S多面体

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」のショート版

埼玉会館で聴いた馬場管の「運命」

2021年07月08日 | 展覧会・コンサート

小雨のなか、高田馬場管弦楽団第98回定期演奏会を浦和の埼玉会館大ホールで聴いた。演目はウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲とベートーヴェンの交響曲5番、そうあの「ン・ダダダダーン」の「運命」だ。2曲ともポピュラーな名曲だった。

指揮は森山崇さんのはずだったが、5月下旬に前庭神経炎という病気になり急遽降板、松林慧さんに交代した。わたくしが馬場管定期を聴きに行くのは、半分は森山さんの指揮目当てなので、正直がっかりした。コンサートに行く直前に団のHPをみてたまたま知った。馬場管の定演は夏冬の年2回で、うち1回が森山さんの指揮のことが多かった。コロナのせいで1回中止になったせいもあり、19年7月の94回定演以来の登場となるので、5番のフィナーレをどのように盛り上げるのか、期待していた。なお、森山さんは自分が指揮台に立たないときも打楽器奏者として出演する回もあり、森山ファンとしてはそちらも見ものだった。
松林さんは1986年生まれとあるので、今年35歳、もともと学生オケのコンマスで2008年から指揮をしているようだ。馬場管の「元団員2世」とプログラムに紹介されている。馬場管も世代交代の時期に入りつつあるということかもしれない。
松林さんの指揮は、見かけはやや華美な感じがした。できるだけ重くならないよう、「軽い運命」を目指しているように感じた。フィナーレの盛り上げは、森山さんならいったいどう振ったのだろうとやはり妄想を膨らませてしまった。それはこちらが森山ファンだからだろう。アンコールでも4楽章の最後の部分を再演したが、2度目のほうが力が抜けていて生き生きした音楽に感じた。
なお、交替したのは5月末か6月と推測されるので、本番まで1か月あるかないかの時期だ。馬場管は50年近い伝統と歴史のある楽団なので、たぶんいろんなクセがあると思う。それを短時間でまとめ上げていくのだから大変だっただろうと思われる。演奏終了後、各パートのトップ紹介と拍手はたいていあるが、松林さんは各パートそして各団員に心から感謝しているように見受けられ、感じがよかった。

「運命」はもちろん名曲だと思う。わたしが4楽章を通しで聴くのはずいぶん久しぶりのような気がする。一番初めに聞いたのは、中学2年のころ。場所はなんと小学校の校庭で夏休みの夜のことだった。指揮者がだれだったのか覚えていないが、演奏は京都市交響楽団だったので、そう悪くはなかったはずだ。偶然、小学校のときのクラスメイトに出会った。わたしは公立中学の吹奏楽部でサックスを吹いていたが、その友人は中高一貫私立校のオーケストラでクラリネット担当、ちょうど「運命」の練習をしているところと言っていた。その人は、気の毒なことに20歳のころ所属していた大学山岳部の槍ヶ岳大量遭難で亡くなった。その前夜、お母さんにピアノで「月光」を演奏したと後で聞いた。
以上は昔話だが、この曲ベートーヴェン中期の37、38歳のころに作曲された。ピアノソナタ第23番「熱情」(1805)、弦楽四重奏曲「ラズモフスキー1-3番」(1806)より後、ピアノソナタ第26番「告別」(1809)、ピアノ三重奏曲第7番「大公」(1811)の前で、難聴がひどくなった時期だ。1808年12月ウィーンで6番と同時に初演された。今回通しで聞いてみて、変奏やリズム、ダイナミクスをいろいろ試してみた作品のように聞こえた(ちゃんと分析したわけではないので単なる印象にすぎない)。そういう聞き方もあることに、改めて気づいた。
1月の97回に続き今回もコロナ禍の定演で運営するスタッフもたいへんだっただろうと思われる。
埼玉会館に来るのははじめてのつもりだったが、中に入ってなぜか来た覚えがあるような気がしてきた。思い出すと50年も前のことだが、高校生のころ吹奏楽コンクール関東大会を聴きに一度訪れたことがあった。とくに知り合いが出ているというわけではなく、レベルを知りたいと興味本位で訪れただけだったのだが。
建物の外に、説明板があった。埼玉会館は、1926年岡田信一郎の設計により「御成婚記念埼玉会館」として開館。1966年に建て替えられたが設計は前川国男で、丹下健三の師匠格の方だった。打ち込みタイルが特徴で、ホールでは世田谷区民会館(1959)、京都会館(60)、東京文化会館(61)なども手掛けており、そういう点からも懐かしく感じたのかもしれない。

じつは往復とも電車の乗り方を間違えてしまった。浦和といえば京浜東北線で大宮より手前というくらいの知識で、東京駅から乗ってしまった。しかし正解は上野東京ラインに乗るべきだった。停車駅が10も少なく時間も10分早い。おかげで、浦和駅に到着したのがすでに14時2分くらい。会場に着くと「魔弾の射手」が始まり3-4分たったところで、ロビーのディスプレイをみるはめになった。
帰りは、逗子行きが来たので当然東京駅に停まると思ったら、これは湘南新宿ラインで赤羽の次は池袋に行ってしまった。正解は高崎線に乗るべきだった。おかげで、山手線回りで戻る羽目になり、20分以上損してしまった。あまり知らないところに行くときは、よく調べて行くべきだと肝に銘じた。
なお時間的には、1時間弱の短いコンサートだった。しかし第4次緊急事態宣言も近いなか、生のコンサートを聴けるだけでありがたい1時間だった。少額だが、カンパさせていただき家路についた。
次回99回は22年1月30日、ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」、プーランク:シンフォニエッタ、チャイコフスキー:交響曲第五番の3曲、指揮は石崎真弥奈さん、会場は今回と同じく埼玉会館とある。半年後、コロナはどうなっているかわからないが、無事成功することを祈りたい。

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。



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