蝦夷犬(エゾイヌ)

奥羽越列藩同盟の東北北海道さらに新潟県をテーマとして、地域の新聞から記事を選び、勝手なことを書きたいと思う。

島にこんにちは 赤ちゃん 石巻網地島 地区で誕生 20年以上ぶり

2023-07-07 15:18:00 | 日記
河北新報電子版 朝刊
令和5年7月7日

石巻市から牡鹿半島に出て、コバルトラインの終端地、鮎川から見ると大きな金華山があり、手前に網地島、その手前には田代島。
いずれも景勝地で、海の色はコバルトブルーがどこまでも伸びている。

神の島、金華山には鹿がたくさんいて、実にのどかに見える。
金華山は黄金山神社の敷地なので、人口は5人。
三年連続で参拝に訪れると、一生お金に不自由しないと伝えられる。

今回のメインは網地島なので、後に残し、田代島の案内を先にしよう。
近年は猫島として著名であり、実に多くの猫が棲息しているが、島の人々にはエサをやる人は居ても猫に邪険にするようなのは居ない。
田代島の猫たちと検索していただければ、猫たちの紹介を見ることもできるだろう。
ネットで有名になったからか、訪れる人の中にはお目当ての猫がいる人も。
人口は55人、猫は100匹を優に超えて居るという。

さて、網地島は人口600人を超え、以前は小学校も中学校もあった。
私の近所にあった縫製工場に、網地島出身の実に可愛いお嬢さんが勤めていて、昔の網地島のことなどをたくさん教えて貰ったこともある。
彼女は元気なら、60歳はとうに超えている。

その半世紀も以前から、どこにでもある漁業の島だが、もっと以前は、クジラ漁で栄えた地区であった。
クジラ漁が下火になって、網地島も鮎川浜も過疎地になった。

東日本大震災以前と言っても、もっとはるかに前だが、私は年に20回ほども通って釣りをしていた。
たまたま海辺で泣いている漁師にあった。
彼は奥さんの初七日だと言う。
私の持っていた一升瓶を彼と一緒に飲んで、彼の話をたくさん聞いた。
それから友人として、しばしば彼の船に乗せてもらって釣りをして帰ってくることも多かった。
震災後に、数回彼を探して牡鹿半島に行った。
見つけることが叶わなかった。

網地島の近くでも船に揺られながら、寝転んで、釣りはともかく、気分をリフレッシュしていた。
でも、ときどきは大物のカレイなどが釣れ、楽しい思い出だけが残っている地域である。
震災以前なら、無条件に老後を送るには最高の場所だったろう。

20数年ぶりに、網地島網地地区で昨年の4月に誕生した赤ちゃんが育っている。
我が家でも外孫が昨年の3月に誕生した。
娘が高年齢出産だったので、大変に心配しながら誕生を待った。
網地島のご両親も同様に高年齢出産だったようだ。
彼らは同級生でもあるのだろうか?
40過ぎの子だから、我が家同様に可愛さもひとしおだろう。
三世代でリゾートペンションを営んでいるという。
娘夫婦に、この話を教えておこうと思う。
我が家の孫は3月で、彼らの赤ちゃんは4月なら、1ヶ月の違いで学年は我が家のほうがひと学年上になるのだろう。


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