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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」のショート版

オーケストラコンサートも、社会情勢を反映する

2022年03月18日 | 展覧会・コンサート

人に誘われ、2つのオーケストラコンサートを聴きに行った。
ひとつは、3月11日(金)夕刻池袋西口公園の野外スタジオで行われた「ウクライナ応援コンサート(指揮・小林研一郎 主催:豊島区、コバケンとその仲間たちオーケストラだった。
曲目は、シベリウスの交響詩「フィンランディア」、ラヴェルのボレロ、アイルランド民謡ダニーボーイ(ロンドンデリーの歌)の3曲。

タイトルからもわかるよう、2月24日にロシアがウクライナに侵攻した戦争への抗議とウクライナを支援する趣旨のコンサートである。
主催者あいさつで知ったのだが、豊島区は1982年に23区初の非核都市宣言を採択した区ということもあり、3月2日、高野之夫区長・磯一昭区議会議長の連名で「核兵器の使用を示唆するようなプーチン大統領の一連の行為に対する厳重抗議」をプーチン宛に発出した。その関連のコンサートである。コンサートの話が持ち上がってから1週間で実現とのことで、 そのスピードには驚かされた。 
だから主催が豊島区なのだが、まず高野区長から趣旨説明を兼ねたあいさつがあり、続いてオクサーナ・ステパニュックさんの「ウクライナ国歌」独唱が披露された。この方は藤原歌劇団所属のソプラノで、かつウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」の名演奏家だそうだ。

わたしは、基本的には「君が代」をはじめ国歌は好きではないが、ステパニュックさんの「ウクライナ国歌」(このサイトの10:53)は時機が時機だけに迫力を感じた。また開会に先立ち、会場で配布されたウクライナ国旗が青と黄の2色ということはたいていの人が知っているが、青は空、黄は麦を表す、だから「青を上、黄を下」に掲げるようとのアドバイスが、司会の朝岡聡さんからあった。これは聞いてよかった豆知識だった。
いよいよシベリウスの「フィンランディア」の演奏が始まる。金管(トランペット、ホルン(あっ、ホルンは木管だが)各4人、トロンボーン6人、計14人)はステージ上の2階席ひな壇のようなところに1列で座っている。コロナで密を避けるためと考えられるが、朝岡さんから「マエストロ小林じきじきに、いっそう輝かしいサウンドになることを説明するようにいわれた」とのコメントがあった。
2階席に金管、舞台下には男声合唱団が並ぶ
舞台下に30人くらいの衣装はバラバラの男性が並んでいる。警備スタッフではないフィンランディア賛歌を歌う合唱団で、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団早稲田大学グリークラブのOB合同合唱団だった。急な話だったので、こういうことになったのだろう。
屋外の演奏で全員立ち見、マイクを通しスピーカーで大音量で流すので、重低音の迫力は感じるものの、演奏内容のほうは判断をつけがたかった。わたしは前から6列目くらいのステージに向かってやや右手で立っていたが、立ち位置や前に背の高い人がどのくらいいるかでも音環境はかなり変わると思われる。
小林さんの姿は、人と人の間から、小さくみえるだけなので、もっぱら舞台上部の大型モニターを見ることになった。
コバケンさんの指揮はたしかに見ものだった。7年ほど前のラ・フォル・ジュルネで小林研一郎指揮、日本フィルハーモニー、合唱・東京音大のベートーベンの「第9」の4K映像を見たことがあるが、「炎の指揮者」と呼ばれるだけあり、たしかに熱い演奏だった。
残念ながら、わたくしがコンサートを聴けたのはここまでで、あとはユーチューブで視聴このサイトで全体を視聴できる)しただけだったが、やはりプロの指揮者は違うと思った。
なおこの日集まった寄付金は、4月に小林氏がハンガリーを訪問するときに、ウクライナからハンガリーに避難した人たちに直接手渡すとのことだった。
また、目の前の東京芸術劇場1階で「キッズゲルニカ ウクライナ」という絵を掲示していた。ウクライナの子どもたちが描いた絵で、ピカソのゲルニカと同じ3.5m×7.8mのサイズの大作だ。

プログラム(右)は、予定された出演者のままで配布された
もうひとつ3月5日(土)午後、こちらも人に誘われて目黒パーシモンホールフレッシュ名曲コンサートを聞いた。曲目はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と交響曲7番、指揮・太田弦、オケ・東京交響楽団、ヴァイオリン独奏・高木凛々子というメンバーだった。じつは指揮・鈴木優人、独奏・戸澤菜紀で予定されていたのが、「公演関係者がPCR検査の結果陽性であることが判明したため、濃厚接触の可能性がある出演者を変更」した結果、ピンチヒッターで出演者が差し替えになったものだった。外国人アーティストが入国できず交代ということはよくあるが、主演の2人とも急な変更というのは、いかにもコロナ禍のできごとだった。
それでも無事に開催できたのは、お二人のおかげだろう。もしかすると、オケのメンバーでも感染者なり濃厚接触者で出演不能ということもありうることだ。
フレッシュ名曲コンサートは、東京都歴史文化財団が区市町村の団体と共催して行うコンサートで、2021-22年のシーズンではくにたち市民芸術小ホール、なかのZERO、ルネこだいら、練馬文化センターなど22の会場で22回開催している。東京都歴史文化財団は東京文化会館、東京都現代美術館、東京都江戸東京博物館など12の都の文化施設の指定管理者で芸術文化を振興する財団である。この日は目黒パーシモンホールの指定管理者・目黒区芸術文化振興財団の主催というかたちになっていた。
わたくしがプロオケを聴くのは、何年ぶりだろう。オペラの伴奏なら昨年の藤原歌劇団「ラ・ボエーム」の東京フィルハーモニー、新国立劇場オペラ研修所「悩める劇場支配人」の新国立アカデミーアンサンブルなどがあるが、まともなコンサートを聞いたのは相当昔のように思う。11年前のベルリンフィルまで遡るかもしれない。
予想通りといえばそのとおりだが弦の厚み、充実したハーモニーがアマオケとかなり違う。はアマもかなり高いレベルだと思っていたが、ホルンやフルートの重奏部分を聴くとここまでピッタリ合わせるのはアマには難しい。さすがだった。そして管弦打全体のバランスがよい。やぱりプロの楽団だと改めて発見することが多かった。
アマは人数の関係で、3管編成になることが多いが、この日は2管、それも金管はトランペットのみ、ヴァイオリン協奏曲はフルートも1本だけ、ティンパニも2台という簡素な編成だった。おそらくスコアどおりなのだろうと思うが。
太田弦さんの指揮は、交響曲7番でとりわけ光っていた。東京交響楽団とも過去演奏した経験ありとプロフィールにあったが、息がぴったり合って、終盤に近付くほど生き生きした演奏を聴くことができた。いつ緊急出演が決まったのかわからないが見事だった。高木さんのヴァイオリンは、落ち着いた演奏で、カデンツァも派手なところがなかった。ハーモニクスがとても美しい音色だった。ドラマティックさはないが、そういう奏者なのだろう。貸与のストラディヴァリはさすがで、よく鳴っていた。これだけでも聞きにいった価値があった。
アンコールでバッハの無伴奏パルティータが演奏されたが、これは名演だった。こういう曲が得意なソリストなのだろう。
開演30分前から15分ほどウェルカムコンサートが開かれた。プログラムはベートーヴェンの弦楽四重奏曲1番op18-1の1・4楽章、メンバーはオケから1stヴァイオリン田尻順、2ndヴァイオリン水谷有里、ヴィオラ小西応興、チェロ伊藤文嗣だった。
本番前のロビーコンサートや本番30分前の「解説」は聞いたことがあったが、舞台上の演奏は初めて聴く。これもコロナ対策で、ロビーでは聴衆が「密」になるからかもしれない。
演奏も4人の息が合ったよい演奏だった。なぜか2ndの水谷さんの音が目立って聞こえた。プロフィールをみると、まだ芸大の院生のようだが、大物なのかもしれない。
生の弦楽四重奏を聴くのも、数十年前の東京カルテットや巌本真理カルテット以来のはずなので、満足した。
めぐろパーシモンの大ホールには、15年ほど前の冬、高田馬場管弦楽団の定演を一度聴きにきたことがあった。1200人規模の大きさで、なかなかいい響きのホールだった。
前半に書いた「ウクライナ応援コンサート」がを反映していることはいうまでもない。フレッシュ名曲コンサートも、新型コロナ流行の影響を大きく受けている。そういう点で考えると、案外オーケストラのコンサートも社会情勢に影響され、社会情勢を反映したものだといえそうだ。
1945年敗戦のアジア太平洋戦争時の軍楽隊やオーケストラと同じ道を進まないことを祈りたいのだが・・・。

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刺激的なアーティゾン美術館「はじまりから、いま。」

2022年03月05日 | 展覧会・コンサート

京橋のアーティゾン美術館を訪れた。この美術館は、1952年開館のブリヂストン美術館が2015年に建物改築することに伴い一度休館し、2020年1月アーティゾンに改称してリニューアルオープンした。アーティゾンとはアートとホリゾンを組み合わせた造語で「新たなアートの地平をのぞむ美術館」への意志を込めたものだそうだ。。
ブリヂストン美術館は有名だし、よく通っていたフィルム・センター(現・国立映画アーカイブ)から近い場所なのに、なぜかあまり行った記憶がない。印象派中心のイメージが強く、それなら西洋美術館に行けば足りると思っていたのかもしれない。しかし石橋正二郎の長男・幹一郎の死後、現代美術や日本・東洋美術の幹一郎のコレクションが1998年に加わり、ずいぶん性格が変わったようだ。

さらに新ビルへの建替えで、また新たな変貌を遂げつつあるようだ。オープンから2年たつが「はじまりから、いま。」というこの美術館の総覧のような企画展を開催していたので行ってみた。平日の朝一番だったので、閑散としていて、作品鑑賞にはとてもいい環境だった。また動画作品以外は、原則として撮影可能になっていて気持ちのよい美術館だった。
4-6階の3フロアが展示室になっていて、6階から見始める。展覧会は3部構成で、1部が「アーティゾン美術館の誕生」(6階)、2部「新地平への旅」(5階)、3部「ブリヂストン美術館のあゆみ」(4階)で、サブタイトル「アーティゾン美術館の軌跡――古代美術、印象は、そして現代へ」のとおり、コレクションによる美術館70年史のような作品展だった。
まず1部の部屋に入ると、通路の右に藤島武二「東洋振り」(1924)、中村彜「静物」(1919ころ)、松本竣介「運河風景」(1943)、荻須高徳、岡鹿之助など日本人作家の作品、左にラトゥール「静物」(1865)、ブラックモン「セーヴルのテラスにて」(1880)、モリゾ「バルコニーの女と子ども」(1872)、ゴンザレス、カサット、など海外作家の作品が並ぶ。
鴻池朋子 襖絵「地球断面図、流れ、竜巻、石」

森村泰昌「M式 海の幸」から3作
その先の大きな部屋に鴻池朋子の12面16mもある大きな襖絵「地球断面図、流れ、竜巻、石」(2020)があり、その先に森村泰昌のM式「海の幸」から1番「假象の創造」、5番「復活の日」、9番「たそがれに還る」の3点(2021)が並ぶ。これも1点が2.8mもある。森村の作品なので、群像の一人ひとりのモデルは森村自身で、「假象の創造」は青木繁の「海の幸」(1904)をモチーフにしたもので、登場人物は全員男性、「復活の日」は日の丸の小旗を持つオリンピック選手団のような誇らしげな男女(ただし最後尾の女性だけが小旗を捨て赤のジャケットを脱ぎ腕にかけ斜め下をみつめている。これも元ネタがあるのかもしれない。誇らしげな男性はちょっとアベ首相を連想させた。
「たそがれに還る」は浜辺で白衣・白髪の女性(または男女)が1組はマスク姿、もう1組は防毒マスクをつけて立ち尽くす。新型コロナと放射線のさなかで立ち尽くす人類のようだ。
解説によると、アーティストとキュレーターが協同して石橋財団コレクションとの「ジャム・セッション」による展覧会開催に取り組みつつある。これが新美術館アーティゾンのコンセプトに基づく企画だそうだ。ジャム・セッション第1回(2020年)は鴻池朋子、第2回(2021年)は森村泰昌、今年の第3回は鈴木理策柴田敏雄で、4月29日から「写真と絵画――セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」展が予定されている。

田中敦子「1985B」
その後の6階作品展示は、日本作家では元永定正、白髪一雄、田中敦子らGUTAIの作家、海外作家はカンディンスキー、ブランクーシ、ミロなどの作品が並んでいる。たいへんレベルが高く、田中敦子「1985B」はわたしが見た田中の作品のなかで最高だったし、カンディンスキーやミロもレベルが高かった。見あきない作品が次から次へと並んでいた。

ザオ・ウーキー「07.06.85」
2部「新地平への旅」の第1室はザオ・ウーキー(1920-2013)の作品11点で構成されていた。ウーキーは北京生まれ、杭州の美術学校を卒業し28歳でパリに渡り、本の挿画で有名になった。作家・アンドレ・マルローや詩人・アンリ・マショーに気に入られフランス国籍を取得する。石橋幹一郎もウーキーと親しくなり、コレクションを集めた。「07.06.85」(1985)は深い紺色に引き込まれそうになり、「風景2004」(2004)は緑色の高山と雲海もなかに、オレンジ色の夕暮れ時の薄明のような明かりが浮かび上がる。感動的な作品だ。ザオ・ウーキーという名は知っていたが、こんなに深い絵を描く画家とは知らなかった。このサイトで作品が見られる
最後のほうにピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」(1923)があった。サルタンバンクは大道芸人のことで、ピカソが戦間期にキュビズムから新古典主義に転換した時代の代表作だ。解説でピアニストのウラジミール・ホロヴィッツが旧蔵し居間に掛けていたことと1980年に石橋財団がサザビーズで購入したことを知った。
その他、唐の壺や皿、平治物語絵巻や鳥獣戯画断簡も展示されていた。また猪熊弦一郎の作品が2点展示されていたが、こんなに鋭い作風だといままで思わなかった。

ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
3部はこの美術館の歴史で、石橋正二郎が1950-62年に4回欧米の美術館を歴訪したときの写真や記録の展示があった。とくに53年は100日で50カ所の美術館を巡った。イタリアでは画家の長谷川路可、パリでは荻須高徳が案内役を務めた。古代美術の収集も始めた。
館内掲示から正二郎のプロフィールを紹介する。1889年福岡県久留米市生まれ、17歳で家業の仕立屋を継ぎ、地下足袋やゴム靴製造で全国的企業に拡大、自動車タイヤに着目し、1930年国産化に成功しブリッジストンタイヤ(現・ブリヂストン)を創業。また偶然、正二郎の高等小学校時代の図画教師が洋画家・坂本繁二郎で、坂本が久留米出身で夭折した青木繁の作品散逸を惜しんでいたことを知り、青木をはじめ坂本、藤島武二など日本近代洋画の収集を始めた。
そして創立20周年記念事業として、京橋の本社ビル2階をブリヂストン美術館として1952年に開館した。
70年史という点では、4階以外も含めてだが、たとえば70年間の企画展のポスター一覧やオープン以来70年続く土曜講座の講師とタイトル一覧も掲示されていた。1950年代の講師は、美術評論家や画家は当然だが、武者小路実篤、青野季吉、小林秀雄らの名もあった。いわゆる文化人講演会だったのだろう。また美術家訪問など美術映画シリーズというものをつくっていた時代もあった。
作品展示は、エジプト、ギリシアの彫像やレリーフのほか、アッティカの壺や皿が10点近く並んでいた。またユトリロ、ルソー、ヴラマンク、マティス、シニャック、ピサロなどの作品が並ぶ一角があり、学生時代に使った美術教科書をみているようで大変なつかしかった。ブールデルの彫刻も久しぶりに見た。そのなかに藤田嗣二「猫のいる静物」(1939-40) や佐伯祐三「テラスの広告」(1929)があったが、まったく違和感がなかった。もちろんルノワール、マネ、セザンヌの作品もあった。
ブールデルで思い出したが、5階ロビーにはマイヨールのブロンズ像もあり、これもなつかしかった。

森村泰昌「M式「海の幸」第7番 復活の日2」
☆森村の作品はあまりに刺激的だったが、ミュージカルショップで全部で10点のシリーズであることがわかった。
鹿鳴館風の絵、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」のような戦闘シーンの絵、真ん中に薬師丸ひろ子風の機関銃をもつ女子高生がいる「モードの迷宮」、ゲバ棒・ヘルメット・マスクの新左翼風の集団の「われらの時代」など、100年の風俗画のような刺激のあるシリーズに仕上がっていた。
M式「海の幸」の第7番「復活の日2」の絵葉書を1点購入した。大阪万博の時代、ミニスカート全盛時代の女性たち、ヘアスタイルはたしかにこんなだったような気がする。

アーティゾン美術館
住所:東京都中央区京橋1-7-2
電話:050-5541-8600
開館日:火~日曜日
開館時間:10:00 ? 18:00(金曜は20:00まで)
入館料:ウェブ予約(料金は展覧会により異なる)

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。