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人は苦しむために生まれてきたとしても・・・

あなたとならば、きっと見つかる一輪の薔薇

筑紫さん さようなら

2008年11月09日 | 人物
筑紫さんが、肺のがんと闘いながらも、事件の節目に登場していた頃、すっぽりとニット帽で頭を覆うようになっていた。

過酷な治療が思われた。

大きな存在なので、あちらこちらで取り上げられた。たばこをくわえた写真が多く、やはり 喫煙と肺がんは関連が強いのだと思った。

生前の写真の中で、「あっ!これ!これ」と声をあげそうになった一枚は、豊かな長い頭髪を銀色に美しくセットしたもので、どうしてこんなにもするのかな~と当時思ったものだ。

我が家には当時、髪の薄い年よりがいて、時々筑紫さんに文句を言っていた。このヘアスタイルが嫌なのかなと、口には出さなかったけれど、疑惑を持っていた。

右の人にも左の人にも不満を持たれていた。ヒューマンな視点という貫き方が立派です。たまにだけれど、予想と外れた切り口に、驚いたこともあるけれど、私の場合髪の毛が原因じゃありません。

その時間そこにいてくれるという安心感が、完全に無くなりました。完治できるのじゃないかと一縷の希望も持っていました。

覚悟していたけれど、さびしいです。 筑紫さん さようなら。
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山谷のホスピス

2008年11月03日 | 人物
今日のETV特集は「山谷のホスピス・最期を生きる」と題して、家族の代わりに看取りをする「きぼうのいえ」の様子が描かれていた。

途中からみたので、どのような動機で夫婦が始めたのかは分からなかったけれど、マザーテレサと同根のものと思う。たとえ数時間であっても、人間として愛を受けて死ねれば、“それまでの人生が真っ黒”(一人の老人の言葉)であってもということだろう。

最後の慰霊の映像が、誤解を恐れずに言えば 面白かった。壁に十字架のキリスト、お経が上げられ 神主さんの笙も流れる。一神教の国の人がみたらと、ちょっと可笑しかったのだ。

年取った加賀美さんのナレーションも程がよく、生の最後にある最期の姿に感動した。引き取り手のない遺骨が重なって置かれているのも、いやでなく。「そうだ、そうだ、これでいいのだ」と思ったことだった。

「病気になってここにきて、いろいろ学べて、一日があと2・3時間長ければもっといろいろ出来る。病気になってよかったと思う」とおじいさんが言う。この境地には、誰もがなれるものではない。修行を積んだ高僧のようじゃありませんか。

酸素を吸いながら、最後の日までパチンコに行った人の話もあった。若い女の職員さんが来ますようにと七夕の短冊に書いた人もある。悲喜こもごも、見ているこちらも、涙ぐんだり笑ったりと忙しい。

掛け値のない自分を受け入れてもらう幸せ。立派でなくても、それが人生。のびのびと偽らず生きたものだ。あした目が覚めなくても悔いはないと言えるように。

最後のシャボン玉はちょっと演出したのかな、そこが残念。夕日でも朝日でも、梢の先でもよかったのにと。“ENDは大切です”がテーマですかから 敢て苦言申し上げます。
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不思議な人の半生

2008年10月12日 | 人物
三浦元社長の帽子の文字、薬物の俗語に「別れ」の意味も(読売新聞) - goo ニュース

逮捕される前 連日TVを賑わせていた頃、そのためにビデオレコーダーを買ってしまった人を知っている。その後の経過は、法律の考え方と常識や道徳観の乖離を感じさせるもので、あまり考えないようにしていた。いい気持ちのものではなかった。27年の歳月が流れたのだ

サイパンの人となってから、病院の待合室のAERAで、マスコミ被害者や冤罪被害者の会などに出ていることを知った。カレー事件の人ともコンタクトを取っているとのことだった。同じ記事に 口から出まかせを非難している女性もいた。

Oさんとは同じ建物の隣同士に30年近く、ほとんど会わないし何も知らない。M氏のことはいろいろ知っている。あまり付き合っていない親戚より詳しい。とうとう半生に付き合ってしまった。

サイパンからLAまで、直行便はなくジェット機を乗り継いでの長旅で、「疲れた」と言っていたそうだ。61歳。これからを考えていやになってしまったのかしら。会ったり会話したりした人は、そういうことと一番遠い人と例外なく言う。

もっと早く発見される計算だったのではないかという人もあった。頭脳も体格も 好みもあるだろうけれど 容姿も人並み優れていたのに、志というか心がなかったのだと思う。もったいない。
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三浦和義容疑者自殺で死亡

2008年10月11日 | 人物

TBSで経済危機の特集の後の臨時ニュースは、三浦和義容疑者自殺というものでした。アレルギーがあるので揚げ物を出さないでなどと食事の希望を述べていたりしたのにです。

ロスへの移送も、G7のニュースに埋もれて、小さくしか扱われませんでした。事件の発端の地ロスでどんな心境の変化があったのでしょう。詳細は未だわかりません。不思議な不思議な人でした。 18:55
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緒形拳さんが急死

2008年10月07日 | 人物
緒形拳さんが急死…先月末には元気な姿も(スポーツニッポン) - goo ニュース

さんまのまんまに出た時だった。 壁にあった紳助の写真のパネルを眺めて「犯罪者の顔だ!」と言いながら「もらっていく」と凄い力でそれこそベリッとはぎ取ったのだ。たまらなく可笑しかった。当代一の犯罪者役者と自他ともに許していた頃のことだ。

善人でも悪人でも、人間に対する深い理解があって演じていたと思う。最近は、夏にみたNHKの「帽子」が印象深い。衰えている感じはなかったけれど、自分と比較して年齢を推定して、早めに老けるタイプかなとは思った。

やはりTVで 旅行記があって、亡くなった老人がその地方の習慣なのだろうアジアの草原の真ん中に置かれる。遺体に 降ってきた雪が積もりだすと それを見ながら「いいな~」とじっと見ていた緒形さんの横顔を憶えている。健康に不安などなく活躍していた頃だ。

病を知っていた家族にとっても急死に等しかったようだ。覚悟して準備していたように看病できなかったのだろう。亡くなったことを公表せず 近親者だけで葬儀を済ませてからの今日の報告で「3日間泣き続けていました」という言葉もあった。

もうじき佐野洋子さんと別れなければならないと「シズコさん」を読んで以来辛かった。今も辛い。 今日 緒形拳さんの訃報に触れて、自分がこれほどの気持ちを緒形さんに持っていたなんてと驚いている。全く自覚がなかったので 不意打ち的に悲しくさびしい。

立派な実り多い人生の幕が下りて、拍手が鳴りやまない。
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明日死ぬつもりで・・・

2008年10月04日 | 人物
もう90歳を過ぎて、目はボーッとしか見えないけれど、日常はどうやらやれる。脳梗塞の奥さんを送って、二代目の医者の息子と相談してのことだろう、一億二千万円を借りて自宅を3階建にして上を貸す計画を立てた。

相続を視野に入れてのことだと思った。友人や親せきやたくさんの人の死亡診断書を書いてきたそうだ。自分の死後のことも話し合えるというのは本当にいい人間関係の中にあるということだ。思いやりも現実的で理知的でなければ、口先だけのことになってしまう。

「生命保険会社とG信用金庫とでは、利息が総額で二千万違うので、Gから借りることになった」とのことだ。持てる人には選択の余地があって、お金持ちほど、モノを安く買っているというのは本当なんだと思った。

81歳の目を悪くした女流画家がカードを作って私に下さった。大きな掌にのった仏様の仏画が張られている。開くと先生の字で「明日死ぬつもりで生きよ 永遠に生きるつもりで学べ」とある。どこに書いてあったか忘れたけれど、書きつけておいた言葉とのことだ。

今月1日からゴミの分別が楽になった。陶器・ガラス・金属にさえ気をつければいいことになった。私は「明日死ぬつもりで」捨てている。以前先生は「捨てて捨てて捨てされ」ということを書いておられた。何を捨てるつもりだったか、今度お会いしたら聞いてみよう。モノではないはずだから。

永遠に生きるつもりにはなれないけれど「学ぶ」ことはいくらでもできる。反面教師のほうが多いと思うのはこちらの思い上がりということも、学んでおります。
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ジャマイカのボルト君

2008年08月21日 | 人物
ジャマイカと言われて連想するのは、ハリーベラフォンテの“さらばジャマイカ”ぐらいしかなかったけれど、これからは、世界最速の男ボルトとともに、名前だけは有名な国となるだろう。

200メートル走決勝の時には、観覧席にマイケル・ジョンソンもいた。紳士然とした様子からは、特に何も感じられなかった。100の結果を見れば、破られることはないと言われた自分の持つ世界記録ガ破られるだろうと思っていたかもしれない。

サッカーでいえば、名選手は、“ペレ”のようであって欲しいと誰でも思う。けれどマラドーナのような選手もでる。ボルト君22歳も、その点少し心配だ。神様は、2回りほども大きい素晴らしい肉体を与えたばかりでなく、物怖じしない太い神経も彼に与えた。これから変なことで、話題提供にならないように切に願う。

これらの事に意味があるとすれば、“自分に似て並み以下のわが子の尻を「努力々々!」と、叩いて、社会に居場所がないが如くに追い詰めるのを止めなさい。何事も運否天賦、努力は尊く大事だが、結果は別物だ”ということかしらと思ってしまうのだ。

スタートのタイミングとか、足を前に出すのではなく腿を高く胸元に引き上げるのだとか、ゴールは胸の位置で決めるから突き出してとか、いろいろ技術的なことも多いと聞く。けれど、しかし、そういったことが、すべて空しく思われるほどの快走(怪走)で、「銅は金と同じと書くのだ」? ふざけるんじゃないと思う。

圧倒的な、絶対的な能力にひれ伏さないでどうするの。競技場にはごまかしのない神が宿っていて、人間のすごさに見えるものも、ただそれを体現しているだけと、謙虚にもなる。だから、オリンピックは素晴らしいのだ、小さな思惑を超えたものが必ず現れる。脱帽!
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浜口京子ちゃん!ありがとう!

2008年08月21日 | 人物
競技が始まる前に、京子ちゃんがやさしい女の顔をしているので、金なんてとてもとても、メダルなしかもしれないと思った。結果は銅メダルで、晴れやかな幸せそうな顔が、表彰台にあった。

アニマルパパが、「京子!ロンドンだ!」と叫んでいるのを聞いて、男親はしょうがないなぁ~と思った。でも浜口家の実権はお母さんに在って、アテネで審判に不服でパパが騒いでなかなか引かなかった時も、「金メダルなんか無くても家は幸せなんだ!」と一喝して、黙らせてしまった。

もう涎が出るほど羨ましいいい家族なんだ。京子ちゃんは30歳になる。「これからは、恋がしたい。お母さんに聞いてください」と恥じらいを見せて、語った。これからじゃなくて、♪もお~恋~いなのか~♪の世界なんだ、きっと。あんたの娘はちゃんと育っているよと、これから寂しくなるパパに言ってあげたい。

プロレス世界でも硬骨漢として知られたお父さんは、身近な素敵な異性として娘を引き付けて、スポーツとしての王道を娘とともに歩むこととなった。娘への愛と期待を、あけっぴろげに表して、愛溢れる家庭を持たない者にも、お裾わけしてくれたのだ。これで、メダルも金では、かえって不吉かもしれない。銅でいいのだ!

京子ちゃん!パパはお母さんに任せて、幸せになってね。人生の金メダルはきっと大丈夫だよ。フロイトという偉い先生が、父親に愛された娘について、太鼓判を押しているんだって。なんかすべてを、性的に解釈だそうで、私は近寄らないけれど、心の問題の権威の保証付きだよ。京子ちゃん!幸せになってね!
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シンクロ・デユエットは銅

2008年08月20日 | 人物
古い話故、後出しと非難されかねないけれど、スケートの安藤美姫ちゃんがワダエミさんデザインのコスチュームで現れた時、「あっ!負ける!」と思ったのだ。

昨日のシンクロの予選の時の、日本のデユエットのコスチュームは2枚とも、素晴らしかった。品よくセクシーで、余計な飾り的なものもなく、特に規定の時のそれは個性が際立っていながら、演技という中身で勝負する気概も見られて、体格にもよく合っていた。デザイナイーの名前を知りたいと思った。

メイクも日本的で、若さが際立っていた。今日の結果を確信した。

元の日本のコーチが、中国のコーチとなって中国選手を育てて、強力なライバルとなっているなどと聞くと、日本のスポーツ界の成熟度も感じられる。いつまでも同じ人が君臨していると、それがどんなに素晴らしい人であっても、衰退してくるから 良いことなのだ。

内紛云々と聞くと、ドッキとするけれど、人生いたるところ青山あり、必要とされるところで活躍すればいいのだ。

けれど、他国の卓球選手となって、生国の中国と戦うとき勝つ選手は稀だと聞く。日本ではそんなことはない、そんな場合に勝ことを“恩返し”と言って奨励する立派なことなのだ。けれど、無理をしているのかなとも、思う。

国家も個人も成熟して、大人になってきていると、モダンなコスチュームが私たちに、知らせてくれる。
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漫画家赤塚不二夫さんが死去

2008年08月03日 | 人物
漫画家赤塚不二夫さんが死去 バカボン、おそ松くん…(共同通信) - goo ニュース

赤塚不二夫さんのお父さんはお巡りさんだった。定年退職してからは、NHKの集金員をしていた。時々息子に色紙を書いてくれとやって来た。確信犯的不払いの家を再度訪問する時の手土産にするとのことだ。

それで、赤塚不二夫が言う。「そんな事情もあって、お金はあっても理屈をつけて受信料を払わないでいる人間が嫌いだ」

黒柳徹子に求婚した話も面白いけれど、このお父さんに対する赤塚の気持ちを思う時、教育なんて案外簡単だとも、逆説だけれど思う。日本一の拳銃撃ちまくりのお巡りさんに、困惑されていたという話にも頬が緩む。

それにしても、意識のないまま、6年近く、しんどい話だ。写真家土門拳も、共産党の宮本賢治も、そう。親戚と同時に入院していた男性も、繰り返す脳出血に、当人も周りも今度は 手術はもちろん何もしないと、堅く決めていた。

しかし運悪く駅で倒れて 搬送先の病院で手術されてしまった。意識はなく、子供は4人いるけれど、4人いることがかえって良くないのだと、奥さんは言っていた。「口に出して 出来ないよと言われたらそれで終わりだから・・」

やっと 成仏なのだ! よかったね。 (ご冥福を心からお祈りいたします)
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老害?石原知事・語彙が貧弱

2008年07月19日 | 人物
「宮内庁のばかが」と、また批判 石原知事が五輪招致で(共同通信) - goo ニュース

「石原都知事の東京オリンピック招致に反対する会を立ち上げました」と言う人に会った。
私も、止めればと思っている。新銀行東京の事もあるし、この人の思いつきに付き合うと危ない。必然性も感じない。

数年前まで、道路わきに、以前のオリンピックのときにガードレールに設置したゴミ入れが一部残っていた。甲州街道もその時広がったし、男性の立ち小便もその時から減ったのだと聞く。

中国で犬料理を一時やめようとしているように、世界標準で自国を眺めて背伸びもして頑張ったと思う。必然性もあった。

再び東京オリンピックをと期待している人々は知事が言うほど多くない。その苛立ちが、“宮内庁バカ”発言だと思うけれど、幼稚な言葉使いに唖然とする。一応言葉の使い手のわけじゃない?

陛下殿下などの敬称をつけることなく、「皇太子が国民都民のために働くのは当たり前そのための存在だ」とのお言葉。「センセ センセとイバルナセンセ センセ セイトがメシノタネ」というのがあったけれど、同程度の同質のご意見ねと、“納得”した。

見た目より、頭の中はもっと年取っているのだ。無用に相手を刺激するところは前からだけれど、困ったものだ。むやみに振り回す刀だけでなく、首から提げた穴の開いた財布から動くたびにお金がこぼれ落ちている。誰か、お諌めして閉じ込めて欲しい。東京が危ない!
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守屋被告 損得だけではなく

2008年07月18日 | 人物
守屋被告、退職金を返納=6600万円-防衛省(時事通信) - goo ニュース

小池大臣との暗闘の最中に、バタバタしていた時に見た守屋事務次官の印象は、悪いけれど “アグリ” の一言。

「元」が付いて証人喚問に現われた時、“いい顔”になっていた。いわゆる澄んだ心境になっていたのだろう。妻や娘の心配をしていたそうだ。あまりにも遅いとは思うけれど。

直近の食肉偽装事件のお父さんも、これからを聞かれて「自分の人生はこういう終わり方をするんだなと思っている」と答えている。お坊さんが言うように、時には“終わりから”今を見てみることは大切なのだ。

国民や防衛省に対して申し訳ないという殊勝な気持ちだけではないとは思う。刑を少しでも減免してもらって、娘たちの将来が開かれるようにと思ってのことだろう。家を売りに出していたそうだから、生活の目途も付いての事だろう。懲戒免職でも年金は受けとれるそうだ。

そういったこと全てを了解した上でも、やはりこの決断を“よし”としたい。これからの人生になにが大切か熟慮したのだと思う。天皇とまで言われた人の決断を、それ以外に表しようのない事として、受け止めている。

落ち着いたら 後輩が躓かないように発言も出来るじゃないですか。今やベストセラー連発の佐藤優元受刑者との対談もありかななんて思う。今後の生き方次第で、遅くなかったことになる。簡単とは思わないけれど見事にやり直して欲しい。その意思を感じる。
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求めない・加島祥造

2008年05月31日 | 人物
加島祥造の「求めない」は、本の体裁も小さく「求めない」の精神が形にもなっている。詩集としては異例の30万部突破と聞く。

求めない事なんか出来ない だから“求めない”なのだ。と著者の言葉は、老子の思想とかで、無理や努力を強いないように見えるけれど・・・

求めて得られなければ苦しいと、仏教でも言う。“求不得苦”と八苦のうちにある。捨てる事ができないから、苦しいのだ、捨てて、捨てて、捨てきらなければ、と話を聞きながら、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」という、言葉も浮かんだ。

プラス思考とか積極人生とは、大分違う。求めないという生き方。

昨夜は野球が無く、TBSラジオでは、田川亜子さんの自殺について様々語られた。自分にも危機があって、誰にも相談しなかったと男性アナが言っていた。”降りる事が出来ない”ということなのだわ、と勝手に解釈して聞いていた。

”捨てる”ことを言った人が、五体投地は、最高礼というより、捨てる事の究極の肉体表現に見えるという。捨てて求めている、生きる事を。心の苦しみを、肉体の苦しみに移して。 5月27日 記
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辺見庸・宮川大助

2008年05月25日 | 人物
今日(25日)大助花子の宮川大助がTVに出ていた。「しびれる感じとは、これからも付きあってください」と医者に言われたと、新聞の手記にあった。今も痺れているんだなと、思いながら脳梗塞の痕跡を探したけれど、後遺症ゼロ、キレイさっぱり治ったんだ、よかったね

新日曜美術館の辺見庸は足を少し引きずって、“左片まひ”の後遺症が残る状態で登場した。2004年に脳出血でその後大腸がんにもなった。回れ右の感じで、生還したと思う。死の影をまとって。

深いところで、人間を見ていて、だからやさしさも、私のようなボランティアのおばさんなんかと違う。熱狂的ファンと左のレッテルを貼って初めからNOの人が多いみたいだ。歯ごたえのある人の話は、よく考えるきっかけになる。

血栓を薬で溶かすことが、出来るようになって、脳梗塞の予後は脳出血より良くなった。というより、治るようになった。宮川大助は、これから一病息災でいけるのだろう。痺れているから、用心できるし。

あした、母を迎えにいく。辺見庸が認知症のおばあさんの隣でリハビリをした、その話を、思い出しながら、坂を上ろう。もういいと思ったけれど、病院にも行こう。と思うのはエネルギーが蓄えられたからかしら!
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哲学的自殺?須原一秀

2008年05月15日 | 人物
14日の日経夕刊5面「エンジョイ読書」の広告欄左側に、双葉社刊 須原一秀著「自死という生き方」の広告があった。

老いと死へと歩む私たちの必読書 反響続々! 第五刷出来!! 覚悟して逝った哲学者 六十五歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行された ひとつの自死。自らの死で証明しようとした「自死の哲学」           などとある。

硫化水素がどうこうと、具体的方法の明示も、問題だけれど、これもなにか非常にイヤな気持ちにさせられた。

神社の鳥居で、首を吊ったそうだ、頚動脈も切って。老人の自殺は、こうして二重に方法を構じるそうだ。絶望が深いという事だろう。

この著者を私は知らないし、死者に鞭打つつもりも勿論ない。けれど、老いることを受け入れながら、その先にあることも受け入れて生きている人を、生きる事を、馬鹿にしているような感じを持ってしまった。

つい最近、激しい肉体的痛みと戦いながら生きる人のドキュメンタリーを見たばかりだ。自然の脅威にさらされて、懸命に生きる人もある。打ち砕かれてしまわない人間の強さが素敵だ。

華厳の滝に飛び込んだ藤村操も、原因は失恋で、“不可解”な哲学的自殺なんかじゃないことが分かっている。
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