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伊藤久志@アイズサポートのブログです。

業績

2000-12-06 19:53:07 | 業績
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プロフィール

2000-12-06 19:50:09 | プロフィール
伊藤 久志
アイズサポート代表

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高校の部活を経験した人が、いい歳になって、その頃を回顧して「あの時の大変な経験があったから、今がある。今の時代だと許されないけどね。」なんてコメントしていたりします。そんなコメントを聞くたびに、「なにアホな寝ぼけたこと言ってんねん」と思っています。
でも、ふと自分にとっての青春、つまり初めて自己決定して厳しい世界に飛び込んだのはいつかと思いを巡らすと、大学院かなと思う。実際大変だったけど、あの頃があるから今があると思う。あれっ、アホな寝ぼけたこと言ってる!?
厳しい監督(教授)に個性豊かな部員(院生)に足りない睡眠、あの頃はまさに部活だったな~。思い返せば、恩師も部活だと思って頑張りなさいと言ってたな~。
あの時の自分は、今から思い返しても情けないくらい惨憺たるものだったけど、それだけ本気で頑張ったからこその結果かなと思う。全力出して失敗したり成功することで、自分の行動がシェーピングされていったのかなと思う。ほとんど失敗だったけど。笑

大学で心理学を学ぼうと思った動機は、ありきたりでした。
健全な男子が何かをしようと決める動機は、「もてたいから」しかありません。
メインではありませんが、詳しくは書けませんが幼少期から高校卒業まで特殊な経験をしていたので、自分が経験したことは何なのか?を心理学を勉強すればわかるのではないかという望みがありました。
こちらは、よくある「自分探し」って動機です。

大学で心理学を学び始めて興味を失くすまでは、そんなに時間は掛からなかったと思います。
臨床心理学を学びたい心理学徒あるあるな「実験心理学ばかり勉強させられて辟易する!」というのもありましたが、
何よりも辛かったのは臨床心理学の授業が面白くないことでした。
そんな状況に陥った心理学徒も、2年生の終わりには所属するゼミを決めなければなりません。
自分が思い描いていたものが幻想だったことに気付いた自分は、ここで大きな賭けに出ました。
自分のその時の感覚で「このゼミはないな。なんかようわからん。」と思うゼミに入ろうと決めました。

私の大学学部時代の恩師は、平田昭次先生でした。
平田ゼミは、動物実験と自閉症療育をハイブリッドに取り組む指導形態でした。
たぶん、日本いや世界中探しても、そんな研究室はないと思います。
新しい世界に足を踏み入れた私は、当初は動物実験も自閉症療育も?な感じでしたが、新しいことが経験できるワクワク感が心地よく、先輩と先生にされるがままにシェーピングされていきました。
あと、なぜか平田ゼミでは英語の心理学教科書の勉強会が開催されていたので、今思うとこれが良かったと思います。
一般受験で大学に合格しましたが、英語の文献を読めるほどの力はなかったので、日本語で予め理解している文章を英語で読む経験は、その時の自分にマッチしていたと思います。
平田ゼミの運営方針は、まさに”フリーオペラント”でした。
動物実験のテーマも、療育の指導方法も学生が決めました。
あの頃は、自分で決めないといけないことを辛く感じたこともありましたが、今思うとこの経験も良かったと思います。
休日も動物の世話をするという今で言うブラック研究室でしたが、その大変さとは裏腹に、楽しい時間を過ごした2年間でした。

大学3年そして4年にかけて、将来のことも考えなければならない時期が来ます。
あの頃、どちらかというと自閉症療育よりも動物実験にのめりこんでいた私は、まず動物実験での進路を考えました。
動物実験で大学院に進んでさらに飯を食えるようになるのは、非常に限られたエリートの世界だということがわかり、その道はすぐに消えました。
自閉症療育のプログラム進展の論理的美しさにも魅せられ、これが仕事になったらいいな~とも一度は思ったのですが、当時それが職業としては成立しにくい状況だったので、すぐに諦めました。
どうしようか迷っていた時に、4年生から新しい教授が大学に赴任されました。
大学院時代の恩師の久野能弘先生でした。
学部の久野先生の授業を受ける中で、自分が平田ゼミで学んできた条件づけ理論が、臨床心理学の枠組みの中で活かせることに感動しました。
そこで、大学院に進学することにしました。

当時は臨床心理士という資格が始まった頃で、私が通っていた大学院も活気があったと思います。
平田ゼミで英語を鍛えていたため、私でもなんとか大学院の試験に受かりました。
当時の私は、前述の「自分探し」に関連したテーマを扱いたいと思っていたので、久野ゼミでもとりあえず自閉症療育は続けていた状態でした。
今思えばもったいないことです。

平田ゼミでも久野ゼミでも、運営方針はフリーオペラントですが、自閉症療育はとりあえず取り組むというという形態が一貫していたのは、私にとっては恵まれていたと思います。
ただ、あたかも親に言われてピアノを始めた子どものように、ただ続けていたというのは、今思えば非常にもったいなかったと思います。
自閉症療育にまみれようと決心するのは、4年後くらいだろうか。
そんな親不孝全開の展開だけれど、まみれようと決心してからのハマり具合はすごかったと思う。
もうこれで生きていく!としか思わなかった。
自閉症療育との縁は、正直かっこいいものではありませんでした。
自分が担当していた子どものケースがうまくいかなくて、その子がかかっていたABAの専門家に教えてもらいにいったのが転機でした。
自分からというより保護者の方に怒られてという流れなので、渋々でバツが悪かったです。
この時の専門家というのが、谷晋二先生でした。
僕が学部生の頃に、こんな職業があったらいいな~と空想していたことを実現していたプロフェッショナルでした。
とにかく自営で腕一本で食っていけるようになることが目標になりました。
週40ケースぐらい実施しつつ週末はどこかに修業になんて生活が続き、バーンアウト寸前で粘りつつ自分の引き出しを増やしていきました。

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この2年間は本当に色々なことを考え、経験しました。
コロナ渦ということもあり、それなりに収入も減り、先行きに不安を覚えたりしました。
ウーバーイーツやってみようかなと思ったり、業態を拡げることができないかと思ったり、こういう時って色々考えるものです。
そんな中で人生で初めてまともな就活をしたのは、実ってはいませんが良い経験でした。
大学教員公募に応募してみたり、オンラインで仕事ができるスタートアップ企業の求人に応募してみたりと、自身のキャリアを生かした副業を模索しました。
このあたりの話は、トークのネタとしても秀逸で、『伊藤先生の就活日記』を子どもたちは食い入るように聞き入ってくれます。
選考に落ちた話を聞いて、無言になって下を向く子やチックが暴発する子など意外な反応が返ってきました。
最終的にはチャレンジすることが重要やでというメッセージに集約されるわけですが、頑張ってもダメで「もうやーめた」と思った時に気が付いたらほんの少し進んでるっていうのが私のパターンです。
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