私の再出発

再出発しなければならないのは私だけではなく、日本を始め世界だと気付きました・・・。

1年の締めくくり

2011-12-31 04:26:06 | 日記
この1年、たくさんのことがありました。

たくさんの気付きがありました。

全てのことに感謝したいと思います。

みなさんに

「この1年お付き合いくださり、ありがとうございました。

又来年も宜しくお願い致します。良いお年を
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無題

2011-12-17 03:31:46 | 日記
Leslieの誕生日のブログから1ヶ月以上も経ってしまった

この1ヶ月、書きたいことはたくさんあったのに、気持ちの整理がつかず、

前向きな気持ちにもなれず、ブログに向き合うことができなかった

決して毎日暗い気持ちで過ごしてたわけではないけど、だけど時々、いろんなことを

考えては虚しくなったり、切なくなったり・・・。

今まで何十年も、のほほんと深く考えることもなく生きてきたのが、震災・原発事故を

機にいろんなことを深く考えるようになって、頭と心がついていかない。


とにかく今年もあと僅か、1日1日を有意義に過ごしたい
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我が家の近況報告

2011-11-08 15:12:22 | 日記
玄海原発再稼動だとか、TPPだとか、消費税10%だとか、もう、もう、頭が

おかしくなるようなニュースばっかり

野田総理なんて、総理に立候補した時にも感じたけど、国民の方に全く目を

向けてない。

立候補演説の時は物凄く謙虚な姿勢(見せかけ)だったけど、今は物凄く

ふてぶてしい態度(本性)。

国会中継で見かける、野田総理の隣に座っている安住財務大臣。

質疑中に総理の隣でコソコソ言いながら、小ばかにしたような笑い。

それでもって、あの話し方・・・。まるで小学校の学級委員会。

目を閉じ、耳を塞ぎたくなるようなことばっかりで、そうしてた方がらくだけど、

だけど、それではダメ

今までそういう生き方をしてきたから、今の現実があるんだよね・・・。


日本国の話題から我が家の近況報告にガラリと変えます

私・・・相変わらず無職

    形成外科の通院は終わり(珍しいケースだと言われたけど)、

    今は歯医者通院、今月中に乳腺科受診予定。

    ステンドグラス教室は今月いっぱいだけど、これからも続ける予定。

    時々、次男と一緒に図書館通いをしてるけど、時間を持て余し気味で、

    夜中に「何かやりたい」と叫んでしまう・・・


旦那・・ボロボロの原付バイクで片道50キロを通勤してたけど、つい先日、とうとう

    エンジンがやられてしまい、その後は車通勤(母の旦那さん所有の車)

    越してきてからの3ヶ月ほどの間に、2度、タイヤパンクのため、私が車で

    迎えに行ってる。

    今、中型二輪免許取得のため、教習所に通っていて、卒業検定目の前にして

    コース変更になり、そのコースが難しくなったようで、今一休み中・・・。

    免許は取れてもバイクが買えるのか


次男・・震災後、地震やら原発事故やら引越しやらで、なかなか受験勉強に集中できる

    環境ではなかったけど(言い訳)、9月辺りから近くの図書館で勉強、

    10月からベネッセの通信講座、11月から明光義塾(近所にできたばかりで

    既卒生を受け入れてくれてる唯一?の塾)に行き出した。

    次男のペースで頑張ってます

    
長男・・バイトは辞めて、今は派遣会社1本。

    先日「仕事は慣れた?」とメールすると「慣れたよ。生活の一部って感じ」と

    頼もしいメールが返ってきた。

    月1度の割合でアパートに身の回りの物など持って行ってるけど、本人とは

    まだ2度くらいしか会ってない。時間も5分程度

    時々、寂しくなるけど、だけど、長男の自立・自律のためには良かったと思う。



    
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新たに通い始めた

2011-10-24 01:35:14 | 日記
10月になって、ステンドグラス教室以外にも通うところができた。

前々から通わなくては・・・と思ってたけど、なかなか行動に移せなかった。

・・・それは大嫌いな歯医者だから・・・

ちょっと疲れたりすると、歯が浮いたりはしてたけど、痛みは余り感じなかったし、

長く続くわけでもなかった。

耳の裏のできもので大騒ぎしてた頃、左半分の歯が全部痛みだした。

できものも同じ左。

関連性はないかもしれないけど、いつも痛かったり、何かあるのが左側。


左半分の歯の痛みは夜に起こり、歯磨きをすると少し経ってから落ち着く。

寝る頃には痛みも治まり、朝にはすっかり歯が痛かったことさえ忘れていた。

それが段々と歯磨きしても中々痛みが治まらず、少しの間治まっていても、すぐに

又痛みだしたり、朝起きてすぐに歯が痛かったことを思い出させてくれるような

鈍い痛みが復活するようになった

母からバファリンを貰って飲んだけど、それも段々と効かなくなった。

もう我慢の限界で近くの歯医者に電話すると、予約でいっぱいなのと、初診は

時間をかけるとかで、すぐには診て貰えず、2日後の予約となった。

詰め物がとれてほったらかしにしになっていた次男と一緒に通院。

初診はレントゲンを細々と撮って、これからの治療方法を説明されてお終い・・・

えっ、それだけ・・・

口の中を診ると、それほど炎症を起こしているようには見えないようで

「それほど痛くはないでしょう?」と言われ、確かに、その時は痛みは治まってた。

だけど、又、その日の夕方から物凄い痛み。

痛み出してから気が付いた。痛み止めとかの薬を貰っていないことに。

その日は仕方ないからバファリンで一時凌ぎ。だけど効かない

もう、こういう段階になると、冷たい水は当たり前だけど、温かいお湯でさえ、

歯に沁みて、歯の芯辺りと、脳天までズキーーーンと痛い

翌日、痛くて我慢できないと電話を入れたけど、やはり、予約でいっぱいと言われ、

市販の鎮痛剤を服用しているけど、このまま服用しても良いのか、だけど服用しても

効かなくなっていることなど言ったら、先生に相談したらしく、診てくれることに。

レントゲンを診ながら、前回と同じような説明があっただけで、治療はなし。

あっちこっちの歯をいじられて、痛み止めの薬だけ貰って帰って来た。

しかもたった3日分。それ以上は出せないとか。明日から3連休なのに・・・。

会計を待つ間も家に帰って来てから、薬が効くまで、痛くて痛くて辛かった。

先生に歯をいじくり回されたせいで、余計痛くなった。

連休明け、薬を貰いに電話してから行った。薬だけ欲しかったのに、診察しないと

薬は出せないと言われ、又、歯をいじられた。痛いのに!!

炎症があると治療ができない?のか、治療は初診から8日目。

その間予約なしの飛び込みが2回。

今日までで既に歯医者に4回。

18日次男の眼科で宇都宮まで。1時間半かけての通院。

   11時予約なのに診察時間は13時半・・・

25日形成外科で耳の裏の診察。

26日歯医者で2度目の治療。

27日ステンドグラス教室。

28日次男の皮膚科。


27日は自分の趣味で好きで通っているわけだけど、一体いつになったら病院と

縁が切れて、働きに出られるんでしょう・・・

お金が出て行くばっかりで悲しい







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脱原発の日まで

2011-09-26 00:19:17 | 日記
9月19日の脱原発デモ「さようなら原発集会」に6万人もの人が参加したと言う

ニュースを観て嬉しく思っていたのに、国連での野田首相のスピーチにがっかり

原発推進派だということは知ってたから、期待はしてなかったけど・・・。

それにしても福島原発事故が全く収束もしてないし、相変わらず危険な状況だと

言うのにもう、もう、日本に帰ってこなくていいから!!

山口県上関町の町長選の結果にもがっかり。

原発関連のことは原発がある土地に住んでいる者だけの問題じゃない。

原発推進派はどうぞ福島原発に住んでください!!

そこで原発とお金と仲良く暮らしてください!!

人の命よりお金と思っている限り、災害はまだまだ続く。

その災害はお金より人の命が大切だと思っている人にも降りかかる。

青い炎でいることって難しい。

怒りですぐに真っ赤な炎になってしまう。

だけど、脱原発の日まで青い炎でいることを誓います


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報道ステーションと東京新聞

2011-09-01 03:02:48 | 日記
震災後、観るようになった番組

「報道ステーション」「テレビタックル」「モーニングバード」「朝生テレビ」など

テレビ朝日の番組が多くなった。

(「朝生」は司会者に時々不快な気持ちにさせられるけど・・・

それと言うのも原発関連のニュースを他のTV局(特にフジTV)より、

きちんと報道してくれていると思うから。

特に「報道ステーション」が気に入って観るようになった。

その番組の中で、特集「原発わたしはこう思う」が面白い。

何が面白いかと言うと、古舘アナウンサーの顔が面白い!!

著名人の方が原発について語っているのを事前にVTRに撮り、それを

番組内で流す。

VTRが終わるとすぐに古舘アナウンサーの顔が、表情がアップで映される。

8月31日の著名人は女優で作家の岸恵子さん。

内容は

日本は今、日本人は自分の国、人間としてどう生きるべきかということを、

もう一回原初に立ち返って、立て直すべきではないかと、

物質とか贅沢とか、そういう物の中心から、精神的なもの、精神的な豊かさに

変革する、人間としての改革を1人1人がやるべきなのではないかなと、

今まで豊かではあっても幸せではなかったかもしれない、

限定されたエネルギーの中でも、自分たちの住みよい空間というのは、

その人それぞれに、知恵を出してできると思う、

など、とても素晴らしいお言葉の数々の直後の古舘アナウンサーの顔のアップ。

物凄くにこやか今まで私が観て来た特集でも最高の笑顔

それと対照的だったのは原発推進派の石川迪夫さんの時。

物凄く恐い顔してた私もきっと同じような顔してたはず

著名人の考え方に対して、全くコメントはしないけど、言葉ではなく顔で

表現してるところがとっても面白く、とってもホッとする。

原発事故で思い知らされたのが、人の命よりお金、経済と言う考えを持つ

人たちが政界だけではなくマスコミにも一般にもたくさんいるってこと。

だから余計、古舘アナウンサーや、報道ステーションに出演されている

コメンテーターの方たちの心のある言葉に安心する。

あと、購読はしてなくて申し訳ないけど、東京新聞は正しく報道してると思う。

時々、ネットで社説を読む程度なんだけど、心ある文章だから読んでいて

とても心温まる。

日本の新聞がサンケイや読売新聞のように、人の命より原発!!のような記事

ばかりだったら、日本は本当に終わってしまう。

読売の社説が余りにも酷く、怒りが込み上げ、2度ほど「ご意見」?にメールした。



野田新首相誕生・・・あの首相候補の中だったら、馬淵さんが良かったな・・・

だけど、どんな人にも神我が宿っているそうだ。

それならば、日本のために野田新首相を応援しなくてはならない。

応援と同時にそれ以上に心から祈らなければならないこと、

野田新首相に霊界からの導きがありますように。

そして霊界から差し出された手を放しませんように。

毎日、心からお祈り致します。
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ふんりゅうではなかった!?

2011-08-24 02:21:47 | 日記
以前、このブログで「ふんりゅう親子」(2009・12・19)と言うタイトルで

ふんりゅうのことを書いて、病院に行って取って貰う!!と言ってたくせに

その後、そのことには全く触れず、そのままになってしまいましたが・・・。

今日は、その後のことを書きます・・・。


次男の通院してた皮膚科の医師に、市内の総合病院の形成外科を紹介

すると言われたけど、その病院は眼科で通院していて、いつも物凄く混雑

してるから、そこには行きたくなかったので、自分で病院を探すことにした

けど、個人病院で形成外科は見つからず。

仕方なく、少し前に予防接種でお世話になった外科に電話を入れて確認

してから行った。

次男の顔にできたふんりゅうがいくつかあって、その費用と、どんな感じで

取るのか、私の耳の裏のふんりゅうは後回しにして様子をみることにした。

診察室に呼ばれ、次男と共に行ってみると、医師の裏に4人の看護師さん

全員が並んでいる中、通院している皮膚科でふんりゅうを取った方が良い

と言われたので来たこと、目の手術をしていることなどを話した。

すると、その医師は、顔にメスをいれるのは避けたい、食べ物に気を付けて

いけば良くなるからと言って、結局、何もせずに帰って来てしまった。

食べ物に気を付けることなど、いろいろとアドバイスしてくれている中で

母親である私が「実は私の耳の裏にも・・・」なんて言い出すこともできず。

看護師さん4人も並んでいる中で耳の裏のできものを診て貰う、勇気もでず。

結局、そのまま又放置することに・・・。

それから1年7ヶ月。

数年前、頬に少し大きなシミができた。

楕円形のそのシミの端の皮膚が少し膨らんでいた。ほくろができてた。

社員食堂の仕事をしてた頃は、そのシミを気にしながらも、その上にしっかりと

ファンデーションを塗ってた。

だけど、仕事を辞め、家に居ることが殆どの毎日で、化粧をすることも、鏡を

見る回数も減り、その後、震災に原発事故で、自分の顔なんか見る気もせず。

6、7月頃になって、出かけることが少しずつ増えてきて、久し振りに化粧を

するため、まじまじと顔を見たら、あれ?このシミの上にできたほくろ、こんなに

膨らんでいたっけ?

気になったから携帯のカメラで写真を撮っておいた。

数日後、引越しのことで母のところに行くと、そのほくろのことを言われ、心配

だから病院に行った方がいいと言われ、それから毎日、そのほくろのことで頭が

いっぱい。

すぐに病院に行きたかったけど、引越し数日前だったので、病院に行くのは

引越し後にした。

母の通院先でもある総合病院を教えて貰い、同じく皮膚科に通うことになる

次男と一緒に行って来た。

その頃には・・・と言ってもたった数日だけど、ほくろが又変形していた。

そのほくろを診て貰うついでに、あの数年前からある、耳の裏のふんりゅうも

診てもらった。

耳の裏のふんりゅうは、あくまでもついでだった。

皮膚科の女医さんは、シミの上にあるほくろを診るなり、「イボですね!!

どうします?取りますか?」

私は皮膚ガンだと怯えていたのに、イボ!?思わず「イボなんですか!?」と

聞いてしまった。

な~んだ、イボだったの!?・・・ホッとしたのも束の間。

耳の裏のできもの、ふんりゅうだね、なんて女医さんも最初は言ってたけど、

「あれ、ふんりゅうではないかも・・・。ちょっと気になるんだよね・・・。」

それからそのできものの写真をとって、大きさを測って、形成外科の先生に診て

貰うように指示され、イボの処置をし、形成外科の予約を取って帰って来た。

その日から、今度は耳の裏のできもので悩むことに・・・。

形成外科の先生は他の大学病院から来てて、診察は週1回。

もう、悩んでもしょうがない。今まで何年もほったらかしにしてきた自分が悪い。

形成外科の先生も、ふんりゅうではない、ちょっと悪い感じがする。

傷があるのが気になる、ただれているのが良くない、一部をとって検査するより

全部とって検査した方がいい、結果が出ててから、その後の対処を考えましょう、

診察室から出る時に、余り心配しないようにと優しく言ってくれた。

手術の時も、そのできものを診て、やっぱりちょっと良くない感じがある、検査に

出した方がいい、と言いながら、でも、そうでもないかな?と。

背中のほくろの時の皮膚科の先生は、大体、良性か悪性かは診てわかると。

だけど、この総合病院の皮膚科の女医さんも、形成外科の先生も、このできものは

診ただけでは判断できないほど、変だったんだと思う。

検査の結果は2週間後と言われてたけど、1週間後の診察で、結果が出ていて

心配はないと言われて心の底からホッとした。


今回のことで、いくら病院嫌いでも・・・好きな人はいないだろうけど、検診は

きちんと受けようと思った。

次男が一人立ちするまで、ステンドグラス教室に通って、たくさんの作品を作り

あげるまで、それに、皆さんとお会いするまで、この日本が、世界が、良い方向に

向っていくまでは頑張って生きて生きたい。
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JTからのプレゼント?

2011-08-06 00:41:15 | 日記
震災後、止めたことが2つ。

1つはパチスロ。

5、6年前、次男が目の手術をしたのをきっかけに1度は止めた。

止めることが出来た。

だけど、その後、勤めてた仕事場にパチンコ大好きおばちゃんがいて、毎日のように

パチンコの話を聞かされ、しかも勝った話ばかり。

そんなある日、次男の用事で車で出掛け、その用事が終わるまでの数時間を潰すため、

ついついパチンコ屋に入ってしまった

最初の予定ではファミレスで過ごすつもりでいたのに・・・。

それがきっかけでパチスロ復活


行く回数は少なかったけど、月に1~2回は行ってた。

ジャグラーと言う機種にはまってた。

当たるとgogoランプがつく。そのランプがついた時の興奮。

ガゴっと言う告知音に毎回びっくりしてしまうんだけど、それが快感。


もう1つはタバコ。

このタバコもパチンコ大好きおばちゃんの影響

仕事場で毎日、毎日、このおばちゃんの副流煙を吸わされていたから、失業して、

おばちゃんに会えなくなったら、やたらとタバコが吸いたくなってしまい、とうとう

生まれて初めて自分のためにタバコを購入。

喫煙者になって4年。その間に何度か禁煙したけど、失敗。

震災後、少しの間は吸ってたけど、余震と原発事故のお陰で、吸いたいと思わず、

残っていたタバコは旦那にあげた。


昨日、母が我が家宛の郵便物を渡してくれた。

その中にピンクの箱があった。

何だろう?と見てみると「PIANISSIMO」とある。何となく聞き覚えがある。

だけど最初は何かわからず。どこかのカタログ?と思いながら、開けてみると・・・。

何とタバコが1箱JTからで「PIANISSIMO」が。

このタバコを吸うようになって、懸賞に応募するのに会員になってたけど、まさか

タバコが送られてくるとは!!

震災後、数名柄、数量を限定して出荷してきたそうだけど、出荷を再開することに

なったそうで、そのお知らせのため?迷惑をかけたから?

禁煙してなかったら、とっても嬉しかったけど・・・

はっきり言ってありがた迷惑!!

母は旦那にあげろ!!旦那は俺によこせ!!って言うけど、あげられない。

手の届くところに置いてある。

火はつけなくても、口にくわえて、メンソールの匂いを吸ってみたいな・・・


それにしてもJTのやってることは

震災を機に禁煙した人たちを呼び戻すため、タバコを送ってきたとしか思えない
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品川までドライブ

2011-08-04 10:31:19 | 日記
引越して1週間。

まだまだなのか?もう?なのかも分からず、何も感じず・・・

とにかくいろいろとあって、そのことはゆっくり後で書くことに。



昨日は次男のお供で品川のステラボールに行って来た。

最初は次男と2人、電車で行くつもりで、旦那に駅まで送って貰うことに

なってたけど、品川までドライブがてらに送ってと何気なく行ったところ、

絶対拒否すると思ってたのに、少し考えて「行ってみるか、ナビもあるし」と。

もうびっくり

我が家が今まで乗っていた車は長男に渡し(冷房が効かない)、今我が家は

母の旦那さんのセカンドカーを借りている身分・・・。

新しい車ではないけど、殆ど乗ってない車で綺麗だし、何よりも冷房が

ガンガンに効くのが

60代の人に多い、車のシートに白のレースのカバーとクッションがやたらに

多いのは気に入らないけど


それにしても本当、久し振りに車で都内に行ったけど、何だかとっても

不思議な気持ちになった。

品川周辺に着いたのが6時前後。

ちょうど帰宅ラッシュでサラリーマンの人たちも多かったけど、とにかく

人、人、人・・・。

私も20数年以上(30年近くと書いた方が正確)前、あの人混みの

中の一人だったんだな・・・。


宇都宮に居た時は、窓を閉め切って、洗濯物も部屋干し、水道水は使わず、

野菜はなるべく九州産、魚は去年獲れたはずの冷凍物、卵、牛乳も東北・関東を

避け、外出する時は暑くてもマスク(私の場合、ほうれい線隠し)。

息子たちのために、そうしてきた。

旦那は原発事故後、工場の復興作業で殆ど外に居たらしく、放射線浴びまくり

まぁ、旦那も私も50前後だから、いいけどね。

独り暮らしを始めた長男には水道水を使うなと、ミネラルウォーターを箱買いして

置いてきたのと、食べ物には気をつけるように言ってあるけど、外食やコンビニで

買ってたらムリだよね。

だから、なるたけ気をつけるように言うしかない。北関東に住んでいる限りムリだし。


独り暮らしする長男以上に心配なのは次男。

引越し先が茨城県の古河市。

茨城県内でも放射線量がいくらか低いところ。

だけど、母との同居で、全窓全開、洗濯物・寝具はベランダに干し、水道水も

ガンガンに使い、出てくる野菜はもちろん茨城産。魚もやたらと出てくる。

私が放射線の恐さをいくら言っても、口では「全くやんなっちゃうね」と頷きは

するけど、だからって全く気にせず。

ウーロン茶やお茶はペットボトル(市販なだけ少しはまし)なんだけど、氷水は

水道水で作ったもの。

その氷をたくさんコップに入れて出してくる。

もう、もうね、ここに住む限り、長生きはできないね・・・と次男に言った

次男は次男なりに気をつけてるみたいだけど。

周りの家を見ても、殆どの家が洗濯物を外に干してる。

スーパーに行っても、まだ小さい子がいるお母さんたちも、食べ物に全く気を

つけてるようには見えない。

最近では私の中で、放射線なんかとんでないのではないか?と思うようになってきた。

今朝も寝具類をベランダに干し、窓は全開にしてる自分がいる。


昨日の品川周辺で思ったのは、みんな放射線なんて気にしてない。

福島原発から離れているからなんだろうけど、だけど、放射線はとんでるはずなのに。

マスクをしていたのは私だけだった

毎日、毎日、放射線なんか気にしながら生きてられない。

日々の生活が忙しいからなんだろうけど。

都会の高層のマンションに住んでいる人たち、茨城の家に引越した我が家、未だに

避難所で生活を強いられている被災者の人たち。

みんな同じ日本に住んでいるのに・・・と思うと、とっても不思議な気持ちになった。


これから、この先、日本という国はどうなっていくんだろう・・・とも思った。


宇都宮の空も広かったけど、古河の空はもっと広く、都会の空を久し振りに見たら、

意外にも広くてびっくりした。

最近は空がやたらと広く見えるのは、今まで、空を見てるようで見てなかったから?











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引越しを決意

2011-06-18 00:24:06 | 日記
今年の2月頃、母から電話があり、今住んでいる家を売るかもしれないと言われた。

母の旦那さんは土建業を営んでいるんだけど、赤字続きでかなり厳しい状況。

その上、旦那さんは母と再婚する前から年金未払いの為、年金が全く貰えず

母は年金を貰っているけど、ほんの僅か。

今後の生活が心配で、母が友人に愚痴ったら、「私だったら家を売って安いアパートに住んで、

お金が底をついたら生活保護を受ける。」と、言われたそうで、母もそうするしかないのかな?

と、電話で言ってきた。

その時はただ聞いてただけで電話を切ってしまったけど、ちょっとイラっとしてしまった。

家を売って多少の現金があったとしても無職・無収入になる70近い夫婦に、家を貸してくれる

ところなんて少ないはず。

それと何と言っても最初から生活保護に頼ろうとする考えが許せない。

・・・と言うのも、今までの母親たちの生活を見てきたから。

母と旦那さんが再婚した当初は、旦那さんに多額の借金があり、苦労したことは知っている。

だけど、その後、旦那さんの仕事が上手くいって、かなり贅沢な暮らしをしてたのも知っている。

何よりも、そんな電話をしてこられたら、いくら薄情な娘だって、まるっきり知らん顔はできない。

だからって、援助できるほどのゆとりはない。

そこでいろいろと考えて、旦那にも相談して、最後は旦那に決断して貰った。

それは母の家の2Fの2部屋を間借りすること。

毎月、家賃として払うお金を生活費の足しにして貰うことができるし、今までは顔も知らない

家主さんに決して安くはない賃貸料を払ってきて、どこか虚しい気持ちがあったから。

年間100万以上が家賃で消える虚しさ。(もちろん家を貸してくれている家主さんには感謝)

ただ、旦那の通勤が片道50km以上・・・しかも、もうじぃさんだし

なので、旦那に最終決断をして貰った。旦那がみんなで楽しく暮らそう!!って言ってくれた。


その後、何回か電話で話をしてたんだけど、あの震災の前日、電話で母と大喧嘩。

母の家は夫婦2人だから3LDK。2Fは8畳の洋・和室。

そこに私たち4人家族が住むわけだから、かなり狭い。

母は何故か寝具類が大好きで、やたらと布団が多い。

「しまむらでベッドパッドが安いからいる?」とか、「しまむらで布団が安かったから姉の所に

送った。」とか、遊びに行けば、いらないって言ってるのに毛布や布団を持って行けと言う。

何だかしょっ中、布団がどうのこうの言ってる。

その時の電話で、押入れやクローゼットの中の物を処分できないとか言い出した。

だけど、それでは困る!!私たち4人分の荷物があるんだから!!

私たちは家賃を払って住むのだから、2Fの部屋は全て片付けておいて欲しい。

処分できないから、やっぱり同居は無理だとか、後になって言い出して、私たちを振り回すこと

だけは絶対にしないで欲しい。

母が、家賃を払うんだから、知らない大家に家賃を払うよりいいから、と言う私の言葉にとても

傷ついたらしく、私には「助け合う」と言う気持ちがないと言う。

母はお互い助け合うつもりで同居するならいいけど、家賃を払うんだから!と言う私の態度が

嫌だと言った。

それと「どうして○○子(私の名前)は、私に対して何でも否定的なのか?」

「離婚して家を出たことを恨んでいるのか?」みたいなことを言われた。

言われてみて確かにそう、初めて気が付いたけど、母の話す言葉に、いつも意地悪く思っている

自分がいる。

父と母の離婚は夫婦の間のことだから仕方ないことだったけど、母は私に嘘を付いて出て行った。

正直に言えなかったのかもしれないけど、結局、不倫していた。

自分が出て行くから、家事のため、今の仕事を辞めて、近くのスーパーで働くようにアドバイス

する母。

一言も謝ってくれなかった母。

自分が幸せになることしか考えていなかった母。

数年前、母の愛犬が病気で亡くなった。泣きながら電話をしてきた。

その後、何かで見つけたのか、天国にいった人やペットを癒す詩を電話口で涙声で朗読する母に

憤りを覚えた。

父が亡くなってお葬式が無事済んだことを報告した時、母から最初に言われたのは、自分の親戚に

香典返しをちゃんと送ったかと言うことだった。

用事があって、母が実家に行ったと言うから、父にお線香をあげたか聞いたら、父の遺影の写真が

恐かったし、それどころじゃなかったと言い訳する。

今までのことがいろいろあって、どうしても母に対して意地悪な言い方をしてしまう。

だけど、母に指摘されるまで、自分の中では気が付かなかった。

言われてみて初めて、確かにそうだなと思った。


結局、お互い感情的になって、電話を切った。

夜、旦那が帰ってきた時に、母と喧嘩したから同居は無理かもと話した。

旦那は私と母が年中、衝突してるのを知ってるから、「又やちゃったの?」と苦笑い。

何の用事か今は覚えてないけど、母に電話することになっていて、だけど、昨日の今日で電話する

気になれず、母からも電話はなく、そのイライラした気持ちをブログにでも書こうと思った矢先に

あの3月11日の地震・・・。

母の住んでいるところは茨城県西部で栃木県と埼玉県の県境。

地震の震源地でもある茨城県。

震災後は同居の話どころではなくなり・・・。

余震が少なくなってきた4月末ごろ、母から離婚するかもしれないと言う電話

夫婦の間のことは口出しできないけど、本当に離婚するんだったら、一緒に住めるところ探すから、

と言うことで、賃貸物件を探してたら、母の決意が二転三転・・・

年を取ってからの離婚は勇気がいるのはわかるけど、又しても振り回される我が家。

私の頭の中でいろんなことがぐるぐると回るだけで、答えが出ない。

結局、母は離婚する気はなくなったようだ。

旦那と話し合って、私たちも又、同居することを決意した。

同居するということは、母と旦那さんの一生をみるということを覚悟するということでもある。

だけど離婚するかもしれない夫婦。母の旦那さんとは血の繋がりはない。

だから、物凄く悩んだ。

悩んでいる時に江原さんのスピリチュアルメッセージに、「どちらか選ぶのに迷ったら、

自分にとってどちらの方が多く学ぶことができるかで判断しましょう。」・・・確かこんなニュアンス。

それと、震災後、物凄く、人との繋がりが大事に思えたし、賑やかに暮らしたいと思うようになった。

それと同時に息子たちを自立させなければならないと強く思った。

長男はバイトではなく派遣の仕事を探して独り暮らしをすると言う。まだ決まってないけど

次男には他人に近い、母とその旦那さんと一緒に住むことによって、人付き合いがもう少し自然にできる

ようになることを期待している。

私も新しい地で仕事を探し、今までお金がないからと諦めていた絵画教室に通い、いつか自分のデザイン

でステンドグラスを作ることが夢。

もちろん、震災前に言ってた母の「助け合う」気持ちを私も大事にするつもり。

それと、通勤が大変になる旦那も大切にしないと






















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