四国遍路(108箇所)の旅

お遍路(88+別格20)の準備計画と実際の歩き通し打ちの記録を、5月11日から(実行は6月3日スタート)記録しています。

「第二部 108寺歩き遍路の総括(37)」

2007年08月30日 | Weblog
「第二部 108寺歩き遍路の総括(37)」

■ 各寺間の実際の時間と道のりについて

『71番弥谷寺からの推定方法』

前回と同じく、へんろみち保存協会編(39p)の四国遍路道基本コース歩行
距離表の平均所要を参考にすると、以降のコースは下記のようになる。

71番~72番   3.7K  1時間
72番~73番   0.6K  7分
73番~74番   2.2K  40分
74番~75番   1.6K  30分
75番~76番   3.8K  1時間5分
76番~77番   3.9K  1時間10分

善通寺までの予定だったが、この日は、時間的に余裕があったので、実家の送
り迎え付の「特典」を最大限発揮し金倉寺まで歩き、父の迎えの車に乗った。

善通寺周辺には宿も多く、宿泊には問題無いであろう。別格打ちは、善通寺の
後、満濃池横の別格17番神野寺を打つ必要があるので、いずれにしても、善
通寺周辺での宿となるのが無難だろう。善通寺周辺の宿から、神野寺を打ち、
時間的に余裕のある人は、是非、金毘羅さんに参るのをお勧めする。

四国香川に生まれ、金毘羅さんには何度も行っているはずだが、お四国さんと
しての歩き遍路の途中にここを訪れることが出来た事を感謝している。これま
でとは全く異なった印象であった。雨が続いたが、それ程の豪雨にはならなか
ったので、特に大きな支障も無く歩けた事を感謝したい。

結果は、以下のようになった。

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困難度(【1~5】【5】が最難関)を個人的主観にて採点した
===================================
71番~72番   3.7K  45分
71番弥谷寺の参拝を終え、一度階段を下り、駐車場の手前から1キロ程の遍
路道を抜けて72番曼荼羅寺へ向う。最初の遍路道は、整備が少し足らないか
な?と思ったほど…少しだけ荒れていた。その後は生活道(舗装道)を経て曼
荼羅寺へ向う。注意点は雨等の天候であれば、最初の遍路道の下りだけだろう。
【1.5】

72番~73番   0.6K  10分
73番出釈迦寺は、捨身ヶ嶽を登る事を期待して向ったが、残念ながら雨と霧
で叶わなかった。600m程度の道のりであるので上り坂ではあるが、単なる
アスファルト道歩きである。【1】

73番~74番   2.2K  35分
74番甲山寺へも生活道といった感じの舗装道を歩くのみであるが、以外に時
間が掛かった感じがした。まあ【1】だろう。

74番~75番   1.6K  25分
善通寺手前で住宅街というより「有名なお寺の近くの商店街」といった感じの
町並みに入る。地図で感じるよりも、はるかに活気がある町といった印象であ
った。善通寺本堂の敷地の広さに圧倒され、本堂と大師堂(御影堂)との敷地
が分かれていたり、その大きさなど、ここで初めて弘法大師縁の地という印象
を感じた。道に不安な場所とは無いが、案内が減り少し分かり難いか…【1】

75番~76番   3.8K  45分
善通寺を出て、特に案内標識など無い商店街の町並みを善通寺駅方向に歩き、
その後土讃線に沿って国道319号(今は県道かも知れない)を北上して76
番金倉寺に向う。平坦なアスファルト道歩き。この区間は寺で休憩を取るしか
ないだろう【1】

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今日はこの辺で。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
健全な田舎町 (歩かない遍路 らいた)
2007-08-30 19:17:27
四国は県庁所在地以外大きな町はありません。高松や松山は比較的都会っぽいですが、高知や我が徳島は田舎町です。
その中で善通寺市は確かに大きな町です。自衛隊の基地があることもそうでしょう。四国学院大学という社会福祉系の大学もあります。←結構歴史が古い。カトリック系? 十全総合病院というかなり大きな病院もあります。コメディカル養成学校もあります。そして何より善通寺です。自衛隊を除いて根っこは善通寺ですね。福祉。
こんな田舎町にこれだけの施設があるわけですから、お遍路さんだけでなく大勢の人が集まります。するとやっぱり活気づくのでしょう。
雰囲気の良い町です。
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このあたりは (KOYAMA)
2007-08-30 20:06:58
讃岐のボーナス区間でしょう。彌谷寺を過ぎれば、
高松までは大変な所はありません。金刀比羅宮や
神野寺もコースアウトになっているだけで、悲壮
な感じはありません。海岸寺へのアクセスも困難
ではありません。

全く関係ない話を。2度目の遍路の時、安樂寺に
宿泊した時です。逆打ちの私は結願直前でしたが、
歩き始めたばかりのおじさんと泊まり合わせて、
本当に良くないのですが、彼が明日以降に迎える
状況をお話しました。初めての彼は真剣に私の話
を聞いていましたが、その後で彼は言いました。
”(貴方の話を参考にしつつ)自分の力で歩くこと
が出来たという実績が大事なのです。もう少し先
になって、あの時、俺は苦労してでも四国を歩く
ことが出来たじゃないかと、これが励みになると
思うのです。”

その時には彼の言葉の深い意味を殆ど理解出来ず、
はーと聞いていましたが、今思い起こしてみれば、
彼は本当に”必死”だったのだと思います。失礼
な対応はしなかったと思っていますが、もう少し
考えた受け答えは出来たかも知れず、3年以上の
時間が経過していますが、無事に結願出来たのか
気になります。きっと、彼なりの遍路を全うした
のだと信じたいのですが、確認するすべはなく、
ただ、祈るだけです。センチメンタルなだけだと
いう謗りは敢えて受けます、でも、気持ちが少し
でも優しくなったのです、四国を歩いてみて。
これだけでも、時間とお金をかけた価値はあるの
だと思いますし、思いたいですネ。
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