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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」のショート版

20周年を迎えた「南北コリアと日本のともだち展」

2021年06月12日 | 展覧会・コンサート

6月5日(土)午後、アーツ千代田3331で「南北コリアと日本のともだち展(主催:南北コリアと日本のともだち展実行委員会をみた。
日本(墨田、富士宮、大阪など)、中国(吉林省延吉市)、朝鮮民主主義人民共和国(ピョンヤン)、韓国(パートナー団体・オリニオッケドンムの呼びかけで集めた絵)の小学生の絵とメッセージ60点が展示されていた。テーマは「わたしがつくる未来」。この展覧会の作品は絵だけでなくメッセージもついているのが特徴だ。

私は、交流がむずかしいピョンヤンの子どもたちの絵に関心があった。科学技術が希望や夢の作品が圧倒的に多かった。たとえば「ロケット〈少年号-3〉を打ち上げる」(4年)、「金日成総合大学に入学し科学技術でわが国をかがやかせるような科学者になりたい」(3年)、「宇宙船にのり月を征服する」(1年)、「飛ぶ車をつくる」(5年)、「立派な建築家」(5年)などだ。

農業の科学者になるぼくのゆめを描いた。いつも豊作にしてみせます」(4年)という作品があり、この文だけではよくわからない。しかし絵をみると、牛・豚・鶏・ミルク、大根・芋、リンゴ・柿・ブドウ・きのこ、魚などが画面いっぱいに描かれ、真ん中に笑っている「ぼく」がいてどんな農業博士になりたいのか具体的によくわかった。受付で「気に入った絵の作者に手紙を書いてほしい」といわれ、このようなことをメモにし手渡した。
科学技術以外では「ヤギをかう人」(2年)、「立派な美術家(3年)、「先生になり子供に文学もダンスも教える」(2年)などがあった。
共同制作のテーマは「空にとどけるみんなのねがい」で、今年は多くの小旗が飾られていた。かつての共同制作の等身大の生徒の姿もいくつか展示されていた。

この作品展は2001年に始まり今回で20周年を迎えた。拉致問題、ミサイル問題で大変な時期だったはずだが、よくやっていると感心する。
オンラインのギャラリートーク トークとは関係ないが、ディスプレイの上に掛かっている時計は針は回転せず、文字盤が1分に1回転していて見ていて面白かった。
たまたまわたくしが訪れた時間に「ともだち展の20年をふりかえる」というオンラインのギャラリートークをやっており、少しだけ聞いた。わずか8分で20年を振り返るというもので、わたしの聞き間違いもあるかもしれない。きっかけは2000年6月ピョンヤンで行われた金大中大統領と金正日国防委員長(朝鮮労働党総書記)との南北首脳会談、翌2001年に第1回ともだち展が開催された。この年は「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が4月に検定合格した年で、絵を集めるのが大変だったそうだ。その後日本の朝鮮学校の生徒たちが韓国を訪問したり、中国の延吉児童図書館の協力で中国の絵も集まり輪が広がっていった。2014年5月には日朝間のストックホルム合意で改善の兆しがみえたものの15年から東アジアの緊張が高まり準戦時体制とも呼ばれる時期に入った。
18年以降でいうと、台風の被害で予定していた関西国際空港から飛行機が飛べなくなったことや、目下新型コロナで世界的なパンデミックに陥ったことなど、自然災害に見舞われている。ただ日朝関係は悪化しているわけではない、コロナのなか、ウェブでやりとりするなど新しいやり方も開発されつつあるとのことだった。

わたくしがこの展覧会を知ったのは、2016年12月のハンクネット(朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン)の報告集会で、筒井由紀子さん(KOREA子どもキャンペーン事務局長)が北朝鮮の水害被害への支援金を送った話を聞いたからだった。翌17年2月、今回と同じアーツ千代田3331で「ともだち展」をみた。このときは凧づくりがひとつのテーマで、平壌の生徒の凧が印象に残りメッセージを書いた。
ハンクネットは、人道支援の観点から共和国へ粉ミルクを送る運動をする団体だ。最近あまり耳にしないが、特色ある団体なので、ぜひ活動を続けてほしい。

なお会場のアーツ千代田3331は、千代田区立練成中学(現在・神田一橋中学)の校舎を使い2010年にオープンしたアートセンターだ。前庭は緑が多くゆったりしたスペースになっていた。

☆アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。
・2021年6月18日
「ともだち展の20年をふりかえる」の部分を一部修正しました。

 



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