元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

青森3日間の旅→その2(三内丸山遺跡と雪中遭難資料館)

2008-08-13 10:26:49 | 旅行

 東京発の夜行バスは、予定より早く9:10分頃青森駅前に着いた。バスのトランクから、着替えの衣類などが詰まったザックを下ろすと駅前に行き、ザックが5ケ位入る大型ロッカーを2つ確保し、そこに入れる。代金は一つ500円。
 次にトイレで洗面などを済ませてから、近くの吉野家で朝食。鮭の焼き魚定食400円は、味噌汁や漬物などが付いていて割安だ。

 さて、朝食後、三内丸山遺跡へ行くので、バス乗場に向う。バスの時刻がずれていたので、タクシー2台を利用することにした。中型は5人乗り可だが、4人乗より高く、遺跡まで2,200円くらいだったようだ。乗車の際、「帰りは中型は無いよ」と云われたので、その場合はバスを使うことにした。三内丸山遺跡までの所要時間は、車で20分、バスで25分とのことだ。
 タクシーを降りたのが10:15分頃。受付入口を探すと、入館は無料だという。さらに、10:30からボランティアが案内してくれるとのことで、それまでロビーで待機。
 時間が近づくと、人が集まってきて、ガイドに連れられてぞろぞろ行列ができた。敷地が広いので2時間近くかかるという。あとで分かったが、説明板が随所にあるので、自分で廻れば1時間くらいで済むだろう。我々は忠実にガイドに従ったので、青森駅前で昼食をとる時間がなくなってしまった。

[三内丸山遺跡]

 

 

  帰りは青森駅行き12:21分のバス($320)に乗った。駅前に戻って、食事処を探していると、時間が無いと指摘された。老眼なので眼鏡をかけないとよく見えない。私が腕時計の針を見誤ったのだ。「ねぶたは1時からだから、早く行かないと始まっちゃうよ」と地元の人から言われた。そう云えば、駅へのバスで、終点まで行かないで、3つくらい手前のバス停で人がいっぱい降りたのは、そこが見物場所の近くだったのか、と後悔しても間に合わず。
 昼食抜きで、駅前の案内所でもらった地図を片手に大急ぎで「運行コース」に向う。途中で警備の警官にねぶたの現在位置を訊ねる。
 さて、制限字数の関係で、ねぶた祭りのペイジは「その3」にまわし、以下、雪中行軍遭難資料館に移る。

 日中行われた「ねぶた運行」が終わったのは午後3時。それから、食事処を探した。初めは蕎麦屋という声もあったが、空腹なのでボリュームのあるのがいいということで、駅近くのガストを選んだ。こんな半端な時間なのに店内はいっぱいで、しばらく待たされた。かき揚げうどんとマグロ丼の和食定食で千円前後であったと記憶している。ボリュームたっぷりで完食するのに努力した。

 バス乗場の案内人に訊ねたが、行き方がなかなか分からない。やっとのことで、2番乗場で「田茂木沢行き」16:05分に乗ることができた。バスに乗り込み、運転手に尋ねたら「コーバタボエン」で降りればいいとの返事。なかなか聞き取れなかったので、何度も聞き返すと、乗り合わせ中の地元の人が教えてくれた。「コーフクの幸に、ハタケノ畑、オハカの墓苑です」と教えてくれた。
 バスは30分くらい走って($390)、ようやく墓苑前に着いた。

[八甲田山雪中行軍遭難資料館]
 旧陸軍の敷地に、遭難者の墓地と資料館があることが分かった。遭難事件に関しては、新田次郎 『八甲田山死の彷徨』を原作とする、(高倉健など出演の)映画『八甲田山』やテレビでよく知られた話であるので、ここでは省略する。

 

 


兵士たちの服装


 八甲田山中の「馬立場」に建つ後藤伍長の銅像(のレプリカ)
 なお、我々は2日後にその馬立場を訪れる。

 資料館と墓地を見終わった後、ねぶた祭り夜の部・青森港海上運航を見るべく、我々は資料館前17:23分のバスに乗り、青森駅へ向う。

 ※ねぶた祭りは「その3」になります。 


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