鉄腕アチョ

先天性心疾患の長男(2003年4月7日生)の闘病と成長日記

手術後、順調。

2008年09月07日 15時29分24秒 | 子供
・・・すみません、3ヶ月も更新サボってました。

ちと仕事が忙しかったのと、私がドラクエで時間が取れなかったのが原因です・・・


手術後のアチョは、
「顔色がすごくよくなったね」
と会う人みなに言われるほどにチアノーゼがなくなって、
顔だけでなく手足の指先もピンク色になりました。


さらに、5月5日に退院して埼玉に戻るときには、チューブによる酸素吸入もすでに止めており、行動の自由度が大幅にアップ

今までは酸素ボンベとつながるチューブの届く範囲でしか行動できませんでしたから・・・

5月9日と23日には、退院後の定期検査でまた静岡こども病院にアチョを連れていきましたが、そのときも事前に酸素ボンベの会社に車載用酸素タンクの手配などしなくてもよくなったので、ちょっと楽になりました。


そしたら、そこで入院中に同部屋だったRくんとそのご両親に偶然遭遇!!

写真はそのときのものです。

戦友ともいうべきRくんも元気そうで、ホント何よりでした。


で、検査結果も特に大きな問題はなく、今後の気管切開の消毒交換などの定期的な医療処置は、地元埼玉でかかりつけ病院である小児医療センターに戻すことになりました。

これでしばらくは静岡こども病院にお邪魔することもなくなるでしょう。

アチョ入院中、ドゥは・・・

2008年06月07日 16時05分21秒 | 子供
アチョが静岡こども病院に入院していた4月15日~5月5日まで、私とカミさんは付き添いで一緒に病院内の宿泊施設に居ました。

その間、弟のドゥは病院に連れてはいけないため、松伏という町にあるカミさんの実家で預かってもらっていました。

松伏は電車の駅もない、非常にのどかで閑静な町ですが、ゴルフの石川遼くんの出身地で知られてますね。

家族3人がいなくなって、さみしがったりしないか
ちょっと心配してたのですが、基本的には
「とてもうれしそう
だったそうです。

以前の記事にも書きましたが、アチョもドゥも松伏の家が大好きで、そこに居るとテンションが上がっていつも大変なはしゃぎようです。

松伏から自宅のマンションに帰ろうとすると、いつも泣いて
「かえらない
と必死に抵抗してます。
それが、この一ヶ月弱はずっと居てもいい、ということでうれしくてしょうがなかったようですね。


もちろん、
「アチョどこいったの?
「ママは?どこにいるの?
などと不思議がっていたときもあったようですが。

しかし私がいないことに関しては、特に何も言ってなかったようです。

普段仕事で帰り遅いから、平日はほとんど家に一緒にいる時間がないからでしょうかね・・・

病院のお食事。

2008年06月04日 00時22分31秒 | 子供
アチョは入院中、朝昼晩三食と、11時・15時のおやつ二回をいただいておりました。


よく世間一般での通説として、
「病院の食事はおいしくない」
などと言われたりしますが、
この静岡こども病院で出していただいた食事は本当においしそうでした。


また、写真のように、アンパンマンのキャラクターが描かれたおかずとかが出てきたりと、手もかかってます。

子供に楽しく食べてもらおうという気持ちがすごく伝わってきました。

このアンパンマンのおかずのときは病棟のお子さん全員大喜びで、「となりの子はアンパンマンが入ってるのに自分のにはない」とか
「食パンマンのほうがいい」とかみんなワイワイ楽しそうでした。

アチョは「くらやみまんのないの?」とか「やみのじょおうは?」とか一人でマニアックなことを言ってましたが・・・


ただ、おやつのほうはおいしそうなことはおいしそうだったのですが、
「ピザが八分の一切れ」とか、
「チーズケーキ」
などの腹持ちのよさげなものが出るかと思えば、次のおやつは
「おせんべい一枚」
だったり・・・

落差がはげしい

アチョは常にハラを空かしていたので、「おせんべい一枚」のときはかなり落胆していましたね・・・

でも、普段自宅では食事を残すことが多かったアチョが、入院中ほぼすべての食事・おやつを完食できたのは、常においしいものを出し続けていただいたおかげだと思ってます。

S先生のこと。 2

2008年06月03日 00時11分17秒 | 心臓病
そんな超多忙なS先生とは、アチョの手術当日の術前・術後の説明でじっくりお話をお聞かせいただいたぐらいで、他はほとんどお話する機会がありませんでした。

CCU内に居たときは、一日に何度か病床の子たちの様子を見に来てくださって、
アチョが機嫌よくすごしている姿をみて
「うん元気元気
と笑顔でお声をかけていただきました。

アチョも、自分を手術して治してくれたのはS先生だというのはわかってるみたいで、
CCU内にいるときにいきなり「S先生のうた」とか歌いだして先生に感謝の意を表し(?)はじめたときはさすがに驚きました


ちなみに「S先生のうた」はアチョ作詞作曲の歌ですが、S先生のお名前を連呼するだけのシンプルなものです。

決して、私やカミさんが仕込んだわけではありません!!

完全にアチョのオリジナルです。

幸か不幸か、その歌声はS先生までは届かなかったようですが・・・

S先生のこと。 1

2008年06月03日 00時09分52秒 | 心臓病
そういえば、入院中を通じてS先生は非常にお忙しそうでした。

聞くと、大きい手術にはすべて携わっていたそうで、いったい一ヶ月に何回手術をしているのか?
しかも、みな難易度の高い手術が多いようで、ものすごい体力だと思います。


昨年、アチョはカテーテルが終わったあと、年末くらいには手術になりそうだとの説明でした。
にもかかわらず結局手術が年明けの4月になったわけですが、あまりに連絡がないので
「忘れられちゃったんじゃないか?
などと不満を漏らしていたこともありました。ぶっちゃけ。

しかし。

実は、この4月の時点で静岡こども病院に手術していただくのを待っているお子さんが全国で200人くらいいらした、というのを別の先生から聞きました。

で、昨年中には手術しますよ、と伝えていたのにもかかわらずまだお声が掛けられていないお子さんも20人ほどいる、とも。

S先生が名医で高名なだけに、全国から患者さんが集中してくるのでしょう。


実際、今回の入院中にCCUや一般病室で一緒だった患者さんのご両親の方々と数多くお話する機会がありましたが、みな難しい病状のお子さんばかりでした。

そのことごとくをS先生が執刀されるわけです。

そりゃ、生命に危険のあるような緊急性の高いお子さんの手術を優先していけば、ある程度こうなってしまうのは仕方がないことなのでしょう。
今はそれがよくわかります。


・・・とかく、重病の子供を持つ親というものは、自分の子供のことを中心に考えがちになってしまいますが、同じような境遇の方は世の中に数多くいる、自分たちだけではない、ということを忘れてはいけないと思い知らされました。


また、アチョの手術の数日前には、世界で始めての手術を実施し、見事に成功されていたようです。すげえ。


きっと休む間もないことでしょう。

本当に頭が下がります。

退院へ。 5 検査の結果

2008年06月01日 22時24分42秒 | 心臓病
んで、退院直前に色々やってた検査の結果について。

一番懸念されていた細菌感染による合併症は、結果的に回避できたもよう。

採血検査によりCRP・白血球数などもほぼ平常値のままで、ひとまずは乗り切ったと言っていいでしょうとのこと。


それで、さきほども触れた肺動脈の逆流について。

0・1°・2°・3°の4つのレベルがあり、アチョは2°だそうです。
上から二つめのレベル。

しかし、まだ経過観察で大丈夫、とのことでした。


レントゲンでのCTR(心胸郭比)の値は53%。

これが60%以上になると心拡大と判断されるそうです。



肺血流シンチ(肺の中の血流の分布状況)は左右の分布差はほとんどなし。
以前は右肺への血流がほとんどなかったことを思うと本当にすごい。


心筋シンチ(心筋にちゃんと血液が流れているかの検査)では、
「潅流障害はなし」とのこと。


全体的に大きな問題はなし。
ただ、あれだけ大きな手術のあとなので、術後の経過観察などはしばらくこの病院でやらせてもらいたい、とのこと。

なので、退院後一週間&三週間で検査をしに外来に来て欲しい、とのことでした。

そこでも問題がなければ、その後の外来は埼玉の小児医療センターに引き継ぎます、ということでした。

さっそく一回目の外来を5月9日金曜に予約を取り、手続きを済ませ、退院


お世話になりました。
アチョを助けてくださって本当にありがとうございます。



退院へ。 4 気管切開閉鎖

2008年06月01日 21時54分31秒 | 心臓病
その他、この退院に先駆けて、実は大きな変化が。

酸素を外してもよくなったのです。


今回の手術後に、酸素吸入1リットルでサチュレーション(血中酸素濃度)が95前後と大幅に改善されました。

ただ、酸素を外すと89~91くらいに落ち込むので、
「こりゃまだ酸素は外せないのかね~
とカミさんと話していたところ、先生があっさりと

「酸素はもう外しちゃいましょう
といって来ました。

えっ??
酸素外すと90前後に落ち込んじゃいますけど大丈夫なんですか?とお聞きしたところ、

「それは想定内なんで大丈夫です。」とのこと。

いや、酸素ボンベなしで移動できると、私やカミさんはこんなにラクなんだな、と。

重い酸素ボンベを担いでアチョも抱っこして歩くのはかなりしんどかったので・・・

手術直後では、今回の入院滞在中に気管切開部の閉鎖手術もやってしまおうかというお話も一時出たのですが、それは見送りとなりました。

もう少し経過を見てからになるでしょう。


それで、その閉鎖手術をどうするかについての打ち合わせがなされました。

この静岡こども病院でやるのか、それとも地元の小児医療センターでやるのか。

話し合いの末、やっぱり家から近いのもあるので、小児医療センターで実施していただく方向でまとまりました。


埼玉から静岡に通うのも片道4時間で正直楽ではないですしね・・・

その辺はI先生もお気遣いいただき、小児医療センターの担当H先生に、手術の結果に加えその辺のことも手紙で書いてくださることになりました。


気管切開が閉鎖されれば、痰の吸引などもなくなり、カミさんが毎朝6時に起きて作っている吸引用ミルトン消毒液も必要がなくなります。
お風呂後の切開部消毒の処置もなくなります。

カミさんの負担はかなり軽減されることでしょう。



退院へ。 3 手術痕

2008年06月01日 21時31分28秒 | 心臓病
次に、胸のことについて。

胸の手術切開部分は、胸骨がまだしっかりくっついてないので、術後前胸部に強い力がかかる動作は術後六ヶ月のあいだは禁止とのことです。

とはいえ、アチョは下半身不随なので、普段から両手を使って体を移動させています。

さらに、車椅子も特注で作っていただいたのがあり、それに乗ってるときは両手で車輪を回してます。

そういう動作も控えさせたほうがいいんでしょうか?とお聞きしたところ、
両手で移動するのをやめろと言っても難しいと思います。
生活できなくなっちゃうでしょうし。
そこはいいとしても、車椅子に乗らせるのは控えといたほうがいいかも
とのこと。

あまり胸骨にチカラが加わっていると、「儀関節」といって、本来動いちゃいけない場所が関節のように動かせるようになってしまう状態になるそうで、
そうならないためにもしばらくは胸の装具付けといたほうがいいですね、ということでした。

切開部はほっとくと胸骨がどんどん盛り上がって突出してきてしまうので、それをおさえるのも胸の装具がいいそうです。

まあ、アチョは前回の手術後ですごく胸骨が突出してしまったので今更かもしれませんが・・・


術後一回目の外来で問題なければ、本人に疲れのでない程度の運動は徐々にしていってかまわないそうです。




退院へ 2 人工弁のこと

2008年06月01日 21時01分39秒 | 心臓病
写真は、アチョのCTで撮影した心臓&血管の走行の様子です。

左が手術前の4月15日、右が手術後の4月30日。
上段が正面から、下段が背中からのものです。


肺動脈は心臓から出て左右に枝分れして、右肺動脈と左肺動脈に分かれます。
左右肺動脈は分枝して行き、最後は毛細血管になります。

心臓の左右で枝の先のように分かれてところがそれにあたります。

なので、心臓から出たあとに細分化してくほうが「肺動脈」、そうでないほうが「大動脈」として覚えるとややわかりやすくなります。


左の写真二枚は「完全大血管転移」の状態なので、右心室からは本来肺動脈がでてなきゃいけないのに大動脈になっています。

対して、右の二枚。

黄色で囲ったところが「人工血管・人工弁」だそうです。
ちゃんと右心室から肺動脈がでてます。

先生いわく、「肺動脈弁」と「大動脈弁」では「大動脈弁」のほうが重要度は高く、そちらに逆流などの支障が出るようだと再手術などのリスクが上がるのですが、「肺動脈弁」のほうは多少逆流があるぐらいなら経過観察しててもいい、ということでした。

実際、アチョの人工弁は、多少逆流が見られている、というお話です

今のところは大丈夫なレベルだが、これがもし逆流が甚だしくなってきたりしたら人工弁のところを再手術したりせねばならない可能性があるそうです。


また、人工弁はしばらくの期間使えるように、多少大きめのサイズのものを入れてるそうですが、今後アチョが大きくなって心臓のサイズも大きくなったら交換手術が必須となるそうです。

おそらく、15~17歳くらいの時期になるのではないか、とのことでした。


注意点として、人工血管・人工弁などの人工物は、細菌が温床として非常に好む場所なんだそうです。

なので、風邪をひく・虫歯にかかる・中耳炎になる などで細菌に感染し、それが体内に入り込んで人工血管のあたりに住み着いたりすると最悪です。

「感染性心内膜炎」というものになり、心不全・塞栓・弁の逆流が起こったり、発熱・食欲低下・吐き気・頭痛・腹痛などを併発していくそうです。

そうなったら、やはり再手術で胸あけて細菌を消毒しきらねばならず、おおごとになります。


なので、リスクを下げるために
・人が多い場所には出かけない
・家族が風邪など引いてるときは隔離するなどのケアが望ましい
・歯磨き徹底 
・もし風邪などひいたら抗生剤投与


などが重要になってきます。


いくら退院といえども、しばらくは遊びに出かけるなど無理ですね。


退院へ。 1 Nikaido手術変法

2008年06月01日 20時30分30秒 | 心臓病
月がかわり、5月。

アチョの術後経過はきわめて順調に推移。

退院しても大丈夫か調べるために、日替わりでさまざまな検査が始まりました。

心エコー・採血・レントゲン・心電図・肺血流シンチ・CT・・・


そして、5月5日こどもの日。

退院できることに。


その日、担当のI先生より、退院説明がありました。


今回の手術は、まだ名前が決まっていない珍しい手術だったと前にも聞かされていましたが、仮の呼び名として「Nikaido手術変法」と呼んでいます、とのことでした。

二階堂先生という方が行っていた手術のアレンジ版、ということらしいです。
(二階堂先生という方がどういう方なのかまではお聞きできなかったので、よくわかりません。)


この静岡こども病院で2例目、日本国内でもおそらく4例目、世界で見ても20例目くらいにあたるのではないか、とおっしゃっていました。


最初実施する予定だったスイッチ手術は、弁のすぐ上あたりで肺動脈・大動脈を切断してつなぎかえるやり方ですが、アチョの場合はスイッチ後大動脈側になる方の弁が異常が発見されたため、この方式を断念せざるを得ませんでした。

そして、今回のNikaido手術変法でやったことは、
① 肺動脈を健康な肺動脈弁ごとくりぬく。
        ↓
② 逆側の大動脈弁(異常があったほう)は切除する。
        ↓
③ ①の動脈・弁を、切除した大動脈弁があった場所にくっつける。
        ↓
④ ②で切除した弁のところに人工弁・人工血管をくっつけ、①でくりぬいた
  肺動脈弁があった場所にくっつける。


ということだそうです。

当然、めちゃくちゃ難しい手術だそうで、S先生でなければとても無理だったようです。



久々に入浴。

2008年05月27日 21時47分12秒 | 心臓病
・・・というわけで、2週間ぶりにお風呂に入れることになりました。

写真は久々に風呂に入れて機嫌のよいアチョ

右手には採血用にルートが刺さったままなので、濡れるのを防ぐためにビニール袋で包んでテープで止めてます。

また、酸素は風呂場の脱衣所のところに供給装置が付いてたので、そこからチューブを引いてます。



アチョは下半身不随ですので、そのまま浴槽に入れると滑って溺れる危険があります。

溺れるまでは行かなくとも、喉の気管切開部に風呂の湯が入ってしまうのも避けたい。

なので、自宅ではいまだにお風呂用浮き輪で浮かせて湯船に浸からせてます。

しかし、この病院の浴槽は底に滑り止めの段々が付いているので、少し湯を浅めに張っておけば問題なく入れました。

さらに、取っ手も付いてるので万全です。


こういう滑り止めや取っ手、自宅の浴槽にも欲しいなあと思いましたが、となるとやっぱり浴槽ごと取っ替えないとダメなんだろうか・・・?高そうだ。






お風呂解禁。

2008年05月25日 12時10分07秒 | 心臓病
4月29日 火曜日。
一般病棟に移って6日目。

先生から
「傷口も癒えたようなので、もうお風呂に入れてあげて大丈夫ですよ」
と許可が出ました。


さっそく循環器病棟内のお風呂へ。

久々に体を洗うことができ、アチョも気分よさげでした


「大人がこのぐらいの開胸手術をしたら、痛みはもっとキツく、ちょっと体を動かしただけでも相当しんどいはず。
痛みを消すために麻酔をもう少し長い期間効かせておかねばならない。
でも、これぐらいの小さいお子さんだと、ほとんど痛みを感じてないので、麻酔期間も短く、比較的早く回復する」
というような主旨のことを先生からお聞きしました。
(なんで子供だとそんなに痛みを感じないのか、理由までは伺わなかったのでわかりません)


確かに言われてみるとあれだけの手術の後なのに、なんだかアチョ本人はケロッとしているというか、縫合部が痛そうな感じはあまりしません。

麻酔覚めてからの第一声からして、それほど痛みがないからなのでしょうか・・・?

一般病棟に戻ってからの数日

2008年05月24日 14時10分13秒 | 心臓病
一般病棟に移ってから2日間は個室だったので、DVD見たりパズルで遊ぶなどして過ごす。

DVDは相変わらずアンパンマンばっかり。


3日目から、入院当初に居た4人部屋に戻されました。

そこにはCCUに入る前にも同部屋だった仲良しのRくんが居て、すぐに互いのオモチャを交換して遊びはじめました。


写真はそのRくんとのツーショット。


アンパンマンのお医者さんセットとかいうオモチャ使って、二人で注射ごっことかやってました。

本物の注射はいつも泣くクセに・・・


この頃は、熱もそれほど上がらず、サチュレーションも90後半台を維持していましたが、手術の縫合部がまだ癒えてないのでお風呂には入れないままでした

さすがに体がクサイしカユイので、
「おふろはいりたい」
と自分から要求し始めました。

看護士さんに相談したところ、
「見たところ、特に化膿もしてなさそうだし、もう少しすれば風呂の許可も出るでしょう」
とのこと。

お風呂に入れるようになれば、退院も間近と言っていいでしょう、とも。

一般病棟へ

2008年05月18日 14時23分20秒 | 心臓病
4月23日 水曜日。
いつもと同じく、朝8時に宿泊棟からCCUへ。

すると、すでにドレーンが抜かれていました。

「出血も止まったようですし、熱も上がってないですし。
おそらくもうすぐ一般病棟へ戻れると思いますよ。」
と看護士さん。

その言葉通り、12時にまたCCUを訪れたときには、
「アチョ君もう一般病棟へ移っちゃいましたよ」
と言われました。

おお、こんなに早く出られちゃったんだ、と思いつつ、
その足で、廊下の反対の突き当たりにある循環器病棟へ。


そしたら、教えられた病室はモヌケのカラ。

あれ?と思ったら、写真のようにプレイルームでもう遊んでました。

プレイルームには、こういうおもちゃが沢山あって、入院中の子供が遊べるようになっています。

液晶テレビとDVDプレイヤーもあり、アンパンマンやディズニー系映画などのディスクが常備してるので、昼間なら好きなときに見ることができます。


今までCCUでは、ベッドから離れる事が許されなかったので、久しぶりにおもちゃで遊べて嬉しかったようです。

しかし、この写真のプラレールもこのプレイルームの物なのかと思ってたら、同部屋で仲良くなったRくんが家から持ってきてたモノでした。

どうやら、Rくんが遊んでたのをみて、近づいてって貸してもらってついには一人占めしてしまったようです。スンマセンRくん・・・

なんでさも自分の物のように遊んでんだお前は・・・


ともあれ、手術前とほぼ変わらないくらい元気なので安心しました。

ただ、当然手術の縫合部は衝撃を与えたりしないよう注意せねばなりませんでしたが。


6日目。

2008年05月13日 21時51分07秒 | 心臓病
4月22日 火曜日。

ドレーンが一本に減り、出血もだいぶ少なくなってきました。

熱もほぼ平熱で推移しており、この出血が止まれば一般病棟に戻れそうですよ、とのことでした。

もうベッドの上でなら起き上がってもいいですよと許可をいただき、写真のように食事するときは座って食べられるようになりました。


手術後、なぜかアチョは日中にまったく昼寝をしなくなってしまいました。

どうも、自分が寝ると私とカミさんがCCUの部屋から居なくなってしまうと思い込んでるようで、こっちが
「眠いんならネンネしちゃいなよ
とか言っても、頑なに眠るのを拒否してました。

なので、6時からの夕食が終わった7時頃にはもうコロッと眠りについてしまいます

自宅に居たときは9時とか、遅いときには10時くらいまで起きてたので、
カミさんに
「お願いだから早く寝てください
とかよく言われていたもんですが・・・