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人は苦しむために生まれてきたとしても・・・

あなたとならば、きっと見つかる一輪の薔薇

福原 愛ちゃん・大丈夫?

2008年01月06日 | Weblog
福原愛、大みそかに入院してた…目玉焼きで胃腸炎(サンケイスポーツ) - goo ニュース

愛ちゃんは、ノロウイルス感染だったのではありませんか。仕出し屋さんや、ホテルに、迷惑がかかるので、回復すればよしと言う事で、おさめたのじゃありませんか。

しばらく見ないうちに、女らしくなって。とても周りを、気遣ういい子だから、少し心配しています。雑事担当の防波堤がいりますよ。“ノロ”なんかにやられる時は、体力が落ちている時だから、大事にしてね。

猩紅熱が法定伝染病だった時、クラスで何人か、感染者が出て、休級になった時、元気で退屈しているというので、禁じられているけれど、自宅にお見舞いに行きました。

保健所が来て家の隅々まで、丸ごと消毒されたそうで、本なんか、膨らんでいました。色々捨てたと、友達のお母さんは、笑っていました。転勤したと思えばいいのと言っておられました。

K子ちゃんのお母さんは、おはじきを禁止しろと学校に申し入れる程の吝わい人で、K子ちゃんが、おかしくなった時、猩紅熱じゃありませんと、医者にも見せずに頑張りました。消毒で物が粗方ダメになると聞いて、踏ん張ったといわれていました。わが子より物が大事なんだからと、陰口をきかれました。

猩紅熱は、その後法定伝染病ではなくなりました。
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がんの自動診断装置開発

2008年01月06日 | Weblog
ガンの部分が、色違いではっきり写っていましたよ。凄い!

つまりレントゲン写真でも、PETの映像でも、映像を読む力は医師それぞれのもので、力量に差があったのです。力のある先生方に、何処をどう診て判断するのか聞いて コンピューターに、判断能力を、付与したということなのです。

がんだって、まず診断ですよね、命の問題なのに、先生がハズレだったからは、運が悪かったで、済まないですよね。

長寿細胞という普段は眠っている細胞を、目覚めさせて活性化させることによって、長生きが可能だと、新年早々知りました。カロリー制限すると、長寿細胞がめざめるそうです。食品としては、赤ワインや野菜や果物の皮に細胞のお目覚め物質は、豊富に含まれているらしいのです。

予防栄養学研究家の家森幸男氏が、5日の日経夕刊1面の「明日への話題」で ねずみが人類を救うと題して(高血圧ラットは家森氏が作出したもの)大豆、魚、野菜の栄養を充分与え、減塩食にすれば、遺伝的に100%脳卒中になる高血圧ラットでも、発症しないと述べておられます。

冥土への一里塚といわれるお正月に、努力は報われるとのお話は、元気がでます。

でもご用心、美味しさの正体の8割は脂肪と塩が関係しています。フレンチのソースは、バターなどの脂肪が かまぼこ、ソーセージなどは、驚く程の塩分量です。糖分もそうですが、舌はすぐに、麻痺して鈍感になります。

七草粥の時、塩分なしで、炊いてみましょう。ご馳走続きで、すでに、舌が麻痺してしまっているのが、分かりますよ。 時々のお粥作戦を、提案いたします。
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京浜ホテル・残された者

2008年01月05日 | Weblog
ホテルの室内焼ける 男女2人死亡、1人負傷 横浜(朝日新聞) - goo ニュース

外出の支度を急いでいて、ストッキングに爪がかかったりしても、エエィ死ぬわけじゃなしと、出掛けてしまうけれど、死ぬこともあるんですね。

姉の口癖は、「お米の袋を改造したズロースを履いていたと、ラジオ放送された女の人があったんだから」でした。更の下着が常に用意してあったようです。

死んでまで、見栄張ることないと思うけれど、幼い頃からそんな話を聞いているので、やはり影響は受けます。そういう日は、交通事故に会うようなことに、なってはいけないと信号無視などはせず、自重します。

京浜ホテルは横浜では、有名らしいですね。31室あって満室で約60名の客と、一般紙の限界でそれ以上は言及されていません。此の当たりの、感覚が重要なんですね。死なないまでも、明るみに出れば、その人の社会的な地位に応じて、様々な影響がでてきます。

おばあちゃんの言う車夫馬丁(死語でもいけないのかな)なら問題にされないけれど、社会的地位が 多少でもあればまずいでしょう。飛び降りて大怪我の男性などは、そちらが俄かに、意識されたのかもしれません。

住宅火災で、子供部屋できょうだい3人がドアの前で折り重なるようにして亡くなったことが、ありました。ドアが内開きだったことによる悲劇でした。日ごろ使い慣れていても出たいという心理が、強すぎて一歩引くなんてできなくなるのです。まずは、非常口などを確認してから 始めましょう。

これから後追い記事が沢山出るでしょう。もう色の着いた新聞なんかは、元気いっぱいの事でしょう。あまり哀悼されないですね、恐怖の中で死んだのに。

残された家族は困惑するでしょうね、気の毒です。事故死の場合に何倍か給付される保険が、おすすめです。5・6千万円ぐらいで、いいお父さんだったに、なるのではないでしょうか、すぐは無理でも。 ご冥福をお祈りします。
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巡視船「かとり」・田原 洋

2008年01月05日 | Weblog
千葉県の銚子海上保安部に所属する巡視船の乗組員が、沖合いで活動中に上司をどなりつけた後、船に搭載されている小型船を無断で使って逃げたとして盗みの疑いで逮捕されました。

逮捕されたのは、銚子海上保安部に所属する巡視船「かとり」の乗組員で、一等海上保安士の田原洋容疑者(32歳)です。

茨城海上保安部によりますと田原乗組員は、今月1日の午後10時半ごろ、茨城県ひたちなか市沖で見回りをしていた巡視船「かとり」の船内で、58歳の上司をどなりつけ、その後、船に備え付けられた小型船を無断で使って逃げたとして盗みの疑いが持たれています。海上保安部が、巡視船3隻と航空機、それにヘリコプターを出すなどして行方を探していたところ、田原乗組員が、茨城県鹿嶋市内の妻の実家などに身を寄せている事がわかり、4日午後、茨城海上保安部に盗みの疑いで逮捕されました。

調べに対し田原乗組員は「休暇の取得などをめぐって上司に不満があり、どなりつけてしまった。もう船にはいられないと思って逃げ出した」などと供述しているということで、海上保安部が詳しい動機やいきさつを調べています。 (NHK首都圏ニュース)

お酒がきっと入ってたんでしょうね。でもヘリコプターまで出動したんですよ。全部税金ですよ。株価もご祝儀相場の余裕もなく下げたし、日本はもう駄目かもね。人・物・金と言うけれど、何たって人ですものね。

可笑しくて、笑ってたんですけれど、(それで、皆さんにも、お福分けと思ったんですけど)笑い事じゃないと、寂しくなりました。妻の実家と言うのもなんかね、一緒に出頭してくれる同性の友達も居なかったんですね。重罪みたいですよ。田原ってどの人も・・・  すみません言い過ぎでした。
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脱水は怖い

2008年01月04日 | Weblog
発熱の時、身体は保温に努めて、頭部を冷やすと信じていて、自分もそうされたし、そうしてきました。脳が大切なんだと。家族が入院した時、脇の下や鼠径部を重点的に冷やす方法が行われていて、訳を尋ねると、そこだと、太い血管に近いので効率良く身体を冷やせるということでした。

カイロプラクチックや整体なども、以前とは違ってきています。気持ちのいいほうに動かすというのが基本思想で、若い研究熱心な施術者は、痛いことはしません。イチローなどの、怪我の少ないプロも、此の思想の実践者だそうです。

大正という時代のこと、真夏の朝礼の後、1・2人倒れるまで、全員を立たせたままにして、訓練していた学校もありました。うさぎ跳びに対する考え方や、腹筋運動の時の足のポジションなども、今では、広く知られるようになって、事故が少なくなりました。

水分については、本当に変りました。お腹をこわすと、水分厳禁で消し炭なんかを食べさせた時代もありました。水分過多の状態だからと、まず考えた訳なんですね、今は体内の水分量は基本的に不変だから、補わなければならないと考えるわけです。

昨年亡くなった木原美知子さんではないけれど、根性の連呼はいけないでしょう。箱根駅伝での水分補給で、解説者が水が冷たければ逆効果だと言っておられたのが印象に残っています。科学的な安全な方法で、前途ある人たちの命を守っていただきたいものです。

若きランナーには、「たすきに込められたものは、重くても、死なないでね、ただの布切れだ!と開き直ってね」といいたいです。

箱根駅伝、記録更新の裏に給水問題が…関係者が警告(夕刊フジ) - goo ニュース
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オバマとヒラリー

2008年01月04日 | Weblog
アイオワでの党員集会では、オバマが勝ちました。ヒラリーは3位につけています。何度も世論調査がありましたので、各陣営とも想定内でしょう。将来について、確実にいえる事は、民主党が勝利して、イラクから撤退することだけです。

昨夜、イラクとアメリカの若者の討論がありました。両者には、当然のことですが、多くの対立がありました。しかし共通の認識として、ブッシュが史上最低の大統領の部類に入る事、今年民主党が勝利して イラクから撤兵するということでした。

ただし、その後は違いました。撤兵はして欲しいが、撤退は望まない元に戻す義務があるだろう。サダム時代は決して悪くなかったとの発言もありました。準内戦状態にあって、国は事実上分裂しています。プライドが事実の認識を妨げています。カイロ大学のエリートにして此の程度です。

サダムの時代に、まともな知性は流失してしまいました。今も残って子弟を国外の大学で学ばせることの出来る家庭の背景にあるものが、どんなものか、想像することが出来ます。

残念そうでも自国の大統領の失政を認める自由と現実的な知性には、未来が感じられます。

アメリカは大丈夫です。長い間、差別されてきた女性と黒人が有力候補です。差別されている間に、蓄えたエネルギーが、どのように開花するのか、注目です。

日本の政界に、志ある人 出でよ! 切なる願いです。
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あと68年分

2008年01月03日 | Weblog
6時のNHKニュースでは、石油が後68年分しかないと、石油工業会の発表を報じました。五年前の発表から11年短くなっているとの事でした。

あっ私は生きてないとは思いましたが、すでに、古い炭鉱を買い回っている米国企業もあって、長期的視野に立って、行動している団体や組織が日本にもある事を願っています。

ドバイの輝きの意味合いも、違って見えてきます。暗殺されたブットさんがドバイに住んでいたように、お金の使い出のある魅力ある都市なのです。けれど、100年後を見てみたい気がします。石油がなければ、暑さで死んでしまうだけなんです。現代のソドムとゴモラではないでしょうか。

洞爺湖サミットまで、NHKは、このような話題を、ことあるごとに伝える事でしょう。真実は無視したって、変りませんから、一つひとつを、しっかり心に刻むつもりです。

それが有限で、作り出す事が出来ないものであるならば、どうしたらいいのか、答えは明らかです。分け合っていく以外ありません。取り合って血を流して息絶えるとしたら人類に、知恵も勇気も無かったことになるでしょう。

曲がりなりにも、民主主義国が栄えている現状は、分け合える者だけが賢く生き残ることが出来ることの証明です。分け合える者たちの世界規模のシステムの構築を、真剣に考えなければなりません。

レアメタルも高く買うところに、売るだけではないことを見ても、分け合える仲間になれるかどうかに、私たちの命運がかかっています。分け合う事は損することじゃありません。

あたえるものがある自分であるかどうか、反省です。
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宮台真司・転向は成長

2008年01月03日 | Weblog
宮台真司が、援交少女の実態と理由付けを盛んにしていた頃、昨年亡くなった河合隼雄先生が、心配する母親たちに、「娘さんたちに、“魂に悪いから”」と言いなさいと、すぐに発言しました。

卓見でした。長い目で、様々な人生を、精神に係わるプロとして、見続けた人にとっては、お見通しの自明の事だったのです。けれど私も含めて多くの人にとって、性病や妊娠を理由に、“損するのは自分だよ”論の延長線にしか捕らえられませんでした。

お母さん、どうして援交はいけないのと聞かれたとしたら、しつけに失敗したと考えなくてはならないと思う。全ては遅いのだと、覚めた目で見ていました。自身で良い事とは思っていないと考えているとは、夢にも、思っていませんでした。

宮台真司は、援交を奨励はしていないけれど、理由付けは、(致し方なくという但し書きが付いたとしても)肯定を含むから、あまりいい影響はなかったと思う。その頃の、読書会で、自己決定権とか、よく分からない話になったので、「私は女だから、実用的かどうかで、判断したい。もし自分に娘がいて、その娘の幸福に役立つ考えかどうかで、意見を言って欲しい」と発言してしまい、議論が進まなくなったことが、ありました。

宮台真司は2度目の結婚をして、女の子が生まれました。そのことだけでなく、当時の援交少女の多くが、その後精神を病んでいることに、やはりそれなりの衝撃を受けて、考えが変ったことを、表明しています。

学者として評論家として、誠実な態度だと思います。科学者が年老いて、にわかに魂の不滅などと言い出すのとは違います。精神を病んだと言う事にある意味で、救いがあります。大変痛ましくはあっても。
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初詣

2008年01月02日 | Weblog
年末年始は、母のディサービスもお休みなので、初詣にもいけずにいる。去年の27日に、おかしくなった母から目が離せない。

大晦日の7時少しすぎ、空にスバルを探して、オレンジ色に輝く東京タワーの指差す真上に見つけて、姿をみせないOさんが、もうこの世にいない事を確信した。手を合わせて一心に、冥福を祈った。お世話になったのだ。ついでというのも変だけれど、来年の事もなんとなく祈念した。一年の終わりの、こういう祈りはなんというのかしら、と思いながら。

東京タワーを見ながら、もう大丈夫と思う時 中沢新一が「アースダイバー」の中で主張していることが、素直に実感させられる。エッフェル塔とは違う、あの世への架け橋的感覚。慰めてくれる何かを感じる。

ディサービスの始まる週末には、両目の入ったダルマと破魔矢をもって、遅ればせながら初詣に行くつもりです。お礼参りでもあるので、はずせません。この辺りでは、明治神宮にお参りする人が多いけれど、体力が凄くいる。お賽銭のために広げられた白布に、届くまで、もみくちゃになって、歩かなくてはいけない。

足元のお金を夢中になってポケットに入れる大人や子供を 見張るためにお巡りさんも目が厳しい。新年早々、泥棒とは情けないなどと思うから、どうも清清しくならない。それで、随分前から、新宿の熊野さんに行く事にしている。

ちょっと特別な霊力があるらしい。これも中沢説。廊下に出ると11あるドアに注連飾りがあるのは、我が家だけ。お金のある人は暮れから、海外にでも行っているのでしょう。お節料理を用意しない家庭も、増えたそうです。

結構、いいなと思っているんです。去年のように今年も出来ることは、有難いです。
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温暖化対策

2008年01月02日 | Weblog
TVではローマ帝国やエジプトの特集が目白押しです。巨大帝国の滅亡に何かしら学ぶものが、あるという事なのでしょうか。初めは、終わりの始まりには違いないのだけれど、元旦というのに、BS2では、弱者シリーズで、お屠蘇気分も醒めて厳粛な気持ちになりました。

中国の、エイズ孤児には、新年早々の初泣きをさせられました。日本でも、7.80年前、結核になると、物置や土蔵を病室にして、ただ命が尽きるのを待つような、療養生活が多かったのだと聞きました。自然治癒もあったと信じたいです。

美しい自然の中で、血を売るような生活しかなかったのかしら、悲しいです。売血者が消耗しないように、必要な成分以外は、体内に戻してくれるのだけれど、50人分をまとめてするので、ひとりのエイズ売血者がいれば、50人に感染してしまうとの事です。消耗しなければ又、血を売りに来るはずだという、思惑からで、売血者を思いやってでは、ないのです。

エイズが、人類の存在についての警告であったように、温暖化は、生き物全体に対する警告です。白熊とペンギンの命運は尽きているそうです。動物の次は、人間のはずです。地球は一つ、世界はひとつ。温暖化ほど、その思いの必然性を感じさせるものは、ありません。

今日元旦、セーター着用と部分暖房で、快適でした。頭がぽっぽするような、暖房はもう考えられません。最低気温は、2月ですから、それまでには、抵抗力をつけて、18度を目安に出来るように頑張りたいです。

私、長生きしそうなんです。野生の白熊とペンギンにも、長生きして欲しいです。
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謹賀新年

2008年01月01日 | Weblog
あけまして おめでとう ございます。 2008年が、いい年でありますように

平凡でいいです。よく眠れて、ご飯が美味しくいただけて、ちょっとだけいいことがあればいいわ、と思っています。

お母さんの事を、方向は変るけれど、頑張りたいです。

大きく言えば、世界と連帯して、温暖化防止に自分に出来る事を探して、努力します。

止めようかなと、思う頃二度目のランク入り(12/28)して、このブログも新年を迎えることになりました。始めたのは9月からですけれど、もらった事のない皆勤賞にこだわって、達成しました。

PC初心者なので、苦労も驚きも一度に、押し寄せてきました。その事は、書かないほうがいいと言われたので、記事にしていませんが、大変な世の中に生きていることを実感です。

友人知人を追悼した記事は、エントリイせずじまいでした。理由はプライバシーです。

今年は楽しい事が沢山あるという、確かな楽天的予感があります。実際はどうであれ、此の気持ちが大切なんだと、昨年学びました。沢山の人に、助けてもらいました。他人の迷惑にならずに生きられるなんて、思ってませんけど、本当にお世話になりました。

2008年の見通しは必ずしも、明るくありません。でも微笑みを忘れずに歩いていけば大丈夫、細木女史より、当たるんですから!

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織作峰子さん・笑顔

2007年12月31日 | Weblog
今日しばらく振りに 織作峰子さんをTVで見ました。少したっぷりして、元気そうで明るくって、幸せが人の姿をしているみたいで、驚きました。少し前に新聞かなにかのエッセイの中に

「以下の文について、削除の要請が、匿名の方からありました。このようなことに関しての私の考えは、2008年9月27日に書きました。態度保留中です」

末永く、お幸せに。
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温暖化阻止・室内でセーターを

2007年12月31日 | Weblog
子供の頃セーターが嫌いだった。家事の出来ないだけでなく、しまり屋の母が、家で洗うものだから、段々縮んで着心地が悪くなってくるのだ。苦しくて首のところを持って、深呼吸したりした。

お気に入りがそうなると、悲しいので、モノゲンを使って自分で洗うことを覚えた。父を筆頭に姉も 母以外は皆、家事が上手になった。分担するので、しない事も各自あるのだけれど、普通のお母さんより上手かも知れない、ちゃんと本を読んで覚えるので。

少しアクリルが入っているのが好き、カシミヤもあんまり上等よりそこそこでいいと言う安上がり派なのだ。そのセーターを殆ど着なくなって何年もたった。エアコンをつけて、冬ともいえない薄着で過ごして、何の疑問も持たずにいた。

それでなんだと思う、低体温で35度がやっとなのだ。102歳の人が33度台で、長生きすると思いますよと、看護婦さんに慰めてもらったりしたけれど、ホントかな?

TVで特集があって、生産現場での省エネは進んでいるけれど、事業所と家庭が進まないとのことだった。それで、20度を目安に、セーターを室内でも着用して、エアコンをつけないように来年からだけれど、するつもりで、試験期間に入っている。

着ぐせが少しでも付くと洗いたくなるから、午前と午後は着替えて、ぐいっと引っ張っておくと、結構元に戻ることも発見した。編み物の宿命で、風を通してしまうので、巧く着ないと風の日は寒い。セーターは室内でこそ、実力発揮するようで、重宝している大成功だ。

かさばるし防虫剤も必要だし、3年着用しなかったら衣類は捨てようと、どの本にも書いてある。捨てないでよかった。快適よ!
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遠藤・千秋 離婚

2007年12月30日 | Weblog
千秋さんはやはり、お母さんですね。素振りも見せませんでしたね。遠藤くんは、最近ちょっと変ったなと、思いました。美容に凄くお金をかけているような、もてたいオーラ全開で、ちょっと見てられない、はずかしい感じでした。

今から考えると、携帯を二つ持っていたので、要るの?と聞いたら、要らないと答えたので、じゃ捨てるねと言って、捨てたとか、千秋さんは、巧く行っていない結婚生活を伺わせるような発言を、数年前からしていました。

TVでも何でも、マニュアルを見ながら接続するのは自分だとも言っていました。千秋さんは、真面目な頑張り屋さんなんですね。出来ないわけじゃないけれど、してくれれば、もっと嬉しい程度でしょうけれど、当然みたいになると、シンドイですよね

二人とも、いわゆる看板ではありません。遠藤くんが出るから千秋ちゃんが出るからと、チャンネルを合わせる訳ではないですよね。それでも、衝撃が走ったのは、幸せのイメージを心楽しく見ていたからです。

あんなことがあったのに離婚しない写真家のOさんの、辛さや寂しさが張り付いたような顔を見るたびに、事情あってのことに違いないし、余計なお節介だとも思うけど、耐える努力はあまり、長くしないほうが身体にいいみたいと、思ってしまいます。

千秋母さん、頑張ってね!
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コチコチ鮭

2007年12月30日 | Weblog
高橋由一の鮭の絵は、頭を上に吊るされていますが、今の新巻は半生風で、油が廻らないように、尾を上にぶら下げないと、美味しくなくなります。それでも、早めに切り分けて、冷蔵庫に入れたほうが、いいようです。

私の子供の頃の塩鮭は、焼くとコチコチになって、しかも塩が浮いてくる程辛かったものです。箸が立たない程なのを、少しづつむしる様にして、食べました。大好きでした。

焼きあがった塩しゃけを、お皿に乗せても、カチカチになっているので、お皿に馴染まずに、2・3箇所で全身を支えていましたね。よく焼けているわと、子供でも焦げないように、頑張った訳で、満足でした。

狭い家でしたけど、台所からテーブルまで、一部屋通り抜けなければならないので、静々歩いて行きました。美味しそうと、又見た時、シャケはありませんでした。滑っておちたんです。あるはずだし、コチコチだから畳もシャケも汚れないし余裕でした。

でも何処にもありません。探すと言っても、歩いたところは限られているのです。なんで~とあせりましたねェ。30分は探したような気がしましたよ。

金魚鉢の中にあったんです。金魚の健康が気がかりで、素早く取り出しましたが、こんなに驚いたことはありません。シャケにも異常はなく、洗って食べたと思います。

姉は、トウーランドットかいと言うほど笑わない女ですが、周囲が驚くほど、おかしいと言って笑いました。妹がねと 他人にも話して笑いました。

あの頃のシャケは今一切れ千円するそうです。やわらかい安い新巻を切りながら、思い出しています。持て余すのに、衝動買いしたのは、やはり思い出の成せる業かな。
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