思ったほど暑くは無かった。ただ、時間は足りなかった。
郡上八幡--白川郷からのバスは16:41分に郡上八幡・城下町プラザに到着した。
宿の満州屋は直ぐ近くにあり、宿にザックを置いて、吉田川に沿った近隣を散策。
翌朝は八幡城への山道を登ることにした。
江戸時代後期、世は「お伊勢参りに」に沸いた。日本海側の庶民は、伊勢へ行くのに、ここ
郡上八幡を通る道を選んだそうだ。よって、その頃は、ここ城下町が大いに栄え、旅芸人などを通して、日本海側の踊りや民謡、文化が流れ込んだという。
郡上と言えば、徹夜踊りが有名だが、8月中旬には全国から踊りファンが集まり、人口は
十倍以上に膨れ上がるという。下駄履き浴衣姿の踊り手たちは、日本海側各地からもたらされ当地でミックス・変化した唄(*5つ以上あるという)に合わせて明け方4時まで踊り続ける。
*たとえば、『かわさき』の「郡上のナー八幡 出ていく時は(ア ソンレンセ)
雨も降らぬに 袖しぼる(袖しぼるノー袖しぼる)アソンレンセ(雨も降らぬに袖しぼる)
郡上八幡は清流・長良川の上流にあり、街中を水路が流れ、野菜洗いや洗濯など、庶民の生活に利用されている。
この水路の一つで、鯉が群れ泳ぐ「いがわ小径」を歩いたが、この日は、数日前の雨で
水が濁っていた。
吉田川に注ぐ場所
TVニュースで子供たちが飛び込む場所の一つ。 街中で↑(翌朝)
古い家の残る街中を散策(翌朝)。
夕方の散策中に宿の近くの店(泉坂)に入った。左・郡上焼き(600)、右・山賊そば(800)
その他、生ビールやカルピスソーダなどを注文。この店には芸能人たちの色紙もあった。
上記の注文品は、なかなか美味で酒にはぴったり。ほろ酔い気分で宿に戻り風呂に入る。
宿の満州屋の風呂は、一度に5~6人は入る浴槽の良い風呂場で、旅疲れの身体にはとても気持ちよかった。今後の予定などを話し合ってから、翌朝までぐっすり寝られた。
この日は、我々以外には宿泊客はなく、静かな一夜であった。
「アジサイ小路」からスタート 城山への山道
城山にある八幡城
山頂から郡上の町を見下ろす。吉田川の向こうに高速道路が見える。
八幡城も関が原合戦時には攻防戦があったようだ。 山内一豊と妻の像。背後は八幡城。
岐阜駅から明治村へ--バスをJR岐阜駅前で降り、黄金の信長像を拝謁。すぐに名鉄岐阜駅へ向かう。すぐ近くだと思ったら、直線距離を歩けないので、なかなか到着できず、あせった。間一髪で、11:28分発の犬山駅行き電車に間に合った。
明治村--覚悟していたが、思ったほど気温は高くなく、熱中症の心配はなかった。
だが、村の中は、昔来た記憶と異なり、すっかり様子が変わり、広大な敷地の中を周るには、時間が足りず、帝国ホテルの方には行けなかった。
全部周るには、かなりの時間を要し、名古屋から夜行バスに乗るしかないと分かった。
西郷従道邸
東山梨郡役所
札幌電話交換局
安田銀行会津支店と京甘味処・なかい茶寮、突き当たりは明治村 村長室
村内を走る京都市電。線路上の障害物を拾う網が付いている。
聖ヨハネ教会堂
広大な入鹿池の向こうに、西洋風の建物が見える。
西園寺公望別邸
品川灯台
日本赤十字社中央病院病棟。その向こうは歩兵第六聯隊兵舎