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~病に負けないで頑張っておられる方々、私の雑記帳を見てやって下さい~

【上を向いて - I LOOK UP】

私の大腸癌考察(2)

2012年04月26日 | 自分記事

私の大腸癌考察(2)          

K病院へ着き、受付にその旨を伝え紹介状を手渡しました。どうして良いのか判らず受付の前に立っていると、何と看護師が車椅子を押してきて乗って下さいと言うので、その通りにしました。連れて行かれた場所は循環器内科待合でした。いすに座って待っていると5分ぐらいで診察室に呼ばれました。ここでも、こんなに酷くなる前に何故病院へ来なかったのかと聞かれ、検査数値の説明を受け、2~3分後に即刻入院と言われたので、家に戻って入院支度をしても宜しいですかと聞くと、「ダメです、直ぐに入院しなさい」でした。また看護師が車椅子で迎えに来て私を乗せ内科病棟の緊急用個室に入りました。取りあえず家に連絡を取り、入院書類を記入し保証人になってくれる叔父に連絡を入れ、看護師に昼食を食べていないことを告げると良いとのことなので、一階のローソン(コンビニ)に歩いて買いに行きました。K病院は売店ではなくコンビニが入っている病院なのです。当然、病院で必要なものも売っています。気持ちも落ち着いてきたところで、7階の病室から歩いてローソン迄往復できるのに、何で車椅子が必要だったのか不思議に思えてきました。

何もする事無くベットでボーとしていた時に両親と妹が入院に取りあえず必要な物を持って来てくれました。午後3時くらいと記憶しています。3人は病室を出て行き医師の説明を聞きに行きました。その後、I医師が大まかな治療方法と輸血療法に関する危険性の説明および同意書を書きました。

危険性の内容は、輸血後肝炎、エイズ、溶血反応、アレルギー、蕁麻疹、細菌感染などです。 実際の治療が始まったのが午後5時ごろから赤血球製剤2パックの輸血が始まりました。輸血は1日あたり2パックと決まっていて、1パック2時間ぐらいかかります。

もし、輸血しなければ「赤血球は肺から酸素を取り入れ体の隅々まで運ぶ役割をします。赤血球が不足すると貧血になって、脳や心臓などが十分働けなくなり、生命に危険をおよぼすことがあります。」なんて今更何だと思っていたのが翌日から「貧血による入院」が「癌の疑い」に変更になったのです。 

22日以降は輸血と平行して大腸内視鏡(A法)、注射バリウムなどの検査を行いました。一番面倒くさい検査が24時間クレアチニンクリアランス(22~24日)でしたが、これまた突発事故の原因になるとは考えもしませんでした。

看護師がそれまで蓄尿していた機器をひっくり返し、病室に撒き散らしてしまったのです。仕方が無いのでトイレへ行きたいときは内科病棟のトイレを利用するのですが掃除をしている看護師の後ろを通り抜けるときに、滑って鯉のぼり状態で頭から床に転んでしまったのです。

直ぐに頭部CTスキャンを行うことになりましたが異常は有りませんでした。これが、ケチの付き始めかもしれません。 

肺にも水が溜まっており、太い注射器で5本抜きました。何だかんだで25日まで輸血が続き、6月30日にMRI検査を受けることになり、26日に一時退院をすることになり再入院は7月5日外科に決まりました。


私の大腸癌考察(1)

2012年04月24日 | 自分記事

 

まず最初に説明して置かなければならない事が有ります。何故、大腸癌がレベルⅣになるまで気付かなかったかです。それは、母が胃癌で術後5年経過観察の世話、食事の世話、仕事などで忙しかったのと、気持ちに余裕が無かったのが主たる原因です。術後3年半位した頃の冬に除雪をしたのですが、妙に疲れやすいなと思いながら過ごしていました。それから1年過ぎた頃から動悸、息切れが激しく、顔面・手足蒼白となり病院で検査してもらうことにしました。 

まず最初にZ内科循環器科クリニックで診察を受けました。先生は血液検査とレントゲン写真を撮り、待合室で長いなと思いながら一時間弱待っていると診察室に呼ばれ先生が慌てた調子で、どのようにしてクリニックに来たのかを尋ねるのでバスと地下鉄で来ました。この答えに先生は「え~」と絶句していました。 

血液の中で酸素を運ぶ重要な役目のヘモグロビン値が成年男子通常(医療機関で基準値は多少違う)13.017.0g/dlが何と2.2g/dlしか無かったのです。6.5g/dl未満で癌の可能性が有る人は、生命の危険を伴い心疾患あるいは基礎疾患としての肺疾患などの併存症を考慮しなければならないのです。通常でも心筋梗塞などの病気が起きる可能性がある値ですから、驚かれるのは当たり前のような気がします。 

直ぐに胃カメラを飲まされ十二指腸までは、ポリープも何も有りませんでした。しかし、直ぐにでも大きなK病院で精密検査を受けることを命令調で言われました。紹介状を書いて頂き平成22年6月21日午後1時にK病院へ行くことになりました。忘れもしない6月18日の出来事です。 

だが21日の午前9時に突然電話が有り、午前10時までにK病院へ来なさいと、私服のまま髭もそらず洗顔もせずにタクシーを呼びK病院へ直行しました。 

K病院のことは私の大腸癌考察(2)へ続けます。

 


放射線治療後の経過

2012年04月17日 | 自分記事

放射線治療は目立った副作用も無く、一週間に5照射、合計15照射を無事に終えました。どの様な癌でもステージの程度の差こそあれ最後の治療へ移行する場合があります。ステージが軽度で有れば有るほど5年生存率が高くなります。ステージとは臨床病期について癌の進行度分類を分かりやすく0期~Ⅳ期に数値化したものです。天文学的確立(そうだと、自分で勝手に思っている)ですが0期の人でも死にいたる人もいます。

今回、初めて知ったこともあります。大腸癌が肺に転移しても肺癌転移では無く大腸癌再発と表現する事です。再発場所は肺となるのです。こんな事を知ってる訳がない、ほんとに。

あれ、経過を書いていないよ。癌だけにしぼり、どの様な治療を受けてきたか前段として書きますが私は超貧血として入院しました。入院後、直ぐに癌だと循環器内科医師が気づき輸血、検査を5日間行い、一時退院しました。手術にも順番と準備が有り再入院は平成22年7月5日で手術は8日に決まりました。手術も絶対血液量が不足していてHgb(ヘモグロビン)の値が青年男子で13.0~17.0位が普通ですが、私の場合は術前数値が9.2g/dlまでしか回復しませんでした。よって出血に備えて大量の血液と共に手術室に入りました。後に執刀医に聞いたところ開腹手術は通常準備も含めて6時間かかるところを3時間半で終えたそうです。

術後、病理検査・病理診断で判明した事は大腸癌Ⅳ期で、上行結腸、胆のう、脾臓、脾臓の後ろの筋肉に食い込んでいるリンパを筋肉ごと、肝臓に飛んでいる僅かな癌を摘出したことです。その後の治療は副作用の少ない抗がん剤治療IRIS(カンプト点滴注射+TS-1経口抗がん剤)を行うことにしました。この治療が後に生死を分けるとは思いませんでした。詳しいことは次回の記事「私の大腸癌考察(1)」に時系列で書こうと思っています。

やっと、放射線治療の経過を説明します。治療はうまく行きましたが結果は思わしいものではありませんでした。次の治療方法は原因療法ではなく対症療法です、緩和ケアと言い換えても間違いでは無いと考えています。

では、次回の記事「私の大腸癌考察(1)」でなるべく詳しく書いていこうと思っています。