ちっちがいなくなり、休日がながーく感じられるようになりました。ぽっかりと大きな穴が開いたような時間。
どうにかその穴を塞ごうと、いろんなことをやっています。
その中の一つがピアノの練習。
ちっちも、退院してきたら習う予定だったピアノ。
1年ほど前から、ちっちが保育園時代に教えてもらっていた先生に、妹が教わることになり、ちっちの退院後のレッスンもお願いしてあったのですが、それも叶わなくなった今、なぜもっと早く習わせてあげなかったのだろうという自責の念に押しつぶされそうになり、苦しいやら悲しいやら、言いようのない毎日を過ごしていました。
そんなある日、楽譜の箱をあさっていたら、ちっちが保育園の時に発表会で弾いた、マルティーニの‘愛の喜び’(ハ長調バージョン)が出てきたのです。
ちっちがそばに来てくれないかなーという願いも込めて、弾いてみました。
すると、すーっと心が軽くなるような、洗われるような、そんな気持ちになれたのです。
本当にちっちが来たのかどうかは知る由もありませんが、ピアノには心を元気にする力があるのだと感じさせてくれました。
そういうわけで、休日はピアノとお友達になっています。
今度、時間のある時に、‘愛の喜び’(ちょっと難しいバージョン)を探しに行こうと思います。
どうにかその穴を塞ごうと、いろんなことをやっています。
その中の一つがピアノの練習。
ちっちも、退院してきたら習う予定だったピアノ。
1年ほど前から、ちっちが保育園時代に教えてもらっていた先生に、妹が教わることになり、ちっちの退院後のレッスンもお願いしてあったのですが、それも叶わなくなった今、なぜもっと早く習わせてあげなかったのだろうという自責の念に押しつぶされそうになり、苦しいやら悲しいやら、言いようのない毎日を過ごしていました。
そんなある日、楽譜の箱をあさっていたら、ちっちが保育園の時に発表会で弾いた、マルティーニの‘愛の喜び’(ハ長調バージョン)が出てきたのです。
ちっちがそばに来てくれないかなーという願いも込めて、弾いてみました。
すると、すーっと心が軽くなるような、洗われるような、そんな気持ちになれたのです。
本当にちっちが来たのかどうかは知る由もありませんが、ピアノには心を元気にする力があるのだと感じさせてくれました。
そういうわけで、休日はピアノとお友達になっています。
今度、時間のある時に、‘愛の喜び’(ちょっと難しいバージョン)を探しに行こうと思います。