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義母の旅立ち

2021-09-28 23:04:09 | Weblog
義母は9月18日に死去し、27日通夜式、28日告別式を近親者のみで執り行いました。

2007年の11月に脳梗塞になり、
けいゆう病院と脳血管センターにそれぞれ3か月入院の後、2008年5月3日に退院しました。

退院までには一人で歩けるように手すりやつかまり棒を取り付けたり、介護用ベッドや車椅子を用意したり、
13年も前のことなので、もううろ覚えですが、色々と準備に忙しかったことを記憶しています。

その後はデイサービスに週4回通って、介護士さんやヘルパーさんのお世話になりながら、ゲームやカラオケなどで
楽しませていただいていました。
毎回ではありませんがお風呂に入れるのは嬉しかったようです。

帰宅時は玄関まで送ってもらえば自分の部屋まで行けて、私が用意しておいた夕食をレンジで温めるなどして食べました。

家にいるときは一緒に食事をしました。
何でも残さず美味しそうに食べてくれました。

トイレは母の部屋のすぐ横なので手すりにつかまりながらひとりで行けました。
夜は安全のためベッドの横にポータブルトイレを置いていました。

3年くらい前から少し足腰が衰えてきてデイサービスの施設内でも転んだりしました。

夜中にベッドのすぐ横のポータブルトイレに座れずに転んでしまい、携帯電話で私たちに助けを求めるようなことが度々でした。
義母は太っていたので床からベッドに戻すのに、運転手だけでは無理で、二人係で先ずは25センチくらいの高さの腰掛にのせて
2段階でベッドに戻しました。
夜中なので私たちの体も力が急に出ません。 大変でした。 
用を足す前の時は転倒した時に放出してしまいますから、床掃除もしなければなりません。。

2年前の5月、デイサービスからの帰宅時もヘルパーさんの助けが無ければ自分の部屋まで行けなくなりました。

その8月、私が学校学習の仕事で地方へ2回出張する時、運転手一人では無理かと思い、ショートステイを2か所お願いしました。

その間にケアマネージャーさんに介護老人保健施設を探していただいて8月末から入所することができました。

こちらに入所後もゲームや塗り絵などを楽しんでいました。

毎週洗濯物の交換に行っていましたが、コロナ感染症拡大のため、それができなくなり、あまり会うことが出来なくなりました。

たまにできる面会は窓越しで、携帯電話での会話でした。 
やはり耳が悪くなっていることもあり、話が良く通じないようなこともありました。

今年の6月くらいから、介護士さんの呼びかけに以前のように反応しなくなって、食欲も落ちてきたようでした。

そして9月6日、また脳梗塞再発でいよいよ水も飲めなくなって点滴治療となりました。


義母は不自由な体になっても明るく良く頑張りました。

本当にお疲れ様でした。








遺影は2010年の、息子(義母の初孫)の結婚式の時のスナップ写真 (私撮影)


今ごろはお義父さんと手をつないで歩いているかな。。






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