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~病に負けないで頑張っておられる方々、私の雑記帳を見てやって下さい~

【上を向いて - I LOOK UP】

大腸癌おける分子標的薬治療について

2012年06月24日 | 自分記事

                                          

現在、放射線治療を終えて、アービタックスによる単独使用の治療を行なっています。腫瘍マーカーもCEA基準値5.0ng/ml以下になり、劇的な改善が見られます。放射線治療前の値は18.2ng/ml、治療後は5.8ng/ml、途中経過ですがアービタックス治療で4.2ng/ml迄下がり、再発大腸癌の陰影もCTスキャンで確認したところ無くなっていたのです。でも、この治療は私自身が命を縮める危険な賭けに出た結果なのです。実は私も該当するのですが、通常はKRAS遺伝子異常の人が分子標的薬を使用することは癌細胞の増殖を速め、癌を進行させることになる危険が有ると言われています。KRASに対してEGFR から発せられる大腸がん細胞に増殖の命令を伝えてしまう事が主な原因と考えられています。

通常の大腸癌に対して使用される分子標的薬は、アバスチン、アービタックス、ベクティビックス等です。使用するには、FOLFOX(FOLFOX4またはmFOLFOX6)、FOLFIRI、XELOX等と併用する場合と、単独使用で治療する場合があります。

これだけでは、一般の方は何を意味しているのか判断しかねると思いますので簡略に説明しますが、あくまで自身が受けた治療、医師の説明、看護師の説明、ネット上で検索した情報、文献情報等から私が解釈したものです。たしかな情報は医師などに確認して下さい。癌治療関係は日進月歩の最先端医療なのです(私見です)。

1:大腸とは、下から肛門管・直腸・S字結腸・下行結腸・横行結腸・上行結腸・盲腸・虫垂になり、大腸癌を発症した場所名で直腸癌、S字結腸癌、上行結腸癌などと呼ばれることもあります。

2:検査と診断は、直腸指診・注腸造影検査(バリウムX線写真)・大腸内視鏡検査・血液検査(腫瘍マーカー)・エコー検査(超音波)・造影剤を使用したCT(X線)検査/MRI(磁気)検査が行われます。PET検査もありますが特別な場合に限られるので通常は行いません。

3:ステージ(0期・1期・2期・3期・4期)と治療は密接に関係しているので、私の癌治療についての話になります(ステージ4期b・上行結腸癌)。

4:手術は腹腔鏡手術または開腹手術を行い、術後の病理検査/診断による検討が行われ、抗癌剤治療、放射線治療等の方向性が決められます。

5:最終段階になると対症療法・緩和ケアとなります。私も余り触れたく有りません。

 

Ⅰ:化学療法による治療(抗がん剤治療)

1: FOLFOX (フォルフォックス)→オキサリプラチン注と5-FU持続注の併用療法+ロイコボリン注 

2: FOLFIRI (フォルフィリ)→カンプト注またはトポシテン注と5-FU持続注の併用療法+ロイコボリン注 

3:XEROX(ゼロックス)→オキサリプラチン注+ゼローダ経口薬 

4:IRIS(アイリス)→カンプト注+TS-1経口薬

以上が通常の化学療法です。さらに効果を高めるため、これらの治療に分子標的薬を使用するのですがアバスチンは全てに置いて使用可能だと思いますが、

アービタックス及びベクティビックスは癌の組成検査を行い、おおよそ3人中1人が不適格に成ります。EGFR、KRAS遺伝子を説明しなければなりませんが

次回に書き込みます。

 


私の大腸癌考察(7)

2012年06月03日 | 自分記事

 

私の大腸癌考察(7)                     

外科病棟に戻ったのはお昼すぎで、点滴スタンドに生食と栄養補給のパックをセットし点滴を始め、麻酔たまごもセットしました(水分は300ml飲水可?)。胆汁漏パック、尿パックは無かったと思いますが記憶が曖昧です。家族と話をしていて時間を見たらあっという間に、午後3時頃になっていました。

その時です、突然現れたのがT理学療法士(トレーナー)でした。優しそうに笑いながら大丈夫ですかと聞くので、何とか大丈夫ですと答えました。トレーナーは起き上がれますかと言うので「はい」と返事をし、ベッドで寝ていた体を起こしベッドに座る格好になりました。するとトレーナーは支えていますからベッドから立ってみてください、再び「はい」と返事をし、よろけながらも立ち上がりました。すると大丈夫ですね行きましょうか?「え!」と私は言いながら横を見たら車椅子が用意されていました。リハビリを始めるのですか、ええ、そうですよ。この時思い出しました同意書にサインしていたことを、でも始める時期は状態を見て適時判断するになっていた筈です。ICUから通常病棟へ移った日に開始するとは思いもよらず、7階から1階のリハビリテーション室へ連れられて行きました。

最初のリハビリは歩行練習用機器の棒に捕まりトレーナーが支えながら20メートル位歩くのを1セットとして、休憩をはさみながら合計3セット行いました。車椅子で病室に戻りトレーナーが明日も頑張りましょうと言って帰って行くのを見て「鬼」と、この時は思ったのですが、このトレーニングを直ぐに取り組んだことで早期退院する事が出来る体力が付いたのです。リハビリも段々と厳しくなり、メニューも増えていき負荷をかけての自転車こぎ等があり、終えて病室に戻るとしばらくは動けなかった記憶があります、本当に辛かった。リハビリは週に5日ペースで行いました。ある時、足の筋力アップを図るためにトレーナーが右足に全体重をかけて蹴り上げて下さいと言われたので思い切り行ったらトレーナーが吹っ飛び捻挫してしまいました。それ以降、二度と行われませんでした。私も、点滴スタンドを引きながら病棟の廊下を毎日20周歩いていたのです。リハビリ中も廊下での歩行訓練も点滴しながら体力の回復に努めていたのです。 

後は通常の治療、特に腎臓機能・肺機能・肝機能に異変が起きないことを考えていました。

数日たってから、血液浄化センターで人工透析を生まれて初めて経験しました。ベッド数は40床ぐらいで、午前と午後の部に分かれていて私は午前8時45分からですが、この時間に合わせて行かないと小言を言われていました。私みたいに突発的な患者は準備に除水率の確認などを含め15分程度かかり、定期的に透析する外来の人に比べると倍以上の準備時間が必要でした。外来、入院の人で全てのベッドが埋まっているのですから仕方が有りません。時間を多少ずらしながら順番をやりくりしても看護師の手が足りないのです。1回に掛かる時間は準備を含め約4時間で週3回(火、木、土)の透析をすることになりました。除水率とは、腎不全のために体内の水分、毒素が尿として外に排出されませんから、体内の水分量を1リットル排出するのか2リットル排出するのかを決める数値です。その橋渡しを行なっているのが血液ですから血液を浄化することによって血液が正常の濃度になり毒素も無くなるのです(体重も減ります)。しかし、透析がこんなに辛く、時間のかかる治療とは夢にも思いませんでした(終わる15分前には時計の針が止まっているように感じた)。重要なことを書き忘れましたが点滴も透析も全て中心静脈カテーテルから行われたのです。

色々有りましたが、順調に回復し、肺にも水が溜まらず、腎臓も正常に戻り、肝臓も、この時は問題ありませんでした。入院から退院するまでの期間は約6週間、退院する日に着て来た服に着替えると何とズボンがずり下がりベルトの位置を最小にしてもお尻まで下がってしまいました。何と体重が9Kgも減っていたのです。

 ・中心静脈カテーテル穿刺(せんし)時の合併症

頻度はまれながら、以下の合併症が生ずる可能性があります

1.気胸(肺を穿刺した結果、胸腔内(きょうくうない)に空気が漏れた状態

2.動脈穿刺に伴う皮下血腫、縦隔膜(じゅうかくまく)血腫、胸腔内出血

3.カテーテルから血管内に空気を吸い込んでしまうことによる空気塞栓(そくせん) 

・長期合併症

1.留置したカテーテルへの細菌感染により菌血症を生ずる場合があります。この場合カテーテルを抜いて再度挿入することがあります。

忘れていましたが、今回の入院で最初に右胸から中心静脈カテーテル留置を行なっており、長期合併症を防ぐために、ICUで首から再挿入したのです。 

最初の大腸癌手術から、もうすぐ2年立ちますが回復の見込みがある最後の抗がん剤治療を現在も行なっています。平成23年8月15日に大腸癌再発と診断されるとは思いもかけないことでした。


私の大腸癌考察(6)

2012年06月01日 | 自分記事

 

私の大腸癌考察(6)               

気が付くと酸素マスクと鼻から管が装着されていました。多分、側に看護師が居て「***さん、大丈夫ですか。・・・・・・・?」と呼び掛けられたように思いますが、幻想の世界から抜けきっていない私には、その事に気が付くのに可成りの時間が必要でした。時と共に、病衣に着替えている事や繋がっている管が多い事、周りに医療機器が置かれている事などで、今どのような立場にあるのか、ある程度理解できました。しかし、頭の中は相変わらず混乱していました。鼻の管が取れると酸素マスクが口から鼻マスクに変わり、口は自由になりましたが、たまに管を挿入して痰など何かを吸い出していました。また、声が出ないので話は出来ません。意思疎通の手段として顔と口は多少動かせましたので、ひらがなと数字・記号が表記されているボードに口に加えた棒みたいなもので一字一字指し示し、「はい」と「いいえ」は一マスだったような・・・あれ、幼稚園で見たような気がする。看護師が質問する事柄に対して巧みに動かしてくれるボードで痛みなどの症状、何を行なって欲しいかを指し示し、喉が乾きましたかと聞かれると「はい」を選び、「み」「ず」を加えましたが、当然駄目ですと言われました。なら、初めから聞かないで欲しかった。それでも水に浸した脱脂綿を口に含ませてくれました(優しいな~?)。

 治療は、主に血小板輸血、胆汁の排泄、体調の正常化、人工透析などですが順調に進んだ訳では有りません。心肺機能の異常があり、約3週間ICU病室に居ることになりました。付け加えるとすれば、私が暴れて透析が出来ない事(記憶に無い)、人工透析機器の故障もあったりして、血液の浄化がスムーズに出来ず通常病棟へ移ってから本格的な人工透析が行われる事、後に重要な役目を果たす事になる大変痛い首からの中心静脈カテーテル留置です。でも、腎臓が壊れなくて良かったことを後日しみじみと感じました。

病室での生活は、24時間体制で看護してもらいましたが、小窓は付いているのですが、今は昼なのか夜なのか区別が付かなくなっていていました。

ナースコールのスイッチを握らされ、たえず次の様な理由で押していたような気がします。オシッコの方は尿管をしているので問題は無いのですが、特に大の方が頻繁に出てしまい紙おむつ交換で呼ぶ、高熱で呼ぶことが主でした。でも、最初は普通のパンツでしたが汚す回数が多くて・・・仕方なく紙おむつにしました。女性の看護師に体拭き、おむつ交換をしてもらうのが後半になると気恥ずかしくなり、何処の病院から来られたのか制服の違う男性看護師に変わりました、古いけどサンダーバードの制服に似ていてビックリ!。治療以外のICUの生活は、歯磨き、顔拭き、髭剃り、体拭き等すべて通常の生活と同じでした。この時期だったと思うけど、薬を飲むために水150ml/日迄なら飲水する事が出来るようになり気持ち的には一息ついた感じでしたが、体のほうは動かせないので目を大きく見開き、耳で様子を伺う様子に変わっていました。この様な状態が長く続いたのですから外科病棟の看護師サポートが無ければ無理だったと思います。ICUのスタッフにも外科スタッフにも感謝の気持しかありません。 

ICUから通常病棟に移る日がK主治医から2、3日後に決まり、受持看護師はHさんですと言われました。その待っている時間が非常に長く感じ、救急外来に来る救急車や関係のないパトカーのサイレンの音が非常に気になったり、きっとICUから転出するのを邪魔する奴がいるとか、またピエロが見えてきたり、眠剤を使用しても眠ることが出来ないなどで錯乱状態に陥りました。

退室する日も持ち込んだ荷物のチェックシートとICUにある物が一致しているかを確認して、台車に乗せる作業時間も長く感じられ、同じ日に後からICUに来た人も退室するので大変でした。外科・麻酔科・ICUの医師集団が先に来ていて、受持看護師とサポート看護師数人のストレッチャーが迎えに来るまで一時間位待たされたと思いますが、やっと脱出できました。外科病棟に戻って来たのです、何処からか看護師だと思うのですが「帰ってきた」と声が聞こえて来ました。

忘れていました、この時、リハビリテーション治療についての同意書をT理学療法士(PT)の説明を受けサインしていたことを・・・。