元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

秩父路は秋真っ盛り--その1(23番音楽寺~19番竜石寺)

2007-11-22 17:49:15 | ウォーキング

【前書き】秩父の札所巡りは有名だ。だが、今回歩いてみて改めて感じたことがある。霊場巡りというのは、お寺巡りではないということだ。何処へ行っても、仏教のお寺とは独立した建物、すなわち観音堂というものがある。その形は四角の形状をなし、四方に屋根の棟を大きく張り出させて。どこへ行っても同じような形の建築物だ。現在はお寺と同居しているものもあるが、本来は独立した別個の場所にあったことが伺える。

 「堂の者」という言葉があるが、これは仏教徒とは異なる集団だったのではないか。堂の中には観世音菩薩が安置されていて、建物はそれだけ。田舎の山懐や人里離れた所にぽつんと置かれている。きちんとした旅籠に泊まれない者や、人目を憚る者がこっそりと一夜の宿に使う場面など、時代劇に出てくる。黒澤映画「用心棒」でも、この堂で三船がいたぶられた身体の回復を待つ場面があった。仏教徒には身分の保証された者たちもいよう、だが、堂の者たちは庶民、それも下層階級の庶民たちなのではなかろうか。

 札所巡り・霊場巡りでは東大寺や法隆寺には行かない。行くのは仏教徒だ。観音様の観音堂巡りが札所巡り、つまり、堂から堂へと廻る行動であろう。堂々巡りという言葉がある。一般的には、願いごとをつぶやきながら、一箇所の堂の周囲を回るとされている。だが、願いを唱えながら何箇所もの「お堂」を廻って歩くのが、「堂々巡り」なのではないかという気がする。お寺ではお経を唱えるが、堂では御詠歌を歌う。

 今回の霊場巡りでつくづく感じたが、行く先々で次の札所に近づくと、前方にあの決まりきった形の建物が見えてくる。それで、ああ、「××番の札所だな」というのがすぐ分かる。

 2日かけて秩父札所の約3分の1を回ったことになる。写真が多いので「その1」は初日の午前訪れた堂を中心に紹介していこうと思う。

23番・音楽寺~19番・竜石寺】11月20日午前

往きの電車:池袋(6:37)---(7:37)飯能(7:50)---(8:39)西武秩父(8;:50)--[タクシー]--(9:00)23番・音楽寺(観音堂) *池袋・西武秩父間;750円、タクシー代;1台1,460円

コースタイム     観音堂---13地蔵(9:15)---[小鹿坂]---(10:00)22番・童子堂(10:20)--(10:40)21番・観音寺(矢之堂)(10:50)--(11:05)20番・岩上堂(11:15)--(11:40)19番・竜石寺(11:45)---(12:05)ガスト{昼食}

 

タクシーを降りて振り向くと、武甲山とその周辺はもやっていた。(下のバーを右にスライドすると、隠れた部分が見えます)

西武池袋線の電車の中から、山々の色づきは確認済みで、秩父はすでに紅葉の時期に入っていた。階段に行く手前で、地元の人がいろいろ教えてくれた。音楽寺から3分位登ったところに13地蔵があり、写真愛好家の間では評判のポイントだから、これはぜひ寄ったほうがよいと勧められた。

 学校の教科書では、秩父騒動とも秩父事件とも書いてある。私は「秩父一揆」と呼びたい。明治政府の圧制と無策とで、ここの農民たちの生活は限界まで追い詰められていた。そして、彼ら住民たちは、この音楽寺に集結して行動を起こしたのである。下の石に刻まれた言葉は胸打つものがある。彼らは自らを困民党と呼んだ。政府軍による弾圧は想像を絶するものであった。研究書は沢山あるし、映画化もされている。

観音堂の裏手の竹薮道を登り、13地蔵へと向かう。

積雪時期を含めて、一年中カメラマンが訪れるとのことだ。下でそういった写真を見せてもらった。

ここから、22番札所・童子堂へ里道を選んで向かう。

下のように、見事に色づいた樹木が道々、目を楽しませてくれる。空は限りなく青い。風はなく、気温はやや高めか。絶好のコンディションなり。

童子堂へは幾つか道があるらしいが、可能な限り山道を行くつもり。

やがて、道は完全な山道となった。

札所22番永福寺に着いたが、あくまで童子堂が目当て。仁王門の中に下のような木造がいた。

 

 童子堂で休んでいると白装束の団体が仁王門から入ってきた。先頭の世話人らしき人に、「勝手に写真撮っちゃいけませんですよね」と言うと、「どうぞ、どうぞ、顔を写してもいいですよ」との許可で、上のような写真を撮った。「ご詠歌」もちゃんと聴いてくださいよ」とも言われた。

 「矢の堂」のある札所21番観音寺へは、残念ながら車道歩き。そこへ着くや、振り向いて無惨に削られつつある武甲山を見た。カメラを向けたが、逆行でうまくいかなった。 

 秩父地方も赤い実をいっぱい付けた柿の木が目立つ。20番・岩上堂への道で、
干し柿の干している民家の前を通った。2階は、昔はお蚕さんの部屋だったらしい。昔は、この辺は養蚕も盛んだった。所々に桑畑がある。


 岩上堂に到着し、階段を下る。 

 落ち着いて風情の或るお堂だ。庭も手入れが行き届いて、なかなか良い。

 

 

 蓮華堂のある札所19番を後にして、昼食のため、国道140号沿いにあるガストに向かう。秩父東高校の、かなり手前にそのファミレスはあった。


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