由布院日記

由布院盆地内の徒歩による写真です。由布院の素晴らしさを皆様に知っていただけると嬉しいです。(時々福岡の記事になります。)

昨夕gooより1年前の記事が送付されてきた。いみじくも同じ内容の写真を掲載しようとは・・・。

2012-12-23 22:33:17 | その他


で、話は変わるが今の由布院は情報を共有できていないと言える

あまりにも外からの私財が入り過ぎたと言うだけでなく、住民ひとりひとりのアイデンティティが足りていない。
特に由布院温泉に携わる人たちにそれを感じる。
このような状態があと数年続いたら由布院は崩壊してしまうだろう。
由布院を良くしようとする人たちの視点が現代社会に適応していないとつくづく感じ悲しく沈む日々である。
知恵があまりにも時代に即していないと感じるのは私だけだろうか。
若い人たちの知恵が昔に囚われすぎていて先が見えていないような気がする。
今こそ由布院の全てを破壊し昭和初期に帰ろうとする勇気ある人たちに喝采を送りたいのだが一向にそのような人材に巡り会えない。
「情報の共有」を唱えるにはちょうど良い広さであり人口なのだがやはり由布院以外の外資が大きすぎるようだ。
なら、知恵あるものは知恵を出し、知恵無き者は知恵ある者の意見を真摯に聞き、それを自らでかみくだく努力をしよう。
個人的に、もっと田舎に、もっともっと田舎に、妥協することなく田舎に帰ってほしい。
先ずは破壊から入ることを認める勇気ある人たちよ 集って意見交換をする場を設けて戴きたい。

どうも、議員を排除することから始めなければならないような気がする。議員を職業とする人たちの排除から始めなければならないのだが、そんな時間はこの由布院には残っていないと感じるのは私だけか?。
由布院盆地内を歩くたびに「何かが足らない」と感じるのではなく、すでにここには「知恵がない」と一歩一歩にそれを思う。
「やっても無駄」と言う概念に捕らわれてしまっているような気がする。救いは、子供たちの懸命さなのだが、彼らを待つ時間が果たしてあるのだろうか?

ネットで「ゆふいんおんせん」「ゆふいんぼんち」と引くと「湯布院温泉」「湯布院盆地」とまず出てくる。これはひとえに「由布院観光協会」の責任である。ちなみに「ゆふいんかんこうきょうかい」と引いても「湯布院・・・」となる。意見を言う知恵すらないのか?甘んじているのか?収入を得ているものとして恥ずかしいと思ったことはないのだろうか。
いろんなところで内部から改革しないと本当に滅びてしまう。特に財政的に陥ってしまっていないか?
知恵あるものがいても、その知恵をすくい取る識者がいないのか? 滅びるところからはことは始まらない。滅ぼすところから、破壊するところから始めないことには先は見えてこないはずなのに。


また、愚痴が出てしまいました、いやですね。自分ながら情けなく思います。しばらくはまた、だんまりを・・・。
で、今日は日差しがさしたのはほんの数分で・・・。


雲の間からほんのわずがな光が由布院盆地に明かりを恵んでくれました。その間に散歩に出かけたのですがなんと風の冷たいこと、ポケットにウオッカでも忍ばせときたい気持ちでした。





















午後からは雪吹きすさぶ荒れた天気になってしまいました。
昨日は、晴れたらいいな~晴れたら と思っていたのですが そお思い通りになってくれません。またこれが素晴らしいのかもしれません。
明日が氷点下6°になるようで、水道の蛇口を開いて凍結予防をして寝ます。






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