つくり話、架空の 人、という意味がある。
人間は、生まれてきたからには、孤独ではない。

脚本・演出:鈴木勝秀
出演:佐藤アツヒロ、篠井英介、陰山 泰、中山祐一朗

この芝居をみにいった。
私は主人公と同じ一人っ子の母子家庭。
また似たような状態に居たのだ。
まゆの中に居る、さなぎの状態。
以前自分が「さなぎをしている」という風な詩を書いたが、
この芝居でも「さなぎ」という言葉を使って
主人公の状態を表した。
孤独などない。
孤独だなんて思っていませんか。
孤独などない。
自分に言い聞かせてるだけですよ。

人間は他の人間との関わりの中に生きているのだ。
生まれるということもそうだし、
生まれてきたときからずっとそうだった。
早くまゆから出ましょうね。

そして今まで沢山のことを堪えてきてくれた自分の体を
いたわってあげましょうね。

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はい。こっからは少し話をします。
この場所について話します。
私にとっての「書くこと」について。
まず、このページを覗いてくれているみなさん、
ありがとうございます。
見てのとおり、あまり面白おかしいことは書けません書きません。
かといって別に日々人間とは孤独とは死とはとか
堅いことばっか考えてるわけじゃないですよ。
お笑いやバラエティ番組大好きだし、いつもお酒飲んでわいわいがやがやしてます。

ところで、
「書くこと」は「記憶の形成」だという人が居る。
そうですね、
書くことによって記憶が形になって残されるし、
書きながら過去のことを振り返って記憶を作り直すことも。
「書くこと」は「考えること」だという人も居る。
考えなかったらかけませんしね、
書くことで考えをまとめ発展させることが出来る。
「書くこと」は「表現」だという人が居る。
音楽や絵画やすべての表現に通じる。内に流れるモノを外に出すもの。
「書くこと」は「コミュニケーション(情報伝達の意も含む)」だという人が居る。
「書くこと」は「整理整頓」だという人が居る。
「書くこと」は・・・。
書くことには書く人や時や場合によっていろんな意味がある。
それは物事に理由があったりなかったりするのと同じように。
だから、書く人自身に任せるとしよう。
それを読む人においても同様だ。
だから、ここはとても自由な場である。矢印の双方にとって。

私にとって「書くこと」はずっと「苦」であった。
何度も同じ言葉を頭の中で声に出して繰り返してもその先が出てこない。
垣のようなものにいつも突っ掛かっているような感覚。
日本語は美しい音色の楽器だが自分はうまく奏でることが出来ない。
それゆえいつも逃げてた。
でも
その垣をこえられるのは自分しかいないし、自分でそれを作っていたりもする。
自覚したのは大学受験の試験中だった。
某K大学文学部の小論文のテスト。
問題文は日本語を母国語としない人が書いた文章だった。
その文章の奇麗さに動悸が停まらず惚れ惚れとしていたら、結果不合格。

つまり、垣根を越えるんです。
結局私たちは壁をやぶらきゃいけない。まゆから出よ。
そう、そこにつながるんだな。

今、「書くこと」は私にとって「衝動」です。  (雑誌の対談風に)
美しい楽器演奏者になりたい願望です。  (韻を踏んで)
ときには素顔でときにはマント姿でときにはラジオを通して。  (キャッチコピー風に)

私の言葉の隙間がみなさんの心の隙間に届いたらいいな
と思っとります。  (本音)